こっちおいで、神様1
ルリが大学生のころ
お風呂上がりにレポートを見直していると、開けっ放しのドアの向こう、廊下に影がチラチラチラチラ見えていた。
「ミコト様、何か用事ですか?」
「うっ……うむ……ルリよ……!」
視界の端でチラチラされると気になる。いつもならひょっこり覗いてそのまま入ってくるのに、なぜ今日だけためらっていたのだろう。
その答えは、ミコト様が握っていた。物理的に。
「実は……今日はルリに枷をしようと思って……!!」
「はい?」
ジャラッと重い金属音と共に、ミコト様が手錠を見せてきた。
あとは寝るだけのこんな時間に、何をとち狂っているのだろうかこの神様は。
「てっ、手と足に……と思って」
思わないでほしい。
そそっと近くに座ったミコト様は、律儀にも持参した枷を私に見せてくれた。言葉通り2対の枷は、手だとか足だとかに嵌める部分は内側にファーっぽい素材が付けられていている。しかし他の素材は重そうな金属だし、それぞれの枷を繋ぐチェーンも太めだ。1メートルくらいあるチェーンだけでも重そうである。
チラチラと恥じらって袖で顔を隠しつつ、ミコト様はそれをそっと私の方へと寄せた。
「何でそんなこと思っちゃったんですか? また何か変なの読んだんですか?」
「うむ……実は、近頃やんでれなるものが流行っておると知ってな」
誰か不必要な現代知識を蓄えるこの神様を止めてほしい。電子書籍の買い方を覚えてからというもの、好き勝手に(主に少女漫画を)読み漁り、そして仕入れた知識を活用しようとしてくる。新しいことにチャレンジするのは脳の老化防止にいいらしいけれど、ここまで積極的にならなくてもいいのではないだろうか。というか努力の方向性がおかしい。あとヤンデレブームはだいぶ前。
「えっと……こういうのは流行り廃りでやるものではないかと」
「しかし、しかしルリよ。私はルリに枷を付けておきたいと思ったのだ」
「何があったんですか」
「何があったも何も! ルリは最近全然かまってくれぬではないか!」
普通に嫌なので手錠を遠くに押しやりつつ話を聞くと、ミコト様はわっと顔を伏せてしまった。
「学業とばいとに夢中でそればかり! 今月など何を言っても生返事ばかり……誘ってもあれこれで忙しいと断って、べ、弁当に凝ってみても美味しいの一言で終わらせて……!!」
「なんかごめんなさい」
「謝罪など欲しいのではない……ッ!」
私の態度に我慢ならず血迷ったらしかった。それはちょっと反省するところがあるけれど、私の言い分も聞いてほしい。
単位を懸けた試験期間である。そりゃ必死に勉強もする。テストだけではなくレポートも多いのでおしゃべりしている暇があったら勉強しておきたいし、のんびりお昼ご飯食べるのではなく図書館に通わないといけない。お弁当はなんだろう、具体的に褒めてほしかったのだろうか。全部美味しかったのは覚えてるけども。
「ミコト様、前にも言ったと思いますけど、大学は試験で失敗すると単位が貰えなくて、勉強した分が無駄になっちゃうんですよ」
「毎日私を放ってまで勉強しているのだから、無駄になぞならぬだろう。ルリの心にはさぞ勉学が詰まっておるのであろう」
「いやそういう意味でなく……必須単位とか落とすと留年になって、もう一年同じことしないといけないんですよ。もう一年寂しい気持ちになってもらわないといけなくなっちゃいますよ」
「耐えられぬ!」
この世の終わりとばかりに嘆くミコト様越しに見える風鈴がちりんと鳴った。お茶を運んできてくれたすずめくんがひょいと中を覗いて、ミコト様と私を見比べ、それからくるっとつぶらな目を回して肩をすくめた。廊下にお盆ごとお茶を置いて指差すと、私が頷いたのを確認してからスタスタ行ってしまう。通常営業だった。
「前の学び舎のころは……迎えに行けば共に放課後でえとに行き、弁当に凝れば帰ってから必ず褒めてくれたというのに……ルリは……ルリはもう私に飽きてしまったというのか」
「飽きてない飽きてない。ちゃんとミコト様のことが好きですよ」
「ルリよ……!!」
ひしっと抱きついてきたミコト様がちょっと暑苦しかったけど、今は我慢することにした。夏の部屋は夜過ごしやすくて好きだけど、ミコト様とくっつくにはやっぱりもう少し涼しいほうが向いている。
「私は恐ろしいのだ……。ルリは人の世が楽しい盛りで、このようなところで閉じこもっているより、外にいたほうがずっと良いのだろうと……ルリのためを思えばそうわかっておる。けれど私は、私は」
ミコト様の結んである髪を解いて、撫でながら話を聞く。
この神様は、いつまで経っても不安でいっぱいなのだ。今まであれだけラブラブしてきたというのに、ある意味すごい才能かもしれない。ミコト様に必要なのは恋人のすったもんだが満載の少女漫画ではなく、自己肯定感を高める啓発本ではないだろうか。胸キュン作品が好きなのはいいことだけど、もうちょっと現実に帰ってきてほしい。
「わかりました。ミコト様は不安なんですね。私がここを出ていっちゃうんじゃないかってまだ思ってるわけですね」
「ルリが出掛けるたびに、こうして枷でそなたを囚えておけたらと、ずっとここで共に過ごせたらと思ってしまう」
「わかりました。じゃあホラ、手錠貸してください」
「!! ま、まことか!」
別に閉じ込めなくてもあと数年の内にそういう暮らしをする予定だというのに、長年生きてる筈のミコト様はせっかちである。年上らしくどーんと構えているところをもうちょっと見たい。
とはいえ、私もミコト様が好きなので、不安なままにさせておくのはしのびない。手錠を指して手を出すと、ミコト様はぱっと顔を上げて花が咲いたように笑った。
「これ、どっちがどっちとかあるんですか?」
「うむ……左右はないと思うが……確か、こちらが手のものでこちらが足の」
「わかりました。さ、ミコト様」
「うむ?」
「手、出して。早く」
自分で持ってきたくせに持て余している手錠を受け取って、私は更に手を伸ばす。
「わ、私が手を出すのか?」
「そうですよ。だって手錠を嵌めるのはミコト様なので」
「……?」
まだ目がうるっとしたまま、ミコト様はキョトンと首を傾げたまま固まった。
あざとい可愛さである。
ミコト様の可愛さを堪能しつつ、固まった間に私はミコト様の手を握って手錠を嵌める。重たい金属はがちゃんと大きな音を立てて、ミコト様の手首にしっかりとフィットした。




