新婚さんいってらっしゃい3
「今日という今日はもうっ! 鯉こくにしますっ!」
「ィイ゛ヤ゛ァア゛ア゛ア゛ア゛!!」
「すずめくんありがとー、あと料理はやめてあげてー」
鯉のためというより、食べたら何かが感染しそうな感じがするので。何かが。
空から降ってきた巨大な手により無事鯉は回収され、私とミコト様はボロボロになって帰宅した。砂の上を走ると、ものすごく体力を使う。しかも何度か転んだので砂まみれ。潮風でベッタベタ。お互い別の場所でシャワーを浴びることにして、さっぱりして出てくるとミコト様がうなだれながらワンピースを手洗いしていた。
「ミコト様、元気出してください」
「せっかくの新婚旅行なのに……ふたりっきりの、ば、ばかんすなのに……」
「鯉も帰ったしふたりっきりじゃないですか」
「今日は海を見て……それからゆっくりと外で食事をしようと思っておったのに……炭火で海鮮を焼いて……」
海を見ながらシーフードバーベキューをしたかったらしい。必死に逃げ回った記憶しかないのでしばらくあの周辺には戻りたくなかったし、今はもう既に夕方近くなっている。
しょんぼりしたミコト様は、髪も結ばずに落ち込んでいた。背中の方に回り込んで手櫛でつややかな長髪をまとめながら、ミコト様を励ます方法を考えた。
「たった一日だけじゃないですか。また今度外で食べればいいですよ」
「しかし……それでは今日の献立が」
「魚介類は冷凍しちゃえばいいんじゃないですか? やる気でなかったら今日は私が作りますし」
「まっ……まことか?」
ぴくりとミコト様が顔を上げた。もし今キツネの耳が生えてたらぴーんと立っていることだろう。しっぽはふさふさ揺れているかもしれない。
「物凄く簡単なやつだし、味はあんまり保証しないですよ。まずくはないくらいですよ」
「ルリの……ルリの作ったものであればどんなものでも食べたい!」
「本当に期待しないでくださいよ。自分の腕前と比べないように」
楽しみだと繰り返すミコト様はもうピカピカの笑顔に戻った。
もう何年もミコト様の手料理しか食べてないし、そもそもお屋敷に来てから手伝い程度しか料理をする機会がなかった。前はお母さんと二人暮らしだったのでちょこちょこ料理をしたりしていたけれど、それも褒められるほどのものではない。ナントカの素とかを使うことも多かったし、だしもルーも買っていた。鰹節を削ることから始めるミコト様の古き良き大和撫子な腕前と比べられるともはやおままごとである。
ミコト様が元気になったからいいけれど、自分より料理上手な相手に手料理を作るって結構心理的ハードルがある。脳天気ににこにこと花を飛ばしているミコト様を眺めていると、ちょっと意地悪したい気持ちになった。
ふふふと楽しそうにミコト様がワンピースを干しているうちに、部屋の長持を探る。
「そういえばミコト様、コイといえば荷物にこんなものがあったんですけど」
「鯉といえば……?」
少しおののいているミコト様は、私の持っている箱を覗いてきょとんと首を傾げた。中に入っているのは紙束である。
「ミコト様がくれた恋文ですよ」
「えっ! な、なぜここへ?!」
「ちょうどいい機会ですし、読めないんで読んでください。ミコト様が」
「な、な、何がちょうどいいというのか……?!」
両手に手紙を持ってじりじりと近寄ると、ミコト様はキョロキョロ見回しながら後退る。
「待てルリよ、落ち着け、そもそも手紙というのは声に出すものでは」
「大丈夫です。わかりやすいように口語訳してください。現代風に言い換えてくれてもいいですよ」
「ちがっ、そういう意味ではなく」
洋間に置いたソファは、等身大サイズになると少し座面が大きくソファベッドのようだった。巨大なそれにミコト様を捕まえて、私は図々しく膝の上に乗る。ミコト様は控えめにイヤイヤしていたけれど抵抗することはなかった。新婚なので大体のことは許されるのである。新婚っていいなあ。
「……そして……つ……月のない夜などは……少しでも明かりが差さぬかと……そぞろに庭を歩いては、……厚い雲を払ってしまいたいと……」
「しまいたいと?」
「し、しまいたいと……空を照らすあの月のように、わ、わ……私を……私を……」
読んでくれたらごはんを作ると脅すことによってミコト様は陥落した。
赤い顔で涙目になりながら、自分で書いた恋文を音読している。普通の神経では耐えられないくらいの仕打ちだと思うけれど、ミコト様は相当私に弱いらしかった。そして私が読めないからと物凄くポエミーでリリカルな内容を書いていたようで、まだ数通目なのに息も絶え絶えになっている。聞いているこっちも甘さがすごい。
「も、もうよかろう……随分と読んだではないか、ルリよ……」
「もう少し。次、これ」
「る、ルリ……」
「じゃあここだけでもいいですから」
「っ……は、花を……花を照らす月光がなければ、そこにあると誰がわかるだろう。花を揺らす風がなければ、咲いていると誰が知るだろう……大地を潤す水が花を救い……夜明けが蕾を……」
文中で私は月とか太陽に喩えられる率が高い。そしてミコト様は長生きなだけあって短歌だけではなく、漢詩みたいなのを書いていることもあった。ラブが高まって筆を走らせたであろう沢山の作品を自分で現代語訳しながら読み聞かせるという羞恥に耐えているミコト様は、率直に言うとものすごく可愛い。美しい顔を赤く染めて濡れた睫毛を震わせているのを見ていると何かに目覚めそうである。
ミコト様が「好き」という二文字をこんなにありとあらゆる表現を使って表現されていたのだということもわかってすごく嬉しいし、これは癖になりそうな遊びである。幸いにもミコト様が私に送った手紙は部屋にも山程残っているのでまだまだ楽しめそうなのもいい。
「結構最初の方の手紙でもこんなにあまーいやつだったんですね」
「も、もう……ルリ……頼むから……」
「私もミコト様のこと、大好きですよ。今度私もミコト様にラブレター書きますね」
「むゥう……」
「交換日記にしますか? お互いに一日ずつ書いて渡すんですよ」
手紙好きで乙女なミコト様に説明すると、交換日記を気に入ったようだった。絶対気に入ると思った。ノートを買ってきてデコってもいいと言うと、あれこれと考え始めている。あれこれとデザインを考えてガードが緩んでいる隙にミコト様にぴったり抱き着いて、そっとミコト様の手から手紙を抜いて大事に仕舞った。私の宝物なので回収されないうちに隠しておかなくては。
それにしても、荷造りをしたすずめくんの有能さに感嘆せざるを得ない。ラブラブ夫婦を更にアツアツにさせるとは。お礼を兼ねて、今度また一緒にパンケーキを食べに行かなくては。




