新婚さんいってらっしゃい2
ふんふんと楽しそうな鼻歌で目が覚めた。
枕元に朝日が入らないよう遮っているのは天蓋ベッドから垂れ下がるバラが描かれた布である。
細々と作り続けていた州浜には様々な建築様式の家が作られ、その数だけ寝室もあった。ロマンチックの極みとも言える西洋風の部屋は生活に不自由がないように最低限の手直しをされてはいるけれど、あちこちに普通の家とは違ったところが見られる。
「実際の縮尺になってみると柄物が大きいなぁ」
州浜遊びとしてミニチュア家具を作っていたときにはそれらしいサイズだと感じていたのに、枕が物凄く大きかったり、布の柄や壁紙が派手だったりしている。ミニチュアの世界に入り込んでいるようで、それはそれで面白かった。
「ルリ! おはよう。もうすぐ食事が出来るぞ」
うきうきと音が聞こえてきそうな足取りでやってきたミコト様は寝起きの私の顔にちゅっちゅっちゅっとキスをして、それからまた鼻歌交じりにキッチンへと消えていった。フリフリのエプロンと古い世代のアイドルの歌がイケメンと融合して妙に絵になっている。奥様は神様……と思いながら見送っていると、ミコト様がぴょこっと顔を出してにっこり笑った。
「今日のこーでねいともしておいたから、着てくれると嬉しい」
「はーい」
結婚準備の副産物として、ミコト様はソーイングスキルも高めてしまった。ハンガーに掛けられているオレンジの甘めワンピースも、今着ているフリフリネグリジェもミコト様のお手製である。パフスリーブが好きらしく、凝り性のミコト様がごつく見えずにかつふっくら可愛いフォルムを極めたシルエットは私の女子力さえもついでに上げてくれるアイテムだ。
大学に通っていた頃はジーンズのほうが動きやすくてよく着ていたけれど、今は新婚旅行中だしミコト様が喜ぶのでワンピースばかりである。ミコト様も洋服を着ているので、普通の夫婦のようだった。
「もうすぐクロワッサンも焼けるぞ。オムレツはこっちの綺麗なのを食べるとよい。デザートに小鉢の浅井ぼうるもある」
訂正。普通の夫はたぶんこんなに完璧な朝食を作らない。
ぱりぱりサクサククロワッサンとケチャップでハートを描いたとろふわオムレツ、生搾りのオレンジジュース。そしてなぜかお漬物。いや、わかるけど。塩分ほしいのわかるけども。まだカタカナに弱いところは残っているけれどミコト様は洋食もお手の物だ。食卓が可愛くなるからと朝は洋風のことが多いくらいである。
美味しい朝食を、にこにこしている旦那様を眺めながら食べるとまた格別に美味しい。
「今日は海の方へ行かぬか?」
「いいですね。しじみ見に行きましょう」
サンダルを履いて、ミコト様と手を繋ぐ。
ミコト様の力を受け継いでいるので私も空とか飛べるはずなのだけれど、まだ出来ないので歩きだった。ミコト様は出来ないままでもいいと言っているけれど、私はせっかくなので飛んでみたい。今度飛行のスペシャリストであるすずめくん達に教えを請おう。
「結構いびつなところありますね。ほらあそことか、近くで見ると結構迫力ある」
「懐かしいな」
唐突に道端にある巨大な和菓子のオブジェなども見ながら歩いて、砂浜と海のあるエリアへ散歩していく。砂浜が少し荒いような感じがするけれど、波打っている海は本物そっくりだった。白く泡立つ波打ち際まで寄ると、澄んだ水中の土がむくむくと動き、黒い貝がひとつ顔を出した。
「……でかっ」
「こうして見ると大きく感じるな」
ヴィーナスごっこが出来そうなサイズのしじみは、隙間からホースのような管を出して勢いよく水を出している。近くに寄ると、少しずつしじみも近付いてきてその管をそっと水面に伸ばしてきた。
「あ、けっこうかわいいかも……」
つんと管をつついてピクピク動くのを楽しんでいるうちに、ふと息を吹きかけてみたくなる。すうと海風を吸い込んでしじみに向かって当てるように吐くと、半分ほど砂から出ていた貝の黒色がさっときらめくように虹色に変わった。みるみるうちに、しじみの気が光っていく。
管を水面から出るまで伸ばしたしじみは、水の代わりにコポコポと泡のようなものを吐いた。シャボン玉のように浮かんでいくそれは、鮮やかな海の情景や満月や魚などを映しては消えていく。大きな泡に私とミコト様が覗き込んでいる顔も映っていた。
「え、なんか変なことしちゃったような」
「ルリの気を受けて蜃に成ったな。小さいのでこのまま飼っていてもよいであろうが」
呼気を吹き込めるというのは魂を与えるということになるらしい。あんまりあれこれやりすぎると大変だし力を使いすぎて疲れることもあるからやめたほうがいいと教えてくれたけれど、もっと早く教えていてほしかった。
「こんなの、どうするんですか。おちおち溜息も吐けないじゃないですか」
「いや、普段は込めようと思わねばただの息となる。ルリはまだ慣れておらぬし、これの望みに引きずられたのであろう」
コプコプと泡を出しているしじみは魂が欲しかったらしい。そう言われてみれば何だか満足そうな感じにも見える。ひらひらと貝の隙間から見えている中身が、何だかあたたかい気持ちを送っているような気がした。
「早くも神として事を成し遂げるとは、流石私のルリだ。そなたは多くのものから慕われ、よき力を得るであろう」
「あんまり実感ないですけど、神様みたいですね」
「まさに神様ではないか」
「そうでした」
しじみシアターを背景にふふふと笑い合っていると、背後の砂浜に何かが落ちるような鈍い音がした。振り向くと、黒い魚がビタンビタンしている。
しかもなんだか普段の3倍くらい大きい。
「……ルゥリ゛ィイ゛イ゛イ゛ーッ!!」
「うわっ」
「なぜここへ……こ、これっ! ルリに寄るな、帰らぬかっ! 鯉よっ!」
その後、私達は図らずも砂浜で追いかけっこというカップルの図式もある意味再現できた。
どんな力を得ようとも、やっぱり鯉の願いを叶えるのはちょっと遠慮したい。




