新婚さんいってらっしゃい1
大学卒業と同時に結婚式を挙げて、それから私も人間を卒業した。
人の道を外れるのは特に大げさな儀式もなく、ミコト様のキスひとつで終わってしまった。
別に神気を注ぐだけなのでキスでなくてもよかったのだけれど、そこはミコト様の夢が詰まったこだわりだったらしい。そもそも私は日頃からミコト様のお手製料理を食べていて、じわじわ神気を体に入れていたので特に不便もなく、3日くらい寝込んだだけですんだ。
人でなくなり、私は神様の一端になった。
五感に新しい感覚が追加されたような不思議な感覚で、自分を取り巻くものが光の粒のようにも感じられる。一際大きくあたたかく私を包んでいるのがミコト様で、自分の光もそれと同じになっているのに気が付いたのだ。
神気を注がれてすぐは上手く感覚が掴めなくて、その光の中に溶け込んで意識だけでうろうろしている感じだった。自分が山の地中にある小石とか、海の中に揺らぐ一滴の海水のようになったようで、ミコト様が私に向ける愛おしさのなかで眠ったり、傷ついている部分を癒やしたり、まだ知らないミコト様を探検してみたりしていたような気がする。
こういう自分になって初めて、私が今まで見ていたミコト様というのはほんの一部分だったのだと気付いた。もっと大きくて、人ではわからなかった部分が沢山ある。ミコト様の名前や姿はそれを人が認識できるようにした一部だった。地球くらいに大きくて、ゆったりと私を見つめている。それに抱きつこうと思ったとき、ふいに私は私の輪郭を取り戻した。腕がなければ抱きつけないのだと気付いて人の形に戻ったのである。
「パフェが食べたい」
おかゆやうどんなど柔らかいものから普通の食事に戻って、空腹からのリクエストを素直にミコト様に伝えると、色んなフルーツの乗った大きなパフェを作ってくれた。細長いスプーンは2つ。食べさせ合うのである。
「いつまでも新婚みたいですね」
「それはよいな。いつまでもこうしていよう」
ミコト様がとても嬉しそうに言ったけれど、いつまでもが下手すると本当に数百年単位になってしまう。とはいってもミコト様がニコニコしていると私もまあいいかという気分になるので、まだしばらくはこうしてラブラブでいられる気がした。
「ルリよ、もう馴染んだか? 歩くのに不安はないか?」
「大丈夫ですけど、どこか行くんですか?」
唇に付いたクリームを拭い合ったりして鯉もスズメも逃げ出すようなキャッキャと重たい朝食を食べたあと、ミコト様が私の調子を尋ねた。
新しい感覚がある以外は前とそんなに変わらないので頷くと、ミコト様は旅行に行くという。
「その……、新婚旅行というのがあるのだろう? 前に結婚したときには屋敷でゆるりと過ごしただけであったから、今度こそはと……。学校も終えたことであるし、ふ、二人きりで過ごそうではないか」
最初にお屋敷で結婚してから結構経つけれど、ミコト様的には最近の結婚式で仕切り直しがなされたらしい。
てれてれと提案してくるミコト様は相変わらず乙女心を失わない神様だった。むしろミコト様の気が感じられるようになった分、前より乙女濃度が高く感じる。
「いいですけど、どこに行くんですか? 車で? それとも電車?」
もしくは狛ちゃん獅子ちゃんに乗って行く神様世界一周の旅だろうか。
まさかロマンチック街道にツアー申し込みしているとかではないと思うけれど。
いきなりの提案にあれこれ考えている私の手を取って、ミコト様がウキウキとお屋敷を歩き出す。行き先は州浜の置かれている広間だった。仕切りが取り払われて少し中庭に寄せられている大きな州浜は、明るい日差しと暖かい風を浴びて本物の庭のようになっている。
すずめくんとめじろくんがその側にいて、大きな長持ちを二つ、ちょうど蓋をしたところだった。
「あっ、主様、ルリさま! お荷物はここに支度しておきました!」
「うむ、手間を掛けた」
「ゆっくりと、じっくりと、気が済むまで、いつまででも、楽しんでいらしてくださいね! 留守はすずめとめじろにお任せしてください!」
「何かありましたらお声掛けいたしますから、それまでお帰りにならなくて大丈夫です」
すずめくんとめじろくんが念入りに私達を送り出そうとしている。
ミコト様が鷹揚に頷いて、長持ちをとんとんと触る。すると長持ちがぽんと跳ねて、くるりと空中で回ると小さくなって州浜に吸い込まれてしまった。それからミコト様が嬉しそうに私を抱きしめる。
「では、私達も行くか」
「え、もしかして州浜に?」
「行ってらっしゃいませー!」
手を振る二人に見送られながら、私達もくるりと回って州浜の中に降り立った。ミコト様と一緒に組み立てて作り上げてきたお屋敷が大きくなり、庭には川がさらさらと流れている。
ミコト様が私の両手を握ってうっとりと微笑む。
「新婚は、蜜月とも呼ぶのであろう? しばらく2人で、蜜のような暮らしをしようではないか」
二人きりって、本当に二人きりだった。確かにここなら誰もいない。
こうして、サプライズのハネムーン旅行は二人の思い出の場所、という乙女の夢を実現させた暮らしが始まった。




