それからのこと3
ミコト様の瞳は黒がくっきりしている。その瞳でじっと見られていると、自分の向こう側まで見通されているような気持ちになった。
「神々を目の当たりにして、現し世が恋しゅうなったか?」
「……」
「私の目を盗んで逃げられると思うたのか、ルリよ」
そなたがどこへ逃げようとも、私は容易く捕まえることが出来るぞ。
唇に息がかかる距離で、ミコト様がゆっくりと私に言い聞かせる。私の横に付けられた手が、門に爪を立てる音がした。何も喋らない私をじっと観察していたミコト様が、やがてくしゃっと顔を歪ませる。
「ルリは私の妻だ。どこへ行っても、必ず私は追いかけるぞ」
「ミコト様」
「契りは成った。もはや取り消すことなど叶わぬ。いくらそなたの願いとて」
「誤解です」
「ごか……え?」
「壁ドンですね」
「かべど……?」
薬師如来様に貰った薬を袖に入れてミコト様の首に腕を回し、少し背伸びしてキスをすると、ミコト様が混乱した様子で私を抱きしめる。まだ不安そうな顔なので何度かキスしてから顔を離すと、いつもの赤い顔になっていた。
「に、逃げぬのか?」
「なんで逃げるんですか。大体どこへ逃げるんですか」
「だ、だって、ルリが……門が……」
「うり坊ちゃんたちを見送ってただけですよ」
「うり坊……」
「なのに勝手に誤解した上で責めてくるし。ミコト様私のこと信用してないんですか? ひどーい」
「あ、ち、ちが、そのような、」
「超傷ついたー」
「すまぬ! 私はルリに飽きられぬかと心配で!」
新婚数日で飽きるとかを心配するほうが逆に心配だ。棒読みで非難すると、ミコト様がオロオロしながらも必死で謝っていた。
「ルリよ、何でもするから許しておくれ、この通りだ」
「しかも自分は美女にチヤホヤされてるしー結婚早々浮気ってひどいー」
「浮気など断じてしておらぬ!! 私にとってルリ以外に愛おしく思う者などいない! ルリがいなければ己が生きている意味もわからぬと言うのに!」
「いやそこまで断言しなくても……」
「ルリに捨てられたら死ぬしかない!」
「そんなことないから。色んな意味で」
しっかりと私を抱きしめながらイヤイヤと首を振っている。その向こう側、お屋敷の方で色んな人達がこっちをじっと見ていた。人間の娘に縋り付いている神様という構図は、長く生きている神様やアヤカシにとっても珍しくかつ呆れるようなもののようだ。
さっきまでミコト様を取り囲んでいた美女グループも、縁側からこちらを凝視している。なので私はミコト様の頬を両手でしっかり包み込んで、じっと目を見ながら微笑んだ。
「私もミコト様のことが大好きですよ。ミコト様は一途で浮気しませんもんね」
「せぬ、せぬ……」
「私のことをずっと守ってくれるんですもんね」
「守るとも、ルリよ……」
「私達、ずっとラブラブでいましょうね。疑ったらイヤですよ」
「もちろんだとも、あぁ……いつまでも、私はルリのことを愛しておる、ルリ、ルリ」
ミコト様がウルウルキラキラした目になっていたので、胸に湧き上がったモヤモヤは水に流しておくことにした。心配性の夫を持つと大変である。
めじろくんとすずめくんが「かかあ天下というやつか」「主様、あんなに喜んで尻に敷かれて」とヒソヒソしながら通り過ぎていく中をしれっとイチャイチャしていると、やがて美女グループが般若みたいな顔をしながらフンと揃ってお空に帰ってしまった。一連の流れを眺めていた他の人も、ちらほらと帰り始めている。多分神様界隈でミコト様は人間に骨抜きにされたという噂が流れるだろう。存分に流しておいてほしい。
「ミコト様、まだお客さんがいますから、門を開けておきましょう」
「ルリが出て行かぬなら……」
「行っても連れ戻してくれるんでしょ?」
「連れ戻す……絶対に」
「じゃあ大丈夫じゃないですか」
「……客人はめじろに任せて、しばらく2人にならぬか?」
「夜にゆっくりしましょう。その方がイチャイチャしやすいですよ」
そもそも離れる気すらないと行動で表しているミコト様を説得すると、渋々ながらまた門を開ける。すると開いた向こう側に見覚えのあるド派手な大きい鳥がいて、のしのしと長い脚で私達に近付いて来た。
そしてじっとこちらを見上げてから、大きな声で鳴く。
「ィヨキカナァーッ!!」
「朱雀ではないか。久しいな」
「えっこれそんな有名なやつなの」
「ヨキッカナァーッ!!」
ミコト様が中で寛ぐように言うと、大きな鳥はのしのしと歩いて入っていく。
夫婦関係より、ミコト様の交友関係に慣れる方が難しいかもしれない。




