結婚の3段活用6
「ィイ゛イ゛イ゛ヤ゛ア゛ア゛ア゛ァァァ!!」
「えっ何あれ怖っ!」
「鯉だよ……」
「鯉ってあんなんだっけ?!」
「ヴル゛ゥウ゛ウ゛ウ゛リ゛ィィイ゛イ゛イイィ!!」
東の建物から主屋へと移る渡り廊下から見えた春の庭で、叫びながらビッタンビッタンする黒い鯉がこっちに突進してきていた。お父さんが引け腰になって後ずさっていたけれど、鯉が私達のところに到達する前にサッとすずめくんが飛び出して網を槍のように構えて捉え、それをめじろくんが素早く水を張った桶に移した。木蓋と大きな重石を乗せた桶を更に紐でぐるぐるにして、2人で担いでぴゅーっと走っていってしまう。鯉が暴れた跡は、他の人がサーッと掃除して綺麗にしてしまった。
「え、怖いんだけど……ルリちゃん、あんなのと暮らしてるの? 大丈夫?」
「うん……まあ慣れたら可愛……くはないけど、そんなに危ない生き物でもないから。たぶん」
「怖いなぁ……」
まだ鯉がドナドナされていった方向を気にしつつも、お父さんは私の手を握り直してまた歩き始めた。渡り廊下を渡って、主屋の外側の廊下を通って大広間を目指す。お屋敷の大きな門まで続く石畳も両側に色とりどりの花が揺れ、紅白の梅も満開でいい香りが辺りに満ちていた。
最初にこのお屋敷に来たときも通ったこの廊下は、もう通り慣れた道だ。大きなお屋敷に圧倒されながらすずめくんに手を引かれ、あの人から逃れられた安心とこれからどうなるのかという不安が混ざった気持ちも今になると懐かしい。今の適当な部屋でゴロゴロしたりミコト様にお菓子をねだったりする生活なんて想像もできなかった。というか、最近はちょっとたるみすぎな生活をしている気がする。気を付けなくては。
「ルリちゃん」
豪華絢爛な襖の前で、お父さんが立ち止まった。私の姿をじっと見て、それから嬉しそうに笑う。
「行こうか」
「うん」
私が頷くと、襖は両側からすっと開けられた。いつの間に鯉を片付けてきたのか、たすきも外したすずめくんとめじろくんが、両側で丁寧に頭を下げる。それと同時に同じく控えていた紅梅さん達も頭を下げた。
「ルリ……」
大広間の一番奥、一段高くなったところに座ったミコト様が、わずかに腰を浮かせてこちらを見ている。今日はきちんと髪をまとめて黒い冠も被って木の棒的なのを持っているので、雛人形のお内裏様のような格好だった。その手前、左側に着物姿をした隣町の神様が座っている。この神様の服装は現代でも見るような着物で、目が合うとニッコリと微笑んでくれた。
結婚式のあれこれが色んな意味でよくわかっていない私達に、「それっぽければテキトーでいいのよ、テキトーで」とアドバイスしてくれたのもこの神様だった。色々と相談に乗ってくれたからこそ堅苦しくなく、それでいて神様の式として成立させることが出来たのでとても感謝している。
お父さんと私はミコト様の前まで進み出て、座ってお辞儀をする。ミコト様が柏手を打って何やら昔の言葉でお祓いをして、それから私が立ち上がってミコト様の隣に座る。近付くとミコト様の目がもうウルウルしていて大丈夫かなと思ったけれど、その隣に座って顔を上げるとお父さんもウルウル、というかダバダバしていた。多分ここにお母さんがいたらきっと呆れ笑いをしているだろう。私もお母さん似のようでウルウルはきていない。
それからお父さんが少し脇によけて、隣町の神様が進み出る。ミコト様と言葉のやり取りをしているけれど、神社の神主さんや能のような発声と言葉遣いなので私はあんまり聞き取れていなかった。事前に教えられていたところによると、ミコト様が私と結婚すると報告し、隣町の神様がそれを認めて寿ぐらしい。神様の結婚は、他の神様に立ち会ってもらって認めてもらうというのが一般的なのだそうだ。
それから三三九度の盃を交わす。すずめくんとめじろくんが用意してくれた盃に口を付けるけれど、お正月のお屠蘇のようなお酒のつんとくる匂いや口に広がる変な温度はなく、桃の香りを付けた水のような味が喉を滑っていった。三回に分けて飲むのが結構難しかったけれど、なんとかやり遂げる。これが実質結婚の証なのだそうで、終わった頃にはミコト様は感激したように目を潤ませながら私を見つめ頬を染めていた。私もその顔を見て、ちょっと感動が湧き上がってきているのを自覚する。
私とミコト様は夫婦になったのだ。
それから梅トリオが舞を披露して、お父さんと隣町の神様にもお酒が配られて、それから大広間の襖をすべて開け放ってお屋敷の人みんなが呼ばれ、なし崩しに大宴会へと変化した。
「ルリ……私は、私は本当にうれしい……」
「あ、溢れちゃった。ティッシュティッシュ」
すっとめじろくんが差し出してくれた新品のやわらか箱ティッシュを惜しみなく使ってミコト様の頬を拭うと、ミコト様が嬉しそうに微笑んでまた涙がポロリと流れる。緩んだ涙腺のままお膳が出て、あーんをしてはポロリ、料理が美味しいと褒めてはポロリとミコト様はもういっぱいいっぱいのようだった。ミコト様の嬉し泣きが可愛いのでついつい細々とお世話していると、ヒューヒューと隣町の神様から冷やかされる。改めてお礼を言うとごはんも美味しいしいい式に出られて幸せと言ってもらえた。ちなみに料理したのがミコト様だというと慄いていた。
お父さんはもはや号泣していて、すずめくんがやはり新品箱ティッシュでもって慰めている。お屋敷で働く他の人も慰めたり、隣町の神様にお酌をしたり、お祝いの歌を歌ったりととても賑やかだ。
沢山のお祝いの言葉と、美味しいごちそう、それにミコト様。まだ人の枠から出ることの不安はなくなったわけではないし、進路希望調査も曖昧なまま。ここが終わりではないけれど、それでも私は今、すごく幸せだった。嬉しさの頂点というよりは、温かいふわふわとした空気が心に流れ込んでいるようなそんな幸せだ。
「ミコト様」
つんつんと袖を引っ張ると、ちんと洟をかんだミコト様が赤い目でこっちを見る。
「これからもよろしくお願いしますね、旦那様」
「だ……あ、あ、だ、だん、なさま……」
口をパクパクさせたミコト様の耳や首までがじわじわと真っ赤に染まっていった。それからまたウルウルした目で、私のことをぎゅっと抱きしめる。大広間はそれを受けてわっと更に盛り上がった。
「私も……、これから、ずっと共にあろう。我が妻よ」
「はい」
背中に手を回すと、更にぎゅっと抱きしめられる。
ミコト様の不思議で心地の良い香りが、私の胸を更に温かくした。
本編はこれで完結です。
お読みいただきありがとうございました。
以降の番外編も宜しくお願いします。




