結婚の3段活用5
「よいか、鞠よ……何度も言うが、こうして共に眠るのはもう終いだぞ。ルリは今日から主屋へ移り、わ、私と共に……眠るのだ。今までは大目に見ていたが、それも今日を限りに……おお、ルリ、目覚めたか?」
無機物に対して真剣に説教をする話し声で目覚める朝が結婚式当日って、地球規模で見てもそうそうないのではないだろうか。いつの間にか寝返りを打っていた私の背中にくっつくようにして横になっているミコト様が、手櫛で髪を梳いている。
「今日は外もよい冬晴れで、まさに吉日にふさわしき日だ。そろそろ起きて支度を始めてもよい頃合いであろうな」
「ええ、やだ。ちょっと待って」
「な……なぜ?! ルリよ、いきなり……どうしてそのようなことを? 何が……何が嫌なのか教えておくれ、ルリが望むのであればどのようなことでも」
「いや違くて。目が腫れちゃったんです」
しょぼしょぼとまぶたが重く開き辛い。人生の晴れ舞台にこんな顔をして行きたくはない。昨日濡れ布巾だけじゃなくてしっかりアイスノンで冷やせばよかったと思っても後の祭りである。朝からお風呂に入る予定だったけれど、温めるのと冷やすのを交互にしていれば腫れは引くだろうか。
「腫れが引くまで結婚式遅らせてほしい……」
「これ、誰ぞ! 月の妙薬をここへ持て!!」
「待って私まだ変身したくない」
神様が使っても効き目がヤバい薬は、目の腫れも治るだろうけど効能がそれで収まりそうにない。必死に人を呼ぶミコト様を抑えていると、有能なすずめくんが声を掛けて入ってきた。手に持っているのは摩訶不思議なあの薬ではなさそうでホッとする。
「共寝なさっているかと思っていればまあ、こんな風に呼びつけられるとはすずめも思っていませんでしたよ。はい、ルリさま、お顔をお見せになって」
「いや、ただ腫れてるだけだから……」
「これ以上主様のお心を乱されては困りますからね。大丈夫です。薬師如来さまのありがたいお薬ですから。人にも対応していますよ。お目を瞑ってください」
漢方のような香りが漂う薬がまぶたに塗られると、肌にすぐ馴染んですっとする感覚が通り過ぎていった。目を開けると違和感もなく、むくれたすずめくんと心配そうなミコト様の顔がちゃんと見える。
「すごい。ありがとうすずめくん」
「お礼はご本人に申し上げてくださいませ。お披露目に顔をお見せ頂けるようですから。さっ、ルリさまも主様も、早くお召し替えを済ませて朝食をお召になってくださいませ。今日は忙しくなりますからね!」
すずめくんが手早く薬をしまうとパンパンと手を叩いて私達を急き立てた。たすき掛けをしているけれど、その衣装も生地がいつもより上等なものだ。テキパキ具合がいつもより気合の入ったものになっているようである。耳をすませば他にも慌ただしく指示をする声や歩きまわる音が聞こえてくる。このお屋敷のみんなが、私とミコト様の結婚式のために頑張ってくれているのだ。
「ルリ、ルリや、これで心配はないか、もう嫌だと思うことはないか」
「大丈夫です。ミコト様、ちゃんと準備して、今日はいいお式にしましょうね」
「……うむ!」
みんなが頑張ってよかったと思えるようないい一日になるといい。
そう思いながらミコト様の手を握ると、ミコト様もぱっと顔を明るくして頷いた。
朝食を食べてからお風呂に入ってしっかりと体を清める。それから紅梅さんと白梅さん、それに蝋梅さんも加わった三人が真っ白な花嫁衣装を着付けてくれた。着付けをしている3人も平安時代の女房のような格好で、いつもより着重ねた盛装だ。着付けられている私よりも動きにくそうなのに、3人はにこにこテキパキと私を着物で包んでいった。
「かわいいわねえ」
「かわいいわ」
「とってもよく似合っているわね」
「流石主様のお見立てね」
「髪結いも沢山練習したものね」
「主様、厳しかったものね」
「ルリさまが一番かわいく見えるわ」
「さすがねえ」
白梅さんと紅梅さんが口々に褒めながら着付けてくれるのでちょっと恥ずかしい。私の髪は江戸時代っぽく結べるほど長くはないので、ミコト様が花嫁衣装に合うかつ今時カワイイ髪型を模索しまくったものになっている。本当は当日もミコト様が結びたかったようだけれど、花婿は花婿で準備があるので渋々梅トリオにお願いしたのだ。
このお屋敷の中で会うのは初めてな蝋梅さんもニコニコしながら帯やかんざしを準備して頷いている。美女3人に覗き込まれながら化粧をされたので、私にも美女オーラが多少なりとも移っていると信じたい。
「わー! ルリちゃん、美人さんになったねー! フユちゃんそっくり!!」
「お父さん」
「本当に綺麗だね。いま全世界で一番可愛いよ」
「いや、それはどうかと」
紋付き袴に着替えたお父さんが、準備の出来た私を更に褒め上げる。梅美女達といい、お世辞とかでなく本気で言っていそうなところが怖い。ミコト様も常にラブフィルターを掛けて褒めてくるし、私がうぬぼれてしまったらどうするつもりだろうか。
「本当に綺麗な花嫁さんになったね。ルリちゃんが幸せになれないわけがない」
「……なんか昨日と態度が違いすぎない?」
私の手を取ってゆっくりと主屋へ進むお父さんが妙に素直なので逆に勘ぐってしまう。昨日のふくれっ面はどこに置いてきたのだろうか。訝しむと、お父さんが苦笑しながら教えてくれた。
「昨夜、フユちゃんに怒られちゃってさあ。ロクに子育てしてないくせに心配するとかいうどうでもいい父親の権利ばっかり主張してんじゃないの! っていっぱい叩かれた」
「お母さん……」
「男なら娘がどんな道を歩んでも守ってやるくらいの心意気じゃなくてどうするって言われちゃった。だから反省したの」
百戦錬磨の看護師だったお母さんに怒られているお父さんがはっきりと目に浮かんだ。怒られたと言いながらもお父さんが妙に嬉しそうなので、本当にお似合いの夫婦だったんだろう。せっかくの結婚式なんだから皆が楽しくいられればいいなと思っていたので、お母さんには感謝しきれない。
「……あのさ、ミコト様が言ってたけど、お母さんの魂は輪廻して生まれ変わるんだって」
「そうだろうねぇ」
「もし、お母さんが生まれ変わったら、また結婚したいと思う?」
「どうかなあ」
昨夜ちらっと見ただけでもすごく仲良しだったから、お父さんのあんまり乗り気じゃなさそうな声はちょっと意外だった。顔を上げると、お父さんは肩を竦める。
「あの体と性格と魂と、一緒に過ごした時間とでお父さんが大好きなフユちゃんだったからね。今は他の人を好きになるって考えられないかな」
いつもほんわか笑っているお父さんが、更に柔らかく笑ってそう言った。
予想していた答えとは違うけれど、なんだか嬉しくなる。
「私もお父さんとお母さんみたいな夫婦になりたいな」
「きっとなれるよ。ルリちゃんはお父さん達の大事な子だからね」




