結婚の3段活用4
中学になって背が伸びて、お母さんの身長を少し追い越した。でも抱き着いたお母さんが苦しいくらいの力でぎゅっと抱きしめてくれるのは小さい頃から変わってなかった。子供の頃苦しいよと言ったら、いつもお母さんはゴメンゴメンと笑っていたのだ。
「お母さん、お母さん……」
何にもできなくてごめんなさい。苦しいのをわかってあげられなくて、辛いのに平気なふりをさせてごめんなさい。もっと一緒にいたかった。ずっと照れくさくて言えてなかった気持ちも言いたかった。行かないでも大好きも全然伝えられなかった。
もしもう一度会えたなら伝えたいと思ってたことはたくさんあるのに、喉がぎゅっと熱くなって上手に声が出ない。
お母さんの匂い。お母さんの手のひら。背中を叩くリズム。私が泣いていたら、じっと抱きしめてくれていた腕。
涙で見えにくいけれど、顔を上げるとお母さんは透けていて、うっすら光っているようで、鼻から上もきちんと見えなかった。でも、お母さんが笑っているのがわかった。ルリは甘えんぼだからねー、と言っていた声を思い出す。
「あーあ、フユちゃんこんなとこで」
振り向くと、お父さんが甚平姿で頭を掻いていた。お母さんが透けた手で指差すと、気まずそうに袷を直しながら近付いてくる。
「ダメでしょ、成仏しないと。ルリちゃんは僕が守っていくから安心しなきゃ。悪霊になったらどうするの?」
お母さんの片腕が離れていって、お父さんをバシバシ叩く。イテテ、と言いながらも避けないお父さんは、いつもより声が優しい気がした。
「もう、フユちゃん力が強いからさぁ……ほらルリちゃんもそんなに泣くと、明日腫れちゃうよ? しっかり冷やして早く寝ないと」
「おとーさん」
「フユちゃんは僕が送っていくから先に寝てなね」
「まって、お母さん、お母さん」
お父さんが手を差し出すと、お母さんがそれに自分の手を重ねて私のそばから歩き出す。追いかけようとすると、お母さんがくるっと振り返って私の顔を両手でワシャワシャとかき混ぜた。涙を親指でしっかり拭いて、それから背中をバシバシ叩かれる。その力によろけないように踏ん張ると、お母さんはミコト様の方を向いて深々とお辞儀をした。
「うむ、ルリのことは任されよ。私の全てで守っていくと誓おう」
お母さんがもう一度頭を下げて、それから私のほっぺを人差し指でプニプニした。いい男捕まえちゃってーという声が聞こえてきそうな勢いのプニプニだ。
「もう、お母さん」
私が怒った声を出すと、お母さんがプニプニしたところをムニムニと摘む。それからもう一度私の頬を拭いて、肩をぽんぽんと叩いて、それからお父さんと並ぶ。
「じゃあ、ちょっとデートしてくるねー」
「待って……お母さん!」
散歩に行ってくるような気軽な声だけれど、お父さんが一歩踏み出すと足がふわっと浮いていた。
もう会えないんだと思うと、何を言えばいいのかわからない。滲む視界を何度も瞬きして、私は息を吸い込んだ。
「お母さん! 私幸せだからね! お母さんのこと、大好きだからね!」
光に透けた手が、振り返って手を振る。その肩を抱き寄せたお父さんの影が、すうっと空に消えていった。
お母さん、行かないで。
抑えていた気持ちが溢れて、泣きじゃくった私の背中をそっとミコト様が撫でる。お母さんのようにゴシゴシする力じゃなくて、優しく優しく私の背中をずっと擦ってくれた。
「……ミコト様」
「なんだ」
「お母さんと、ずっと一緒にはいられないんですか?」
優しいリズムが少し止まって、またゆっくりと私の背中を撫でる。
「……輪廻の輪に乗るのが母上殿の魂にとってもよいことになろう」
「私が一緒にいたいってお願いしてもですか?」
「ルリは、母上殿に無理を強いてまで共にいて欲しいと思うか?」
ずっと一緒にいたい。でも、お母さんにつらい思いをしてほしいわけじゃない。
首を振ると、そうであろうとミコト様が私の頭を自分へ引き寄せた。
「ルリには私がおる。母上殿よりは頼りないかも知れぬが、ずっとずっと離れずに共におる」
「い、いつか、お母さんも生まれ変わるんですか」
「いずれは。それが輪廻であるからな」
お母さんはもう死んでしまった。もう会えないまま私は生きていくしかない。
だけど、ミコト様とずっと生きていたら、もしかしたらお母さんの生まれ変わりに会えるかもしれない。きっと私のことは覚えてないだろうけど、そうやってお母さんの魂がまたこの世界で生きて幸せになるんだったら、寂しくてもその方がいいのだろう。
鼻をすすって、ぎゅっと瞬きをする。ミコト様のパジャマが私の涙で湿っていた。
「ミコト様、ありがとう。お母さんに会えて嬉しかった」
「うむ」
「寂しいから、今日一緒に寝てもいい?」
「えッ!! そ、まだその今夜は……う、うむ……寂しいのであれば……仕方ない……」
私の泣き顔もあってか、ミコト様はいつもよりすんなり頷いてしまっていた。
お母さん、ミコト様は私にめちゃ甘だから、心配しないでください。
そう心の中で報告しながら見上げた空は、雲ひとつない星空だった。




