こいのたより5
「ェエ゛エェー、サアァー」
「ハイハイ。エー、サー、ね」
「ン゛エ゛ェサハァ」
「なんか違う」
鯉のエサをポロポロ零しつつ、相変わらず不気味に喋る黒い鯉に返事をする。黒い鯉はエサを見せると口を開けて待つようになったので、そのままエサを口の中に放り込むという芸も出来るようになった。
紙コップに残っていたエサの粉まで黒い口に入れると、手を払って立ち上がる。
「エ゛ザァ!!」
「今日のエサはもう終わりだってば。またあーしーた」
「エ゛エ゛ェザアァー!」
バチャバチャと水面を荒立たせながら喚く鯉の相手をしていると、いつまで経っても池のそばから離れることが出来ない。お屋敷の中に入ってしばらくすると大人しくなるので、ここは振り向かずにまっすぐ帰るのがコツだった。
「あ、ルリさま」
「おっめじろくんおはー。今日はゆっくりだね」
「主様が朝のルリさまを見て文の歌を変えるとかなんとかおっしゃって、墨を乾かしていたのです」
「主様、マメだよね……」
ボケというふざけた名前に反して可愛い花の枝についている手紙は僅かにまだ墨の香りが漂っていた。手紙はひとつ残らず開封しているけれど、そのどれもが内容を理解できないまま白梅さんに貰った金箔押しの箱に眠っている。割と大きい箱だけれど、ミコト様はたまに一日2通とかくれるのでそろそろ手紙が溢れそうなくらいだった。
「なんかここまで来ると読めないのが申し訳ないよね」
「良いのではないですか? ミコト様もあまり読まれることを期待してはいないようですし。ルリさまが読めないからこそ赤裸々な歌を詠んでいるということもあるかも知れませんよ」
「赤裸々な短歌か……全然想像できない……」
途切れることなく書かれる文字をなんとか解読すべくすずめくんや紅梅さん達の休憩中に教えてもらったりしているけれど、正直言って読めるようになる気がしない。なんでその文字がそうなるの、みたいなのの連続なのである。そして筆で字を書くということについても全然なので、まずちゃんと筆で文字を書けるところから、という非常にスローペースな学習なのだ。
「ところでルリさま」
「なんですかめじろくん」
普段はみかんが欲しい時以外は手紙を渡してスッと帰っていくめじろくんだけれど、今日は私の近くに座り込んでズイッと身を乗り出してきた。畳の境界線をあみだくじのように辿りながら部屋で遊んでいた鞠がコロコロと近寄ってきて、座っている私とめじろくんの間で停まる。
「ルリさまは主様のこと、どう思ってらっしゃるのですか」
「どう……」
「主様がしたためているのは恋の文ですよ。それをどう思われているのですか」
「いきなり突っ込んだ質問をするよね……」
ミコト様が読めなくても良い、と言いつつ私に送り続けているのはいわゆるラブレターらしい。クールだけれどミコト様のお世話は細々とこなしているめじろくんは、主人の恋の行方についても気になっているのかもしれない。
「どうと言われても……、ミコト様は親切でいい人だけどまだここに来てそんなに経ってないし」
「いい人止まりということですか?」
「いやそういうことを言ってるんじゃなく、ほら、ミコト様は私に顔も見られたくないみたいだし、そんなにじっくり喋ったこともないわけだし、恋とかそういう段階じゃないのでは? とも思うんだけど……」
何度かあのボロボロ神社に行ったことがあるからか、ミコト様は私のことについていくらか知っているらしい。逆に、私はミコト様のことについてここに来てからのことしか知らないし、大体ごはんは一緒に食べているけどそれ以外で長いことずっといるという日はほとんどない。大体ミコト様は仕事があったり誰かお客さんが来ていたりするので、その合間に私がオヤツとか食べていると息抜きに一緒にお茶を飲むこともある。けれどミコト様は顔を隠しているので、何かを食べるときは基本屏風の向こう側だし、屏風なしだとしても鉄壁の袖で顔を隠しているのだ。
「顔は……、主様は、ルリさまにだけは見て欲しくないのだと思います」
「めじろくんは見たことあるんだね」
「はい。めじろは、ルリさまが主様の顔を見ても気になさらないと思います。けれど主様は、お顔の傷についてとても難しい気持ちでおられるので……」
「傷があるんだ」
ミコト様は昔、顔に大きな傷を負ってしまい、そのことから外との関わりを断つようになったのだそうだ。
「自然と治るような尋常の傷ではないのです。主様はずっと打ち沈んでいらっしゃいました。如来さまにお頼みして分けて頂いた膏薬も付けたがらなかったのです」
「そうなんだ、それはその、大変だよね」
「ルリさまが社へお参りに来て主様は少しずつ変わられました。明るいお声が聞けるのは嬉しいのですが、主様はルリさまのご迷惑にならないようにともとても気を遣っていらっしゃるのです」
「迷惑なことなんて全然ないけど、」
むしろ私はミコト様に助けてもらって、美味しいご飯や暖かい布団も用意してもらって有り難いことしかない。
ただ親切にしてもらっているだけというのも心苦しくて、もし私で何か力になれることがあればなりたい。けれど、そんな気持ちで恋愛に応えるなんて私がミコト様の立場だったらイヤだと思う。
振ったらここを追い出されるかもしれないとか、ごはんを食べさせてもらってるんだからとか、そういうことを考えてしまうようであれば、それは恋愛とはいえないし絶対にお互いに後味の悪い結果になると思う。
「もうちょっと、ミコト様と仲良くなれるように頑張ってみる。それから考えたいと思うけど、それでいいと思う?」
「ルリさまがきちんと考えてくれてめじろは満足です」
「うん」
こくんと頷いためじろくんは可愛い。すずめくんもそうだけど、自分のことを名前呼びしているのがとても可愛いのだ。
「ちなみに主様の素顔はいけめんです」
「ほほーぅ……」




