人もすなるロマンティックというものを1
「いや、あの対応ダメなんじゃ?」
肺にしっかり空気を入れてツッコミを入れると、ミコト様が首を傾げながら瞬いた。それから少し微笑む。
「気がしっかりしてきたようだな、よかった」
「いやそういう問題じゃなくて……」
「気分はどうか? 何やら変に思うところはないか?」
只今の状況は、ほぼお姫様抱っこみたいな感じである。
背中に回した腕の位置を変えたり、前髪を避けて額に触れたりと甲斐甲斐しくミコト様が私を気遣ってくれている。フーとミコト様が私の額にそっと息を吹きかけると、その度に意識がスッキリする。ひんやりした風が体を洗っていくように気持ちが良かった。
「別に平気ですけど、それはどうでもよくて」
「どうでもよいことなどあるものか。ルリの他に何を気にかける必要がある」
「いや、色々あると思いますよ。あれ、あのあとどうなったんだろう」
甲斐甲斐しく世話をされている私とミコト様は、狛ちゃんの背中で乗っている。のびのびと空を掛ける神の御使いはまっすぐにお屋敷を目指していた。
百田くんを攫っていった神様が言う「お方様」と突然の遭遇を果たしたあと、ミコト様がめっちゃ怒った。
異常気象すら可愛く思えるほどの落雷やら風やらでお方様のお屋敷はめちゃくちゃになり、紅い着物を着た意地悪な神様はボロボロになり、ひとしきり暴れた後に狛ちゃんと獅子ちゃんを呼びつけてそのまま飛び立ったのだ。
もう怒涛の展開だったのだけれど、その時私の意識は異様にぼんやりしていて現実感がなく、まるで動画サイトで過激な投稿を眺めているような気持ちでそれを何も考えずぼんやりと眺めていたのだ。大きな狛ちゃんの背中にミコト様が私を乗せてからしばらくして、ようやく「なんかアレやばいのでは」という気持ちになってきた。
「ていうか、百田くんは?」
「そこに」
空をわしわしと大きな足で駆けている狛ちゃんから5メートルくらい離れて獅子ちゃんが並走しており、その背中に百田くんがうつ伏せに乗せられていた。胴体を獅子ちゃんの背中に乗せて、手足がだらんと垂れている。
「なんか、どう見ても意識不明なんですけど大丈夫なんですか」
「あてられたのであろう。そのうちに気が付くであろうし、数日もすればなんともなくなる」
霊感とかない私ですらグラグラしたくらいだったので、そもそも不思議な力の影響を受けやすいタイプだった百田くんはあのときにぶっ倒れてしまっていたそうだ。めちゃくちゃに荒らし回ったときに連れ帰ったのだろうけれど、穏便に済ませるというのは結局夢に終わったようだった。
「またあの神様達が来ないといいですけど……あんなに暴れまわって……あれもうリフォームじゃすまないと思いますよ」
「知らぬ。幾度来ようとも同じことをするだけだ。もうあれらは私の手の届くうちには入れぬ」
ミコト様がものすごく冷たい顔をして言い捨てた。相当お怒りだったらしく、しかもそれは今でも継続しているらしい。普段、大体何をされても怒ることがないミコト様なので、こんなに怒っているのは新鮮だしちょっと怖い。いつも優しい人を怒らせるのが一番怖いという説の信憑性が確かなようだ。
「でも、もうあんなことしないと思いますよ」
「なぜわかる、ルリよ」
「だって、あの神様、最後に笑ってたように見えました」
ふわっと溶けていくように消える寸前に、あの翡翠の瞳がふんわりと目を細めたように見えた。お礼やお詫びを言っているのではないかというような感覚が伝わってきたような気がしたのだ。
思い出していると、それに引っ張られたように体が動かなくなっていく。引っ張られるというか呼び出しているというか、何だかまだあの神様と目が合っているような感覚が湧き上がってきた。
「ルリ! まだ断ち切れておらなんだか」
ミコト様が呼んだ名前がわんと響いて、目がそちらに向く。ミコト様が顔を歪ませて、ぐっと詰まった後に顔を近付けてきた。
ふっと息が唇にかかって、それから柔らかいもので塞がれる。
あたたかいものが流れ込んで、急速に体に広がった。爪の先まで一気に熱が行き渡って、途端に体が動くようになる。ふわふわ吹き付ける風も体に回されたミコト様の腕も、口にくっついたままのミコト様の唇の感触もすべてがはっきり認識できて、頭のモヤが吹き飛んだようにクリアになった。もうあの神様を前にした感覚が消えて、思い出すことも出来ない。
「……苦しくはないか?」
触れたときと同じようにそっと離れた唇が、震えた声で問い掛ける。もう何ともないので頷くと、よかった、とミコト様が息を零してわずかに俯いた。
抱き込まれるようにして横に抱っこされているので、そのまま私にぼたぼたと水滴が溢れてくる。
「えっ、泣い……」
「こ、こんな、こんなふうに……初めては、もっと、大事にしたかったのに……!」
よりにもよって初めてが、こんな気を移すなどと接吻とも言えないようなものだなんて。ミコト様は涙の隙間からそう途切れ途切れに悔やんでいた。
はっきりクリアになった私の頭は、降ってくる涙を受けながら冷静に状況を判断する。
なるほど。
ミコト様はファーストキスにも夢を抱いていたようだ。




