溺れる神は○をも掴む16
神様もメンタル病むのだろうかというギモンはあるけれど。
「ミコト様、その、食事もせず、人との接触も避け、部屋から出てこないんですよね。そして前は完璧にここを治めていたと」
「そのようだな」
「……現代社会では、そういう症状をうつって言うんですけど……」
思い当たった症状に、ミコト様だけでなく縛られたままの神様も首を傾げていた。百田くんだけが、「ええぇ……」と戸惑っている。
「確かに鬱々と過ごしておられるかも知れぬが」
「いや、何ていうか、風邪みたいなものらしいですよ。心の」
「心が風邪を引くのか」
「現代では」
「現代……」
私もよく知っているわけではないけれど、高校の授業でちょっと習ったし、お母さんが亡くなる前に勤めていたのが病院ということもあって、同僚だった人達も私の落ち込み具合を見て少し教えてくれたのだ。何か辛いことがあって眠れなかったり食欲がなくなったりするのは当たり前のことだけれど、それがずっと続いたり、苦しいのであれば病院で薬を処方してもらって楽になってもいい。スクールカウンセラーに辛いことを打ち明けてもいいし、クリニックに通うという手もあるらしい。
幸い私にはミコト様がいたので今はなんともなく暮らしているけれど、そういうところに頼るのは悪いことでも弱いという意味でもないと言ってもらえたのは結構重要なことだったと思う。
「真面目で几帳面な者がなりやすいのか。うぅむ、きちんと会ったことは数少ないが、言われてみるとそういう方だった」
「あの、憂鬱な気分を抑える薬とか、眠れるようにする薬とかあるし、カウンセラーさんに相談するのもいいって言ってましたよ。神様に薬が効くのかはわかりませんけど」
「か、かんせらという者が治癒を請け負うておるのか。そやつは近くに住んでおるのか」
「カウンセラーは職業なので多分あの街にもいると思いますよ。駅前のとこにもなんかメンタルクリニックみたいなの出来てたし。ね」
百田くんを振り向くと、無言で頷いてくれる。やや顔が青いのは、意地悪な神様がちらちらと炎を絶やさないせいかも知れない。様子を窺ったからか、不可解そうな顔をしていたその神様が縛られたままでまた叫ぶ。
「お方様に人の街へ赴けと?! 無礼なことを言うな!! 大体、お方様には欠けたるところなどない、完璧なお方だ! そんな病になどかかるはずもない!!」
「この距離で叫ぶでない。そもそも、そなたがそうやって理想を押し付けたからあの方はお疲れになってしまわれたのではないのか?」
「私のせいだというのか!!」
ミコト様が言った言葉にますます激昂した神様が、髪を振り乱して怒り狂っている。炎の勢いが強く縄がぶすぶすと煙を上げ始めたので、ミコト様がそちらに向き直って手をかざし始めた。
「お前のような者がお方様を語るな! 人風情があのお方の憂いを晴らせるというのであれば、今ここでやってみろ!」
「ルリ、目を瞑れ!」
床に散らばっていた長い髪が踊るように浮き上がる。その身を起こそうとする神様の動きをまぶたで遮断するのと同時に、何か不可解な音が聞こえた。何かの単語だけれど、言葉として認識できない。それは声の響きのせいなのか、ただの叫びだったのかわからない間に、その音が耳から頭を揺さぶったように体がゆっくりと痺れてきた。ぎゅっと瞑っていたまぶたの力も抜けたせいで、勝手に目が薄っすらと開く。徐々に傾いてくる体とそれを支えようとするミコト様の腕の隙間で、ぴったり閉じていた襖が開いているのが見えた。
開ききった襖から、何か金色の粉の流れのようなものが出ている。その流れはゆっくりとこちらへと向かっているようにうねっていて、私を庇うように覆いかぶさったミコト様の背中へと続いていた。苦しそうなうめき声が降ってきたのでミコト様へと視線を移すと、歪んでいた表情がすっと消えて、うめき声も途切れる。
ミコト様の長いまつげは震えてゆっくりと開くと、その奥には翡翠色の瞳が光るようにこちらを見つめていた。
えっ、誰、この人。
私の声は、喉を震わすこともなく消えた。




