溺れる神は○をも掴む11
門を入って真っすぐ歩き、靴を脱いで建物の中に入る。ミコト様に誘導されながら常に俯いて歩いているのでお屋敷の全貌は見れたわけではないけれど、石畳には一ミリの隙間もなく、階は作りたてのように木が白く輝いていて、すべてが完璧に整えられていてどこにも欠けたところがなかった。
こうして比べてみてわかったけれど、ミコト様のお屋敷も綺麗だけれど誰かの「手間」が見える美しさだった。毎日お屋敷に勤めているすずめくんや紅梅さんや、他の沢山の人達が頑張ってお手入れをして磨き上げたお屋敷は、そうして手をかけられてピカピカになっていた。ここはそういった人の手が感じられない、完成した状態でずっとあるのではないかと思うようなお屋敷で、ここも美しいのだろうけれど私はやっぱりミコト様のお屋敷のほうが落ち着く気がする。
長い廊下を歩いていると、ミコト様が私の背中に回した腕に力を込めた。なんだろうと思うのと同時に、背中のほうがざわざわする感じがして、後ろを誰かが歩いていることに気が付いた。
「そこへ入ってお方様を待て」
投げかけられた声で、先程門で出会った神様だったのだと気が付く。物音が立っていないのに後ろにいる誰かの気配を感じたことなどこれまでないので、神様はやっぱり何か強い力を持っているものなのだろう。
「大丈夫か? 段差があるから気をつけるがよい」
ミコト様が廊下と部屋の境界線を指し示しながら声を掛けてくれたので、意識を目の前に戻して頷いた。その瞬間後ろから、だん! と大きく足を踏み鳴らした音が聞こえてきた。ミコト様の腕が強く私を抱き寄せて、足元の床がぐにゃんと歪んでバランスを崩す。引っ張り込んで支えてくれたミコト様にしがみつくと、私の頭の上でミコト様が声を上げた。
「やめよ! これが客人に対する扱いか!」
「やかましい。そこで大人しくしておれ。お方様に会いたいのであろう?」
忌々しい奴めと文句を言いながら遠ざかっていく音が籠もって聞こえる。それがなくなってからミコト様の腕が緩んで、私は周囲が真っ暗になっていることに気が付いた。
「ルリよ、なんともないか? 少し待つがよい」
片手が私の背中から離れて、ぽっと明かりが灯った。ミコト様が手をかざした先に、明かりの点いた灯台が現れている。お互いの姿を見るには十分な明るさだったけれど、その周囲がどうなっているのかはわからなかった。
暗かったせいではない。先程の部屋がなかったかのように真っ暗な空間になっていたからだ。見えていた柱や先ほど通った廊下はもちろん、今自分が立っている場所も床ではない。ただ闇の中に、曖昧な形で浮いているような感じだった。それに気が付いてしまうと怖くて、ミコト様にしがみつくとしっかりした胸板が噎せた。
「な、あ、す、すまぬ、床がな……今作ろう」
しばらくすると、つま先に少し冷えた木の感覚がして、やがて足はゆっくりと広がった床を踏みしめた。周囲を見渡すと、和紙に水が染み込んでいくような早さで床が広がり、柱が立ち上り、梁を巡らせて屋根と御簾を作り、同じように几帳や文机などが生える。その光景はミコト様のお屋敷にそっくりだった。
「これ、ミコト様が作ったんですか?」
「そうだ。乱暴にも何もないところに閉じ込めたのはあれなのだから、勝手に使っても文句はなかろう」
「閉じ込められたんですね……」
勝手知ったる我が家のようにミコト様は私を促して、隣の部屋に作られたリビングのソファへと座らせる。和風のお屋敷からいきなり洋室につながっているチグハグ感も、今の私にはとても落ち着く光景だ。
ミコト様はいそいそとポットの電源を入れて、お茶とお菓子の用意をしている。小麦粉に砂糖と抹茶とサラダ油を入れて手早く捏ねて丸め、クッキングペーパーに並べてレンジに入れていた。加熱している間に沸いたお湯でお茶を入れて、お盆にお茶と出来上がったものを並べてそそっと戻ってくる。
「簡単なものだが……」
数分で出来上がったクッキーを申し訳なさそうに出すミコト様だけれど、十分すごい。もはや乙女を超えて主婦を名乗ってもいいくらいである。クッキーはあったかくて少し柔らかいタイプで、冷えると固いクッキーになるらしい。この人、なんで神様やってるのだろうか。パティシエになればいいのに。
ほろほろと美味しい抹茶クッキーを口に入れると温かさにホッとしたけれど、よく考えたらホッとしてる場合じゃない。
「いや、閉じ込められたってなんですか。出れるんですか。てか百田くんは。あの神様ヤバイんですけど」
「まあまあルリよ、案ずるな」
「落ち着いてる場合じゃないですよ。テスト近いんで、明日は学校行きたいんですけど」
「まあ、まあ」
ニコニコとお茶を飲んだミコト様は、閉じ込められたというのにやけにどっしりと構えている。もっと危機感を持ってほしい気もするけれど、ミコト様が落ち着かないと私も不安になるだろうなとも思ったので説明を待った。
「閉じ込めたのはあれだが、ここはあれの主の神域であろう。広く時間の流れも遅い。上手くすれば出られるし、モモダの居場所も探れよう」
「ほんとですか」
「うむ」
正面からきちんとお迎えされるとあれこれ探し回るのは失礼になるけれど、閉じ込められたので出口を探すという口実が出来たとミコト様が肩を竦めた。むしろ好都合だと思っているらしい。確かに、どこにいるかわからない百田くんを探すにはこれでよかったのかもしれない。
「じゃあとりあえず探しに行きましょう」
「まあ、まあ、今夕餉の支度をするゆえ」
「そんな場合ですか」
「ここを創って少し疲れたからな、しばし休んで英気を養わねば。さ、ルリよ、洋食がよいか和食がよいか?」
なにもない空間、しかも他の神様の神域でお屋敷を建てたのだからさすがのミコト様でも疲れたのかもしれない。時間の流れも外とは違うようだし、何かあったときのために力を万全にしておくことも必要だろう。
だけどなぜだろう。頬を染めてウキウキと料理するミコト様を見ていると、なんだか言い訳にしか聞こえない。
「あの、簡単なものでいいです」
「でははんばぐにするか? 餃子もよいな、ルリよ、何が食べたい? ああ、焜炉と鍋と……何がいるであろう、ああ忙しい」




