溺れる神は○をも掴む1
くりくりとした目がじっと私を見上げている。ほっぺはいつものようにふくふくしているけれど、口はちゅんとへの字に曲がっていた。
「どうしてダメなんですか?」
「いや、どうしてって言われても」
「進学にしろ就職にしろ、結婚してからやればよいでしょう?」
「文系大学進学希望、志望先未定」という誰がどう見ても先延ばしな進路を書いて提出した私に、ここのところすずめくんはちょくちょくこうして尋問してくるようになっていた。たしたしと手で示しているのは婚姻届である。その薄っぺらい紙を見るたびに私はそもそも、ミコト様って戸籍あるのだろうかと疑問が頭に浮かんでいた。
「ルリさまが進学なさろうがお仕事なさろうがおうちで有閑マダムしようが、どのみち主様とご一緒なのは変わりませんし、ずっとお屋敷で暮らしてゆくのですから。良いでしょう? 結婚くらい」
「いや、変わらないんだったらそんなに急いで結婚することもないでしょ、逆に」
「何がお気に召さないのです? 主様は顔も良いし料理もなされますし、何より一途ですよ? もうかれこれ半年ほど暇があればルリさまのことを考えてらっしゃいますけど、飽きるどころかますます私生活に支障をきたすほどで」
「推してんのか引いてんのかわかんないけど、わかったから」
「じゃあ署名してください!」
「署名はしません」
きっぱり断ると、すずめくんがむいーっと顔を歪めて、なぜか抱き着いてきた。
「なぜですか?! ミコト様のことお好きじゃないんですか?! すずめのこと嫌いなんですか?!」
「いや、ミコト様のこともすずめくんのことも好きだから。結婚てそんな急かしてやるものじゃないでしょ」
まだ成人もしていないし、自分の身の回りのことすらちゃんと出来ていない。進路ですら悩んでいる状態で誰かと結婚するというのはなんか違う気がする。
もっと大人になって、しっかり自分で決められるようになって、そのときにミコト様がまだ隣にいてくれたらそのときが決めるときなのではないかと思うのだ。
そう説明すると、「どうせミコト様は何十年でも何百年でもルリさまから離れませんから、今お輿入れしても一緒じゃないですかーっ!」と私のお腹に向かって叫んでいた。
「とにかく、結婚するかしないかはミコト様と話し合って決めるし、決まったらすぐにすずめくんに報告するから。この話はおしまいね」
「だからさっさとお隠しになってくださいと申し上げましたのにーっ! 主様のお腰が重いせいで!」
「変な助言やめてまじで。うちは神隠しとかやらないとか言ってたのすずめくんじゃん」
「神様の専売特許ですよぉー!」
ぎゅうぎゅうと抱き着いてくるすずめくんに、私とミコト様のことは放っておくようにと約束させるまで私もぎゅうぎゅうと抱っこし返していると、鞠が近くでぽんぽんと跳ねた。それから転がって、近くに几帳が来ていたことに気付く。
「あ、ミコト様」
「その、あの、わ、私はその、別に何もその、聞いておらぬ」
「ミコト様も言ってあげてくださいよ。私達の関係は私達で決めるって。私とミコト様のことなんだから、2人で決めますよね。ね?」
すずめくんをくっつけたまま几帳を捲ってミコト様の手を握ると、赤く狼狽えたミコト様が目を回しながらカクカクと頷いた。
「そ、そうだ、すずめよ、そうだぞ。ルリを困らせてはならぬ。ルリ……」
「ずるいですーっ! 主様はルリさまに頼まれたら赤べこになっちゃうんですから!」
「ところでミコト様、どうかしたんですか?」
「う、うむ、豆乳アイスが上手く出来たのでな、食べぬかと。昨日仕込んだ野菜ちっぷすも食べ頃でな」
「ヘルシー路線ですね。食べましょう。一緒に」
「うむ!」
「もうーっ! ルリさま主様ぁー!」
ズリズリとすずめくんをくっつけたまま、ミコト様と手を繋いでリビングの方へ行く。
じわじわと私とミコト様を戸籍上もくっつけようとする動きは屋敷のあちらこちらで見受けられるけれど、本人が強制する気がないのが救いだ。私が手をぎゅっと握って見上げると、ミコト様は顔を赤くして反対の手の袖でさっと隠していた。
じっと焦っているだけでは進路は決まらない。よく考えれば、悩むほど選択肢が出来たというのは前に比べてとても恵まれているからともいえる。まずは学校の成績をそこそこ上げておきつつ、どういった進路があるのか調べたり、自分が好きなことを探したりする。いざとなったらミコト様のヒモでもなんでもなるつもりで気楽に考えてみることにした。
まずとりあえずは中間テストに集中しよう。そう思っていたのだけども。
その夜、慌てた様子のノビくんから電話で「モモがいなくなった」と助けを求められた。




