やや乱れて妖精10
三つ編みから逃れた髪が、太陽で光りながら風に踊っている。桜吹雪の中でミコト様はまっすぐ、こっちを見て立っていた。
白い顔で色をなくした唇と濃い黒の睫毛が震えていた。この世のことは大体見通しそうな澄んだ瞳が潤んでゆらゆらと揺れて、それと同調するようにふらふらとおぼつかないままこちらへ近付いてきた。
ミコト様、と声を掛ける前に、ミコト様は倒れるようにへなへなと私の前に座り込んだ。私の手をかろうじて捕まえたミコト様は、端から見ると石の上に座っている私の膝にすがりついているように見えるだろう。何か喋ろうとして口を震わせて、言葉より先にはらはらと大粒の涙がこぼれ落ちている。
もしかして、私、また、神様、泣かした。
未曾有の悲劇に見舞われたようなミコト様がぼろぼろと涙をこぼして、濡れた頬に花びらが1つ張り付いた。そんな場合ではないけれど、その様子が壮絶な美しさを放っていて見とれる。絵にも描けない美しさというのはまさにこれだ。瞬く度に宝石になりそうな涙がぽたぽた落ちて高そうな生地を色濃くしている。
「……わ、私は」
ぐっと一回ミコト様が喉を詰まらせた。それでもミコト様は、私を見つめようとするのをやめなかった。
「る、ルリが私を嫌っても……そばにいて欲しい。千歳の夜を冷たく過ごしても……私は……ルリに、今ひとたび微笑んでくれるように……」
声が潤んで、目や鼻もほんのりと赤くなってきていた。涙のせいで途切れそうな声を一生懸命絞り出していたミコト様は、ぎゅうと喉を強張らせて、それからわっと私の膝の上にすがりついた。
「なん、なんでもするから! ルリよ! どうか私を嫌わないでくれ! 私のそばにいると言っておくれ……!!」
何かたびたび詩的な表現が入るけれど、普通こういうのは女の私が言うセリフではないだろうか。
そしてミコト様は何か大暴走をしている。
さめざめと泣きながら「私が女々しいから」とか「食べたいものは何でも作る」とか「欲しいものはどんなものでも贈ってみせよう」とか言っている。ヒモにすがりつくダメンズ好きの女性のようではないか。DV被害に遭っても「私が悪いから……」とか言いそうな雰囲気である。
震えているミコト様の背中を擦りたいけれど、私が動こうとするとミコト様がますますガッチリ手を握り込んで伏せた頭を振るのでどうにも出来ない。ミコト様の涙が手に降っていてしっとりした範囲が増え続けていた。
ミコト様、絶対何か勘違いしている。
「ミコト様、落ち着いてください」
とりあえず話を聞いてもらおうと呼びかけるけれど、その度に「何でもする」「出て行かないでくれ」とか嘆いていて話が進まない。私はミコト様の妄想でどんな非道な態度を取っているのだというのだろうか。今度時間のある時に問い詰めて見ようと思った。
「いや、聞いてください。いいから」
「うッ」
手が使えないので仕方なく、私の膝の上に伏せるミコト様の更に上に体を勢い良く倒してみた。頭突きならぬ顎突きである。胴で頭を圧迫した挙句背中に顎が入ったのは結構キたらしく、ミコト様がとりあえず大人しくなった。
「顔を上げてくれませんか?」
上体を起こしてそう声を掛けると、しばらくしてからミコト様がそろそろとこちらを見上げた。目が合うと、また目がうるうるしている。
「め、女々しいところが嫌だというのであれば直すから……!」
「落ち着いてください。別にミコト様のこと嫌いにとかなってないですから」
それにミコト様から女々しさを取ったら何も残らなくなるではないか。いや、何もではないか、さすがに。でもほぼ別人になってしまう。
とりあえずミコト様の涙を止めるために誤解だと告げると、ミコト様は赤くなった目で「ふぇ……?」と首を傾げた。こんなにふぇ……が似合う成人男性が他にいるだろうか。いや、いない(反語)。
「さっき言わなきゃ良かったって言ったの聞いたんでしょうけど、別にそれは早過ぎたかなって思っただけで気持ちが変わったからじゃないです。ていうかそんなに早く心変わりはしないです流石に」
「で、では、ルリは、まだその、わ、わた、私のことを、そ、す、す」
「好きですよ」
こんなに嘆かれたら、今更恥ずかしいとか気まずいとか言っていられないではないか。
昔学校の頃、クラスの男子が女子に向かって「泣くのは卑怯」だと言っていたけれど、一理ある。
泣き止ませたくてもう一度気持ちを伝えると、ミコト様はぶわっとまた涙をこぼし始めた。なぜ。ぼろぼろと泣きながらミコト様は私の手をきゅっと握った。
「よ、よかっ……わ、私もルリのことが好きだ、好きで……ルリがいないと生きてはいけない」
「いや生きてはいってほしいですけど……」
「嘘ではない、ルリに嫌われては日も昇らぬのと同じ。ルリよ、ルリ。そなたと共にあれることは私の何よりの喜びだ」
なんか色々重たい。
だけど、この重たさがミコト様だなぁと思う。
良かった良かったとぐすぐすしているミコト様は男らしい態度とはいえないけれど、いざとなったらすごく頼りになることも知っているので問題はなかった。こんなにボロボロ泣くほど好きだと言ってくれる人はもう見つからないだろうし、ミコト様もちゃんと私のことを好きでいてくれたのもわかって私も嬉しい。
中々涙が止まらないミコト様がむしろいつも通りに感じて、私はギュッとミコト様の手を握り返してからそれを離す。顔を上げたミコト様に手を広げて見せると、ミコト様も涙をこぼしながら嬉しそうに笑って手を広げた。座り込んだミコト様に飛び込むように抱き着くと、すんすんとミコト様の胸が動いているのがわかる。
片手を大きな背中に回すと、ミコト様もぎゅっと抱きしめてきた。今までのハグとは違うのだと思うと、何だか照れくさくてむずがゆい。ミコト様の涙が止まるように背中を撫でながら、私はそっともう片方の手で地面を探り、小石を握った。
良かった良かったと繰り返しているミコト様に相槌をうちながら、その小石をミコト様越しに軽く振りかぶって投げる。不自然に動いていた几帳の裾辺りに転がって、その向こうから蜘蛛の子を散らすように野次馬がわーっと散らばって逃げていった。
お昼ごはんもまた気まずい空気になりそうだ。個室で食事を希望したい。




