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真夏の太陽くらいある2

「いーやーだってばー! 来ないでー!」

「イ゛ェ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!」


 月で作られた薬を抱きしめビターンビターンと跳ね回りながら追いかけてくる鯉から逃げ回る。喋る以外は普通の鯉なのにどれだけエネルギーを秘めているのか、結構速いのだ。


「ミコト様、パス!」

「えっ……?」


 ほかほかと湯上がりのミコト様を発見して、薬を押し付ける。よくわからないまま受け取ったミコト様が、「アルジィイ゛イ゛イ゛サマア゛ア゛ア゛ア゛」と迫ってくる鯉に顔を引きつらせていた。私はそのまま入れ替わりに脱衣所に入ってカギをかける。


「もう……余計な汗かいた」


 これっ、やめぬかっ、だれぞ、だれぞー! とミコト様が奮闘している声が聞こえてくるけれど、多分大丈夫だろう。私は一日の汗をしっかり流し、広々とお風呂に浸かって疲れを癒した。夏休みよりは涼しくはなっているものの、まだまだ暑い。


「もう! もう! もう! ダメな鯉! すずめは許しません!」

「ギエエエエエ」

「大人しくしなさい! 洗いにしてしまいますよ!」


 髪をしっかり乾かしてから廊下へ出ると、すずめくんがビタビタ動く鯉を捕まえてぷりぷりと怒りながら歩いて行くところだった。姿が見えなくなっても、「この忙しいのにこんなに汚して! なんという鯉でしょう!」と怒っている声が聞こえてくる。ミコト様はぐったりと部屋に倒れ込んでいた。


「ま……まこと……なんという鯉か……っ!」

「ミコト様、大丈夫ですか?」


 ぜーはーしているミコト様の前にしゃがんで声を掛けると、力なく頷いてミコト様が座り直す。長い髪が乱れたままなので、じゃまにならないようにまた三つ編みにしてゴムで結んであげるといくらか機嫌を持ち直したようだった。


「見るからに力の溢れた妙薬なので、あれもつい目が眩んだのだろう。とはいえやるわけにはいかぬが」

「足とか生えたらイヤですもんね」

「いや、人の姿に変化も出来るようになろうが……足か……足だけか……」


 私と同じように足を生やしてアクテイブさの増した鯉を想像したらしいミコト様がゲンナリとした顔で首を振る。やめましょう、と声を掛けると頷いていた。想像だけでもダメージがでかいのである。


「すずめくんが持っていってくれたし、今のうちに薬を塗っちゃいませんか?」

「う、うむ、そうだな」


 傷のある部分に軽く包帯をしてゆるく着物を着付けているミコト様が頷いて、少し迷ってからこの前新調したリビングに向かう。普段過ごしているような場所だとわざわざ畳を敷いたり机を運んだりと手間がかかるので、ソファとテーブルのあるところのほうが早いと思ったようだ。

 ソファに座ったミコト様から着替えに邪魔だろうと薬を受け取ると、何やらモゴモゴ言いながらもじもじと時間を無駄にし始めた。顔を赤くしている。


「……早く脱いでくれませんか?」

「わぬ、わ、わかっておる……その……少し向こうを向いて……」

「いいから」


 女子高生かおまえは、という気持ちを込めて薬をテーブルに置いてミコト様の服を剥ぎ取りにかかる。ひええとか言いながら抵抗していたものの、最終的には自分で脱ぐからと半泣きでミコト様が叫んだ。


「最初からそうすればいいのに」

「ルリは……ルリはその……もういい……」


 普通は逆だとか呟いている暇があったら早く包帯も取って欲しい。本当に傷を治す気があるのか。

 結った髪を右肩へ流して、顔の包帯を取る手伝いをする。文句を言うミコト様だけれど基本的にはとてもおとなしいので、私が触ると我慢強い大型犬のようにじっとしていた。黙ったので、遠くからすずめくんの怒声と反抗する鯉の声がかすかに聞こえてくるほど静かになる。


「あれ、ミコト様、少し傷が薄くなってませんか?」


 痛みのないようにそっと包帯を取ると、前よりも痛々しい色がましになっているような気がする。傷の境目も、治りかけのかさぶたのようになっていた。


「傷の……治そうという気になってから痛みが弱まった気がする」

「あそっか、気持ちが重要とか言ってましたもんね。やっぱり関係あるんですね」


 恨みの気持ちが傷を深くするけれど、反対に治そうという決意が癒したのかもしれない。そう思うと、本当にミコト様が治したいと思うようになっていたのだと気付いて嬉しくなった。傷の大きさが大きさなので薬を使うけれど、もしかしたら薬が見つからなくても徐々にきれいになっていったかもしれない。それに、薬は今ある傷を治すだけだと隣町の神様が言っていた。前のままだとまた何か起きたら傷が再び出来てしまったかもしれないけど、ミコト様の気持ちが変わったのであればそれも違ってくるだろう。


「良かった。早く治しましょう。これ付けますね」

「た、頼む」


 薬が入っている容器を包む紙、その上部に結ばれている紐を解いて、そっと被せられている紙を取る。


 ジェットコースターに乗っていきなりトンネルの中に入ったような、そんな空気の変化が肌にぶつかったような感覚がした。神社とかで聞こえる音楽のような、金色の粉が舞っているような、果物が沢山なっている温室の甘い空気のような、不思議な感覚が体を包み込んだ。

 ふわふわと掴みづらい感覚で、美しい曲線を描いた壺を包んで持ち上げる。白いのに不思議な輝きを反射する壺は、花鳥風月を浮き彫りにしたものすごく綺麗なものだった。彩色をしていないのに彫られた月が輝いているように見える。その光が辺りに広がって、暖かく不思議な楽しい光に包まれていた。


 全てが細かい粒子になった気がして、指先の震えさえも空気の振動としてはっきり感じられるような不思議な感覚の中で壺と同じ材質の蓋を開ける。すると、今までの感覚が更に鮮明になったような、時間の流れがとてもゆっくりになったような世界になった。


「ルリ、ルリや、大丈夫か」


 そっと私の手を握って、薬の壺をミコト様がテーブルの上に移動させる。すると、耳にわぁんと響いていた音が小さくなり、徐々に普通の感覚が戻ってきた。戻ってきてから初めて、今の感覚が特異なものなのだという気持ちが湧く。


「力が強いものであるから引き込まれたのであろう」


 ミコト様が私の額に息を吹きかけると、それまでフワフワキラキラしていた空気がパッと飛び散る。光はどこにもなく、いつものリビングの空間にいてソファに座っている。心配そうなミコト様が首を傾げていて、私は自分の顔が呆けているのに気が付いた。


「なにいまのやばい。なんか宇宙感じた……」

「月の妙薬であるからなぁ」


 今みたいな光景を地球産の物質で見られるのであれば、覚醒剤を使ってしまう人の気持ちがわかるような気がした。あの一瞬の中には、苦しみも痛みも存在しないのだ。薬ヤバイ。


「人間が持ってて良いようなものじゃないと思います……」

「だからこそ、あのノビも懐に仕舞い込んでいたのやも知れぬな」


 あれが人の手にあって、皆がぽやんぽやんになってしまったら生活も何もない。かぐや姫には悪いけれど、これは人間じゃないものが管理した方がいいような気がした。


「えーっと、これ、塗るんですか」


 ミコト様が私に何かしたので、壺を覗き込んでも先程のように我を失うことはなかった。ただなんか、壺がものすごい良い匂いをして綺麗な音楽を奏でているように感じるだけである。中には、白い液体のようなものが入っている。ものすごく粒子の細かい粉かもしれない。ほんのりと金色に輝くような光を放っていて、まるで満月の光を砕いて入れたようだ。


「どれくらい……塗るんでしょう」

「よく効くというから……軽く指でひとすくいほどで良いのではないか?」


 適当だ。傷は左側の上半身にも及んでいるので面積からするととても少ない量になるけれど、薬にはそれほど関係ないのかもしれない。

 とりあえず塗ってみるかと指を壺に入れかけて、はたと止まる。


「ミコト様、これ人には不老不死の薬として伝わったんですよね」

「そのようだな」

「これ、私指突っ込んだら皮膚から成分摂取したりしませんよね?」

「……やってみればわかるのではないか?」


 すいっと顔をあさっての方向へ向けながらミコト様が無責任なことを言う。私は黙って壺に蓋をして、キッチンからビニール手袋を取ってくることにした。

 やってみようの気分で不老不死になったらどうしてくれるんだこの人。今度ミコト様の寝床にこっそり鯉入れるぞ。






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