シカシアヤカシ7
「これ、起きぬか」
ミコト様が立ったまま、地面で蹲っている大沢くんに声を掛ける。しばらく様子を見ていたミコト様が溜息を吐いてから大沢くんに鋭くフッと息を吹きかけると、ぐったりとしていた体が咳き込み始めた。まるで水中にいたみたいに、必死で呼吸しているように見える。ノビくんに魂を食べられていたせいで息をするのも難しい状態になっていたのかもしれない。
ミコト様が片膝を付いて大沢くんに顔を寄せる。
「そなた、死にたいか? それとも死にたくはないか?」
本当にどうでもよさそうな感じの質問だった。表情もいつものニコニコ顔ではなく明らかに興味がなさそうな目をしていて、その辺にあった落ち葉が何ゴミなのか訊いているようなどうでもよさだ。
本来、神様という存在にとっては人間はこういうどうでもいい存在なのかもしれない。そう思うと、ちまちまとお菓子作りをしているミコト様は神様の中でも変わった存在なのだろう。
「し、……にたくない、死にたくねえよお、こええよ……」
「そうか。ならば長らえさせてやろう。ルリよ」
「あ、はい」
立ち上がったミコト様が、私の方へと近付いてくる。
「私の依代を持ち歩いているか? 少し分けてほしいのだが」
「ありますよ。いーっぱい」
直線だけでなんとなく人の形に切り取ったような紙の束は、ミコト様が私を心配してどっさり持たせてくれていたものだ。全然使わないのに定期的にくれるので二つ折りでも鞄の中で結構スペースを取っている。これ幸いに減らそうと思ってごそっと渡すと、ミコト様がちょっと微妙な顔をしていた。
「ミコト様、お守りもくれたからこれ使うことないですし……ほら、ちゃんと着けてますよ」
「そ、そうか、そうだな」
うむうむと頷いたミコト様が、依代の代わりに月の妙薬を私に持っていてくれと頼む。左手にはパンケーキを持っているので右手で受け取ると、何か不思議な音のような気配のようなものを感じたような気がした。ごわごわした紙の中に固い壺のような物がある感触なのに、なぜかほんのりと温かいような感じもする。
「少し離れておるがよい。間違って巻き込まれてはかなわぬ」
「わかりました」
頷いて1メートルくらい下がると、百田くんがジェスチャーでもっと下がれと示していた。顔が真っ青なので必死さが強調されている。ちなみにノビくんもその隣で楽しそうにミコト様を眺めている。さっきの真剣な雰囲気はすでになかったことになっているようだ。
息を荒くして顔や手を動かせるようになった大沢くんの上に、ミコト様が依代の紙を一枚一枚落としていく。力なくそれをどけようと大沢くんが腕を動かすと、動くなと鋭くミコト様が言ってその動きが止まった。たくさんある紙を全て落とし終わると、緩やかに折り目の付いた依代はそれぞれに折り重なって丁度大沢くんを覆うようになった。
「これより先のことは、ルリへの償いでも、そなたの罪への罰でもない。全てここで断ち切り、その他はもう縁の繋がらぬ先のことだ」
どんな形であれこれ以上ルリに関わるのは認めぬ……とブツブツ言いながらも、ミコト様は大沢くんに言い聞かせるようにゆっくりと言葉を降らせていた。良い声でよく通る神様の言葉をどんな顔で聞いているのかは、依代が覆っていてもう見えない。
「情も恨みも届きはせぬ。この世では一度死んだものと思うて忘れるがよい」
「あァッ……!! うわああああ」
大沢くんの体の上にミコト様が立ったまま手を翳すと、人差し指を中指をくっつけて伸ばし、他の指は拳を握る。それをすっと斜め切りするように振り下ろすと依代が青い炎で一気に燃え上がった。
燃えて死んじゃうんじゃ、と焦ったけれど、百田くんがあれは火じゃないと教えてくれる。確かに冷静になると煙も出ていないし変な匂いもしていない。青い半透明の炎に包まれた大沢くんの体も、やけどをしているようには見えなかった。それでも大きな炎に焼かれているように苦しんでいる様子は異様な迫力がある。
「うぅわキッツ……神様マジ鬼畜だわ」
のんびり頭を掻きながらノビくんがひとりごちる間も、どんどんと青い炎が大きくなっていく。背の高いミコト様の頭を追い越したくらいなった時に、地面に大きな黒い影が出来ているのが見えた。地面が焦げているのかと思ったけれど、そこへ大沢くんが飲み込まれるように落ちていく。姿が闇に消えるのと同時に大沢くんの声も消え、それから青い炎も忽然となくなってしまった。
「ふう、疲れた」
ミコト様がパーカーの袖で額を拭いながら、フラフラとベンチに座り込む。慌てて近付いて大沢くんがいた場所に目をやっても他と変わらない普通の地面があるだけだった。そこをなんとなく避けてミコト様の前に立つと手を伸ばされる。
「ミコト様、大丈夫ですか?」
「幾らか力を使うたので少し力が抜けただけだ。それをくれるか?」
「あ、どうぞ」
ミコト様は可愛くデコってあるパンケーキを私から受け取り、フォークで大きく切ってぱくぱくと食べていく。アラザンが散らしてあるのを可愛いと褒めているのでお気に召したようだ。それ悪魔であるノビくんの作ったやつだけどと思い出して、何だか人でないものは結構お菓子作りが上手いのかもしれないと思った。
「あんな完全に飛ばすとかマジでチートっしょ〜もーオレらがちまちま生きてるのがあほらしくなるよね。ミミズだってオケラだってアメンボだって生きてんのにさー」
あーあと残念そうにノビくんが肩を落としている。ミコト様は大沢くんとノビくんの契約を断ち切って魂を食べられないようにしたようだった。
「大沢くん、どうなったんですか?」
「界から弾いた」
「貝?」
「この世には戻ってこれぬようにしたのだ。今頃どこか他の世に落ちているだろう」
「えっなにそれすごい」
世界に切れ目を入れて、そこから大沢くんを弾き飛ばしたらしい。そんなことをしたらそりゃあ力も使うだろう。そもそも、そんなことができるのか神様。めっちゃすごいんですけど。
「どのような場所に落ちるかは知らぬがな。そこで暮らすなり野垂れ死ぬなりは、もうこの世のものの知るところではない」
餞別を与えたので、すぐに死ぬことはないだろうとミコト様は言った。
魂というのは大体丸っこい形をしているらしい。水滴のようにそうやって自ら形を整える力を持っているので、魂を欠けさせても時間があれば丸くなる。なので生命力が弱くはなるかもしれないけれど、その状態だからすぐに死ぬということはないんだそうだ。そこから魂がまたもとの大きさになるかどうかはその人の生き様によるのだとか。
大沢くんについては、ミコト様がちょっと力をあげたことで魂が丸い形になるくらいは生き延びるだろうとのこと。それからどうなるかはミコト様にもわからないし、知るつもりもないということだった。
これから、この世界とは全く関わることなく、戻ることも出来ないままで暮らしていくらしい。
「知らない世界で一人で……」
「まーいんじゃね? オーサワってそーゆーの好きっぽかったし。何か異世界のマンガみたいなんいっぱい持ってたしいけるっしょ」
「勝手なこと言うな。元はと言えばお前のせいだろうが」
百田くんがすぱーんとノビくんを叩き、ミコト様はこれくらい作れると言いながらパンケーキを頬張っている。
大沢くんのこれからについては思うところもあるけれど、大沢くんは魂を食べられて死ぬこともなく、私がこれからストーカーのことで憂鬱になることもない。ミコト様が断ち切るといったのだから、私も彼についての気持ちは断ち切るのがいいのかもしれないと思った。
「これノビよ。このくりいむは口当たりが軽やかだがどう作ったのだ?」
「あー何とかチーズッスよ。何かオコッタ的な名前の」
「怒ったちいずか」
「……ノビ、それは何か違うと思うぞ」
とりあえず、すでに私以外は既に気持ちを切り替えていた。早すぎ。




