迷妄8
窓ガラスを割ったり、人を操ろうとしたりというような術を使えるアヤカシを従えるには、従わせる側の人間に強い力があるか、アヤカシが望むような報酬を与えられないといけない。それでも犯人だった大沢くんは、アヤカシにそれらの術をかけさせた。
力のない大沢くんは、自分の命を切り売りして術を使わせていたのだ。
「……自分の命を使ってまで嫌がらせしたかったのかな」
ずっと前から隠し撮りを続けているほど執着されているとは全く気付いていなかった。だからこそ、大沢くんは私を恨むようになったのではないだろうか。その前の段階のどこかで私が気付いていれば、大沢くんはこんなことをしなくてよかったのではないか。
そう考えていると、ぎゅっと私の左手をミコト様が握った。
「ルリのせいではない。何がきっかけにあろうとも、己の道を決めるのは己自身しかおらぬ。あの者がそうすると決めたからこそ、因果が出来たのだ」
「でも、早めに気付いて断ったりしておけば、大沢くんも諦められたんじゃ」
「そうは思わぬ。先のあの間へとルリを誘って、奴は何をしようとしていたと思う? あの強い執念はずっと持ち合わせてきたものだ。周りを省みることすら出来ぬような執念は、二年やそこらで固まるものではない」
「どういうこと?」
煩悩の種を長い間育て上げていて、大沢くんの頭のなかには何かのストーリーが出来上がっていたのではないかとミコト様が言う。思い描いていた登場人物に当てはまるような行動をたまたま私がしたのではないかと。
ほとんど喋っていなかったのだから、最初は当然私についての情報がほとんどない。だから廊下で笑っている顔などを見て、理想そのものだと感じたのかもしれない。それで私こそが運命の相手だと思い込んだけれど、ストーカーをしていると実際の性格などがわかってきて、当然大沢くんの想像とは違う行動をする。その乖離が認められなくて、それが恨みへと繋がったのではないかということだった。
「そんなのどうしようもないじゃん……」
「然様。あれはルリを見ているようで見ていない。もし見ていれば、何かしらの声をかけてしかるべきであろう。そなたが困っているところも見ていたであろうに」
今年の春から夏にかけて、確かに友達から心配されるくらいには落ち込んでいた。あまり親しくないクラスメイトにも、最近元気ないねと声を掛けられたこともあったくらいだ。
普通好きな相手であれば力にはなれずとも声を掛けてしまうものであろうとミコト様は息巻いている。そして唐突に後ろを振り返ってふんっと鼻を鳴らしていた。ミコト様がなぜか割り込んでくるので下がって歩いていた百田くんが戸惑った顔をしている。
「ともかく、あの者の末路をルリが気に病む必要はひとつもない。よいか?」
「よいですけど、でもミコト様が何かトドメとか刺すのはやめてくださいね。どうせ死ぬからいいだろうとか思わないでくださいね?」
「う……も、もちろん」
「刀も禁止ですよ。あんなの持ち歩いてたら通報ものですから。傷治すんですよね? 私の嫌なことしないんですよね?」
「うむぅ」
何か近くでガチャガチャッと音が聞こえてきたような気がするけど多分空耳だと思う。百田くんがミントのタブレットをミネラルウォーターで流し込んでいた。頑張れ、百田くんの胃袋。視線で応援していると、白い顔に浮かんだ汗を拭いながら百田くんが首を傾げる。
「それにしても、大沢はどうやってあんな術を使うようなモノと知り合ったんだ。見えなければ、契約も使役も出来ないだろ」
「あ、確かにそうか。なんだろう。親が歴史の先生とか言ってたから、何か方法を知ってたとか?」
「呪いの類も力が弱ければ効力も弱くなるはずなんだよ。この辺はヘンなモノがうろついてることもあんまねーし」
「ミコト様、アヤカシがよく知らないタイプって言ってましたよね?」
引きこもり期間が長かったとはいえミコト様は歴史ある神様である。アヤカシについても主要なものについてはだいたい知っていると言っていたのに、今回の気配はよくわからないと言っていた。
「うむ。そもそもアヤカシで命まで喰らうというような者は珍しい。自らがそれを呑み込める程の器を持っていなければ毒となるのだからな」
普通、人の霊力とかそういうのを分けてもらうだけで命を取らないのは、自分の成長に必要な分を貰えるからというのもあるそうだ。また、生かしておけば繰り返し力を得られたり、そこから縁を繋いでより力の強い人間を獲物にしたり出来るかららしい。人間の魂はよほど力のあるアヤカシでないと扱えないし、そういったアヤカシは人を敵に回すと痛い目を見るというのもわかっているので滅多に魂は取らないということだった。
ミコト様はめんどくさそうな顔になって言った。
「あの者よりはそちらのほうが厄介といえば厄介かもしれぬな。この辺りで同じようなことをやられても困る」
「でもミコト様の方が断然強いんですよね?」
「言うまでもないぞ、ルリよ」
「ミコト様はすごい神様ですから、ガツンと言って同じようなことしないようにしてください」
「任せておけ! ほれ、もうすぐだぞ!」
むんと胸を張って、ミコト様が公園の入口へと進む。
百田くんがそれを見てなぜか私をありえないような目で見てきた。違う、ミコト様が異様に乗せられやすい性格なだけであって、私は別に何もしていない。




