迷妄3
黒い影のような煙のようなものは、粉のように見えたり線のように見えたりしながら人の形を紡いでいく。まず足元が出来て、制服のスラックスが出来る。それからブレザーが出来て、最後に顔が出来上がった。細身でどちらかと言うと小柄な体型で、染めてもいない髪は頭の輪郭に沿っていて、前髪がメガネにかかるほど長い。
「……えっ? なんで大沢くん? えっなんで?」
確かに知っている相手で、同じ文化祭の準備班だったので顔は合わせていた。けれど、思ってもみない相手だった。
「どういうこと? 本当に大沢くんなの? なんで?」
「これこれルリよ、これ以上あやつを挑発するでない」
「いや別に挑発なんかしてないですけど」
ミコト様がそっと肩に手を置いたので見上げると、そう言っているミコト様こそ何か変な笑みを浮かべていた。いつもの尻尾が見えそうなニコニコ笑顔ではなく、ちょっと意地の悪そうな笑顔である。そのこともあってか、こちらを向いている大沢くんは憎むような眼差しを向けていた。普段あまり表情を変えないイメージがあったので、それほど強い視線を向けられているのを見ると犯人なのかもしれないという気持ちが浮かぶ。
「大沢くんが教室で写真バラ撒いたの? 変な噂を流したのも、数学準備室で変なことしたのも大沢くん?」
「そうだけど?」
「いや、だけどじゃなくて……何でそういうことしたの? 別に嫌われるほど何かした覚えないんだけど……」
女子の委員長にも勝手に嫌われていたけれど、それは委員長が百田くんを好きだからという八つ当たりではあるけど納得できる理由があった。けれど大沢くんとは交友関係も被っていないし、同じ班だった百田くんやノビくんも大沢くんとは普段から遊んでいるような感じではなかった。
よくよく顔を見ると、肌が白っぽく具合が悪そうに見える。けれど大沢くんはもともとあまり目を合わせないタイプだし、すぐに顔を背けられることも多かったので気が付かなかった。仲良くてメイクの話などもするみかぽん達ならばともかく、男子なので普段の顔色がどうだったかすらもはっきりとは思い出せない。
「ルリよ、言うたであろう。この者はルリに懸想をしていたのだ」
「いやいや、だってそんな感じのこと思ったこともないし、そもそも好きだったらこういうことしないのでは」
「通じぬ思いが腐り強い憎しみに変わったのであろう」
なにそれ怖いんですけど。
文化祭の準備に関係する話くらいしかしたことのない大沢くんにまさか好かれているとは思っていなかったし、それが更に憎しみへと変化しているとも思わなかった。
心当たりがなさすぎて戸惑っていると、大沢くんが憎々しげに口を開く。
「忘れたのかよ、入学式の時にじっとこっち見てたくせに。軽々しく乗り換えやがってこのビッチが」
「……は? え?」
どういうこと? と首を捻ってミコト様を見ると、同じように首をひねっていた。三つ編みが相まって中々可愛い仕草になっている。
「去年一緒に帰ってただろ……いきなり男が出てきたからって浮気しやがって」
「え? なんて?」
「勝手にフッてんじゃねーよ」
「待って待って何の話、てか誰の話!?」
ここまで来ておいて何だけれど、人違いという可能性はないのだろうか。
「いや、私別に大沢くんと付き合ったことないよね?」
「嘘ついてんじゃねーよ! 今年の夏まで付き合ってただろーが!」
「いや、ないから!」
話の方向性がなぜか痴情のもつれ的なものになっているけれど、身に覚えがない。事実に基づいて否定するけれど、大沢くんはあまりにも堂々と主張していて混乱する。
「なんでなの、いや、ないから。ミコト様、ないから! ないよね?」
「そうだぞ! それはありえぬ! ルリは去年の冬も今年の春も独り身だった!」
何で出会っていない時期のことをそう自信満々に言うのかと一瞬思ったけれど、肯定されて心の中に勢いが戻る。ぶんぶんと首を振ってミコト様の腕にしがみ付くと、ミコト様も神様らしい威厳のある様子で頷いてくれた。けれど大沢くんには効かないようで、恨み言を言いながら近付いてくる。
「大人しそうだったから彼女にしてやったのに、家出なんかするからだろ……義理の父親にも媚び売りやがって……」
「だからそれ全部濡れ衣なんだけど」
ぶつぶつ呟きながら、大沢くんが右手を持ち上げる。そこに黒い影が渦を巻くように集まり、やがて光を放ちながらこちらへ勢い良く飛んできた。
「うわっ」
子供向け特撮番組とかの悪役がやりそうな攻撃に少し引け腰になったけれど、先程の窓ガラスが飛んできたときのようにそれもミコト様と私を包む透明な球体に防がれて消えてしまう。ミコト様は構えるでもなく怒るでもなく、ひょいと肩をすくめた。こんなジェスチャー、いつ覚えたのだろう。




