神のイケニエ3
ざあざあとうるさかった雨が、しとしとと静かになり、ぽたぽた雫が落ちるだけになった。朝のまだ暑くない日差しが僅かにこぼれ落ちてきている。
「ぶぇくしっ」
ものすごいおじさんっぽいクシャミが出てしまって、私はミコト様から離れた。鼻水は付いていないようで一安心する。鼻を啜ると、呆けたように動かなかったミコト様がはっと気が付いたようにこっちを見て、傷を隠すように左を向いた。
「……えー、とりあえず濡れたので、着替えたいので、」
「う、うむ」
「あ、天狗様にお礼言わないと。めじろくん達もちょっと遠くで待、」
少し離れた神社の入口近くで待っている巨体にお礼を言おうと振り返ると、ぐ、と引っ張られた。左手首がミコト様の手にしっかりハマっている。引っ張っても動かなかった。
「えっと……お礼を言いたいんですけど」
「……」
「お礼をね……聞いてますか?」
ああ、とかうむ、とか口の中で言っているのは聞こえるけれど、相変わらず手首はそのままだった。仕方ないので、その場で天狗へ向けて手を振る。
「ありがとうございましたー。とりあえず一旦お屋敷に帰りますー。天狗様も風邪引かないように気を付けて下さいー」
「ぬ」
「また落ち着いたらお礼させて下さいー。お父さんにもよろしくお願いしますー」
こっくりと頷いた赤い顰め面は、しばらくじっとこっちを見たあとで下駄を踏みしめ、ひとっ飛びで風を起こして見えなくなってしまった。
「じゃあ帰りましょう」
「し、しかしその……穢れが」
「綺麗にして下さい」
「えっ」
「何か善くない気みたいなやつ、綺麗にして下さい。じゃないとあのあれですよね。なんか善くないんですよね」
私には見えないのでよくわからないけれど、お父さんやめじろくん達が入ってこれないのだから何かしら悪影響があるものなのだ。地球環境とかにも良くないのかもしれない。
「すずめくん達が帰ってこれないと、私お風呂の準備とかわかりませんよ。あと料理とかも簡単なやつしか作れないし」
「しかし」
「ミコト様なら出来ますって。すごい神様なんですから。私が困ってると絶対に助けてくれる神様ですし」
「うぅ……」
ダメ元で押してみると、ミコト様が祝詞のようなものを唱えてふうと息を細く長く吐いた。同時にさわさわと風が吹いて木漏れ日が揺れる。何となく、さっきよりは明るくなった気がするけれど、日が照って来たせいなのかミコト様の力なのかわからなかった。ミコト様がちらっとこっちを見たので、とりあえずべた褒めしておく。
「すごいですね。さすが神様です。頼りになる。すごい。イケメン」
「な、なにか適当に褒めてはおらぬか」
「そんなことないですよ。ミコト様は本当にすごいです」
疑わしいと思いつつも満更でもないような顔になってしまうミコト様は本当に素直である。
「すまぬが、今はこれ以上は場を清めることは出来ぬ。その、力がまだ」
「じゃあとりあえず着替えに戻りましょう」
うむと頷いたミコト様と数秒向き合って、動く気配がないので私が先にお社に入ることにした。ふと気付いて、足元に手を伸ばす。
「あ、これも持って帰りますか? うわ重」
「あぁ、危ないぞ。こちらへ」
ミコト様が落とした刀の柄の部分を握って持ち上げると、見た目よりも随分ずっしりとしていた。侍とかはこれをブンブン振り回していたなら随分腕力があったんだろうな、と思う。そういえばさっきまでミコト様も振り回していたので、日頃腕力を鍛えているのかもしれない。
私が危なっかしい手つきに見えたのか、ミコト様が自分で持つと手を差し出してくる。けれども差し出してきたのは左手で、指まで黒く染まっていた。じっとそれを見つめていると、気まずそうにミコト様が袖で手を隠しながら早く渡すがよいと急かしてくる。
「……左手、痛まないんですか?」
「うむ、まあ、少し」
「右手で持てばいいんじゃないですか、これ離して」
左手をぷらんと揺らして手首を掴むミコト様の右手を示すと、ミコト様は煮え切らない返事を口の中で転がした。結局手は離さないので、私が持ったままで行くことにする。抜き身の刀を握ったのは初めてなので侍ごっこでもしたいところだけれど、重くて片手では構えるのも難しい。
ミシミシ鳴るお社の階段を踏みしめて、身を屈めて社へと入っていく。靴は脱ぎっぱなしで置いてきたけれど、靴下までもびしょびしょなので跡が残ってしまわないか少し心配になった。




