おんぼろ社の大豪邸1
雨の日は走りにくい。視界が悪くて体も冷える。
けれど今日に限っては視界が悪い方が見つかりにくいし、走り続けた体を冷ましてくれてありがたかった。制服が濡れて張り付くのは良くないけど。
私の家から10分くらい走ると、住宅街なのにこんもりした薄暗い森がある。森と言ってもとても小さいものだけれど、全体的に黒っぽい緑色で鬱蒼と茂っているので林というより森っぽいのだ。
普通に暮らしていると見逃しそうなくらい目立たないのに、目を留めてみると何となく近寄りがたい。
車が一台通れるくらいの細い道を通って近付くと、石の柱が立っている。2メートルとちょっとくらいのそれは長い間立っているせいか彫られた文字が判別できないけれど、ふるぼけた木の鳥居があるのでそこが神社だとわかる。
後ろから名前を叫ぶ声が聞こえて、私は振り返らずにそこへと飛び込んだ。
鳥居を隠すように低い木がトンネルのようになっている中を進むと、森の中にぽっかりと空間がある。中央には小さなお社とお賽銭箱が置いてあるけれど、どちらも物凄くおんぼろだった。
屋根には落ち葉が降り積もり、お社の小さい縁側は木が崩れかけている。お賽銭箱もお金を入れる部分の細長い木が崩れ落ちていて中に手を突っ込めるほどだけど、手を入れたとしてもお賽銭より木屑のほうが多そうだった。かろうじて格子戸は崩壊を免れているけれど、内側の上を隠している布はボロボロだった。
何か恐ろしいものが出そうというより次の台風で崩れそうな雰囲気を醸し出していてあまり近寄りたくない雰囲気だけど、ここ最近の私は常連になっていた。
「瑠璃! どこにいる!」
道の方から嫌な声が聞こえる。慌ててお社に駆け寄って、あまり音が響かない程度に小さく素早く拍手をした。
神様、今日も助けてください。
見つかりたくないので、匿って下さい。
急いでるので、お賽銭はあとで入れます。
頭を下げて、いつものように軒下に潜り込もうとしゃがみ込むと、ギシギシと音が聞こえた。
ついに崩れ落ちるのか、と見上げると、社の正面にある格子の扉がゆっくりと開いていた。
そこからニョキッと手が生える。
「早くおあがり下さい。ほらほら」
小さい手に続いて格子の内側から子供が顔を出した。茶色く柔らかそうな髪にくりっとした黒い瞳。ふくふくした頬は白く、小学校3年生くらいに見えた。服装は茶色と白と焦げ茶の斑模様をした、水干とか狩衣とかいったような、平安時代っぽいアレである。
「早く早く」
ぽかんと見上げていると、子供が焦れたように手招きを早くする。
「見つかってしまいますってば。早く」
「え、でも」
「さあさあ」
ぱたぱたと素早い手招きと子供の言葉に足を動かすと、そのまま社の中へと入るように急かされる。軋み放題の階段を登るともう社の屋根が顔のあたりに来るほど小さい。子供が既に中に入っているなら、私が入れるスペースはなさそうに思える。
格子の外で靴を脱いでいると、とうとう子供が私の右手を握って引っ張った。
「ほらほら早く早く」
「えっ、ちょっと待って」
ぐいぐい引っ張られるので慌てて左手でローファーを掴み、そのまま社の中へと入り込んだ。
「えっ?」
入ってすぐのところはザラザラとした古い木の板で天井も低く、膝立ちで頭を下げて移動する必要があるほど狭い。けれどそれに構わずぐいぐい引っ張ってくる子供に付いていくと、社の奥に木の扉があり、そこを開けると立ち上がれる程の部屋に繋がっていた。床も壁も新しい木材で、どこもかしこもピカピカに磨かれている。
「えっえっ、どういうこと?」
ぐるりと周囲を回っても1分もかからないおんぼろ社にこれはありえない。入り口と反対側の壁にある扉から出ると、細長い渡り廊下に繋がっていた。屋根があって床もあるけれど、壁は柱が立っているだけで壁がない。御簾や布が掛けられていて見えないけれど、その向こうは明らかに外だった。
「さあさあ早く早く。主様が待ちかねてますから。どれだけこの日を待ったことか。急いで急いで」
「いや……アルジサマって……」
私の手を引っ張りながら前を歩く子供は裸足だった。板廊下を歩く度にとことこと軽い音がしている。靴下を履いている私はそれより鈍い音がしていたけれど、音よりも靴下の先が湿っていることが気になった。
「ちょっと待って。あの、雨に濡れてたから、靴下脱ぎたいんだけど」
「ええこの先に湯殿がありますからね、もう少し我慢して下さい」
「ユドノ?」
廊下を渡り切ると建物の裏手に出る。そこでもう一度靴を履いて出ると、目の前には物凄く豪華な建物があった。
柱は朱色で瓦屋根をしていて、その奥にある大きな扉は開け放たれていた。屋根は二重になっていて、二階には手すりもついていた。そこから漆喰の壁が繋がって左右に広がっている。手前には狛犬が座っていて、大きな建物は門の役割をしているようだった。
「……羅生門?」
「ほらぼーっとしてないで入りますよー。あんまり遅いと主様に怒られちゃいますから」
子供が手を引っ張りながら門の奥を指差す。その先には広大な敷地が広がっていて、石が綺麗に敷かれまっすぐ伸びる道の先にこれまた大きなお屋敷が見えていた。
「……アルジサマ、ここに住んでるの?」
「もちろんですよ。主なのですから」
「ここって神社?」
「そうです」
神社の主って神様なのでは。
「私、もしかして神隠しとかそういうのに遭ってる?」
ぐいぐい私を引っ張っていた子供が数秒立ち止まる。それからくるっと振り向いて、くりくりした黒い目でこちらを見上げ、ニコッと笑った。そのまま歩みを再開する。
「……いや何も言わないのかい!」
「大丈夫です、うちはそういうのやってないですから!」
「うちって何?! そういうのって何?!」
「平気ですよぉ〜ほら早く〜」
「行って大丈夫なのこれ?!」
子供なのに意外に力が強い。私の言葉を華麗に聞き流しながら引っ張る子供によって、私はその門の中へと足を踏み入れることになった。