五話 お誕生日会 前編
あっという間に約束の日がきた。
子供達は学校へ登校する前から船の話で大盛り上がりであった。
和頼は子供達と前もって買いに行ったプレゼントと宿泊用の服などを用意し、出かけている間のクラッカーの世話などを梓や茜にお願いし、誕生会に出かける支度をする。
「和頼。一泊で帰ってくるでしょ? ダメよ二泊も三泊もしたら。クラッカーだって、和頼か子供達からでなきゃ餌食べないしさ」
確かに、クラッカーは和頼や子供達と一緒に食事しないとよくヘソを曲げる。更に他の者からの餌はまず食べない。そういった面でも番犬としては優れている。
それが理由で丸々二日は家を開けられない、もしどうしてもの時は連れて行くのだが、家に誰かが残る場合は、やはり番犬として頼りになるのでお留守番になる。
クラッカーには、出がけに食事を与えてから出るので、翌日に帰って来られるのであれば全く問題ない。仮に何かあっても、梓も茜も恵もいる。それに、お腹が減ると、たまに子供達のお菓子置場を食い荒らす悪行三昧も見せるので、すぐ命に関わるといったことはない。
それよりも今回の問題は、恵と茜と梓。三人も凄く行きたいのだ。豪華な船でのクルージング、綺麗な場所での食事、美しいドレスで着飾ったパーティーに。
子供達の浮かれた会話を聞きながら、不満という名の風船がパンパンに膨れ上がっている。そんな、羨ましいと妬む中での仕事……。
いくつになっても、女性のそういうトコは凄く怖い。
「子供の友達の誕生日だものね。私達は関係ないか。はぁ~あ」
和頼は聞こえないフリで歩く。まるでマリオネットのように。
「ただいま~。パパ。帰ったよ~。おでかけしよぅ」
「ほら、まずはどうするンだっけ?」和頼が子供達を出迎える。
「うがいと手洗いとお手洗い」
和頼がうんうんと頷きながら、一人ずつ「おかえり」と頭を撫でていく。子供達は気持ちよさそうに目を閉じ和頼の手を味わう。
そして、いつもよりも急いで駆けていく。
色々な用意を済ませ、クラッカーにも餌をあげた。するとそこへ、一本の電話が入る。
「はい、美輪です。あ、今日は宜しくお願いします。ええ、今、丁度出ようと、ええそうです。はい。では、はい。お伺いします」
喜多河家からの確認の連絡であった。もしかしたら忘れているのではと、来ないのではと思ったのかも知れない。わざわざ電話連絡をしてくれたようだ。
子供達はいつものスーツを少しだけドレス調にしてオシャレに着こなす。和頼は光沢のある濃いグレーのスーツに少し薄色のベスト、中には黒のワイシャツと白に銀の刺繍が施されたネクタイをしていた。
少し長い髪の両サイドを整髪料で固め、縁の無いメガネをかける。
まるでダンディとインテリを足したあとジゴロで割った感じだ。
梓と茜と恵に見送られながら車へと乗り込む。
「いってきます。クラッカーのこと宜しくお願いします」
「大丈夫よ。それより楽しんできなさい。行ってらっしゃい」
車内から遠ざかる三人に手を振る。と、みよとまやかが「あれは相当きちゃってるね。たぶんね、今日は自分達で、ヤケ食いパーティー開くよ、絶対」と呟いた。
「うん。そうかも。三人ともさ、お料理手づかみでいっちゃうんじゃないの?」
少し離れた運転席から「フフッ」という声がする。それに気づいた皆が、一斉に前を見る。その一瞬の静寂の後、今度は、普段笑わない警備の者が、助手席で小刻みに震えていた。
それを面白がってか、子供達が笑わしにかかる。耐える運転手と警備。
当然、本気になった子供に敵うはずがない。
耐えかねた警備の者が「すいません。聞いてません」などと言い訳しながら真っ赤になった顔を隠す。運転手もハンドルがブレる。
「こらこらお前たち、悪ふざけはそのくらいで。しつこいのはダメだぞ。ちょっとなら笑って許してもらえるけど、やり過ぎは嫌われちゃうからな」
「はぁ~い」
今から船旅だとテンションが上がる。もちろん前の席の二人も行先や事情は充分承知している。そんな嬉しそうな子供の声に、無意識に大人も釣られていく。
しばらく走っていると、突然、助手席に座る警備の者が前のめりになる。そして、携帯を取り出した。
「もしもし、俺だ。どうやら誰かにつけられている。この後、こっちから連絡が無かったら、援護と警察への通報頼む。分かったか、警戒態勢で待て。それじゃまた連絡する」そう言って電話を切る。
和頼も子供達も窓の外を覗く。すると後ろと右車線に高級な車がピタリとくっ付いていた。右車線はいわゆる追い越し車線であり、この空き具合で横づけされればその意図は自ずと分かる。
警備の者が更に携帯電話をかける。
「あ、こちら美輪家の警備の者ですが、喜多河家の執事、永友総助さんに至急お繋ぎ願います。……。あ、もしもし、美輪家の警備担当の者なのですが、ウチの車に護衛や見張りの車など付けましたか? あ、そうですか。実は今、見知らぬ車が……、はい、ピタリと並走してまして。いや、もう横浜までは来て……、はいそうです。あ、そうして頂けると助かります」
警備の者と執事の永友が電話で連絡を繋ぐ中、右車線の高級車が前方を塞ぎ、後方を付いて来ていたもう一台が右車線へと並ぶ。徐々に美輪家の車のスピードを落とさせるように誘導する。
「どうしましょう?」運転士は子供が乗っているから無理はしたくない。
「あと少しで港だし、どうにかなりませんか?」
警備の者が必死に運転手に言う。だが、無理はできないと。
そしてついに止まってしまった。とはいえ、美輪家の特別車はドアさえ開けなければさして問題はない。運転手の選択通り、事故などの方が余程危ない。
海外ならどうか分からないが、現日本では、まず何が起きても問題のない完璧な車だ。車を管理している運転手も、充分認識している。
すると、前方の車から人が降りてきて、自車の後部座席のドアを開ける。更に、真横に止まった車がバックし真後ろへと付けると、同じように人が降りてきてドアを開ける。
左車線に高級車が縦一列に並んだ状態だ。
子供達は少し不安そうにしているが、警備の者や和頼に絶対の信頼があるから、怯えてはいない。
警備の者が持つ携帯電話から焦る永友の声が車内に漏れ響く。すると突然、ゆりなが声を上げる、ついでまやかも。
「あーっ、あいつ同じクラスの奏枝だ」
「後ろのは私と同じクラス。確か、えっと? 富蔵だ。絶対そう」
子供達の声に、和頼の表情が緊張レベルから戸惑いレベルへと引き下がった。
「お友達? 二人の知り合いなわけね」
和頼の言葉にゆりなとまやかが頷く。それを聞いた警備の者も状況を細かく永友へ報告する。少しの間隔のあと、永友から、奏枝と富蔵の両名共に今日の誕生日パーティーには招待していないと説明が入った。
ゆっくりと車に近づく子供と大人。やがてドアの前で一、二度お辞儀するとウィンドーを優しくノックしてきた。そして更に頭を下げる。
警備の者はもう少し様子を見ましょうというが、和頼はウィンドーを少し開けてと運転手に言う。運転手が指示通りに開けると、子供と、執事と名乗る者が話しかけてきた。
「ねぇ、なんで喜多河の誕生会なんて行くの? 俺が誘った時は断ったのにさ。ずるいよ。あいつの方が貧乏なのに」ドア越しに背伸びした男の子がそう呟く。
更にもう一人の男の子も似たようなことをいう。和頼は犯罪ではないことを再認識して、とりあえずその子達にいう。
「ねぇ、坊ちゃん達。こんな所じゃ車も通っていて危ないし、何が起こるか分からないから、とりあえず目的地の港まで行って、そこでお話しようね」
和頼の優しい言葉に、すぐさま「はい。分かりました」と答えた。横に立つ執事も深くお辞儀をして車へと戻っていく。
車が走り出すと、ようやく警備の者が永友との電話を切った。そして、間髪を容れずもう一度電話をかける。
「ああ俺だ。こっちは大丈夫だった。無事に済みそうだ。警戒をといて、いつものローテで家の方を頼む。ああ、そうだ。油断せず臨機応変にしっかりとな」
少し行くと車は目的地へと着いた。運転手が先に下りて和頼の居る側の後部座席のドアを開けた。警備の者もすぐ傍に立ち軽い警戒をする。
先程の車も適当な駐車位置を見つけて止まると、早々に車から下りてきた。
至る所に高級車が停車している。百台以上はゆうにある。
走り寄る男の子、その後を先ほどの執事、更にその後ろから、見るからに貫禄のある男性と女性がゆっくりとついてくる。
「先ほどは失礼なことをして申し訳ありませんでした。ただ、ああでもしないと止まってもらえそうになかったもので……済みません。子供がどうしてもときかないもので」
和頼は、決していいですよという許しは与えない。とりあえず様子をみていた。更にもう一台の車も止まり、車内から子供が飛び出してきた。
走りくる子供が娘達の前で止まる、が、上手く言葉が出ずもじもじとしている。そこへ、慌てて執事らしき者とこれまた男性と女性が近づいてきた。
和頼はその顔と子供の顔のそっくりさに、一発で親子だと分かった。
子供はもじもじと娘達に言い訳し、その親らしき者達も、申し訳なさそうな顔で反省の色を演じる。とそこへ、喜多河家の執事が急いで寄ってきた。次から次へと慌ただしい。
「美輪様。今日はお越し頂き有難う御座います。無事で何よりです。さ、こんな場所ではあれですので、船の中へ参りましょう、どうぞ」
そう言うと早々、船まで案内し始めた。
が、その場に佇む者達が永友を呼び止める。
「ちょっと、それはないだろ? うちが招待されてないだけでも腸煮えくり返っているのに、美輪家の御嬢さんを抜駆けで誘惑し、ここでの話も割り込んで中断、それでは通らないぞ」完全に怒っている。
しかしその言葉に永友は「係の者を至急よこしますので、今は美輪様をこんな場所でお待たせする訳にも行きません。あなた方の取った行動のおかげで、ただでさえ多大な迷惑をおかけしてしまい、これ以上の無礼は絶対に許されません。なので失礼致します」
永友もまた一歩も引かない。
「おい、だからってな、まだ詫びていた途中だぞ。こちらも謝罪の邪魔をされては困る」
何とも言えぬ雰囲気が漂う中、足を止めることなく、永友は和頼と子供達を誘導する。和頼もまた、車道では危ないから港で話そうといった約束を、当然のように無視する。
歩き去る美輪家の背中をどうすることも出来ず見送るそれら。美輪家に対してこれ以上の強引さはさすがに出来ないと踏み留まる。
だが、喜多河家に対しては違う。
男の子の台詞にもあったが『喜多河の方が貧乏』という言葉、親らしき者の態度からみても、たぶんこの二家族の方が上の立場なのではと推測される。
和頼に丁寧に詫びる永友に、逆に「大丈夫なンですか?」と尋ねると。永友は、ウチとあちらとは犬猿の仲でして、と説明してきた。他にも「あちらとあちらが」と示す。永友の示した方向を見た子供達が「成見と財前だぁ。なんで居るの?」と不思議顔。
永友が改まって事情を説明し出した。
何でも、大護が、誕生会のことを大学のインターネット放送部に漏らしてしまい、その情報が、地位のある親達へと流れてしまったというのが真相だ。
元々は撮影依頼やプログラムうんぬんの話であったが、有名人が来るという話題の中に、つい美輪家が来ることをしゃべってしまい、それが一瞬で広まり大事になってしまったのだ。
もちろん放送部員にしても、美輪家自身もそうだが、この件を秘密にしていたわけでも、そういった約束を交わした訳でもない、なので情報が漏れたこと自体には何ら問題ない。
そのことを隠しておきたかったのは、むしろ喜多河家ということになる。
ギリギリまで一切公言せず、大護なりに頑張っていたのに、子供ならではのミスであり、ついうっかり漏らしてしまったのだ。
「そうでしたか。でも、あまり無下にするのは不味くないですかね? どうやら、相当侮辱されたと思っているみたいでしたよ」
永友も相当困っている。昔からこういういざこざが何度かあったようだ。
「そう言えば、喜多河君と奏枝君が、飯盒炊飯のカレーの甘口と中辛とで、お前の方がガキだとか、セレブは中辛だとか言ってケンカしてた」みよがいう。
そんな中、別の男の子が駆け寄ってきた。
「ホントに来てたんだ。なんで喜多河の誕生日なんて祝うワケ?」
「幸坂君に関係ないでしょ? パパと船に乗りたいの」
「それじゃ俺の誕生日にしなよ。もっと大きな船用意するからさ」
「船の大きさの問題じゃないのよ」
「えっ、じゃあ何? 何の大きさ?」
「だ、か、ら。パパとの大きさ。もうあっち行って」
幸坂と呼ばれた子が、まるで意味が分からないといった困り顔で、渋々離れて行った。そこに居る和頼も永友も、他の姉妹さえも意味は分からない。パパとの大きさ、という謎のワードを理解できている者はいない、そのセリフを吐いたもえみ本人さえも。
しばらく歩き、船着場から乗船する。
大勢の者がチケットを見せたりする中、美輪家だけは顔パスだ。
「あれ、ウチらチケットないけどいいの?」
なずほの台詞に永友が「はい。お嬢様」と微笑む。和頼は絶対にうちがチケットを忘れたり失くしたりすると踏んでの対処だと思った。実際、娘達の忘れ物や紛失状況は天下一だ。先生からも何度も注意を受けているし、もう特技の領域。
世の中には、そういうおっちょこちょいの子が稀にいる。
チケットも並ぶこともなく悠々と通過する美輪家を、他の来客たちが不思議そうに、また怪訝そうに見てくる。――当然だ。普段、自分達がひいきされることはあっても、目の前でそれをされるのは稀、自分が一般人と言われているようで何となく歯がゆいのだ。
中へと入ると、スタッフ達が次々と深くお辞儀をしてくる。何やら、タブレットパソコンの画像か何かで美輪家の顔を確認しながら、特別指定扱いにする。
ここでもまた、他の客達が変な目で見てくる。そんな中、人をかき分け何者かが走り寄ってきた。
「いや~、お忙しい中お越し頂き有難う御座います。喜多河大護の父、裕次郎と申します」
「母の志保と申します。今日は息子の誕生日会にわざわざお越し頂き、本当にありがとうございます。一度お会いしたかったので、とても嬉しいですわ」
和頼もしっかりと話を聞き、会釈した後、挨拶を交わす。
「こちらこそ、こんな素晴らしいお誕生会にお招きいただき、嬉しく思います」
和頼の台詞の後に続き、娘達がスカートの両端を手で広げ、軽く膝を曲げ、片足のつま先を床にトンと付けて、首を傾げて可愛くお辞儀する。
「まぁ~可愛い。私も女の子が欲しくなるわ」
そのセリフのあと、一瞬、変な沈黙があく。和頼もすぐにそれを感じ取った。
母親の顔が言っちゃいけない、触れてはいけないことをつい言ってしまったのだと歪む。
――養子。その二文字が脳裏に過る。
つい口が滑ったというか、思わず、悪気なく出たのだろうと和頼は思った。そして、さすが大護と母親は、血の繋がった似たもの親子だなと、気にも留めずに心で微笑んだ。
軽い挨拶を終えると、早速スタッフの者が寄ってきて、美輪家の手荷物をカートに乗せ、今夜泊まる美輪家の部屋へと案内する。
「こちらで御座います。何か御座いましたら何でもお申し付け下さい。すぐに参りますので。では、失礼致します」
「あ、ちょっと? これ」
「いえ、そんな、頂けません」
「え? チップだけど……」
怒られますと逃げるように去っていくスタッフの女性。その背中を和頼は不思議そうに見ていた。
和頼は、海外に行くことがたまにあって、その時チップのやり取りを覚えたのだが、別に日本の旅館などでも普通にあると知り、ここでも当然のマナーとして渡したつもりだった。
「どうしたのパパ。なに渡そうとしたの? ねぇ、何? なんか嫌がってたみたいだけど」
お金とは言いづらい。子供に言うべき話じゃない気がしたので黙っていた。だが、そうなると子供の妄想は勝手に進む。更に「ねえねえ」と続く。こうなるともう止まらない、のでしかたなく「さっき外で拾った……、変な虫だよォ~」と襲い掛かるフリをした。
その途端、子供達はキャッキャと騒ぎながら、ベッドへダイブしたり床へ転げまわったりとはしゃぐ。それに三十秒だけ付き合う和頼。
「ほら、そろそろ皆の所へ行こう。きっと心配してるから、ウチが帰っちゃったかもって」
「うん、行こう。ねぇパパ? 御飯っていつ?」
和頼は時計を見る。時刻は六時十五分。まだ船も動いていないようだし、もしかしたら七時がディナーかなと予想する。
用意された大きな部屋を出ると、さっと隠れるスタッフの残像が見えた。
まさかとは思うけど、本当に逃げないか監視しているのかなと思いつつ、廊下を歩き出した。すると前方から永友が歩いてきた。
「お部屋はどうですか? お狭くありませんか? マスタースイート以上の部屋がないのですが、もう一部屋用意がありますので、足りない時はどうぞ二部屋お使い下さい」
「いえ、充分広いです。それに子供を分けるのは、子供が揉めるので」
「うん、パパと一緒の方じゃなきゃ嫌だ~。寂しいもん」
話しながら、先程残像の見えた横道を見ると、またも何かがスッと隠れた。目を凝らすと先ほどのチップを断った女性スタッフだった。永友がそこで何してるのかと尋ね、しっかりとお仕事をして下さいと丁寧に告げる。
そのセリフに申し訳なさそうに出てきた。
永友の案内でオシャレな劇場レストランへと着いた。そこにはすでに多くの者達が座っている。
多くの視線を集める中、美輪家は中央の一番舞台の見やすい席へと通された。
そのすぐ横には喜多河家が座っていた。
和頼の横の席を奪い合う娘達が、あっち向いてホイで決着をつけ、ようやく席に着くと、それを待っていたかのように、司会進行が舞台のカーテン前で話し出す。
「今日は、喜多河大護君の十一歳のお誕生日、誠におめでとうございます。つきましては――うんぬん」
司会のしゃべりと同時に食事がどんどんと運ばれてくる。するとそこへ、見覚えのある者が現れた。
「先ほどは本当に失礼なことをしてしまい申し訳ありませんでした」
車を無理矢理停車させた家族だと気付いた。
「あ~、もういいですよ。ただ、お互い、子供が乗車している時は事故などの原因になるようなことはやめましょうね。危ないですから」
言葉は丁寧だが、和頼の目は少しも笑ってはいない。本当に、子供のことで一瞬ヒヤッとしたからだ。
ああいうことを人の親がしてはいけないと、そう腹を立てていた。
「以後気を付けます。申し訳ありませんでした。あの、許してもらえましたよね?」
和頼は頷く。すると、安心したように肩の力を抜き、まるで今の謝罪が無かったかのように話しかけてきた。確かに許したが、凄く切り替えの早い人だと和頼はびっくりしていた。
そこへ更にもう一台の車の親もきた。
謝罪するそれに「大丈夫です。今日は子供のお友達のお誕生日ですから、楽しくしてあげましょう」そう告げてすべて水に流した。
席へと戻っていく二家族をチラリと見て、ちゃんと船へ招待してもらえたのだと一安心する。同じ学校の繋がりだし、ヘタすれば大学までの付き合いとなる。こういうわだかまりはお互いに良くない。相手もそれが分かっての謝罪だと分かる。
しかし、同時に、和頼の中であの家族が強引にアヤをつけて乗り込んだのでは、という疑惑も無いわけではない。
永友の言った犬猿の仲とは、そういう関係性として辞書に載る。
次々と料理が運ばれてくる。そのどれも普段食べないような高級なものだ。
周りが食べ始めるのを確認し、和頼は、隣のテーブルの喜多河家に「頂きます」と軽い挨拶をする。子供達も「頂きま~す」とおもに大護の方を見ていう。
大護は少しだけ恥ずかしそうに「おう」と返事した。
至る所からカチャカチャと食器とナイフが当たる音がする。
なずほのスプーンやフォークだけ、シルバーではなくゴールドだ。永友から前もってアレルギーの質問があり、なずほの金属アレルギーともえみの海老アレルギーを申告しておいたことで、気を使ってくれたのだろう。
ただ、ナイフやフォークでアレルギーが起きたことはない。
なずほがもっと小さな頃に、和頼がプレゼントしたネックレスに被れただけだ。けど、もえみのエビは湿疹が出るから、結構エビのエキスが入っている食品も気を使ってはいる。
そんなこともあり、子供達は病院でのアレルギー検査を済ませてある。
普段は花粉症さえない元気満々の子達だが、こればかりはしっかりと調べておく必要がある。
美味しく食べている美輪家のテーブルに他とは違う料理が運ばれてくる。それを周りに居る者達が凝視してくる。
「美輪様、これはこの前のケーキのお礼で御座います。どうぞお召し上がり下さい」深くお辞儀する永友。
「うわぁ、すごい。大護。本当に用意してくれたンだ。ヤルじゃん」みよが喜ぶ。
その声に大護は真っ赤になって照れている。
和頼もそれを目の前に少し驚いている。周りではざわざわとどよめく。
「早く食べようよ。久しぶりだねパパ」
「ああ。それより、みよがお願いしてくれたのか?」
和頼の質問にみよが違うと首を振る。
大護が執事の永友から和頼の好きな食べ物を聞いて欲しいと、頼まれたと、みよ達に聞いてきたのだ。それで迷わず、幾つかあるものの中から、最近食べたがっていた『おはぎ』と答えたのだ。
和頼達が美味しそうにおはぎを食べていると、何やら、周りの席で執事の永友に対して文句を言っている。
振り返ると、至る所で何故こんなにも違う扱いなのかと怒っている。凄く不愉快だと。親である自分達は我慢できるが、子供達が食べられないのは可哀そうだと。
和頼は周りの反応に本当にびっくりしていた、まさかセレブなのに、皆そんなにもおばぎが食べたいのかな? と。
ただ、セレブやお金持ちといわれる者達は、女性が美に拘るように、男性がスポーツや勉強、はたやケンカの強さに拘るように、セレブはメンツや特別扱いに凄く拘ることを知っている。今までそういう沢山の者達に出会っている。
「これ、少し余りそうだし、おすそ分けでもするか?」
和頼が子供達に相談すると、子供達は美味しそうに口元にあんこを付けながら「意味ないと思うよ」という。
「何故?」和頼が不思議そうに聞く。
普段なら、イイ子に「はい」と答えるはずが、予想外のそれに興味が沸く。
「だって、みんな、私達が食べてるの大きなトリュフだと思ってるから」
その瞬間、和頼は小豆ともち米を喉に絡ませ咳き込む。本格的にむせる。それを子供達が心配して背中を擦る。怒っていた者達も、あまりのむせ方に注目する。
「オホッ、エェ、アハッ。ぐ、苦しい。冗談、だろ? ごほっ」
どこの世界におはぎとトリュフを間違えるアホウが居るのだと周りを見る和頼。しかし、子供達が文句言っているのを聞いたと可愛く言う。そこへ心配した永友がフキンを持って寄ってきた。
「大丈夫ですか美輪様」
「いや、子供達が、このおはぎをトリュフと間違えて皆が欲しがってるというから、つい吹き出してしまって」そう和頼が小声で答えた瞬間、永友が口を押え、必死に何かを堪えている。そして堪えながら言う。
「そ、そうかも知れません。お嬢様の、おっしゃる、通り、でしゅ」完全に笑っている。
美輪家が超高級な特大トリュフを特別に食べているのだと、そう思っているのだと子供は主張する。
こんな大きなサイズは逆におかしい。それに巨大なトリュフを丸かじりして美味しいワケはない。かりに料理したものだとすれば……、いや、なにもトリュフじゃなくてもチョコか何かと思うはずだ。和頼は必死にそんなことを考えていた。
しかしその真相を確かめるすべはない。子供の聞いたというセリフを信じるか、信じないかの二択だ。もちろん和頼は信じた。冗談なら冗談と分かるし、本気で言っていると分かる。
そして和頼は、手の甲を抓るほど笑いを堪えた。
「ほら、皆、せっかく永友さんが用意してくれたおはぎだ。こんな庶民の食べ物滅多に食べれないし、残さず食べよう」
少し大きな声で子供達へいう。
実際は周りで騒動を起こしている者達に言っている。大騒ぎをしてまで庶民料理を欲張ることはできない、それではメンツが汚れる。
それにおはぎとトリュフを間違えたことを周りの誰にも悟られたくはないはず。
各テーブルの子供が「おはぎって何?」と聞くが「黙って、後で」と話を流す。
やはりおはぎだとは分かっていなかったようだ。
少し静かになる場内に、司会の者と大学のネット放送部の者が入ってきた。放送部の部長が和頼の所へ来て、そろそろ食事もデザートに変わるので、今から撮影を開始しても宜しいですかと尋ねてきた。
和頼は、今日は自分が主催ではないので、喜多河氏に尋ねた方がと促す。
食事風景を勝手に撮ることは、敢えてしないように気を使っていたのかなと思いながら、それらが喜多河と打ち合わせするのを見ていた。
付属先の大学での、インターネット放送部は、今や引っ張りだこだ。何かのイベントがあると、他所よりも大金を積んで撮影をさせ、それを放送する。
大抵は思い出の記録という感じだが、下は一年生の親御から付属先の大学を卒業した親御さんまでが大金をかけて利用する。
とはいえ、ネット社会がお手軽になった時代でも、やはり、自らを晒すには抵抗や危険がある。
これはあくまで、身内や知り合い、学校関係者などのみに自慢し、見栄を張りたいという願望。それに対処したのが特定放送で、様々なロックコードがかけられてある。
つまりは、認証された者のみが利用できる会員チャンネル。
相手を誰彼構わずに垂れ流す放送ではなく、従来の金銭がらみのものではなく、もっと単純で身内間の強い、ライングループ的なシステム。
そんな風習を作ったのは和頼であり、美輪家である。
何度も行われる数々のイベントで、学校関係者はおろか、実際の民放テレビ局でさえ一目置いているほど。どうにかして放送部の記録した美輪家のイベント映像を、高値でもと欲しがっている。
学校に通う関係者達は、基本誰もがそれなりにお金持ちで、一度こうした風習が流行出せば、もう使わずにはいられない。誰もが負けじと使用する。
元はただの部でありサークルが、大きくなり、今や大学での入部希望一番人気の放送部。
お国柄というか、昔からカメラや記録に残すのが好きな人は多い。趣味でではなく、風潮としてプリクラやフォトアルバム、そして一昔前の個人ネット放送ブームなど。それらが向かう先は、結局、セミプロとプロの狭間くらいに行き着く。
アフィリエイトや企業案件などで得る、広告収入や報酬ではなく、一般市民から直接流れ込む仕組みというか、思考が成り立ちつつあった。
放送部の関係者は、部にとって美輪家の存在がどういうもので、その始まりの凄さを部員たちに語り継いでいる。そして凄く感謝もしている。
和頼は、一石を投じた第一人者。その一石が巨大な隕石であったと。
デザートを食べ始めると、舞台のカーテンが開き、セーラー服やブレザーなどを着た子が勢いよく飛び出してきた。
「大護君、お誕生日おめでとぅ~。私達~、オタク系アイドルの、オーティーケイです」
十人ほどが順番に自己紹介していく。そしてその後、持ち歌を二曲歌った。
和頼はテレビを一切見ないので、その少女達が何者なのかまったく分からない。しかし、見ていた頃の感覚は分かる。目の前に居る子達が、たぶん有名なアイドルであると。
だが、一切の魔法のかかっていない和頼には、アイドルに憧れてようやくデビューした、まだ無名な子と見た感じの差はない。
歌が終わると舞台上にイチゴやフルーツの溢れるケーキが運ばれてきた。
「ハッピーバ~スデイ、トゥ~ユ~。ハッピーバ~スデイ……」
歌いながらアイドルたちが大護を舞台へ連れて行く。そして舞台に着くと明かりが徐々に暗くなる。
歌が終わりかけた時、永友が十一本のロウソクに火をともした。
やがてハッピーバースデイの歌が終わると、大護がロウソクの火を吹き消した。会場の拍手と共に明かりが戻り、大護も恥ずかしそうに席へと戻る。
アイドルのくだらないしゃべりが少しあり、今度は別の者が舞台へときた。それらは俳優だと名乗り花を差し出す。ついでタレント。更に元政治家。更に続く。
せっかく来たゲストに失礼だが、和頼は途中から、デザートと子供達との会話に舌鼓を打っていた。
充分堪能した時、司会の者がようやくこの場の締め言葉をいう。
「それでは、以上でお食事会を終えたいと思います。さて、次なる会場はこの上の階にあるダンスホールになります。お着替えなどが御座いましたら――うんぬん」
和頼も子供達も着替えなど持ってきていない。持ってきたのは、大護へのプレゼントと寝まきだけ。他の皆は、食事でドレスやスーツを汚したくなくて、まだ本域で着飾ってはいなかったようだ。
どうやら次の場所で、ダンスを楽しんだりプレゼントを渡せるような社交的空間を持つようだ。
子供達がプレゼントを取りに行こうと和頼の手を引くが、なにやら親達がゾロゾロと喜多河のテーブルへと集まってきた。
また何かあるのかとチラ見して、和頼が立ち去ろうとしたが、走り寄る大護の母親が、出来ればこの場に残って頂けませんかと懇願してきた。
「でも、子供達だけでは、ちょっと不安というか」
そういう和頼に、永友が「私がしっかりと付いておりますので、どうかお願い致します」と深く頭を下げた。
和頼は仕方なく、携帯電話で同乗させた警備の者を呼ぼうとした。だが圏外だった。いつの間にか船は動き出していたようだ。
もしかしたら部屋に居た時には既に動いていたのかもと思うほど、とても静かな揺れに感じる。
「あの、永友さん。ここは船だし大丈夫だとは思いますが、一応、ウチの警備担当の者を先に呼んできて貰えますか? それで良ければ」
和頼の問いかけのあとすぐ、別のスタッフが美輪家の警備の者を廊下から連れてきた。
「どうしました?」
「いや、ウチの子を警護して欲しくて。頼みます」
「了解しました」
警備の者が付くとすぐ、子供達と永友はこの場を出て行った。
そのやり取りが終わるのを待っていたかのように、集まった数組の家族が、一斉に喜多河夫妻に食って掛かる。