三話 狂想曲
「ほら、そろそろ支度しないと。今日はいつもみたいにゆっくり話している時間はないぞ」
「は~い」
子供たちは良い子に食べ終えた食器を台所へと運ぶ。それを茜と恵が食器洗浄機へとしまっていく。
足早に自分の部屋へと入り、皆が今日の為の用意をする。和頼も支度する。
全員が用意し終えると、仏間へ入り、仏壇前に正座し鈴を鳴らした後、目を閉じて手を合わせる。
「行ってきます」
和頼の言葉の後に子供達も挨拶する。今さっき食べた朝食と同じ、生ハムと大葉のチーズ巻がお皿に乗ってお供えされていた。
皆が笑顔で自宅外へと向かう。
表へ出ると、すぐ番犬であるクラッカーが寄ってきた。この犬は、ウィペットとケリーブルテリア、更にオーストラリアンキャトルドックをかけ合わせたミックス犬で、普通に飼うだけで番犬として最高の役目を果たす。
飼い主である家族には従順で信頼を持つが、それ以外の者を警戒し、威嚇する。
忍耐強く縄張り意識も高い。
それぞれの犬種の特性が色濃く、ケリーブルテリアとオーストラリアンキャトルドックの物怖じしない勇猛さや気性の荒さ、ウィペットの俊足や反応速度と視野の広さ。他にも色々とあるが、中型犬サイズであり、何より飼い主への従順さと他人への警戒心の差がピカイチ。そこへウィペットの温厚さが加わり絶妙なバランス。
普通なら、ドーベルマンやロットワイラー、ジャーマンシェパード、マスティフなどが一般的だが、まず訓練が絶対条件だ。
家庭犬用として売られているこれら犬については、ブリーダーの手により、より温厚なモノが交配されて、ガードドックとしては見た目ほどの役をなさない。それならばまだ小型犬でよく吠える犬種を選ぶべきだ。
ただし、番犬ということを一番重視するケースの話だが。
番犬としての大型犬は非常に危険であり、子供がいるような家は絶対に避けるべきだ。つまり、ペットとして飼うならば、番犬ではなく家庭犬として育てること。
番犬の様な訓練や気質を入れた大型犬は、とてもじゃないが普通の家庭では手におえないだろう。
クラッカーはそういった意味で、一切の訓練はなしに、ただの愛玩犬として飼うだけで、家を守ることを自らが使命として警戒し、仕事として役目として、貪欲に警備する。
見た目は、ウィペットのしなやかさを感じさせつつ、オーストラリアンキャトルドックの頑丈さをプラスしたような肉付きで、体毛の色や耳など細かな部分はケリーブルテリアだ。ただ、ケリーブルテリアは毛並がクルクルとカールしているのだが、クラッカーは短毛で軽いウエーブしている程度。
ミックス犬だけに、購入時の子犬の容姿も見た目もバラバラで、成長と共に何がどう変化するかも分からない。それぞれに個性がある。
つまりは、出会いのインスピレーションだけで選ぶしかない。
クラッカーに関しては、子犬の頃は真っ黒な毛色だったが、成犬になると、全身ブルーグレーへと変わった。黒い毛色から『黒くて、可愛い。クロ、カワー、クラッカー』となったのに、である。
ほとんど躾などしていないが、和頼にも子供達にも良く慣れていて甘えん坊だ。だが、外への散歩へはとてもじゃないが連れてはいけない。何故なら他人やよそのペット犬には必ず噛みつくほど喧嘩っ早い。なので散歩ではなく、建物の周りをぐるりと回れるようにしてあり、自由に犬用の小窓から家へも出入りできるようになっている。
「それじゃ行ってくるからお留守番頼むねクラッカー」
三分ほど触ると、クラッカーに警備をお願いした。
庭にある門を出ると数台の車が止めてある駐車場のような広場。簡易屋根の下に高級な車が止まっている。
だがその広場には、車より目立つ建物がある。
それは警備員が住み込みしている建物だ。
大金持ちになった美輪家を守っている。というよりも、子供達を守っている。
危険なことは起きていないが、起きてもおかしくないし不思議はない。
まだ、何も問題はない。
ないのは、和頼と子供達の血縁関係がないことと、子供達が六人もいて、犯罪をする側からすれば、もしかしたら、和頼が子供を見捨てるのではと踏んでいるかも知れない。まして一人くらいの誘拐では意味がないかもと。
危険を犯してまで誘拐してそれでは、リスクだけ背負うことになると。
少しも狙われないことに、そういった理由があるのではと何度も話が出た。
とはいえ、それでも至る所に警備や非常線を張り巡らせている。
和頼はそれほどまでに上り詰めてしまったのだ。
今現在、何か特別な仕事をしている訳でもない。
子供を養子に貰ったその年に、マーメイド喫茶、竜宮カフェは閉鎖した。理由は単純、子供達に悪影響だからだ。
しばらく続けていればどうかは分からないが、その時はまだ飽きられてもいない状態で、黒字の大儲け店であった。
店を潰すというそこへ何十人もの買い手が現れたが、和頼は自分じゃない者が店を継ぎ、仮にずさんな管理下で人魚である従業員に怪我や事故が起きたらと慎重に吟味し、自らの嫌な予感を信じ、美味しい話を全て蹴ったのである。
譲ることなくあっさりと潰した。和頼はそういうところは臆病というか慎重というべきか、抜け目がない。
今はデザイン会社を東京と大阪、あとは海外に数社。タイ、台湾、ベトナムなど。しかしそのどれも大きいわけではない。
和頼の収入や儲けから言えば小さいくらいだ。
仮に、その小さな会社が大失敗し、全て倒産しても、小石につまずく程度の損失といったところだろう。
和頼の収入の九割は、世界中からの使用料。ロイヤルティというか印税というべきか、何もしないでもどしゃ降りの雨よりお金が入ってくる。
ダムの様な金庫を用意しても溢れてしまう。
和頼はすでに、恐怖を通り越して麻痺している。億から兆へとゼロが増えて、お金の感覚が完全に終わった。もう何をしても失うことのない桁の財産が、世界中の銀行に溢れ返っている。
最初の頃は、いつ何が起こるか分からなくて、せめて子供達には財産を残そうと、子供達名義で三億ずつ口座を作った。六人の合計で十八億円。
もちろんきちんと贈与税などのあらゆる手続きも専門家に任せてだ。
しかし、そんな和頼の想いとは別に、お金は増え続けた。
これが車や機械等の職種での儲けなら、多くの人件費も材料費も、その他もろもろかかるかも知れないが、和頼は自分ただ一人。
和頼のデザインやアイデアの使用料、それが世界中から入るだけ。
元デザイナーの恵の伝手で、先進国の殆どの国で取れるだけ特許を取得できたのが大きい。何より、まさか和頼のそれが、紳士のマナーやエチケットになるとは、誰も、どの国も思わなかったのだろう。たかがおしっこ跳ね防止のエプロン……。
よって、仕事と呼べるのは恵と共に服のデザインをする会社を数社のみ。
そこで子供達の実の親も二人、高待遇で雇っている。
いつもの運転士と警備の者を助手席に、和頼と子供達六人、それと恵が、大きな高級車の後部座席へと乗り込んだ。
梓と茜は、家の後片付けを済ませた後、瞳の残したお弁当屋と託児所の様子をチェックしに行く。
二人が直接仕事をすることは殆どなくなったが、必ず各店を見て回る。いつ何時、予想だにしないアクシデントやトラブルが起こるか分からないからと。
車は静かにひた走る。
そんな中、子供達は眠気が取れて徐々に元気が増してくる。
「ねぇパパ? パパってどんな食べ物が好き? ゆりなに作れるモノでがイイ」
「ん~。スパゲッティが好きって言わなかったかな」
「それはもう作ったから、別のやつで」
「それじゃ、小豆が好きだから、何かそういう関係の……」
和頼がそう言いかけた時、まやかとなずほが凄い形相で口を開いた。
「あずきって誰? パパ、あずきが好きなの?」
そのセリフに、こともあろうに恵まで少し怒っている。あずきって誰と。
「ちょっと? 誰じゃない。小豆だよ、知ってるだろ。ほらちっちゃくてさ」
子供達が、イヤイヤと和頼にくっ付き小豆にやきもちを妬く。
和頼は「危ないから」と頭を撫でながら、それが人の名でないことを説明する。
食べ物だと。
「な~んだ。てっきり梓とか茜とかあずきとかいう類かと思ったよ~。あんこネ」
それを聞いて和頼は、肩を揺らして笑っていた。
明るい笑い声とは裏腹に、美輪家は子供同士もそうだが、子供と梓や茜や恵もあまり仲がよろしくない。元々他人だし、仕方ないといえばそうだが、元は、自分の養子にしたいとまで望んだ子達。それが今じゃ、知らん顔したり言い合いもする。
御飯など家事や支度は、お手伝いが家に入ってくるのが嫌で、自分達でとこなしているのだが、リビングやお風呂掃除意外、一切子供たちの部屋には踏み入らないし、子供達もまた踏み入らせない。
思い返せば、数年前に、子供達が瞳を含め梓と茜と恵を「お婆ちゃん」と呼んだことから勃発したような……。
「誰がお婆ちゃんなのよ」とまくし立てる梓と茜。
瞳は別にいいやといった感じで、知らぬ顔で無視していたが、恵は、自分は他の三人とは違ってまだそこまでじゃないでしょと論理的に説明していた。
今もそうだが、年金を貰えていたのも、年齢的には瞳だけであった。
梓も茜も恵も、自分達はまだ現役の女なのだと強く主張している。しかし子供達にしたら、どう甘く見繕っても……おばあちゃんとしか認められない。
当時、四、五歳の子に五十半ばの女性をお姉さんと呼ばせるには無理があった。和頼は名前に「さん」を付けて呼ぶから何も問題なかったが、子供達が名前で呼ぶわけにもいかない。
ママと呼ぶという話も挙がったが、子供達からの猛反発で却下された。
そんなことをきっかけに、仲は良くない。どちらかと言えば悪いに近い。
「ね~え~、パパは何が好きなの? またゆりな作るからッ」
和頼は、色々な意味で答えに困っていた。
和頼の好きな食べ物なんて小さな頃からあまり変わらない。納豆と卵をぶっかけた御飯の中にシソとワカメを刻んで、しゃけフレークを振りかけたような、いわゆる猫まんまが好きだったり、お金持ちになった今も、普通の物しか口にしない。
家族も皆、自分の好きな物はそういうレベルであり、お金は貯まり溢れるばかりだった。
贅沢といえば、スパゲッティの具にマッシュルームと濃厚ミルク、高級粉チーズといった隠し味レベル。数百円の贅沢な世界だ。
トリュフもキャビアもフォアグラも仕事関係の会食で一、二度口にしただけで、自らは絶対に食べない。
前に家族旅行したシンガポールでカエルを食べたが、それは高級ではなく、ゲテモノ料理として、家族内罰ゲームで泣きながら食べた庶民料理。
子供たちの乗る各自のマウンテンバイクも四万円前後、子供達への月のお小遣いは五千円ずつで、三十日計算で言えば一日百六十五円。消費税がなければ日に百円で三千円ずつにしていたかも知れないほどだ。
そういう意味では、とてもセレブとは思えない。
カレーとかビーフシチューとかクリームシチューとか、それも市販のルーで御馳走だと大はしゃぎ。誰でもいつでも食べられる食事ばかり。
和頼は殆どお酒も飲まず、何もない。贅沢といえば、週に一度、子供と一緒に食べる恒例のケーキパーティくらいなものだ。
「ん~。ウインナーも目玉焼きも作ってもらっただろ? あと何があるかな?」
「何でも言って、ゆりなな~んでも作れるから」
和頼はそれじゃ考えておくからとゆりなの頭をポンポンと撫でた。ゆりなも嬉しそうに「うん」と微笑む。それが本当に天使のような笑顔であった。
子供達が弾むような雑談を和頼に投げかけていると、車がとある場所へと着いた。場所は大田区蒲田にある、大田区新総合体育館。
会場の周りに人が溢れ返っている。中ではすでに何かが行われているようだ。
車は人ごみを避けながら駐車場へと向かう。車から下りると、子供を守る警護の者を付け急いで歩く。
「急ごう。もう予選は終わってる頃だろうからね」
和頼は子供達を控え室へと連れる。
控え室の前で警護の者が止まり、家族だけで、用意された部屋へと入る、そして数分後、着替え終えた子供達がはしゃぎながら出てきた。
真っ赤なジャージに、黒色のラインが肩口から脇を通り背中へと湾曲して、カッコ良く入っている。至る所に銀色のラインも走る。
幾段に重なる赤いレースのキュロットパンツから、キラキラとラメの輝く青黒いストッキングの脚がすらりと伸びる。
足には黒に銀のスパンコールが鱗のように飾られたハイカットのシューズを履いていた。
これは恵が子供達の要望をいくつか取り入れてデザインした、自社デザインのジャージだ。
子供達はその恰好のままメイク室へと向かう。
和頼は一足先に会場へと向かった。
警備の者を残し、恵と共に会場へ入ると、早速凄い熱気が溢れ返っていた。
座席数は固定席二千席、可動席二千席、更に特設席ビップ席合わせて千席、指定観客だけで約五千人。立ち見や関係者を入れればどれほどになるか。
和頼と恵は迷わず関係者席へと向かう。その姿を見つけた客や選手たちの空気が変わる。
目の前の試合が終わり、進行司会のアナウンスが入った。
「ここからは本戦となります。予選を勝ち進んだチームは新たなトーナメント表をご確認の上、優勝目指し――」
アナウンスが続く中、何人かの者が和頼へと挨拶をしにきた。和頼もそれに丁寧にお辞儀して答える。
名刺を渡してくる初見者も多く、少し煩わしくも大人の笑みを作る。
挨拶に来たのは、主にこのイベント大会の運営関係者達。しかし、本当の意味での黒幕は全て和頼なのだ。だが、和頼が表に出る訳にはいかないらしく、この大会のスポンサーという立場での関わり。
それが和頼の弁護士を務める者の意見と指南。
この大会の優勝チームには賞金七百万。第二位に二百万。第三位には百万の合計一千万円が用意されている。
更に特別賞として車やバイク、自転車、電化製品などもある。
今回のイベントは第二回大会なのだが、初回の時、観客にもと、あっち向いてホイゲームで商品を出した、が、なぜか賭博に当たると注意が入ったのだ。
だが、入場料は無料、選手の参加費用も百円と形だけであり、注意で済んだ。
どうやらやたらめったらに、賞金や賞品を出してはならないとのことであった。
今大会も、観客の入場料は無料であり、大会にかかる殆どをスポンサーとして、和頼が出資している。
通常のスポンサーとしてのメリットや見返りは求めていない。形だけ、子供達の着ているジャージが自社のデザインだと、仮アピールするのみ。
会場での飲み物も無料で、至れり尽くせり。よって、この大会の無料チケットはとんでもないレアチケットとなっていた。
テレビ局からのオファーも何度かあったが、和頼は断り、娘達の通う学校の付属先の大学にある、インターネット番組に権利を任せている。
この大会への参加資格は十八歳以上で健康な者。チーム戦であり、身元がはっきりしている者。主催側の同意書にサインできる者。である。これらが和頼の弁護士が導き出した最低条件だった。
本当のところ、和頼にはすべてどうでもよいことだったが、逆に世間や国が今日までそれをよしとしない経路を辿ってきた、その結果だ。
――面倒臭い。
一回戦の試合がコート二面同時に行われていく。凄い盛り上がりだ。
和頼の子供達は前回大会三位なので、一回戦はシードとなっている。ちなみに、小学生なのにエントリー出来ているのは言うまでもなく、黒幕が和頼だからだ。
一回戦が終わりしばしの休憩の後、勝ち進んだ二チームが先に入ってきた。観客の盛り上がりも凄い。
ついで入ってきたのが前回大会の優勝チームで、ホストクラブ、パープルアンブレラ所属、チームドライが入ってきた。
颯爽と歩くそれらが和頼の前まで来ると一礼し、近くにあったマイクを手に取った。すでに会場には女性達の黄色い声が割れんばかり響いている。
「やぁ~皆。俺達が前回の覇者。パープル~アンブレ~ラだ。いわゆるホストだけど何か? 俺はそこでナンバーワンをハっている麗路、花澤麗路だ。よろしくな」
男達のブーイングと女性達の悲鳴が交差する。
「ふぅ~ん。子猫ちゃん達? 浮気しないで待っててくれたかな? 俺がナンバーツゥの時雨明だ。逢いたかったぜ」
順番に自己紹介し、目立つだけ目立つとマイクを置いてコートへ向かう。
花澤麗路。時雨明。東大和。天川流雅。真咲光。諸星聖也。へのへの模経児。
以上七人が、チームドライとして対戦相手と向き合う。もちろん本名でなくいわゆるホストでの通名である。
皆が動きやすい格好をする中、これでもかというほどキメている。真っ白なスーツに紫の腕章、胸ポケットには紫のスカーフ、真っ白なハットを被りポーズする麗路。黒革のロングコートをなびかせる明。その他もみなド派手だ。
動きやすさで言えば、模経児だけは一応スエットだ。ただ、黒に金のド派手な模様、飾り英字でクレイジーナイフと書かれている。いかにも鬼盛りといった兄系のファッションをしている。
そんな中、入場口から和頼の娘達が入ってきた。
その瞬間、今まで盛り上がっていたマックスの針が振り切れた。
あまりの歓声に音がこの世から吹き飛んだ。会場内の空気だけが圧縮し震える。
サイレントバーン状態。
音の大きさに耐えかねたアンプのような、大泣きし過ぎて声の消えた子供の様。声が戻って来ない。こんなにもヤバイ歓声は他にない。
場内が限界を越えて昇っていく。その声援を受け、子供達が可愛く舞う。まるで天使。メイクをばっちりキメたその姿は無敵の美少女。どんなアイドルも異国の美少女でさえ嫉妬するほどの可愛さだ。
和頼は密かに思っていた。これが本当に血の繋がる我が子だったら、残念ながらこうも可愛くはならないだろうと。
彼女達はこの可愛さと引き換えに、神に不幸な人生を歩むように定められていたはずの子達だと。そういう運命で産み落とされたのだと、そう本気で思っていた。
何かの手違いで和頼と出会い、そして神の鎖を引き千切ってしまったと。
それほどまでに可愛い。誰もが嫉妬するレベルだ。
二次元の娘でさえ届かないほど。ただ残念なのは、大きな口で笑う時に見える歯が大き過ぎること。
いってみれば、それこそがこの圧倒的な美と可愛さの融合を象徴していた。
この小学生の時期にだけ起きる奇跡。目の大きさはアニメさえ凌駕するパーツとバランスの美しさ。それが、わずかな時期限定で究極の輝きを放つ。
和頼が思っている通り、多くの不幸な子供達の中から不死鳥のように舞い上がってきた天使たち。不運な運命を背負い、本来なら絶対幸せになれただろうと一目で思わせるほど可愛らしい容姿を持った子達だった。
シンプルに言うと、凄く可愛さに恵まれた子達。
長い髪を両サイドの少し上辺りに、赤いレースのリボンで留め、そこから垂れる髪がクルクルと幾重にもカールして揺れる。皆が皆、個性的にセットされていた。
アイメイクは、シルバーパールのシャドウやディープブルー、ピンクグレーにラメの煌めくシャドウを個性的に施されている。
じっとしていても可愛いのに、本人たちは何をどうすれば可愛いのか完全に知っているように振る舞う。口を膨らませたり、寄り目をしてみたり、笑顔から急に真顔にしたり、その逆もまた。
動く度に空気がどよめく。
透き通る肌とキラキラとした目。汚れなき純粋さが見た目から溢れて弾ける。
作られたアイドルではない。
アイドルが可愛くないと言っているのではなく、作られたものではないのだ。
作られた、とは整形という意味でもない。ここでいう意味は、必ずとは言い切れないが、誰もが味わったことがあるであろう初恋のトキメキ。
そう、遺伝子が一目惚れしてしまう煌めき。
何となく好き、ではなく、絶対引力。心や想いが、磁石のように吸い寄せられてしまう。ほとんどの者が知っている、あの感情領域。
仕草や雰囲気を見てではない、人気があるからでもない。出会った瞬間遺伝子が、心が、神に誓う。
この人と愛し合えるなら、命尽きても構いませんと。
ただ、和頼の子供達はクラスに居る一番モテる子レベルではない。学校一、程度でもない。それはまるで、この星で出逢う運命の相手、対になるべき片割れと錯覚する魅力。
何度も言うが、一目で分かるほどの子達、運命に抗って選ばれた子。
自らアイドルに憧れ、応募し、集められた特殊な思想の子達とも当然違う。
眠れるシンデレラだ。世の中にはそういう可哀そうな子がいる。
幾つもの時代を経た大人から見れば、まやかしでなく本当に美しく可愛い顔立ちの子は一目で分かる。だけど、そんな子は大抵、学校では虐められていたり燻っていたり、家庭環境や社会に閉ざされていたりする。
その花の命は極めて短いというのに……。
そしていつしか、咲かないまま、咲けなかったままつぼみを地に落とす。
もちろん、大人になってから自由を求め、必死に咲き誇る者もいる、元々の美しさからそれなりの大輪を描くが、周りより少し上といったところに落ち着く。
大差はない。
幼い頃からずっと美を追求し続けていれば、スポーツや芸術などと一緒で才能を表すが、美は、外見も内面も育ちがもろに出てしまう。例え猫を被ってもその本質はやはり、簡単には変われない。
この究極のエンジェル期間は、そういった意味でも重要なのだ。
女同士は無意識にそれを潰し、時に、男子まで巻き込み、可愛い花を摘み取り叩きつけ、踏みにじる。
それもまた、少女達の正当な競争なのかも知れない。
つまり、和頼の子供と同じような原石がいないわけではない。学校の規模や地域で違いはあるが、どこかの学校に一人くらいは埋もれている……かも知れない。
間違いなく言えるのは、今この会場に天使が舞い降りているということ。
子供達が和頼の前まで来て「頑張るからね、ちゃんと私を見ててね」といって戻っていく頃、ようやく昇り詰めた声が戻ってきた。
そして何度も場内で暴発する。
左側ではホスト達が戦い、右側では天使達が舞う。
この大会の競技は、バトルシューティングボールという。分かり易く言えば、ドッチボールに似ているのだが、根本的に違うのは敵を当てて外野に出すのではなく、当てることで点数を稼ぐのだ。つまり勝敗は点数差。
しかし、大人に混じって、なぜ子供達が競技できるかということだが、それはボールに細工がある。
非常に軽いスポンジボールで、このボールには絶対速度がある。どんな凄い大人が投げても最高速度は大体決まっている。
更にルール上、投げるも蹴るもバレーボールのようにアタックするも自由。
ここまでの試合結果から言えば、蹴ったボールが最高速だと感じる。とはいえそれでも、避けることは可能なスピード。
ただ、スポンジの柔らかさゆえに、凄いパワーの者が放つボールはとんでもない変化をする。思ってもいない軌道を描き、時にそれが敵をヒットする。
床には薄いマットが敷き詰めてあり、余程のことがない限り大怪我などもない。
そうやって、安全性と有利不利を計算したルールになっているのだ。
試合が始まると、子供達の可愛さに熱狂した観客達がバタバタと失神していく。前回大会の時の経験上から、今回は医師を配備させている。
子供達は、この競技に関して幼い頃から練習していて、それこそ並みの大人より遥かに強い。
だが、前回大会の時、建築会社チームで相楽アーマーズという者達に完膚なきまで負けてしまった。
今回それらに招待状を出したが、仕事が忙しいのか不参加。
とはいえ、前回の優勝チームは今、隣で戦っている。
子供達は、毎日、スポンジボールを投げ合っている。元々は、あまりに口喧嘩が酷いので、柔らかなスポンジのボールで距離を保ってぶつけ合いなさいと、和頼が提案したが、ことあるごとにその姉妹ケンカが起こり、それがこの競技の由来。
リスのようにすばしっこく、マットの上を飛んだり跳ねたり転がったりと、とてもじゃないが、まともに捉えることができない。大人と子供の俊敏性は、ゴリラと小動物ほど違うように感じる。
フルパワーの大人がコリスを必死で追いかける。
普通に見ていると、パワーもスピードも、大人が負けている訳ではないのに、まったく子供達についていけず翻弄されている。
スピードの種類が違うのだ。
あっという間に点差は開き、先に子供達がゲームセットを決めた。場内は大盛り上がりで、まだ試合途中のホスト達が少し悔しそうにしている。
ホスト達は殆ど無失点で、相手を完全に圧倒している。その分、慎重さが時間を使ってしまっているようだ。
「おい、お前等。お姫さん達は先に勝負つけちまったぞ。いいのかよ? ちょっとくらい点数あげてもいいからさっさと片付けようぜッ」
「うぃっす明さん。やるぜぇ~ボーイ」
女性の黄色い声援の中、ホスト達が速攻でキメる。ド派手なアクションと勢いがちょっと男らしくてカッコイイ。毛嫌いしている観客も悔しそうだ。
間違いなく強い。そしてあっと言う間に勝負はついた。
何点か失点したものの、その強さはまるで鷹の様で、チャラチャラしたイメージとは違う、超かっこいいスポーツイケメンに感じた。
試合が終わるとホスト達は、先に勝った子供達へと歩み寄る。
「お~、姫達。前回の約束通り、今回はここまで上がってきたね。お祝いにチュウしてあげようか?」
「そんなのいらないよ」
笑うホストに笑う子供達。お互いに余裕があるように見えるが、子供達の存在感に少しだけ気圧されて見えるホスト。
水分補給しながら軽い雑談をする両者。するとその休憩を利用してマットの移動が行われ、中央に先ほどより一回り大きなコートが作られた。
そして、先に三位決定戦が行われた。
ここで勝って三位になれば賞金が出るが、負ければなにもない。
ほどほどに盛り上がる会場。試合を見ながら体を解すホスト達。是が非でも優勝賞金が欲しいのだ。それに引き換え子供達は賞金には興味がない。
子供達の興味はパパである和頼が、いかに自分のことを見てくれるかだ。それはチームをではなく、自分ただ一人を、である。
「お嬢ちゃん達の前回の相手凄く強かったもんね~。今回は来てないみたいだけど、お兄ちゃんたちも大変だったンだよ~」
「あぁ~。凄く強かったわ。ネッ皆。何か凄く欲しい商品があったンだってさ。帰りに本気出してごめんねって謝ってたもん。今回は欲しいのがないのか、それとも忙しいのか分からないけど、お兄ちゃんたちじゃ~、勝てないよ」
「あれれ? 見てなかったかな? あの時勝ったのは俺達、だ~よ。ま、確かに半端なく強かったけどね。それでも俺達の方が上かな」
一点差の死闘の末にホスト達が勝ったのだが、子供達は、作業服を着たお兄さん達が二位の賞金とある商品を嬉しそうに抱えて喜んでいる姿を見て、もしかしたらワザと負けたのではと思っていた。
それ程までに自分達は、圧倒的に負けたと感じている。
三位決定戦が終わり、ついに決勝戦の舞台の幕が開いた。
気合いを入れるホスト達が、独特の音頭をとってチームの結束を図る。子供達は和頼に手を振ったり甘えた表情で可愛く振る舞う。
格好をつけるホスト達に女性客が沸く。そんな中、子供達が着ていたジャージの上着をその場に脱ぎ捨て、華々しくコートへと入っていく。
完全に肩の出たノースリーブ。赤色の服の上に黒のレースが覆う服。腰回りには革のコルセットが巻かれていて、前部分で紐が編み上がっている。
上着を脱いだ格好により、上下のバランスが可愛いドレスのように統一された。
それを見た観客たちが、ホストに騒ぐ女性客の声を一瞬でかき消した。
「それでは~、ただ今より決勝戦を行いたいと思います」
アナウンスの後、早速ゲームがスタートした。
先にボールをゲットしたのはホスト側だった。仲間内でボールを回しチャンスを狙う。
「さすがにすばしっこいな~。どうします麗路さん」
「まずは流雅と光で連携してくれ。俺は明と援護にまわるから。大和と聖也と模経児もしっかり頼むぞ」
麗路の指示に皆がハンドジェスチャーで答える。はたから見ていると、上下関係がしっかりとしているように見える。
早速、激しい攻撃が始まった。複雑なパス回しから何度も際どいアタックが子供達を襲う。子供達は笑顔で可愛くそれを避けまくる。
揺れる髪と弾む足先、まさにリス。それを優雅にカッコ良く追い詰める。
今までの試合とは格段に違う攻防、それに観客が一喜一憂する。
粘る子供達だが、援護に回っていた明が攻撃に移り、更にそれに麗路が加わったことでみよがショットされた。狙い撃ちだ。執拗に粘着した攻撃だった。
何より、攻撃パターンが流雅と光のそれからがらりと変わったことに、体が反応しきれなかったようだ。
和頼はそれを嬉しそうに見ている。子供達が苦戦するのが嬉しいのだ。だからこその賞金の額。手加減できないほど本気で子供達の相手をして欲しいのだ。
最初は同世代の子供同士で戦って欲しいという考えもあったが、賞金を懸けることができないし、商品にしても気が引ける。そして何より、子供自身が同世代の勝負となると勝ち負けに必死になり過ぎて笑顔一つなくなってしまう。
我が子が圧倒的に勝利しても心から喜べず、負ければシャレにならない雰囲気が漂う。何度かそういう催しを開催したが、デメリットしかなかったからもうしないように決めたのだ。
元々、子供達の勝負は学校行事である。わざわざ作る必要はない。
ヒットされたみよが、ニッコリと笑いながらまやかとゆりなへ近寄り、ボールを渡すと何やら作戦を耳打ちする。
子供達はハンドサインでコンタクトを取る。
「本気でおいでお嬢ちゃん。お兄ちゃんが遊んであげるから」
場内が沸く中、まやかが可愛く口元に人差し指を立て「しぃ~」という。本当に静かにして欲しいのか、ただ可愛い顔を見せたいのか分からないほど可愛い。
ついで、れせとなずほも「し~ぃ」と可愛く人差し指にチュウをする。
場内が一気に静まる。
敢えて声を殺す観客は、あまりの静けさに何故だか恐怖を感じてしまう。ドキドキが場内を包む。声を出したくても逆にもう怖くて出せない。
すると、子供達が軽くパスを回しだし、一通り回ると、中央ラインぎりぎりに立つまやかへとボールが渡る。更に同じライン上にいるゆりなへと横パス。それがもう一度まやかへ戻ると、いきなり自分とゆりなの間にふわりと放り投げた。そこには誰も居ない。
しかし、突如みよが走り込み、現れたと思ったら空中でそのスポンジボールをボレーシュートした。
とんでもなく意表。
どこから投げられるかを察知できなかったホスト達は反応が大分遅れた。しかも、ゆっくりとしたパス回しに続き、ふわりと宙に浮いたそのボールが一気に高速の弾丸に変わったのだ。ホスト達が繰り出した感覚の変化より、更に感覚を狂わす攻撃だった。
ボールはナンバー二である明を捉えた。明は反応できず、当たってからビクンと動くのみ。悔しそうに驚くだけだ。
一瞬の固唾を飲み干した客がまた大声で会場を揺らした。それを今度は子供達が煽る。もっともっとと、腰脇に肘をピタリと付け、両手の平でパタパタ、クイクイと扇ぐ。
声が消えそうなほど上がるが、消えはしない。
無邪気を通り越して小悪魔に見える。
可愛い子がここまで調子に乗ると無敵になる、和頼も子供達のはしゃぐ姿に魅入られていた。
「クソッ。ごめん皆」
「平気だ。取り乱すな明、オシャレじゃねぇから。俺等はよ――」
ホスト達が励まし合いながら心を取り戻す。しかし観客の声と雰囲気にのまれ、動揺が完全には消えない。
そのままの状態で試合が続行された。
麗路と明と模経児の連携で攻撃する。完全に本気モード。光と流雅のフォローに加え、大和と聖也も必死に喰らいつく。
子供達の可愛く舞う姿に比べ、ホスト達は真剣過ぎてヤバイ。和頼のいう、同年代の子供同士で競わせた時のような表情だった。
ギリギリの戦いの中、やはりリードしているのはホスト達。点差はわずか二点。ミスがあればすぐに追いつかれヘタ打てば逆転される。子供達の余裕のある動きや態度を見ているとそれが容易に分かる。だからこそ、手は抜けない。
バテバテの麗路と明。もうほとんど動けない模経児。
「麗路さん、明さん、ここからは俺らが行きますよ。少し休んで下さい」
「悪ぃな。頼むワ、流雅、光。それと大和」
麗路と明がフォローへと回る。ほとんど動けない模経児を聖也がカバーする。
残りのタイムはおよそ三分弱。
ゆっくりと時間を使いながら攻めれば逃げ切れる。
観客たちは感じていた。点数では負けているものの、ホスト達が遊んであげるからおいでと言ったはずが、逆に子供達に翻弄され、それこそ遊び疲れるまで相手させられていると。
和頼もまたそう感じている。しかし、遊んでもらっているのはやはり子供達だ。和頼はその為に大金を支払い子供の遊び相手を探しているのだから。
無邪気に暴れる子供達に、本気で全力で手加減なく相手してくれる遊び相手を。
本当の所、勝敗など一ミリも関係がない。
子供達もそれをとっくに読み取っている。和頼が勝敗に拘っていないのなら『何?』とね。
そして子供達は、全力で楽しみ、自分達の可愛い所を見てもらうンだという結論に達したのだ。
今、皆の目の前では違うスタンスの二チームが戦っている。
歌手で例えるなら、他人を意識し、どうだカッコイイか? 凄いだろと、目立ちたいと歌を歌い、当然お金にも目がない者達と、ただ純粋に、パパに大好きな歌を聴いてもらいたいと心から叫ぶ子達。
根本的には両者とも似たようなことなのだが……、好きの真っ直ぐさと辿り着く先が違うのだ。
三点差のままラスト一分を切る。どよめく観客。
子供達が追いついては、また取り返され、これぞまさしくシーソーゲーム。
「いくよなずほ」
「任して」
走り込むまやかとれせ。
すると跪くなずほの背中をかけ上るまやか。まやかは横で並走するれせを支えとして手を繋いでいる。
なずほの先には中腰のゆりな、その背中へ飛び乗ると、みよが敵陣地へボールを高く投げ入れた。そこへまやかが迷うことなく飛び込んでいく。ギリギリまで繋いでいたれせの手が離れ、まやかの体は敵コート内の宙を舞う。
一瞬、麗路と流雅がボールを取りに行くか迷うが、そのスピードと高さに諦める方を選んでいた。何より反応が出来なかった。誰も動けなかった。
まやかの振り下ろすバレーアタックが動けない模経児を捉えた。
ルール上どうかは定かではないが、勢いに乗った小さな体が空中とはいえ二メートルほど敵コートへ侵入してしまっている。
「ただいまの得点につきまして、……空中なので有効とさせて頂きます」
主催者がそうアナウンスを告げ終えると、丁度試合タイムがゼロへと変わった。
二点差まで追いついたが、子供達は試合に敗れてしまった。ただ、時間が後少し残っていたとしても、またすぐ三点差にされていたに違いない。
子供達が逆転する為には、あと六分、ボクシングでいうなら二ラウンドは必要。そうすればホスト達の体力は果てただろう。少しの延長程度では、男は必ず根性で乗り切る、と分かる。
観客が盛り上がる中、ホストと子供達の挨拶が交わされた。
「ふぅ。お嬢ちゃん達強過ぎ~」
頭をポンポンと撫でるそれに、子供達も「うん」と素直に頷く。
「さっきは偉そうなこと言っちゃったけど、お兄ちゃん達、やっぱり凄く強い。ごめんなさい」
みよの言葉に、バテバテの男達が背筋を伸ばし照れる。他の子供達も似たようにホスト達を称えると、麗路がバテバテの模経児に『気合い入れろ』と小声で指示を出す。
荒い息を付く模経児は、その瞬間息を止め、呼吸が乱れていないことをアピールする。
「いや、こっちこそちょっとナメてた、ごめんね。お嬢ちゃん達があまりに可愛い小学生に見えたからさ」明も子供達を労う。
やがて主催者から優勝賞金や賞品などが授与された。付属先である大学のネット番組がそれを一部始終放送する。
嬉しそうにするホスト達の横で、子供達が二位の賞金二百万を大会委員会に全て寄付しますという。更に商品に関しては、観客の中から席番号のくじ引きをして、あっち向いてホイ大会を開くことになった。
前回大会は色々とあったが、今回は色々なことに引っかからないよう工面しての遊びだ。
三位の賞金授与が終わると早速、観客との遊びが始まった。ホスト達も自ら名乗り出て、選ばれた観客が女性だった場合などに、お手伝いをとかっててでた。
勝った者が商品を選ぶ時、どうしても子供達の何かが欲しいというので、新品のハンカチを用意し、それにキスマークを付けてプレゼントした。
用意されたハンカチの枚数じゃなく、口紅やリップの付かなくなるまで。一人、三枚から四枚を製造、つまりプレゼントは約二十枚ちょっととなった。
前回大会同様に、事故等なく無事大会を終え、和頼と子供達は家路へと向かう。
車の中で試合の話をする子供達を見て、和頼は嬉しそうにしていた。