二三話 最後の……眠り
病院の個室に美輪家一同が集まっていた。
最後に茜が入って来てから一時間くらい経っていた。慌ただしさも消え、目の前のありえない光景にただただうろたえる。
「ぱぱ、ぱぱ~」
薄らと瞼を開いたまま、もう言葉は発せない。ゆっくりと瞳を移動して子供達の顔を眺めていくよう。
「どうしてこんなことに? 昨日までは何もなかったのに……」
そう、皆にとっては何もなかった。
誰一人何も気づかないほどに。
だが、もう和頼の中で流れる砂時計は数粒しか残っていない。透き通るガラスにくっ付く目に見えないほどの砂粒……、それも今、零れ落ちようとしていた。
大学三年の六月、梅雨。和頼は今日まで死神と踊り続けていた。
小鳥のようだった子供達はすっかりと大人になり、美しい羽をその身にまとう。
孔雀のように煌びやかで品もあり、鶴のようにしなやかで容姿端麗。
小さかったあの頃と何一つ変わらない生活、お風呂でさえ今も一緒だった。汗だくになって遊んで、いっぱい笑って……色んな思い出が増えていった。
中学の卒業式さえ見ることはできないと告げられても、必死に立ち続け、ずっと子供達を見届けていた。あと少し、あと少しと目標を越えていく。
そして子供達全員の成人式さえも祝えた。
次の目標は大学卒業、その次は……ウエディングドレスだったかもしれない。
でも、もうさすがに……眠りの日。
あとは瞼を閉じるだけ、それだけしかできない。
「ぱぱ。ぱぱ。ぱ~ぱ」
引き攣りそうな顔を必死に抑え、いつもの笑顔で和頼に話しかける子供達。
何年経っても和頼の前では変わらない笑顔。
可愛くて、優しくて、天使の様な笑顔達。
和頼もそれに答えるように微かに微笑んでみせる。たとえそれで死が早まるとしても、和頼も笑顔を作った。
いつもと同じように。
子供達と和頼のその笑顔を見て、恵も茜も必死で笑顔を作った。
ただ、透子と星丘、銀錠はとてもじゃないが笑えない。いつだってそう、美輪家が常に微笑んでいることをすごいと感じていた。
この同じ病院で瞳が亡くなった日も、皆の笑顔で送り出した。
そして今日も、今も、美輪家は笑顔を絶やさない。お涙ちょうだいは要らない。笑顔だけでイイ。そうやって今日まで歩んできた。
世の中には傷つくようなことが溢れ返っている。実の親子でさえ、信じられないほどに自分勝手で、悪口と恨みで心がいっぱいになることだってある。
まして恋人や友達なら、もっと酷いことだってある。
でも、美輪家にはそれはなかった。いつも仲良く笑う。
戸籍上、紙切れの上で結ばれた時、親子と、国や誰かに認めてもらえた。
けれど……本当は他人。
だとしても、和頼は思う。血の繋がりがあっても、ちっとも家族になれなかった人達がいたと。そして、血の繋がりがない六人の子供達とは、家族になれた……と。
もちろん、血の繋がりがどうこうというはなしではない。
だから和頼は、他人である友達とは上手くはいっていない。そして恋人とも。
そういう都合の良い綺麗ごとや、簡単なことが言いたいのじゃなく、和頼が感じているのは、自分と結びついた個々の存在達との絆を、最後に確かめていた。
あの頃、もう誰のことも愛することができないまま死んでいくと思っていた。
これは嘘ではなく、自分にだけは愛は与えられないと。
何度も神様にお願いして、それでも何も叶わなかった、そう思っていた。でも、違った。神様は常に皆にしてくれていることがあったのだ。
それは――出会いだ。
神様はそれしかしてくれないが、そこで自分が、そして相手がきちんとした態度をとり続ければ必ず愛は手に入る。もちろん、簡単ではない。
でもどこにもない訳ではなかった。
実の家族でさえ得られなかった愛。友達や恋人とも失敗した愛。
凍えるように震えて、孤独に寄り添う相手を探して、そして運命は、瞳と和頼を巡り合せた。そこで断ち切ることはできた。いや、普通ならば断ち切っている。
断ち切る理由ならいくつもある、瞳との年齢差もそうだし、瞳自体も人とうまくやっていけないような、不器用な人であったのだから。
だから縁は切れたはず、でも、だからこそ寄り添った。
今ハッキリと、それが分かった。
幼くて震えていた子供達とも、茜や恵、梓も透子も。皆、独りで震えていた者達ばかりだ。
そんな皆だからいつも必死で笑って、ちゃんと相手に優しくした。
小さな頃に信じた、愛というモノ、それは、与えて、与えられるモノだった。
無償の愛なんていらない。そんなものなら、鏡の中の自分を他人と思って、無償の愛を与えればいい。
自分ではない誰かに、愛し愛されたい……。
この世の中で、その本物に触れられるのは多分一%いないくらい……あとは全部ニセモノ。だから浮気も不倫ある。欲がある。それは悪口ではなく、難しいから。
誰だって、愛が欲しいと願ってる……それでも得られないのは、やはり、キレイごと抜きに、皆が偽りの愛を演じているからだ。
本当は……すごく簡単な事なのに。
「ぱぱ」
和頼は病室の宙へとふわりと浮かぶ、そして自分の姿と皆の姿を部屋の斜め隅から眺めていた。不思議な感じだ。
これは幽体離脱ではない。なぜならまだ体の感覚は数ミリだけあるからだ。
子供達の声が耳の奥で反響し、遠くに聞こえ視界もぼやけている。
そういった感覚が脳で補正されて、ふわりと浮かんでいるように感じている……のかも知れない。
それがどうかは定かでないが、目の前の光景を和頼の心はそう感じていた。
話しかけてくる子供達を優しい気持ちで上から見つめる。そして「こんな俺に、愛を教えてくれてありがとう」と深く感謝した。
成長した子供達を改めて眺め、心で呟く『もう、大丈夫だね』と。
世の中は厳しいけど、ここまでくれば『ここからは自らの羽で行けるね』と。
「ぱぱ、ぱぱぁ~」
和頼は、子供達と出会ったあの頃から、今日までずっと掴んで離さなかったその手を、子供達からす~っと離していく。その瞬間、子供達が和頼の変化に気付き、名を呼ぶ。
もうとっくに動けない和頼、瞬きさえもできない。最後の言葉も届かない状況で、子供達は和頼が手を離した感覚が心で分かったのだ。
そして和頼は瞼を閉じた。
「ぱぱ、パパってば」
必死に作る笑顔。でももう和頼は見てくれない。
「さ、…………さびしいよぅ」
六人同時に呟いた。まるで本当の六つ子のよう。
もう、もう笑顔なんて作れない。
「パパぁ、やだよぅ」
「傍に居てよぅ」
「おいて行かないでよぅ」
「行っちゃやだぁ~」
「パパ、お願い、お願いだから、最後のお願いだから」
「ヤダぁーーーっ」
取り乱した子供達が和頼にすがりついた。目からは涙が流れ、まるで小さな子供のような仕草で泣きつく。
その姿に茜と恵はビックリし、自分達が悲しむのを忘れるほどに驚いていた。
六姉妹が泣いたのは、和頼と出会ってから初めてのことだ。そう、出会った日も泣いてはいない。つまりこれが初めて。
初めて和頼と出会った時も、本当はこうして泣きたかったのかも知れない。残酷な世の中にさらされる度に言いたかったのかも知れない。
――寂しいよと。誰か、私を愛してと。
心の奥にある深い傷口から沢山の悲しみが溢れる。
六姉妹の姿に堪らなくなった星丘が、病室を飛び出した。そして廊下に出ると、あまりの悲しさに崩れ落ちて、泣き出した。
大の大人が嗚咽しながら抑えられない涙を流す。
自衛隊時代から簡単に泣いたりはしない、今だって抑え込みたい、しかし、もう笑えない。
だって、寂しいから。
笑顔でお別れしたいし、見送りたい、だけど、悲しくて、寂しくて、勝手に涙が出てくる。
自分が笑えない分、誰かがこんな姿を見て、バカにして笑えばいい。そんな理由でも、代わりに笑ってくれるのなら、今だけは笑って欲しい。自分は笑うことが、できないから。どうか嘲笑ってくれと。
泣きながら銀錠と透子が出てきた。その後、目を真っ赤にした恵と茜。
病室には六姉妹と和頼だけが残った。医師や看護師達も廊下で整列し最後の別れが済むまで待っていた。
ずっと、ずっと、泣きながら話かける子供達の言葉を聞きながら、遠くまで吹き抜ける廊下で、皆はじっと佇んでいた。
和頼と子供達のさよならを――。




