二二話 死神とワルツ
和頼は洗面台に備えついた鏡を見て驚いていた。
そこにはまさに、死神に取り憑かれたような自分の姿が映っていた。
目の前には、すでに洗い流した後の、吐血した血の残りが薄らと滲んでいる。
最初に和頼の体を襲ったのは、ひと月前で、トイレの便器が下血により真っ赤に染まっていた。
普段から子供達がお世話になっている、かかりつけの病院へと行き、病がなんであるかを事細かに調べたが、はっきりとした原因は見つからなかった。
――奇病。
子供達が小学校を無事に卒業し、中学二年になった夏に起きたことだった。
和頼はそれまで毎日充実した日々を送っていた。
当然、子供達も美輪家の周りもいつも笑顔で、一分一秒絶え間ない活気。
それぞれがしっかりと、人生の一歩一歩を踏みしめていた。
そんな和頼の身を何かが蝕む……。
医者いわく、もって一年か二年……と。
最悪の余命宣告。
――死神に死名を刻まれた。
和頼の周りでこの事を知っている者はいない。携わるごく僅かな医師のみ。
孤独な戦いだ。
苦手な薬膳料理も口にする。出来ることはなんだってしていく、それでも和頼の病は治ることなく侵食していく。
時間をかけ優秀な医師達が調べ研究する。
だがどうしてもその原因が分からない。
ただ、体の異変の元となるのは、どうやら脳の異常な状態にあると結論付く。
それは、和頼の脳が常に異常な数値を弾き出すのだ。まるで麻薬で狂っているような、あらゆる分泌物の値が出過ぎなのだ。
オーバーヒートなんて言葉では済まない数値。
常に喜び、常に楽しみ、常に快楽を感じているような。クレイジーハイ状態とでも言えばいいのだろうか?
言われてみれば確かに、和頼は常に幸せを感じている。
子供達の笑顔を見る度、話す度、遊ぶ度……。でも、それではまるで……。
悩み、苦しむような強いストレスで体を壊し、その挙げ句に死んでしまうというのであれば分かる。しかし、その真逆がこの世に存在するなんて……聞いたことがない。
ただ、飢えで死ぬ者とその対極で、裕福で美味しい物を食べ続けたことで、高い数値になり、体を壊すことは確かにある。残念だが、何においても取り過ぎは体に毒ということになる。
問題は、まだ医療として研究の少ない、精神から来る病。
着々と時計の砂は落ちていく。
今まで築いた砂の城が崩れていくように、夢見た世界が崩壊していく。
和頼はそれでも、何も変わることなく毎日を過ごす。誰一人何も気づかない。
たまに通う病院に付き添う者さえ『ただの過労』と思って疑わない。
死んでしまうほどに体を壊しているのに……一ミリも感じさせない。
ただそれもまた、奇病の何かかも知れない。痛みさえ消し去るほどの快楽物質。
それらを抑える為に様々な薬を試すが、一瞬しかきかない。一瞬の為に服用するには劇薬過ぎる。そして弱っている体にも毒であった。
考えられる方法は一つ、もう誰も口にはしないが、六姉妹と離れて暮らすというものだ。
前に一度だけ、数名の医師が一堂に集まり、和頼にそのことを告げたが、和頼はそれだけは死んでもしないとはっきりと意志を固めていた。
瞳や子供達に会うまで、和頼は死んだように生きていた。いつ死んだって良かったし、何も怖くはなかったと。
まだ子供な六姉妹から離れる訳にはいかない。最低でも中学の卒業式を見守る。そしてそれが出きたら次は高校の卒業、そして大学……。
可愛い子供達が大人になるまでは、どんなことしてでも生きなければいけない。
誰だってそうだ、明日なんて分からない日々で生きている。その中で、強くやり遂げなければと思う目標と意志がある。例え道半ばで倒れようとも、ただひたすらにそこへと進む。
一歩ずつ。しかしその一歩はまだ、余力のある一歩。
本当に一歩ずつになるのは、疲れ果てぶっ倒れて這いつくばってからだ。そこからが本当の一歩、地道に肘と膝で這うように、体を引きずり進む。
それまでは全開で歩む。
思い返せば、病を発症するまでに約十年。それは、瞳との出会いからではなく、子供達との出会いから。それからずっと脳や全身で愛を感じていたのだ。
どんな新品の電気製品でさえ十年も経てばどこかしらガタはくる、使い方によってはもっと早くに壊れることだって全然ある。
夢の中まで子供達と、笑顔で遊び続けた和頼は、なるべくしてかかった病なのかも知れない。
精神的なことで体が壊れるのが人間であるなら、これは必然というしかない。
なぜ考えただけで、思っただけで体が壊れてしまう? 本当に心と体は表裏一体ということなのだろうか?
それでも和頼には曲げられないことがある。子供達が幼い内は死ねない。
例え死神が死の宣告をしても、その契約を変更させなければいけない。
もう、あの腹痛の時の様な顔を、子供達にはさせたくないから。悲しみや寂しさで、昔の傷を抉りたくはないから……。
こうして和頼と病魔の共存、そして死神とのダンスが始まった。




