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御姉妹  作者: セキド ワク
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二話  家庭の過程


「パパ。パパってば~」

 朝から可愛い子供達がはしゃぐ。

 此処、美輪家のリビングに段々と人が集まる。時刻は朝の七時ちょっと前。

 長細い十四人がけの食卓で和頼は電子版の新聞を眺めている。


「ねぇパパ。明日、みよ遊びに連れてって~」

「あ~、そんじゃウチも行くぅ」

「もぅ。邪魔しないでよぅ。パパと二人で行きたいの」


 決められた自分の席に子供達が順々と座っていく。子供の人数は全部で六人。


 みよ、十歳。まやか、十一歳。なずほ、十歳。ゆりな、十歳。もえみ、十一歳。れせ、十一歳。

 年齢の通り、皆、小学五年生だ。そしてそれらすべて和頼の娘達。誰一人として血は繋がっていない。いわゆる里子達。


 少し遅れて三人の女性が食卓へと着いた。

 (あずさ)、七十歳。(あかね)、六十四歳。(めぐみ)、六十歳。


 この三人、一応家族だ。……が、三人ともに誰とも血の繋がりはない。

 和頼の育ての親でもない。どちらかと言えばお嫁さん的な立場で居るが、そうでもない。それじゃ何かと言えば……、上手く説明はできない。一般的な言葉で当て()めれば居候(いそうろう)だ。もちろん三人にそんなことを言えば鬼のように怒り大変なことになることは間違いない。


 誰一人血の繋がりはないが、もう数年も家族として暮らしている。二年前まで(ひとみ)という八十歳の老女も居たが、天に召されたのだ。


 一体なんなのかと問えば、成り行きとしか答えようのないメチャクチャな家庭環境。それもこれも全て和頼のせいとしか言いようがない。


 和頼は未婚であり家庭を持ったことはない。とはいえ、ごく普通に本当の家族はあった。しかし、疎遠になった。いや、絶縁。

 理由はどうあれ、和頼は孤独になった。簡単にいえば、実の親と仲が悪く親戚付き合いもない、ということ。

 様々な過ちから天涯孤独になったのである。



 和頼がどんな男かと一言で言えば、変人。そして世捨て人からの復帰者。


 ワルツ和頼。そんな芸名で若かりし頃はお笑いタレントの真似事をしていた。元々は作曲家として楽曲を提供していたのだが、作れどもまったくお金にならず、アルバイトをこなす日々。そんな中、音楽絡みで伝手(つて)のあった芸能事務所に引き抜かれ、そしてタレントになることに。


 何て事の無い飲みの席での『やっぱ和頼氏は面白いですよ。アルバイトなんて辞めてウチでタレントになった方が儲かりますよ――うんぬん』といった、決して乗ってはいけない流れに甘えてしまったのだ。


 昔はそれがチャンスであったり、一期一会の運命だったりすることもあるかも知れないが、今のご()(せい)そういった甘い考えが通じる世の中ではない。

 本気で好きだろうと、ダメな者もいるほどシビアだ。さほど好きではないけど何となく頑張っていたら、運やセンスでドカンと一発花咲いた、なんてことも一昔前の幻想(バブル)である。


 元より音楽の仕事を得たのも、インターネットに趣味でアップしていたそこから人気が出て、その知名度やセンスなどを実績としてオファーが来たのが始まりだ。それでも、まだそこには夢や想いがあった。

 言いたいことや聞いて欲しい言葉や音楽があった。その微かな望みに運がたまたま絡みついてくれたのだ。しかし、タレント活動はそれさえない。


 結局は失敗と借金。心も生活も荒れ果てた。





 もがく生活の中で色々な者達と出会い、それこそ必死にワラをも掴ンだ。

 最初に出会ったのは、既に永眠された瞳である。


 お互い孤独な立場だからか、とにかく暇を持て余すように話し続ける日々。

 出会って約一週間で、和頼はボロアパートを引き払い、瞳の住むボロマンションの居候になった。


 八畳ほどの一室とダイニングキッチン、小さなお風呂とトイレ。賃貸ではなく持ち部屋だが、年金で細々と暮らしている。

 たまに野良猫が一匹遊びに来ていたようだが、無一文の和頼まで転がり込んでシャレにならない環境だった。


 元々、年金額も自分一人が生活することさえできない額で、いつも早く死ねないかなと思っていたという。

 そんな瞳の口癖は「嫌なことや不安な気持ちを忘れたいから、早くボケてしまいたい」いつもそう言って笑っていた。


 瞳の孤独な人生を聞いた和頼は、波瀾万丈ではなく、何処にでもありそうな孤独を感じていた。子供の頃に虐めを体験していたり、仕事場で容姿を貶されたりと。それは瞳ほど長く生きていればそうだろうと。

 結婚もできず、それこそ彼氏もできず、ただひたすらに今日まできたのだと。


「でも、人生って分からないわよね。こんな歳になって四十歳も離れた他人(ひと)と一緒に暮らすことになるなんてね」

 そのセリフを何度聞いたか分からない。


 瞳の若い頃の写真を見ながら二人で語らう。まったく同じ感情を抱きながら。

「写真を見せる相手が初めて出来たわ。一体、何の為にって何度も思ったのよ。若い頃は当然のように思い出をって写真に残したけど……誰にも見せられないし、残す相手もいないものね」


 瞳は言う。自分で見返すような寂しいことはしたくないし、何より、写真なんて見なくても、いい思い出ならちゃんと覚えているからと。

 和頼はまったく同じことを何度か思ったことがあった。しかし、瞳がその想いを繰り返した回数は、年齢からいっても数え切れないだろう。そういった寂しさや今までの嫌な出来事から『早くボケてしまいたい』と、そう言ったのかも知れない。


 写真世代の瞳とデジタル画像世代の和頼だが、保存方法の違いはあれ、同じような悲しみと切なさを共有していた。



 和頼がバイトを始めてすぐに食生活が格段に上がった。更にカードゲームや昔のテレビゲームなども中古で買ってきて遊ぶようになった。

 遊びながら、これが今の老人の有り方であっているのかなと、瞳と和頼はよく笑っていた。


 和頼はよく「他の世の中のことは知らない。どうでもいいよ」と意識的に浮世離れしたがっていた。今は全てを忘れていたいと。

 現に抱え込んだ借金も膨らみ二百万円に達しようとしていた。

 和頼は行方をくらましている状態だが、借金が消えたわけではない。それどころか返済していないのだから当然増えていく一方だ。ただ目を(つぶ)り、意識しないようにしているだけ。



 瞳と和頼に転機が来たのは、遊びでやった競馬だった。お互い五千円ずつ。四レースを遊んだ。二人の総額で、損失は壱万円と決めて(のぞ)んだギャンブルだ。


「当たったら美味しい物でも食べたいわね」

 そう言っていた瞳はことごとくすった。

 しかし和頼は違った。最初こそ外したが、五千円が四千に減り、四千の内の二千円が六千円に化けた。そして残っていた二千円と足して八千円となり、そこから半分の四千円を賭けた。

 どのレースを選ぶかで大きく変わるが、四千円が約六万数千円へと大化けした。


 横で外れた馬券を悲しむ瞳をよそに、和頼は、ただ黙って考えていた。瞳と自分の分とで始めた元手の一万円を残し全てつぎ込もうと。外れてもその一万円で美味しい物を食べようと、そう決めて大勝負に出た。

 ……絶対に来ないような倍率の勝負に。


 六万数千円と残っていた四千円で約七万。そこから一万円を除き約六万円を予定通り全てつぎ込んだ。来るはずなんてない馬券だ。

 競馬や競艇などは、宝くじやルーレットのような運任せではなく、実際に競い合う者達がいる実力世界、つまり、強いものが勝つ、そしてそれがオッズとして人気や配当金となる。


 ただでさえ、当てる予想の難しい中、欲張れば望みは限りなくゼロに近い。


 だが和頼にとってそのレース、初めて本気で楽しいと感じていた。

 数千円をチマチマ賭けても夢も希望も面白味もなかった。

 さっきまでは当たる喜びよりも外れる恐怖を楽しんでいた。実際そのレースも、当たる額の大きさに夢を見つつも、結局は外れる絶望感に震えていた。


 九十九%諦めているからこその一万円の逃げ腰。宝くじのように三億円が当たる訳でもない。それでも久々の興奮が和頼の全身を巡っていたのは確かだ。


 静かな観戦だったが、馬がゴールに近づく度に、何度も神様とお願いしている。

 ああ、どうせ俺の人生にはツキはこないだろ、そう盛下がってみせたり、これを当ててくれたら真面目に生きます、なんてことを仮契約してもいた。


 つまり、宝くじ以下と思いつつも、和頼は充分楽しんでいた。そしてついに結果が出た。和頼は膝から崩れ落ち、何度も馬券を確認する。

 本当にその馬を買ったのか? 数字はあっているのか? そしてゴールした順位に間違いはないかを。


 顔が引きつる。うまく喜べない。まるで悪いことでも起きたようなドキドキ感。

「き、キタ。当たった」

 普通のトーンより小声で瞳に告げた。良かったねと普通に喜ぶ瞳が、本当に驚いたのは家に着いてからだった。


 配当金は七百数十万円。


 世の中にはこんなモノでは済まない程の大当たりをしている者が至る所にいる。それも常にどこかで。当然この日も和頼一人が当てた訳でもない。

 一方、何年(・・)(たずさ)わっていても、まったく当たらずじまいの人もいる。確率や割合から言えば敗者の方が断然多い。


 ラッキーだった。単純にそれだけだ。実力ではなく、ただの運。

 しいて挙げるなら、和頼の大胆な一点賭け、それと、もっと上のオッズではなく、馬の名前や騎手などのインスピレーションで選んだということ。当然、掛け金が低くても、違う馬に欲を出しても結果は違っていたわけだ。ただの運にも外れはある。何より言えるのは、和頼が自らこのギャンブルを挑んだということだ。


 和頼は、一万円を残さずに全部つぎ込めば、あと百数十万円上乗せされていたと悔やみながら、大金を前に喜んだ。



 翌日、早速借金を返しに出かけた。しかし、いきなり全額返すのではなく、まずは約半分の九十万円を返済し、二週間後に八十五万円で完済した。

 一括返済をすると、おいしいカモとして足元をすくわれそうだとそうしたのだ。

 滞納した後のこの返済の仕方なら、色々と想像させ、深追いされないと。


 和頼はこの後、五百数十万を元手に仕事を始めた。

 いくつかの失敗をする中、軌道に乗ったのは、瞳が受け持ったお弁当屋さんだった。そしてそこで梓がパートとして加わった。

 元はお客だったが、瞳と雑談する流れで手伝いを始め、いつしか正式に働くようになった。


 一方、和頼の仕事はなかなか思うようにはいかず、競馬で得た元手は底を尽き、また借金するかどうかという瀬戸際まで追い詰められていた。


 一緒に暮らしている瞳に、どうしてもお金のことを頼る気にはなれず足掻いていた和頼だが、それを察したのか見かねたのか、瞳がお弁当屋の開店資金で貰った二百万を使ってと返却してきたのだ。

 あげたモノだがらと見栄を張る和頼であった、が、話し合いの末、心に折り合いがつきありがたく次なる軍資金として懐へしまった。


 どんな仕事をするべきか悩んでいると、お弁当屋の客の知り合いで、安く店舗を貸してくれるというラッキーな話が舞い込んできた。

 仕事内容は決まっていなかったが、とりあえず少し聞いただけでも好条件だったそれに、話だけならと乗っかった。そこで出会った大家が茜だった。


 そこは、とある商店街の出口で国道沿いという最高の立地条件、だが、一階二階以外はずっと空室状態なのだという。

 外観が古いというのもそうだが、借りる方も利用する客も不景気だし、商店街からわざわざ出て、更にエレベーターを昇ってまで、という時代ではないようだ。


 前は大手居酒屋が入っていたのが、より集客できる商店街へと移ってしまった。

 一階は花屋とペット屋。二階は中古ゲーム屋。三、四、五階と空いていて、六階と七階が茜の暮らしている生活スペースだ。


 元々は別の所に暮らしていたのだが、両親が死に遺産として分配された時、住んでいた本家を兄夫婦に譲り、自分はそこへと移ってきたのだという。

 だが、元々建物の価値は低く、土地の価値はあるが、建て替える術も売るかどうかも先が見えない状態で、逆に数年前の相続税で今日まで貧しい暮らしを強いられていた。

 兄夫婦はそういう意味で、遺産を均等な額に割った形をとっているが、自分に見合った物をこズルく根こそぎ相続したようだ。


 茜は和頼と話しながら、今売ったところで将来の足しにもならないと愚痴りながら、借りてくれるなら安くすると更なる交渉に進んでいた。


 結局、和頼は仕事内容も決まっていないのに、店舗の広さや立地の良さに契約を結んでしまった。

 急いで次なる仕事を考える和頼が弾き出した答えがとんでもないものだった。


 それは――、マーメイド喫茶。


 大きな水槽の中で、上半身裸に可愛いニップレスを付け、腰下から人魚の尾ひれをはいた女性が数人泳ぐ。

 沢山の酸素の泡が下から吹き出し綺麗な海をイメージしたディスプレーが施されている。水中で息が吸えるように数ヵ所に、エアボンベからのチューブも用意されていて、まさに人魚のように水中で自由に泳ぎ回れるようになっている。


 水槽の上には浮島も有り、水槽壁から見上げる形で覗くとヒレだけが水に浸かって見える。二階席からは上でくつろぐ人魚たちの姿も楽しめる。

 他にも、客のイベントとして水中カメラ搭載潜水艇ラジコンを操作できる。その映像は手元の別モニターに映し出され、人魚をラジコンで追いかけたり、接触させたり、ラジコン目線で覗き遊べるのだ。


 メイド喫茶をもじった安易な発想の店だが、大人気になり、元タレントのワルツ和頼がとんでもない店という話題が雑誌やネットを飛び交って盛り上がった。


 茜にひと階借りるはずが、四、五階を全て借り切り、更に中央だけをぶち抜いてとんでもない店を作り上げてしまった。そうなった経緯には、茜が「その内このビルは取り壊して売りに出す」という計画を聞いてのことだ。

 それならばと、和頼も一世一代の賭けに出た。


 当然、借金も抱え、瞳にも援助を頼み、こともあろうか大家である茜にまで頼み込んだ。

 和頼の熱意に乗り、瞳も茜も援助したものの……、店が出来てみてびっくり。ほぼ裸の女性達が人魚姿で……。これにはあきれるを通り越して、絶句するしかなかった。

 しかし、店はとんでもなく大反響した。メイド喫茶どころの騒ぎではない。客は基本男性しかいないが、それでも常に満員で、すぐに借金も返済できた。


 一年半程で、二店舗目に手を広げ、更に大きな店へと拡張し、店の名前もマーメイド喫茶から、竜宮カフェへと変貌を遂げた。


 人魚との様々なイベントや、備え付けのパソコン、携帯ゲームなどの通信広場として集客に繋がるありとあらゆる催しや場所を提供し続けた。

 店の飲食的うりは、人魚の涙と称したラムネ入りサイダーとチョコレートモンブラン、やきいもチーズ、しるこうどんである。おやつ的な通常メニューも充実しているが、それらがスバ抜けて大反響だった。

 しかし、和頼が本当に大化けするのは、この後のことであった。


 人魚の衣装制作など様々なことを、別の新たな会社にお願いしたことで、コトは一変する。有限会社社長で元デザイナーの恵に出会ったのだ。


 和頼は、あるデザインで世界一のシェアを誇るブランドを立ち上げることに成功してしまうのだ。


 それは――、紳士がトイレ時に使う前掛けというか、エプロンというか、よだれかけ?


 マーメイド喫茶の時も世間では相当な話題となったが、この男性専用前掛けは、日本だけではなく世界中で話題になり重宝された。

 何しろ、大切なズボンが一切汚れない。今まで用を足す時に気にしていたシミの原因が一切なくなったのだ。それに加え、オシャレでいて使い勝手もイイ。


 デザインの良さやアイテムとして所持していたいという価値観、コンパクトでハンカチのように手軽な扱い。

 更に機能や便利さは使ってみると目からうろこであった。大切なズボンの保護、お手洗いの気遣いからの解放、様々な事柄から大ヒットしてしまった。特許や関連商品等々で和頼は巨万の富を手に入れたのだ。それも世界規模で、である。


 数ヵ国で特許を取得し、それだけで世界の富豪に仲間入りしてしまった。なにせ靴下や帽子といったレベルに特許が付いたような物だ。男性専用とはいえ、一日に一枚使用。一人平均十枚ほどの所持。もちろんもっと持っている者もいる。


 社会では既に、それを持ち歩き使うのが紳士のマナーやエチケットとなっていた。それも世界のビジネスシーンでは必需品に。

 何て事の無いアイデアだが、大切な服とプライドをおしっこの染みから防ぐ物は、今までこの世に存在していなかった。ただそれだけだ。



 マーメイド喫茶の時に店舗を貸した大家が茜。そして既に引退をしていたが、服飾デザイナーだった恵との出会いが、和頼のこの功績へと導いた。


 和頼のアイデアや思いつきを実現へ結びつけたのは茜や恵だった。

 競馬の大当たりからたった四年で、和頼は大化けしたのだった。


 一年目の和頼は、店の売り上げも誤魔化し、法の目も掻い潜り、あらゆるインチキを駆使して税金を支払わなかった。当然、競馬で得たお金に対しても申告などしていない。

 二年目からも最低限度の所得で済まし、普通に支払い始めたのはその翌年からだった。


 和頼は、平気で犯罪まがいの行為をしていた。仮にマルサにでも目を付けられていれば取り返しのつかない罰金を受けていたに違いない。今はもちろんきちんとした税理士などにきっちりと任せて国民の義務を果たしている。


 仮に、税金を何年にもさかのぼって調べられても、結局、その誤魔化しに気付けないほど、今となっては貧しかった時期の些細なお金の話だ。





 子供達との出会い。それは、茜が始めた託児所とその親との出会いだった。

 当時、託児所を始めるにあたり、資格などの取得は必要なく、軽い審査などで済んだ。もっと大きな場所を用意することもできたが、子供の安全や働き手の目の行き届く全てを考慮して、茜の仕切れるサイズとなった。


 世間で待機児童と騒がれているように、常に定員オーバーで、予約もぎっしりといった盛況ぶり。


 大分慣れてきて、働き手を増やすと同時に部屋のサイズも一気に拡大した。


 お弁当屋の合間に梓も手伝いに入り、経営も何も順調に進んでいた。

 そんな中、連れて来られる子供の中に、見るからに虐待されたであろう(あざ)や傷跡のある子がチラホラといた。

 更に親の中にも、心が病んでいるような姿が目に付く。


 シングルなのか共働きなのか、借金があるのか? はたまた夫婦仲に問題があるのか? それ以外の問題なのか。

 なにがどうなったのか経緯(いきさつ)は分からないが、託児所に通う親子を引き裂くように、児童相談所の者達がいきなり訪ねて来て、預けられたある子供を強制的に連れ去ろうとした。

 それを必死に拒む梓と茜から、和頼へと連絡が入り、急いで託児所へと向かう。


 和頼が到着した時に、親である両親も丁度着いた。

 親と()(そう)の者が言い争う言葉から、どうやらいざこざは今回が初めてではないようで、近所からの通報で来たようだ。

 昨夜遅くまで、怒鳴り声と夫婦喧嘩と子供の泣く声と……といった内容だ。



 実際のとこ、子供を渡していないのは梓であった。言い争いなどお構いなしに、拒んでいるのは梓で、その次が茜、更に他の働き手。

 しかし、他の子供の面倒も見なければならない。

 渋々、両親に子供を返した所で、結局強制的に施設へと連れて行かれた。


 悲惨なニュースなどで、児童相談所の権限が強まっているのは分かっているし、それが世の中の流れになっているのも分かる。だけど、梓も茜も、和頼も働き手も、どこか、学校教育で先生が怒れなくなった風潮とダブって見えた。


 何がいいか悪いかなんて聞きたくないと、この時の和頼は、ただ他人事のように思っていた。しかし、とある事情から、茜が養子を貰うことになった時、そこに立ちはだかったのが児童相談所や施設だった。


 その子供は既に何度か厄介になっていたようで、やたらと介入してきて、手続きがどうだとかシステムがと――。

 結局は、茜の想いとは別に、養子の件は破談になった。


 茜の歳やどういう立場だったかを考えればそうなるのは必然。実際に大金があったのは和頼ただ一人。

 普通に考えれば独り身の茜自身、絵にかいたような不幸を背負っていた。


 この時どんなやり取りが行われたかなどの細かなことは語らない。お涙頂戴といったその時の話は敢えてすべきではない。この話に感動などいらないのだ。


 長い争いと口論の果ての敗北ではあった。

 ただ、この時家族になれなかった男の子のことと、職員の横暴ぶりは決して忘れない。そう和頼と茜達は密かに思っていた。


 しばらくして、再び問題のある家族と出会い、養子の話が持ち上がった。今度は面倒な機関とは無縁のところでの話だ。

 しかし和頼は常に思っていた、命を預かるのと実際に親子へなるのでは話の質と重みが違う。第三者の立場で話を聞いていた和頼は、賛成も反対も出来ずにただ成り行きを見守っていた。


 全員一致の賛成もなく、なかなか話が進まない中、更なる養子の話も舞い込む。よくよく状況を見てみると、養子を望んでいるのは相手側というよりも、むしろ茜や梓であった。それどころか恵と瞳も。

 子供が産めない歳だが、和頼と出会い流れが変わって、もし、もし可能であるのならたとえ養子でも子供が欲しいと望んでしまったようだ。


 和頼に女心や母性が分かるはずもないが、なんとなくこの話には反対と思っていた。それは例え不幸な家族や環境でも、他人がそれをどうこうしてはいけないと思っていたからだ。それは国でも施設でも同じだと。

 しかし、話の成り行きによっては、結局、施設へと流れ、辿り着く。和頼はあの横柄(おうへい)なやり方や態度、上からの立場や存在が大嫌いになっていて、自分の身に起きた生い立ちの理不尽さと社会への反発から、まともな答えが出せなくなっていた。


 最初は一人のはずだった養子候補が、いつの間にやら子供が大勢に増えていた。そういったものにアンテナを立て意識した途端、世の中の不幸の数だけ受信してしまったのだ。

 一昔前が良かったかなんて分からないが……、今の世の中の風潮は、子供にも、そして老人にも優しいとは思えない。


 どちら側ともなく、互いが引き寄せあうように、大勢の者達がこんがらがる。

 そのすべての家族と面会して深く濃く話す。梓や茜や恵などは欲が溢れ過ぎていてまったく話しにならず、結局は、和頼と相手家族の面接、の様な感じになった。


 基本的には全てお金が解決するような、そんな悩みばかりであった。


 不景気な時代、離婚やシングルが当たり前で、性に関しても、浮気や不倫もお手軽になった、もっともっと色々な要因はある。男女に関係なく暴力もその一つ。

 でも、とんでもなくヤバイ貧困やニュースになるような猟奇的な事例というより、世の中のルールや個人の考え方が緩くなっただけというイメージは否めない。


 和頼は、子供うんぬんではなく、いつしかその家族自体をどうするかという話で会話を聞いていた。


 一方、梓と茜と恵は、ある条件を和頼が呑んでくれるのなら、無理に里親にならなくてもと、諦めて身を引く案を出してきた。

 その条件とは――、瞳と暮らすそこへ梓と茜と恵も住むというとんでもない話であった。


 部屋の大きさという物理的にも無理な問題が生じることには「それなら引っ越しというか新たな新居を」と、次から次へと難問を投げかける。

 つまりは、孤独……、そして女としての未練や憧れなどが、人生の(きわ)でだだをこねていた。


 養子の話はなかったこととして進めて行くが、当然、深い話まで聞いた和頼にはパッと切れない家族もいて、正直お手上げ状態。


 和頼は、まず断れる者には断り、お金で解決できそうな者には、少しの援助として内緒で百万円包んだ。

 それくらいで人生が立て直せるほど甘くはないが、それを元手にどうにか踏ん張りなという願いを込めて手渡した。数家族に渡し、痛い失費となった。


 問題は、既に本当の両親がいなく、親戚の世話になっている子。

 生い立ちや連れ合いや家族などからの裏切りの果てに(うつ)になった親、シングルでなおかつ仕事の苦悩を抱えているような親……。

 お金とは別な部分に大きな問題がある親で、細かな事情は開示しないが、つまりは託児所に来る中にはギリギリのラインからはみ出て、子供の面倒をみるのが既に破綻している者もいたということだ。


 様々な事情を見た上で、これは可哀そうだなと思う子は約五十人。それも絞りに絞ってだ。

 和頼は、その一人一人の子供を見て、こんなにも可愛らしくて、本当なら最高の人生を歩めるはずなのにと悲しくなる。


 一見豊かな時代だが、人生が残酷だということは忘れちゃいけない。そして世の中には必ず格差があって、多くの不幸が口を開けて待っている。

 まして大人達が自己中だらけで、好き勝手に正論をかざすネット的社会……。


 和頼は全て断るつもりだったが、親のいない子の中から四人、そしてシングルの親の中から四人を選び、もう一度深く話すことにした。


 その話には、和頼が用意した弁護士、そして相手側の法定代理人も入ってもらい、本当に複雑な所まで深く話していった。


 子供の意見を聞くと、シングルであるお母さん、お父さんと離れたくないと主張する子もいた。

 和頼が敢えてその残酷な質問をしたのは、意味があった。それは、とりあえず、その子達の想いを優先し、できれば願いを叶えるべく、親を自分の会社で雇い、他より好条件で面倒をみるという案などで、どうにか家庭の立て直しを図らせる意図があった。

 金銭はもとより、病気がちであったりトラウマで他人とうまくやれないというようなことが原因であるから、雇うというそれは、そこもカバーするという趣旨で話された。

 すると、子供の願いを聞き入れて、運よく、子供を見捨てないで頑張るという方向で進んだ家族も二組。

 つまり、親戚や知人が世話をしていた四組とシングル親の二組が残った。


 和頼は、この中からたった一人を選び自分の養子として育てようかなと心揺らいでいた。

 しかし、自分みたいな頭のおかしな人間が、人の親になるなど、自分自身でもありえないし何より怖い。犬や猫さえ飼った試しがないと不安が(つの)る。


 和頼はとりあえず子供達と一対一で会って話してみることにした。


 口下手で上手く話せない和頼。

 元より自分も、実の家族とは仲違(なかたが)いして孤独を選んだ性格。更に、友達などという上辺の(わずら)わしさも大嫌いで、クラス替えや卒業と共にポイ捨てしてきた身。


 漫画や映画にあるような友情や家族愛があるのなら、和頼もそんなことはしない。今までの自分にあったのは、見せかけの関係や絆、そして利用。

 本当の愛や友情を手に入れるのはごく一部の人だけだと、和頼はそういうモノを羨ましそうに思う。



 不器用な感じで面会していく和頼と子供達。深く沈む子供の目を見ていて、一体何故こんなにも不幸な顔や気持ちにならなければいけないのだろうと思った。

 自分でない者の不幸を感じて、初めて苦痛を共感し、どうにかならないものかと戸惑うばかり。


 ここに、この表情の中に、本人の望みはあるのだろうか。この苦しみは、誰が何と比べて不幸だと決めた(はか)りだろうか?

 和頼は言葉少なくただ子供を見る。


 一般的な正しい答えが欲しいのではなく、自分で納得できる自分なりの優しく強い正義が欲しかったのだ。

 子供達との面会を終え、更に時間をかけて悩む。


 和頼は色々と調べるうちに、世の中には貧しさや病気などの生活苦、男女の縺れなどで子供を捨てる意味の行為をするしか生きる道がない可哀そうな者がいると知った。


「なら産むなよ」と言われそうだが……。そのセリフを吐く者は本当に子供を産む為にだけセックスをするのだろうか? と問いたい。

 世界中がそうならそれが正義だが……。答えはもう出ている。


 常識を述べている側のほぼ全員違う。


 つまり色々な事故の関連性など無視して事故を語る。

 信号無視の罰則が無期懲役になれば、自分がどんな生活をしているか、少しくらいは気づけるはず。皆が犯している罪が何かを。


 ただ黙ってやり過ごして隠しているだけで、まだ被害者、加害者の関係になっていないだけだと。


 携帯電話を眺めながら歩き、または自転車をながら運転して事故を起こしたら、その、よそ見や不注意の原因は何?

 誰だってやったことはある、事故に遭遇していないだけ。

 なら、事故か回避の差は、不運だっただけ、となる。


 結果の後に、コトを悪く言うことも、四の五の論理を言うのも愚の骨頂……。


 和頼はそれ以上の()(だん)的思考を停止させ、ただ目の前の状況をみていた。まだ幼稚園児くらいだろう。本当なら親の足にしがみ付き、お尻裏へと隠れていてもいいのに、ただぽつんと独りで立ち尽くしている。

 まるで今の自分のようだ。この孤独は大人になれば、何割かの者は嫌でも味わうことになる。急に独りだと気付く。



 親や保護者達が話し合う。この先どうなるかなど何も分からないまま。

 世の中では、こうして施設へと引き取られる子もいっぱいいる。世間が知らないだけで。


 そこが幸せな場所の訳はない。

 誰かがちゃんと不幸だと言ってあげればいいのに……。


 和頼には、考えてもキリがなかった。

 気が付くと、立ち尽くすその子達を抱きしめて、心の奥深い所で泣いていた。

 もちろん表情はニッコリと笑って。

 ガタガタと震える指、脈が(うず)き、喉の奥で叫び声をせき止めるのに必死。


 自分の孤独と重ね合う、しかし、目の前の子供たちは、自分とは違いまだこんなにも幼い、そのことが可哀そうで仕方がなかった。

 まだ……早過ぎる。



「おじちゃんのこと、怖いかな? おいしいお菓子あるンだけど、食べる?」

 和頼の言葉に首を振り断る。黒目が悲しみで歪んでいるように見える。

 遠慮ではなく拒絶だ。どんな悲しみを背負ってきたのかと心が惑う和頼。


「ねぇおじちゃん。私でもいい? お菓子、食べたい」

 振り返ると信じられないほど可愛らしい女の子が声をかけてきた。和頼は笑顔で「ああ、もちろん。いいよ。いっぱい食べな」そういって用意させたケーキを差し出した。


「いっぱい食べな。ジュースも飲むよね。待ってね、今持ってくるから」

 走る和頼が部屋に戻ると六人の女の子がケーキに(むさぼ)りついていた。足りないコップを取りに戻り、行ったり来たりしていると、その中の一人が話しかけてきた。

「私、初めてケーキ食べた。絵本でしか見たことなかったけど、こんなに美味しいのネ。こんなに美味しいのを絵本のねずみは食べてたのね……」

 その言葉に返す言葉がない。


 ただ、ケーキなんて普通誕生日か余程のイベントがないと自分も食べないと和頼は思いつつ、まだ幼いこの子達にはそのチャンスがあったかどうかと考えた。

 貧しさのせいと言うよりも、生まれてすぐは当然母乳だし、離乳食になる頃の誕生日に買ったにしろ覚えているかどうか。

 物心ついた今といっても、年齢的にあっても二度くらい? まあ、金銭的な訳もあるだろうけど……。


 和頼は美味しそうに頬張るその姿をただ見ていた。

 にしても、とにかく汚い。ケーキがお皿からこぼれたり、ジュースの入ったコップが倒れたり。コップの中にケーキのスポンジが浮いている子もいる。

 服もドロドロ。


 赤ちゃんなら仕方ないが……幼稚園の年少くらいだと少し変に見える。

 話の途中で戻って来た親がその様子を見て、いきなり子供を叱りつけた。和頼はそのやり取りを眺める。

 ケーキの感謝をしたり、テーブルに散らかった食べカスを片付けたりと忙しい。いつもならば、怒らなくてもと思うところだが、幾人もの話や悩みを聞くうちに、少しだけ本質が見えていた。


 汚れた服。後片付け……洗濯。

 マナーの悪さや態度は、結果的に家計や余計な手間へと大きく跳ね返ってくる。

 子供達の将来性への不安にも。


 お金も仕事も生活の手間も、ギリギリラインを越えている親には、死活問題なのだろう。

 これがお金持ちならどうでもいいと気にも留めない。それどころかお手伝いさんが処理すればいいだけの手間。


 和頼は、店などで子供を叱る親などを、冷ややかな目で見たことなど思いだし、弱き立場の者を無知な自分が(さげす)んでいた行為だと反省した。


 そういう親達は、自分の気付ける範囲で、周りに気を使っての子供へのしつけだが、その親の声や口調、叱っている説明の未熟さで、つい心でバカにしてしまう。

 しかし、本来、子供というモノと接し続ける親など、声も大きくなるだろうし、論理も何もなくなるはず。いかに効率よくその子供のじゃじゃ馬度に合わせた叱り方ができるのかという行為になるはず、と。


 子供の世話をするその姿を見ながら、和頼はそんなことを考えていた。



 何日かの話し合いとやり取りの結果、六人の子供達が養子縁組となった。

 子供を捨て、人生をやり直すと決心したまだ若い母親達は、和頼の会社に勤めつつ、更には高額なお金を得て、自分の人生へと舟を漕ぎ出す。

 そこに文句などない。充分話し合った。


 しかしどうしても一つ引っかかるのは……、なぜ、まったく関係のない和頼(じぶん)が、子供を養子にしたいとも望んでいなかった自分が、六人の親として、という疑問だった。

 しかも、各家族に相当な額のお金をただであげている。

 子供を譲り渡す親や親戚相手には分かるが、それだって話変わればこっちがお金を貰ってもおかしくはないこともないと。


 更に、梓、茜、恵も居候として加わることになり、八畳の瞳の部屋で、十一人が立ち尽くした。


 そんなこんなで、新たな家が見つかるまで、皆で茜の持ちビルへと逃げるように引っ越すと、急いで新居探しが始まった。

 これが美輪家の始まりで、約七年半前のことであった。






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