十二話 車窓の内側
朝まだ暗いうちから車に乗り、指定された場所へと向かう。
車の中では子供達が和頼に寄り掛かってぐっすりと寝ている。和頼は、静かな声で星丘や運転手と話していた。
「あの烏、和頼さんが居ないとなれば、また襲撃してきますよね?」
「まぁ、そうなるかぁ。にしても執念深いよなぁ、もう結構経つのにね。恩を覚えているくらいだから、恨みとなると相当かもな。銀錠さんと友居さんは特にね」
「あははっ、あいつらはやり過ぎましたからね」
運転手もにこやかに笑っている。
「そうそう、前に和頼さんが言ってたカツラと女装作戦は有効で、やつら一応、疑ってはいるみたいですけど攻撃はしてきませんよ」
いかに烏が賢いかという会話と困っているというそれが、笑い話として続いた。
「それより、れせお嬢様のご機嫌はどうですか?」
「ん~ん。やっぱりまだショックのようだね」
「そうですか。せっかくの一泊旅行ですし、元の笑顔が戻るといいですけど」
和頼も星丘も運転手も少しだけ心配していた。
何て事の無い些細なミス。誰が悪いわけでもないと言えるような事故。
今から二日前の夜、それは起きた。
茜ともえみが騒いでいた。
何事? と皆が集まると、あの運動会の打ち上げの日に買った自動掃除機が壊れていた。購入してまだ四日。
壊したのはれせだという。自ら申し出てきて凄く反省した感じだ。
基本、美輪家の子供達は凄く物を大切にする。
金額とは関係なく、例え壊れても修理してまで使うほどだ。その理由は単純で、パパである和頼が買った物だからだった。
教科書や思い入れの無い物は良く失くすし、置き場所も忘れる。しかし物によっては別だった。
今回も壊れたなら直せばいいと言いたいが、それは不可能だった。皆の目の前で粉々に砕け散っている。
何をどうすればこんな破壊が出来るのか……、クラッカーだ。
話はどこにでもあるようなことだった。
れせが興味本位で自分の部屋を掃除させていた。
しばらくは見て微笑んでいたが、自動で掃除するロボをおいてキッチンへ飲み物を取りに行った。そこで和頼と立ち話。
その隙に、ロボはれせの部屋を勝手に抜け出し、クラッカーは勝手に上の階へと上がり、そこで鉢合せ。
当然、番犬であるクラッカーは猛攻撃。
家族を守る為に得体の知れない未確認ロボを撃破。
そのおかげでこんな事態になってしまった。
クラッカー自身も首を傾げていた。
もしかして自分は悪さしたことになっているのかと。
ここは一貫性を持たせる為に、一応頭を撫でると、クラッカーも「でしょ」といった顔で子供達や茜、恵の顔色を、上目使いで見る。
皆も、クラッカーを責めても仕方ないし、れせを責める訳にもいかない。なにせ自動掃除機とは、傍に居なくても勝手に掃除する物。
普段はリビングやキッチン辺りを掃除させていて、その時はクラッカーを外へ出すか繋ぐかにしてある。
しかし、上の階には余程のことがないと上がらないクラッカーが……異変というか、変な物音に反応したのだろう。足音で誰か分かるクラッカーにしたら、それは当然だった。
少し前からこの自動掃除機の音には、不愉快さを感じていたに違いない。
なにせ繋がれたり外に出されるとしてくる不快な音。
そして得体の知れない不審な音でもある。
何をどう考えても誰も悪くない。なにせまだ買ったばかりで誰も慣れていない。
誰も何も言わないことで、れせもクラッカーも不完全燃焼、どうしていいか分からないようだ。
クラッカーも、普段はすぐ忘れてしまうのに、ここ二日はれせに付っきりで媚びを売っている。
れせもクラッカーに優しく接して……悪循環が続いていた。
「そろそろ着きそうですよ。どうします? あの車の後に続きますか?」
「そうですね。誘導してくれているし」
数台の高級車が、とある駅の駐車場へと並んで止まった。
「それじゃ、なにかあったら星丘さんから連絡行くので、その時は路線をショートカットして迎えに来て下さい。まぁ、何もないとは思いますけど」
和頼の台詞に運転手が頷く。
時刻表と予定表を見ながら、運転手と星丘が列車の動きを確認してく。和頼は、寝ている子供達を優しく揺り起こす。
「みよ、まやか、もえみ、なずほ、ゆりな、れせ、起きて。電車に乗ったら、また寝ていいから、少しだけ起きて歩いて」
和頼は一番眠たそうなれせだけを、お姫様抱っこで車から降ろした。
するとそこに、他の車から下りてきた者達が集まってくる。
「どうも美輪さん、今日は来て頂き有難う御座います」
「おはよう御座います。寒いですね。子供達が風邪ひかないように、先に電車に乗りませんか? 挨拶はその後で」
和頼の言葉に確かにと大人達が頷く。
どこの家の子供も皆眠たそうだ。どうにか自力で歩いているが、瞼は半分閉じ、思考も停止している。本当なられせの抱っこに文句が出ているはずだが、子供達は寒さと頬をなぞる風に「起こさないでよ」と眉をひそめる。
電車に乗り込み、まだ誰が誰か分からない状態のままで、子供達を割当てられた部屋へと連れて行く。
「結構広いなぁ」思わず驚きが口に出る和頼。
電車のサイズは決まっているし、いくら頑張っても車両が自体が大きくなることはない。大体の予想はしていたが、想像の遥か上をいく広さと豪華さだった。
眠たそうにする子供達を大きなベッドに寝かしつけていく。まるで美輪家の為に用意したかのようなベッドサイズ。壁から壁まであり、横に落ちる心配もない。
ふかふかのベッドに並べたあと、柔らかく高級な毛布と掛布団を被せる。
「パパ? どこ行くの? 一緒に寝ようよ。眠いでしょ?」
「はいよ。それじゃちょっと寝ようかな」
そういって子供達の間へと入る。
窓の鍵などの安全確認や、ベッド、部屋などを見て、子供達の頭を撫でる。
上半身を起こし窓壁に寄り掛かると、一息入れる、と、外の冷たさが背中に染み込んでくる。それを部屋の入り口から星丘が見ていた。
「和頼さん。荷物どこに置きますか?」物凄く小さな声で囁く星丘。
その言葉を聞き取れなかったが、元々ジェスチャーで意思の疎通を図るつもりのやり取り、和頼はそこの端にお願いしますと合図を出す。
一分もしないで子供達のスヤスヤとした寝息が聞こえてきた。カーテンを閉め、ベッドをあまり揺らさないように這い出す。
そして部屋の入口に立つと、もう一度部屋の安全確認をする。
「それじゃ、俺は皆に挨拶してくるから、子供達のことを宜しく頼みます」
星丘にそういうと和頼はその場を後にした。
部屋を出ると、他の家族も子供や荷物などを部屋へと移し入れ、ゴタゴタと行き交っていた。その細い廊下を抜け、別の車両へと歩く。
「あ、美輪さん。どうですかお部屋は? 狭いかと思いますが一日だけお付き合い下さい」
「いえ、思ったよりも広いので驚きました。電車ってこんなにも広いンですね」
和頼の笑顔に相手も凄く嬉しそうに笑う。
お互いにどうやって挨拶をしようかと数秒ほど立ち尽くしていると、何やら外が騒がしい。
視線を窓の外に向けると早速何かのトラブルが起きている。船の時もそうだったが、どうやら招かれざる客が押し寄せてきているようだ。
しかし今回は、前回とは比べ物にならない深い理由がある。
運動会の打ち上げの日、この列車の旅が決まるや否や、仲込家の会社の株価が急上昇してしまった。
ネット放送の影響かどうかは分からないが、この情報を得た者によって新たに株の売買が始まったのだ。
翌日には更に跳ね上がる。毎日異常なほどに昇る。逆に、あの場に居て省かれた者達の株価は下落した。それも相当に。
和頼は経済新聞も読まないからそういうことに疎いが、それでも色々な所から耳に入り込んでくる。
ここへ押し寄せてくるのは、旅行うんぬんというより、会社と家の未来の為だ。
もしかしたら船の時もすでにそうであったのかも知れないが、今までこういったことに一切参加しなかった美輪家が、二度も動いたとなれば話は変わる。
全て自分だけでイベントをこなし、独自の会社関係のラインを築いていた美輪家が、他の者とこうして仲良く遊び始めたとなればそれは大事であった。
学備学園の系列だけでなく、このことは既に多方面まで轟いている。
イベント一つにしても、和頼はお金儲けをする気がなく、敢えてばらまくようにしているが、そこに少しでも絡めたらそれだけで数億の価値となる。現にこの列車の旅でさえ、仲込家の自社株は相当な上昇をし続けている。
この機に動けば、新たな株式発行で資金調達し、新事業や海外進出と、大いに手を広げるチャンスがある。
「仲込さん。出てきて話して下さいよ。ズルイですよ、私だって――」
外から響く声に、和頼が反応した。
仲込の肩をポンポンと叩き「子供達が起きます」そう言って表へと走っていく。駅のホームへと飛び出すとすぐ、唇に指を立て「シー」と告げる。
いきなり和頼が飛び出して来たことに、そこで騒いでいた者達が少し仰け反る。
「子供達が寝ているので、お静かにして下さい。お話し合いは、小声でもできますよね?」
和頼の台詞に皆が済みませんでしたと深く頭を下げる。外の暗さからしても当然そう感じられる話だ。
出発までの時間は、あと一時間弱ある。
和頼の後を少し遅れて仲込が出てきた。その途端、皆が群がる。そして小声で、何かを愚痴り出した。
和頼はこの寒空の下、母親の横で寒そうに立っている子供を見た。
「寒くない? まだ眠いよね? あの……ここじゃ絶対に風邪を引きますよ」
母親がそのセリフにうろたえる。しかし、車に戻る訳にもいかないといった感じで、交渉する旦那の背中を見ている。
車に戻って列車を見送るはめになるくらいなら、わざわざこんな遠く他県まで足を運んだりはしない……。だが戸惑ってもいる。
他の家族もぞくぞくと現れる。見覚えのある顔ぶれも。
「美輪さん――」
「シィ~。お静かに、小声でお願いします」
子供が寝ていますのでと頼み込む和頼。
分かりましたと頷く大人達。そしてそれが伝言ゲームのように後ろへと伝わる。
大人はいいとして、子供達を見ているとどうしたものかと思う和頼。しかし、船の時と違って、この列車に、この子供や家族を余計に乗せるなど不可能。
それこそ満員電車のように、立って揺られる覚悟があるなら別だが、そんな覚悟を見せられても車両が一つ潰れるだけ。
そしてそんな場所にわざわざ入るのは御免だ。つまり無理と結論づく。
仲込家と他の家々が話し合い、駆け引きをしている。それを電車の中から覗いている家族もいた。
大学のネット放送の者や料理を作る者など、関係者達が何度か出入りし、書類を見ながら持ち物を確認していた。
発車までの時間は十分を切る。
「美輪さん。そろそろお入り下さい。私ももう少し話したら入りますので」仲込の指示で和頼は電車内へと入っていく。
話し合うそれらを尻目に見ながら、立ち去る和頼。
ここで負ける者達は、いずれその綻びから、貯めたダムが決壊するように堕ちていくのかもと感じていた。
そんな未来が本当に来るかは別としても、争っている相手がいて負けるということは、つまりそういうことになる可能性は充分にある。
学備学園内には、いくつもの派閥があり、そのどこに所属し、そしてそれが無事に大学を出るまで優位でいられるかで、会社や家の存続が大いに動く。
敵対する派閥はすべてライバル企業同士。そこでの負けは――そういうことだ。
実際は、学備学園内の闘争よりも、別の学院などに通う、本物のセレブ達の方が絶大であり、間違いなく学備学園で深い絆関係を築けなかったケースは、社会競争に淘汰されていくだろう。
一週間前までは気にも留めなかった和頼も、今では親達の駆け引きを、ボードゲームでも見るような気持ちでみていた。これは生き残りをかけた試合なのだと。
和頼が電車に乗り込んですぐ、仲込も群がる者達を振り払い乗り込んできた。
電車の出入り口まで付いて来たそれらは小声で不平不満を言うが、一分もしないで電車のドアが閉まった。そしてそれらを駅のホームへと残し、電車はゆっくりと走り出した。
徐々に遠ざかる親達が、一つずつ窓枠から後ろへ消えていく。
「ふぅ。本当、しつこくて大変でしたよ。自分達のことは棚に上げて、皆が皆、好き勝手言うものですから、正直参りました。息子が一年生の時からウチを目の敵にしてきた者まで居て、手の平を返したように馴れ馴れしく――」
仲込が自分の選んだ家族達に説明をしていく。
和頼も何となくそれを聞いている。
船に居た家族でこの電車に乗れたのはたったの二家族だった。吉形家と豊増家。
「挨拶が遅れましたが、今日はお越し頂きありがとう御座います」
仲込家の挨拶に皆も挨拶する。
お互いに顔も名前もどんな仕事先かも知っている感じだが、和頼はまったく認識がない。正確に言えば、向こうは知っているが、和頼だけが知らない。
「美輪和頼と申します。まだ皆さんとお話したことないですけど、今日は、宜しくお願いします」
「是非、こちらこそ仲良くして下さい」
和頼の挨拶を聞いて、順番に自己紹介が始まった。
「仲込陽時の父、朋彦と言います。そして妻の凪紗――」
仲込陽時。父、朋彦。母、凪紗。
銭葉卓賭。父、紳作。母、亜美。
金築泰成。父、賢造。母、由佳。
貸積之也。父、貢流。母、節子。
甘値涼。父、祥吾。母、茉莉。
宝生秀磨。父、伸雄。母、帆波。
古堂乃子。母、初希。
束咲留寧。母、悦苗。
益来果鈴。母、妙。
そして吉形綾音。父、秀行。母、美絵。豊増奈緒。父、健輔。母、遙香。
簡単な自己紹介も終わり、運ばれてきた飲み物を受け取ると、和頼は冷えた体にあたたかなコーヒーを流し込んだ。
「おいしい」思わず口に出てしまう味わい。
「お口に合いましたか? それは良かったです」仲込が嬉しそうに和頼を見る。
和頼は味わいながらそれをすする。自分が普段飲んでいるインスタントコーヒーとは格が違う代物だと匂いでも味わう。仲込は、和頼のそういった仕草に、値踏みされていくようで緊張していた。
それぞれが遠慮気味に話ながら様子をみる。
ここに居る者達は、互いを知ってはいるものの、同じ学校に子供を通わせているという以外の繋がりはまだない。
もうすぐ五年生の冬になろうとしているのに、派閥でさえなかった。それぞれがどこかに属してはいそうだが、多分この先、離脱するのだろう。
会社名を聞いても経済に疎い和頼にはピンとこないが、古堂家と束咲家と益来家がシングルマザーの家庭だと知って驚いていた。
話を聞いていると、学備学園にはそういう家庭が多くあり、シングルの者だけで組織された派閥もあるようだ。しかし、学備学園に通うだけあって女性のシングルはいるが、男性のシングルは和頼ただ一人であった。
つまり、お金があるから、男はすぐに新たな妻が見つかる。
そして女性側も、お金があるから、無理に変なパートナーを選ばない。最低でも一度失敗している教訓からだろう。
他愛もない会話が続く中、やはり皆は和頼に聞きたいことがあるようだ。何がというより、何もかもが不思議に映っている。疑問しか湧かない。
美輪家の存在は、各方面からそういう目で見られている。一体、何者だろうと。
茜や恵の存在も然り、様々なイベントごとや美輪家を取り巻くいくつかの会社も然り。
それが直接和頼の利益に関係していないことが何よりの疑問。
世の中には他社を呑み込み買収することもざらにあるのに、逆に細胞が分裂していくように他者へと与える。これと同じような関係性は、師弟関係のある手に職的な職業で見られるが、大企業ではまずない。
普通は裏切りでの独立となる。職人稼業とは仕組みが違う。
しかし和頼は、最初から別会社として援助し支援する。株も一切しないクセに。
弁護士、税理士、海外通訳会社、旅行会社、他にも多数ある。
茜の託児所も、始まりである瞳のお弁当屋でさえそうであった。
和頼が持っているのは、恵と働くデザイン会社のみ。
「そう言えば、美輪さんの新作を予約しましたよ。凄く楽しみです」
「どうも。ご期待に添えるといいですが」愛想笑いで答える和頼。
「私も予約しましたよ」
和頼はそう言った者達の服が自分のデザインしたスーツだと気付いた。
和頼は、男性用と子供服しか受け持っておらず、女性用はすべて恵と幹部の女性社員が担当していた。鞄や靴や小物などもデザインしている。
ちなみに、スーツなどは、全て百万円以上の価格しか扱っていない。つまり、今ここで着ている服は、最低でも百万はしている。
「一度着ると他のものは着られなくなりますよね」
褒め言葉に少しだけ照れる和頼。
高級ブランドとして知られている和頼の会社は、一般人では到底手が出せない。なにせ最低価格が軽自動車と同等。
ブランド品のバッグや時計で数百万円というのはよく聞くが、まったく知名度がなかった頃から、いきなり高額な定価。
商売する気あるのと、何度も恵にたしなめられたが、今では女性物商品の方が、とんでもない価格に跳ね上がっている。えげつないほど。
警備会社の幹部は全て、年に二回、和頼から制服として高級スーツをプレゼントして貰える。イベント会社も弁護士や税理士達も。
恵も、自社の幹部や茜の託児所で正社員として頑張っている子に、和頼を真似てプレゼントしていた。
イベントの参加者で、最多賞や頑張った賞などでも、高級な服をプレゼントし、見るからにオタク君が、百万円相当のオーダーメイド服を数着所持していたりと、とんでもない状況もある。
ネットや雑誌で話題というよりも、シンプルに物もセンスも良く『これが安ければ』と手が届かないことを悲しむ者が溢れている。テレビに出るような者でさえ、なかなか購入できない。
二、三十万程度ならいいが、いや、五十万でも、しかし最低が百万円。それもスーツのみで。
和頼の作ったブランドマークが入る服を見ると皆が振り返る。
それが鞄でも、ネクタイ一つでもそう。
大量生産せず、すべてオーダーメイドで顧客の寸法と細かなデザイン調整をして仕立てる。
デザインは、軍服とスーツを足して、アニメで描かれそうなおしゃれ要素を加えた上で、現実社会にとけ込むようなソフトさを考慮し、今度は無駄を削ぎ落とす。
あくまでスーツに近づける。
基本、子供の為にデザインしているから、アイデアの絞り出し方がアート的になってしまう。
話が飛びながら不器用な雑談を繰り広げていると、大人達が群れるそこへ一人の女の子が歩いてきた。
「ママ、なんか眠れないよ」
「あら、どうしたの留寧? 眠れないの? 寝ないとダメよ、まだ五時よ」
時刻は朝の四時四十四分。まれに見るゾロ目時間。
車での移動などを考えれば、睡眠も浅かったであろう。七、八時まで寝ていてもいいくらいだ。
束咲留寧は眠い目を擦りながら、母親である悦苗の横へと立ちフラフラとする。
大人達はその光景をお構いなしに、自分達の話を続けていく。
相当な語り好きだ。
「お嬢ちゃん、寒いからこれを着てなさい。それとホットミルクでも飲もうね」
和頼は席を立つと、自分の着ていた上着を留寧に掛け、売り子の様な台車を引くスタッフに、ホットミルクを至急持ってくるよう注文した。
「あ、スミマセン美輪さん。なんか気を遣わせてしまって」悦苗が会釈する。
和頼は愛想笑いでそれを流すと、留寧の頭を撫でて自分の席へと戻った。大人達の話が続く中、和頼は自分の子供達はちゃんと眠れているか気になりだす。一方、その場にいる母親達は話し込む男達をよそに、和頼のことばかりを見ている。
「お持ちしました美輪様。ホットミルクで御座います」
「いやいや、俺じゃなくて、そこの御嬢さんに。頼むよ」
スタッフが「申し訳ございません」と留寧へ向かうが、眠たそうにしている留寧は少しだけ愚図るように、それを無視して立ち尽くす。
数回ミルクを渡そうとするが、受け取らないことで、スタッフがミルクを下げようとした。
「ちょ、ちょ、待ちなさいって、受け取るワケないだろ? 眠いンだから」
そういって和頼がもう一度席から立ち、ホットミルクを受け取る。
「少し冷めてしまっていたらお取替えしますけど」
和頼は、そんなトコで変な気を遣わなくていいと、言いたい気持ちを呑み込み、愛想笑いでスタッフを払った。
ホットミルクは大抵熱過ぎるから、少し冷めたくらいでもまだまだ火傷する熱さだと、コップの中を覗く。
上には薄い膜が出来ていて、揺らすと軽くシワが波打っていた。
「えっと、ルネちゃん? でいいのかな? これ飲むと眠れるよ」
眠そうに立つその前で片膝を付き、そう言ってコップを差し出した。
留寧は恥ずかしさと眠さからか、目を擦り無言でいる。和頼は近くに置いてあるスプーンで少しかき混ぜて、温度を確認する為にスプーンからすする。
「うん、熱くない。でも……」少し首を傾げた和頼がもう一度スタッフを呼んだ。
「このホットミルク、お砂糖入れてある? 少し薄いけど、できたら取り換えてきてくれますか」
その依頼に、すぐにと走って行く。
和頼の舐めた感覚では、ほぼ無糖。ただの温めた牛乳。
正直美味しくはなかった。大人でこれでは子供の口には絶対に合わない。
すぐにスタッフが戻ってきた。
先程のコップと同じか確認する。見た感じは別のような気が。和頼は、今渡した物に砂糖を入れてレンジで軽く温め直した手抜きかどうかを覗く。どうやら新たに作り直した物だ。
水面に出来た膜が違うし、色も濃い。
「あ。これは熱いから、ふぅふぅしないと火傷しちゃうね。おじちゃんが冷ましてあげるからちょっと待ってね」
そう言ってスプーンですくう。と、味が気になったのか留寧の目の前でパクリと飲む。
「うん。いいね。今度は美味しい。あ、ちょっと、スプーン換えて下さい」
新しいスプーンに換えてもう一度冷ます。そして留寧の口元へと運ぶと、留寧も和頼と同じようにパクリと飲む。
「おいしい。私、ホットミルク飲んだの初めて」嬉しそうに笑う。
そうなの、と頷きながら何度もスプーンを留寧の口へと運ぶ。おいしそうにまだ熱いミルクを飲んでいく。
クリーミーな甘さでか、体が温まってきたからか、留寧は眠たそうにしている。
「そろそろ眠くなってきたよね。それじゃママにお部屋に連れて行ってもらう?」
和頼の台詞に、首を横に振り「ここでママと居る」という。悦苗は「我がままを言っちゃダメよ」と少しきつく叱るが、留寧は眠たそうに愚図る。
他のお母さん方も、子供を気遣って「お部屋に戻ってお寝んねした方がいいわよ留寧ちゃん」と笑顔で心配する。
仕方なく悦苗が留寧を連れて行こうとするが、寝ぼけた様に嫌がる。
悦苗は自分が座っていた席が他の誰かに取れては困ると焦りながら、拒む娘の服を引く。と、留寧は、目の前で跪く和頼にしがみ付いた。
「行きたくないのかな? でも……眠いでしょ?」
和頼の問いに眠くないと首を振る。
しかしどう見ても半分寝ている。子供特有の愚図りなのか分からないが、留寧の服を引く悦苗に目配せし、和頼は留寧を抱きかかえた。
「それじゃ、少しこうしてママの傍に居ようか」
和頼が抱っこしたまま悦苗の横に並ぶと、悦苗が「すみません。普段はこんなに聞き分け悪くないのですけど、どうしちゃったのかしら」と謝ってきた。
留寧の顎を肩に乗せ、揺れながら背中をポンポンとする、と、数秒で寝息が聞こえた。やはり相当眠かったようだ。
それにしても、見知らぬおじさんに抱っこされて眠れるということは、相当睡魔に憑依されていたか、もしくは和頼に心を開いていたか。その両方か。
小学五年生とはいえ、まだまだ子供。精神は幼稚園児に毛が生えたようなもの。
ちなみに、ここで言う毛が生えたとは下ネタではない。
和頼に凭れかかって、ぐっすりと胸と肩に沈む留寧。
立ったままその場の話を聞いたフリをしている和頼が、留寧をベッドで寝かせてあげたいと思い始めた時、通路の方から別の子供が歩いて来た。
横には執事が付いている。
「なにママ? 呼んだ」
「よ、呼んでないわよ。どうしたの乃子ちゃん、あなたも眠れないの?」
古堂乃子が目を擦りながら、大人達の後ろを通り母親の傍まで歩く。
「あらぁ、起きちゃったの。どうしましょう。あなたもホットミルク飲む?」
「ミルク? ん~おいしいなら飲む。でも寝る前はお漏らしするから、駄目なんじゃないの? 今日はいいの?」
乃子が寝ぼけながら母親の初希へ問いかける。それを初希が誘導していく。
スタッフがホットミルクを運んできて、それを初希が飲ます。
「アツッ。ママ~これ熱いよ~」
「そうね、熱いからふぅふぅしないと」
乃子が戸惑いながらミルクをすすっていると、更にそこに別の子が来た。
「あら、うちの子も起きて来ちゃったみたい」
「なに? どうしたのママ。何かあった?」
執事に連れられ、益来果鈴が歩いて来た。
夢中で話していた大人達が、その光景に、ようやく話を止め、眠れない子供達を心配しだした。
「あ~、電車は揺れるからね、子供には眠りづらいのかな? サラリーマンなんて立ったまま吊革に掴まって寝ちゃうけどね。アハハハッ」
「電車の揺れは寝やすいですよ。最近は殆ど乗らないですけど、若い頃は、仲間と海水浴に行った帰りなんてぐっすりでしたよ。ハッハハァ」
それぞれが、電車は寝やすいとか自分はどうであったと話だし、また徐々に会話に戻っていく。
母親達は、ここへと来た子供達と、揺れる和頼を交互に見ては、様子を覗う。
「ママ……私まだ眠いよ」果鈴が母である妙に訴える。
「そうよね。どうしよう? あのぅ、美輪さん、うちの子も眠たいみたいなンですけど、なんか困っちゃって。ホントすみませんホントに。どうしましょう?」
和頼は留寧の背中を擦りながら、乃子と果鈴を見る。
「それじゃ、お部屋の方に行きましょう。ウチの子も気になりますし」
和頼の台詞に、何かが違うと、初希と妙がうろたえる。
他の母親はその光景を見て、まるで昔話の読み聞かせに出てくる、良いお婆さんと意地悪なお婆さんのパターンみたいだとクスクスとしていた。
もちろん和頼は、そんなことには一ミリも気付かず、抱っこした留寧が起きないように揺らし続けていた。
和頼を先頭に歩く。母親に「お部屋はどこですか?」と聞きながら、電車の連結部分に注意して進んでいく。
「あ、ここです。どうも有難う御座います。迷惑をおかけしてスミマセンでした」
小さなベッドに留寧を優しく寝かし、和頼は通路へと出た。
用意された美輪家の部屋とは、大分規模が違った。もちろん美輪家は子供が六人もいるから、小さなベッドを用意されても困るけれど、待遇の違いは相当な差だ。
細い通路で子供と母親が話し込む、その横をすり抜け、和頼は星丘の立つドア前まできた。
「何度か確認しましたが、お嬢様達はぐっすりです」
「ありがとう。星丘さんも少し休んで下さい。俺も少し寝ますから」
そう言って和頼は部屋へと入って行った。
ゆっくりとベッドに忍び込むと、子供達が匂いを嗅ぎながら和頼を探す。
目も瞑っているし寝ているが、手探りで求めている。
既に温まったベッドに入ると、和頼も一瞬でそこへ溶けていく。
留寧を抱いて揺れていた間に、眠る準備が出来たようで、あっという間に眠りの淵へと落ちていった。




