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花冷える君の



「ヒック……、ヒック……」

 78回、79回。

「ヒック……、ヒック……」



 私は公園のベンチに一人で座って、しゃっくりの数を指折りかぞえていた。こんな世界ならいっそのこと、しゃっくりで死ぬのもありだなという結論に至ったのだ。だから私はもう両耳に人差し指を刺し込むことも、水筒のコップの奥側から飲むこともしない。ただただしゃっくりに身を委ねている。処刑場に続く13階段を登っている囚人のような気分だ。



 87回、88回。



 空を見上げると、星が綺麗に輝いていた。今夜は月の監視が薄いので、星たちは思う存分夜空のプールで泳いでいる。北斗七星が見えた。小学校の頃、理科の授業で先生が黒板に書いて教えてくれた。7つの星を結べば、フックのような形になる。私が唯一分かる星座。最後に見ることが出来てよかった。


 91回、92回。


 もうすぐこの世界とはおさらば出来る。そういえば、しゃっくりで死ぬ場合は苦しいのだろうか。それとも温かいのだろうか。優しかったらいいのにな。

 もう折る指もなくなってきた。死が近づいてくる。なんだかポロポロと涙がこぼれる。最後に、伝えておけばよかった。もっと早く、自分の気持ちに気付けばよかった。だったら、ハルはずっとハルのまま、ずっと一緒にいられたかもしれないのに。


 私が好きだって言ったらどんな反応するかな。また歪んだ笑顔を見せてくれるのかな。それとも照れて黙るのかな。喜んでくれるかな。

 私にだけ見せてくれる、あの歪んだ笑顔だったら、いいな。



 95回、96回。



「……ユキ!」

「ハル……。なんでここに?」

「お前んち行って待ってたけど、帰って来ないから探してたんだ」

 ハルは着ている服を汗まみれにして、息を乱していた。きっと走って探してくれたんだと思う。嬉しかった。



「またしゃっくり出てんのかよ。止め方……教えたろ?」

「ヒック……。ううん。大丈夫。あと3回で100回目を迎えるから。それでいいの……ヒック」

「……相変わらず、単純で、思い込みの激しい奴」



 97回、98回。



 このとき私はデジャブに襲われていた。そういえば、私がまだ幼稚園に通っていたとき、同じようなことがあった。しゃっくりを数えられて、100回目を迎えそうになったとき、ハルが止めてくれたんだ。だから私は助かったんだ。

 でも、もう遅い。どんな方法でも助からない。耳を指で防いでも、一分では絶対に間に合わない。



「ヒック……それって、まるで私がバ」



 99回……。



 100回目を迎えるとき、私は望んだ優しさを感じることが出来た。

 そういえばあのときも、同じようにしてしゃっくりを止めてもらった。もう随分昔のことだったから忘れていた。


 私の唇に柔らかいものが触れた。


 それは一瞬だったから、とても温かくて優しかった。そうだ。私はあのときも、キスをして止めてもらったんだ。それで驚いたんだ。だから今まで安心して生きてこれたんだ。



「……なに……してんの」

「死んだら困るから」

「……バカじゃないの?」

「あぁ、バカだよ」



 私はキスの感触を忘れないように、そっと人差し指で自分の唇に触れた。まだハルの体温が残っているような気がした。体の中が熱くなった。ハルは黙って目を逸らした。恥ずかしくなったとき、いつも目を逸らす癖を私はよく知っている。ハルが唇を拭うことはなかった。しゃっくりが止まってしまった。私は死に損なってしまった。


「……ほんとバカね。あんたには、あんなに綺麗な彼女がいるのに」

「どこの誰に綺麗な彼女がいるって?」

「……へ?」

「断ったよ」

「なんで……?」


 ハルは大きな大きなため息を吐いた。それはまるで私への当てつけみたいで。


「好きな人がいるって断った」

「え?」

「オレ、ユキのことが好きなんだよ。小さいときから、ずっと好きだった」

「ええ……? 私のことが好きなの?」

「好きでもない女にキスなんてするかよ」



 ハルは今まで見たことないような顔をした。男の子の顔だった。



「私も好きよ。ハルのこと」

「うん……」


 あぁ、好きって言われて、うんって答えちゃうところが、ハルっぽい。

 そういうところが、好きだよ。




 * 



 *



 *



 *




 そんなこんなで、私は夏を迎える。今年は夏のことを少しは好きになってあげられるかななんて思っていたけど、いざ迎えてみるとやっぱり嫌いだった。クーラーがかかった部屋から出られそうにない。ハルも私と一緒にこの暑さに負けて横になっている。


「遊び盛りな男子高校生が部屋でこんなにダラけてていいの?」

「それはユキも一緒だろ。遊び盛りな女子高生が部屋でダラけてていいのかよ。しかもスッピンで。仮にも彼氏の前だってのに」

「あんたは特別よ。それにここは私の部屋だし。外に出かけるときはちゃんとするよ」

「喜んでいいのか分かんないな」

 ハルが寝返りをうって私の目を見つめた。私もそれに応えるようにハルの目を見つめる。



「ねぇ、ハルがみんなの前では私のこと西田って呼ぶのに、二人のときにユキって呼ぶの、好きだよ」



「……ヒック」

「あ、しゃっくり」

「……ユキのがうつったんだよ」

「治してあげよっか」

「いらん」



 あのね、しゃっくりはうつらないと思うんだ。でも、もしも本当にそのしゃっくりが私からうつったものだったら、ちょっとだけ嬉しいな。なんて言ったら、私がバカみたいだね。



 私たちはクーラーのかかった部屋で昼寝をした。目が覚めたころには外の世界は朱く染まり、夕暮れを迎えていた。眠気まなこを擦っていると、薄い布が掛けられていることに気がついた。ハルはまだ隣で寝ている。


 私は少しだけ夏のことを好きになれた。あと何回一緒に季節を迎えることが出来るのだろう。たくさん迎えられたら嬉しいね。


 私はハルが掛けてくれた布を、今度はハルに掛けた。

 人を愛することがこういうことだったら、私たちはちゃんと愛しあえているのだと、そう思うよ。笑われてもいいよ。ちゃんと二人で作ろうね。



 ハルが見ている夢と同じ夢を見るために、私はもう一度眠りについた。

 そのとき見た夢は、目が覚めたときに忘れてしまった。



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