表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/5

夢の話

 人が夢を見るメカニズムを知っているだろうか?

 人の睡眠は、その深さによってふたつに分けられていて、眠りが浅い状態、レム睡眠時に、夢を見るのだ。

 では夢の内容はどうだろう。古くは夢は神さまのお告げや妖精、悪魔の仕業と解釈されることが多かった。それが時代が経つにつれ哲学、心理学などと結び付けられ、現代では脳科学や神経生理学などに理由を求められる。それらは深層心理であったり、集合意識、過去の記憶、願望などと解釈されている。

 しかし、どれほど研究が進んだ現代でも、人が夢を見る理由については、いまだ確たる論拠は認められていないのだ。


「そもそも、夢とはなんでしょう?」

 彼女が聞く。

 聞くというよりは、これから話す内容の前振りのような、疑問の提示だった。

「夢、と一言に言っても、意味が違ったりしますよね。寝るときに見る夢と、将来の夢。これらが同じ単語で使い分けされているのは、日本語に限った話ではありません。おそらくは、夢という単語が、言語がつくられた時代では、この二つは同義だったのでしょう」

 耳から入って脳髄を揺さぶるような蠱惑の声。

 見た目も美しい少女ではあるが、なにより人の心を捕らえて離さないのは、その声のほうだ。

 聞き惚れる。陶酔してしまう。

 夢の中でさえ寝てしまいそうになる、魔性。

 もしも音に色が付くとしたら、やはりこの声も真っ黒なのだろう。彼女と、彼女を取り巻く世界のように。

「あなたは夢を見ますか? それは、どういった意味で?」

 少女が虚ろに笑う。

 黒く、暗く、黒く、黒い。

 さて、と考える。

自分は、上代禀じょうだいりんは夢を見るか―――



 その日、禀は夢を見ていた。

 夢を見ている間にそれが夢であるとわかる、それを明晰夢、覚醒夢などというが、この日禀が見た夢はまさにそれだった。

 一目で夢だと理解する。

 理解してすぐに、一刻も早く覚めてくれと願った。

 そこは地獄だった。

 血の池や火の川や針の山、鬼に閻魔にしゃれこうべ。そういったわかりやすい恐怖がある訳ではない。

 というよりなにもなかった。光すらもない、完全な闇。くらやみだけが、そこにはあった。

 暗所恐怖症ではない。人並に暗がりを恐れはするが、一人で夜中にトイレに行くくらいなら全く怖くない。

 だから禀は、このくらやみが怖いのではない。

 完全な無の世界に、心が耐えられないのだ。

 大声を出しても虚空に消え、目を閉じても開けても視界は変わらず、手足を振り回したところでぶつける物もない。

 自分がここにいるのかさえあやふやになる。

 意識に闇が浸透する。まともな思考能力は失われ、ただ、何事かを喚き続けた。

 こんな場所には、一秒だって耐えられない。人間は、生物は、その精神はこんな極限の地獄に耐えきれるようにはできていない。

 だから、その場所にいたのは本当に一瞬だったに違いない。そもそもが夢だ。体感時間など永遠に引き延ばされる、邯鄲の夢。



 最初に見えたのは黒だった。

 視界一杯に広がるくらやみで、黒い影が蠢いた。認識などできるはずもない影。それでも、全ての意識が集中する。

 一面の闇が揺らぐ。

 その揺らぎを、禀の全てが渇望した。

 助けてほしい。

こんな世界から抜け出したい。

なんでもいいから、存在していてくれ。

開けているのか閉じているのかすらも曖昧になった目が、涙を流した。頬が濡れる。しかし光のない視界は滲みもしない。

喉の奥から、声にならない声が漏れた。

必死に揺らぎに手を伸ばす。その手すら闇に呑まれて禀には見えなかったけれど。

揺らぎが大きくなっていく。それは禀の望みによって増幅しているかのようだった。

そうして、それは現れた。

周囲のくらやみから、輪郭が剥離する。

闇より黒いそれは、ふと禀に気が付いた、というように微笑んで、言う。

「あら、はじめまして。わたしの世界にようこそ」

 闇よりも黒い、長い髪を腰まで垂らしている。着ている服もまた、世界に同化するような闇色。深淵の色を灯す瞳でこちらを見ている。ただ、肌だけが懐かしくなるほど白かった。

「あら? あらあら、どうかしましたか? そんなにぼろぼろ泣いて、どこか痛みます?」

 心配そうに、とはお世辞にも言えない。とても楽しそうに、黒い少女は言う。

 禀はごしごし手で涙をぬぐって、震える声で言う。

「こっ、ここ、ここはなんなんだ……っ。早く返してくれ……っ」

 禀の言葉を聞いた少女ははて、と首を傾げた。

「ここ、というのはつまり、ここですが。返す、というのは? わたしはなにも奪っていません。罪を犯したことなどなく、虫けら一匹殺したことのない人畜無害なわたしですが」

「元の世界にだよ! 早くしてくれ。でないと気が狂いそうだっ!」

 黒い少女は先ほどとは逆に、首を傾けた。

「元の世界? 気が狂う?」

 その反応に禀は両手で顔を覆った。絶望的な反応だ。もう一生、餓死かなにかで死ぬか、心が壊れるまでこの空間に居なければならないかもしれない。

 同時に、心に小さな安らぎが生まれてもいた。

 自分以外の唯一の存在に依存してしまいそうになる。黒い少女がいることで、自分がここにいるという実感が湧く。彼女に触れたくて、たまらなかった。

「ちなみに、元の世界というのは、どういった場所なんですか?」

 黒い少女が聞く。

 聞かれて、禀は戸惑った。自分がこれまで暮らしてきた世界、というのは、つまり。

「……えっと、空があって、海があって、陸があって?」

 それらをどう説明しようか、それらを説明すれば元の世界を表現できるのか、と言いながら考えていると、闇が蠢いた。

 揺らぎが、周囲を埋め尽くす。

 揺らぎの中から、眩しいほどの青が現れた。

 それは空で、海で、そして足元には地面があった。気が付けば、自分の体もきちんと目に見える。

 あまりの衝撃に言葉を失くしていると、こちらも驚いている様子の黒い少女が、目をパチクリさせながら禀に尋ねた。

「これが、あなたの言う、世界……?」

「あ、ああ、うん。他にも家があって、学校があって、本屋とか、ゲームショップとか、っ……」

 言葉と同時に、次々と建物が出現する。そのあまりの安心感で、涙が止まらなくなった。涙で世界が滲む。景色が見えなくなってしまわないように、必死で涙をぬぐい続ける。

 もう言葉を使わなくても、禀の記憶通りの町がそこにあった。空を見上げれば、遥か向こうに霞むスカイツリーがぼんやりと見えた。

 アスファルトがあり、コンクリートがあり、電柱があり、家があり、建物がある。

普通の世界。

「ああ、そうだよ。ここが、俺の住んでた世界だ」

 黒い少女は街並みに興味津々で、くるくるその場を回りながら、溜め息を吐いた。

「……これが、世界。ふふっ、とっても、綺麗ですね」

 その微笑みから思わず目を逸らし、禀は言う。

「そ、そうか? ここよりもっと綺麗な場所なんかどこにでもあるぞ? 今の季節だと桜が咲いてるから、吉野? とか」

 うろ覚えの桜の名所を口に出すと、二人はいつの間にか桜吹雪のただなかにいた。

 視界全てを覆い尽くす、赤子の頬のような桃色の欠片の数々。

 辺りが薄暗いのは夜だからだろう。しかし、桜の花弁は頭上の月明かりを反射していて、幻想的な光を放っていた。

「ああ、確かに、これは綺麗ですね……」

 そう呟く少女の姿は、桃色の幕の中であって、その漆黒の色を侵されずにいた。

「でもあんまり多くて、明るくて、綺麗で怖いです。他には? もっと綺麗な場所はないですか?」

 言われて、ネットでみた景色を思い出す。

 その瞬間には、二人のいる場所が変わっていた。

 どこまでも続く広い空と、その空を鏡写しにする足元の湖。

 三百六十度、どこを見渡しても空と、湖に写る空だけが広がっている。

 太陽が沈んだ、星々が輝く満点の夜空。無数の光点と、それらを包む上下の夜は、黒い少女に似合い過ぎて、その立ち姿にこそ心を奪われた。

 同時に、禀は気付く。

 あのくらやみに最初にいた時にもそう思ったのだ。

「ああ、これ夢だ……」

 その言葉に、黒い少女がこちらを向いた。

「夢? ですか?」

「ああ、そうだよ。いや、あのくらやみが怖すぎて忘れてたけど、こんな不思議体験、夢じゃない訳なかった」

「ふふっ、それはどうでしょう?」

 ようやく安堵の息を吐いた禀に、黒い少女が微笑む。

 禀はドキリとして、頬を引き攣らせながら聞いた。

「ゆ、夢じゃなきゃなんだっていうんだ?」

 黒い少女が湖面を蹴る。足元の星空が歪む。

 その場で楽しそうにステップを踏みながら、少女は笑う。笑って、言う。

「もしかしたら、ここは異世界かもしれませんよ? いえ、そもそも普段見ている夢だって、本当はパラレルワールドに旅行しているかもしれないのに」

「夢のある話だけど、それは怖いな……。でも、ここが異世界ってことはないよ。だって俺が想像したとおりに変わったじゃないか。そんなのありえない」

 禀は笑って、話を流そうとした。

 これが夢なら、すべて丸く収まるのだ。もうあの地に足つかない絶望を味わいたくはない。現実味のない話からの、現実逃避である。

 そんな禀の思いを知ってか知らずか、黒い少女はこの星空のような満点の笑顔で続けるのだった。

「いえいえ、これが創世秘話という可能性だってありますよ。世界中の神話がそうであるように、この異世界もまた、あなたの創世から始まるんです」

 ぞっとしない話だ、と禀は思った。神さま、というのは憧れたことはあれ、世界を一から創れ、というのは流石にお断りしたい。そういうのはゲームアプリのなかで十分だ。

 禀の顔色など気にも留めず、黒い少女の言葉は止まらない。

「考えてもみてください。逆に、眠りから覚めた時、あなたは本当にあなたが眠りに就いた世界で起きたのですか? そんな確証が、持てますか? あなたは毎朝、目が覚めると同時に世界を創造しているかもしれないんです。あなたの元いた世界が、一秒前に生まれたという論を否定する方法など、実のところどこにもないのですよ」

 放っておけば夜が明けるまで続きそうな少女の言葉を、禀は遮るように言う。

「あー、哲学かなんかの話だっけ、それ。でも、そんなの考えたってどうしようもないじゃないか。世界がいつできたかなんて確かめられないし、そもそもここが本当に俺が創造した異世界なら、俺はこれからどうすればいいんだよ?」

 禀は笑ってそう言った。

 黒い少女も、それを聞いてまた笑う。

「ええ、どうすればいいんでしょうね? だれもいない世界にたった一人。あなたにできるのは、想像(傍点)することだけ。自分の存在も証明できないあなたは、一体、これからどうすればいいんでしょう?」

「それって……」

 黒点の空の中、闇色の少女が微笑む。

 それはまるであのくらやみの世界にいた自分のようで、そして、もしかしたら、それはこの黒い少女のことであるかもしれなかった。

「君は……?」

 形にならない疑問が口から漏れでた。

 黒い少女はそこで笑みを止め、考えるような仕草をする。

 そして、こう言った。

「……そう、ですね。わたしははかな。人の夢と書いて儚です」

「あ、ああ、俺は上代禀だ。よろしく。……っていや、そうじゃなくって!」

 突然の名乗りに自己紹介を返してから、思わず突っ込んでしまった。知りたいのはどう考えても名前ではない。この異常事態に、そもそもこの少女にも名前がある、というのすら想像の埒外だった。

「え、ええと、儚?」

「はい、儚です」

「はかなって、結局ナニモノ?」

「さあ。別に何者でもないですよ。ただの儚です」

「いや、まあ夢だしな。……たぶん」

 夢ならこの儚という少女も、禀の想像の産物なのだ。そう考えてみれば、「儚」という名前は我ながら皮肉が効いている。同時に、絶世の美少女であるという点も、悲しい話だが、禀の夢なら納得だった。

 そんなことを考えて少し落ち込んでいると、星が空に消え、夜が少しずつ薄くなっていく。

「おや、もうじき夜明けのようですね」

 儚が言う。禀も笑って返した。

「もしこれが夢なら、君ともここでお別れだ」

 これが夢なら朝であろうが夜であろうが、現実の禀の睡眠が覚めるまで続くだろうが、禀には不思議と、この夜が終わると同時に、この世界も終わるという確信があった。

 そう考えると、気分も晴れやか、清々しい気分で儚と向き合うことができた。

「じゃあな、儚。いろいろ酷い目にもあったけど、儚と話してる間はまあまあ楽しかったよ。次はもうちょっとマシな夢で会おう」

 そう言って禀がひらひらと手を振ると、儚はまったく目の笑っていない笑顔で、禀を見た。

「あら、またわたしと遇いたいんですか?」

「え、ああ、まあそうだな。儚って美人だし」

 そんな気障なことを言う自分に驚きながらも、禀はまあ夢だし、とどこか納得していた。

 儚はそんな禀の言葉を受け止めて、言う。

「あなたがそう望むのなら、また、きっと会いましょう。一人というのはどうにも絶望的でして」

「はは、まああんな場所に一人でいたらおかしくなるよな」

「ふふ、本当に」

 空が白み、星が消え、儚の色が周囲から切り離される。

 これが、禀の覚醒のときなのだろう。

 最後にもう一度別れの言葉を言おうとして、そこで禀の意識は途絶えた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ