謎の手紙
※
次の休み時間、艶子は私に教科書を返しに来た。
「柚子葉ちゃん、これありがとう」
「いいって、いいって」
簡単なやりとりだけして、彼女はトイレの方へ駆けていった。
ロッカーへしまう前、私が何となく教科書をパラパラと見ると、紙切れが挟まっていた。それは手紙のようで、開いてみるとふわりと柑橘系の香りがしたような気がした。
手紙にはパソコンで打たれた無機質な文字でこう書かれていた。
―― 伊塚光里と一緒にいると不幸になる ――
たったそれだけ。
私が書いてある文を咄嗟に理解できずに固まってしまった。
文字は紙に対して斜めにプリントされており、それが不気味さを醸し出していた。
これは、艶子が作ったのだろうか。
艶子は光里と仲が良い友達だと聞いている。ただそれは表面だけで、その実仲が悪かったのだろうか。
私は手紙をポケットにしまい、次の十分休憩に艶子の所属する一組へと走った。
教室に艶子の姿を見つけ呼びかける。
「木立さん」
一人座っていた艶子は、訝しげに私を見ながら小さい歩幅でおずおずと小動物のように近づいてきた。
「えっと、唐金さん?」
「あの、さっきの手紙のことで……」
「手紙?」
艶子は意味がわからないというように、眉間に皺を寄せた。
「私の数Ⅰの教科書に挟んであったやつ」
「え?」
艶子はさらに皺を増やした。この反応からするに、どうやら本当に知らないらしい。
「ご、ごめん。知らないならいいんだ。変なこと言ってごめんね」
私が去ろうとすると、「待って」と呼び止められた。
声が小さい彼女が少し強めに発声した声だった。
それでも普通の人より小さく。周りの雑音次第では消えてしまいそうな弱さがあった。
「あの……、唐金さんは太都先輩とのことどう思っているの?」
何故いきなりヘンタイ先輩の話なんだろう。
どうも何も私は……
「変態だと思ってるよ」
「変態……?」
「光里の幼馴染だから交流しているけど、私は苦手」
「そう……」
彼女はそれだけ聞くと、用事は済んだかというように、音も立てずに自らの席へと戻った。
六組までの五教室分歩きながら私は妙な違和感に捕らわれていた。
艶子から返された教科書に手紙は入っていた。しかし、艶子の様子からするに彼女はその件をまったく知らないようだった。
そう考えるとパソコンで打ち出した手紙をわざわざ挟む意味もわからない。艶子が手紙を私に渡したいなら教科書と一緒にメモに書いたものを私へ手渡しすればいいだけだ。
もしくは直接私へ声をかければいい……いや、声を掛けるのは光里に聞かれる可能性があるから難しいか。
あえてパソコンを使ったという事は誰かが艶子が私へこのメッセージを送ったと思わせようとこんな面倒な手口を使ったことになる。
私が彼女に教科書を貸し、彼女がそれを使い、私へ返す。その間に誰かが手紙を挟むなんてこと可能なのだろうか。
考えてみたがダメだ。今この状況では何も思い付かない。
では、動機はどうだろうか?
ここで徐々に繋がってくる。もしや私が上履きを隠されるのはこれが原因なのではないだろうか。
犯人の狙いは光里を孤立させること。
私が光里へこの手紙を見せ、艶子がやったと言えば艶子と光里の仲はぎこちないものになるだろう。そして、私の上履きを隠し続ければ私と光里もいつか疎遠になると考えたのだろうか……?
だとしたらそのやり方は回りくどい上、計画性を感じる。入学して間もない状態でこんな風な手の回し方をするとは思えないし、中学の頃から光里に何かしらの強い想いがあると考えるのが自然だろう。
教室へ辿り着いた私は、隣の席の光里にそれとなく中学の頃の質問をした。
「光里って中学の頃仲悪かった子がこの学校にいるとかある?」
「うーん、特に思い当たらないかな。目立つ方でもなかったし」
光里は気の強そうな顔をした美人だ。美人というだけで他人からのやっかみを買うには充分である。
例えば片思いの人が光里の事を好きだとかそういったように。
本人に聞いて知らないのであれば、聞く相手を変えるべきか……。
私は次の授業の合間の休み時間にこっそりと彼の元へ向かった。
※
上級生の教室に行くのはいつでも緊張する。私は2ー3と書かれた教室の前で一旦立ち止まり、軽く深呼吸をした。
中へ入るわけにもいかないので扉の最寄りにいた男の先輩に取り敢えず声をかけた。
「すみません、ヘンタ…逸見先輩いますか?」
「いるよ。ちょっと待ってて」
男の先輩は快く承諾してくれると、教室の隅でうつ伏せに寝ていたヘンタイ先輩を叩き起こし、こちらへ引っ張り連れてきてくれた。
「ありがとうございます」
私は取り次いでくれた先輩に軽く頭を下げた。
「柚子葉ちゃん、どうしたの?」
先輩は眠たそうに口に手をあてながら大きな欠伸をした。
「この子、太都の彼女?」
「部活の後輩だよ。空、もういいから」
「はいはい」
空と呼ばれた先輩はまた元の位置に戻って行った。
それを見届け、私は先輩と廊下で向かい合う。
「柚子葉ちゃんが来るなんて珍しいね。どうしたの?」
「先輩。放課後空いてますか?」
「デート?」
「違います! 光里のことで話があるのです」
「光里……?」
ヘンタイ先輩は光里の名前に反応したように、興味深げに目を見開いた。
※
放課後私は、先輩と学校の近くにある公園のベンチに座っていた。
その公園は広く、ボール遊びをする子供がそこかしこで掛け声を掛けあっている。
少し騒がしい場所を選んでしまったと後悔したが、学校で二人でいて変な噂を立てられても困るから、この場所で妥協するしかなかったのだ。
私はごそごそと鞄をまさぐり、中から例の紙取り出し隣に座るヘンタイ先輩に見せた。
「これは……?」
「読んでください」
先輩はそれを受け取るとじっくりとそれを眺め始めた。
無言で紙の隅々まで舐めるように見つめる先輩にゆっくりと声を掛ける。
「あの、中学の時から光里を恨んでる子とか心当たりありませんか?」
「俺の知る限りはないねぇ」
「そうですか……」
光里と仲が良い先輩ならと思ったけれど、彼でも思い付かないのか。
私もあまり人脈が広い方ではないから、これ以上の調査は難しいな。
「俺からも光里に話を聞いてみるよ。昔からあいつはすぐ一人で抱え込むから何か隠しているかもしれない」
「そうなのですか……」
幼い頃から共に過ごした二人の信頼関係を肌で感じ、私の心の底は少し冷たく震えた。
その“冷え”に気が付かないふりをするため、私は膝の上に置いた手に少し力を込めた。
「柚子葉ちゃん。最近何か変わったことがないかい? どんな小さな事でもいいから」
「変わった事……」
私はヘンタイ先輩に私が上履きを隠された話やクラス構成など、聞かれた質問全てに答えた。
「そうか……」
彼は手を顎にあて、しばらく考える仕草をした。
隣の私は彼の事をただただ見つめるだけだった。この人に頼れば何とかなるような確信めいたものが心に生まれ、己が考えることを放棄してしまった。
考えなければならないのに。ヘンタイ先輩の横だと上手くいかない。
「柚子葉ちゃん」
「は、はい!」
突然話し掛けられ、肩が上がってしまう。
「明日の部活休まないでね」
「え? は、はい」
それだけ話してその日、私と先輩は別れた。
ヘンタイ先輩は何か掴んだような顔をしていたが何かわかったのだろうか。