教科書
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「柚子葉ちゃん、一緒に帰ろう」
学校からの帰り、光里は他クラスの友人との用事で一緒に帰れないため一人で帰路に着こうとしたところ、突然蜜子にそんな提案をされた。
「い、いいけど……」
断るのも変なので了承すると、彼女は長くて量の多い睫毛を落とし、サイドテールの髪を上下に揺らして嬉しそうに微笑んだ。
「良かった、柚子葉ちゃんと体育で話して楽しかったから仲良くなれたらなぁって思ってたんだ」
「そ、そっか。私もだよ」
大して盛り上がった記憶もなかったが、彼女が楽しかったと言うなら人見知りなりに頑張って会話した甲斐があったというものだ。
「そういえば、蜜子ちゃんって木立艶子さんと双子なんだよね?」
「あぁ、あの子ね……」
雑談をしながら二人で歩き、いよいよ別れ道にさしかかろうとした時。蜜子は顔を伏せながら、暗く声を落として、血を分けた姉妹について語り始めた。
「艷子って本当暗くて嫌いなの。しかも中学の頃は逸見とかいうキモい男の先輩とも結構話してたし」
ヘンタイ先輩はキモいと思われても仕方ないな。
しかしながら二人の間に交流があったなんて知らなかった。
ヘンタイ先輩と光里はセットのようなものだから光里と友達の艶子が交流があっても不思議ではないのだけれど。
あの男をフォローするのは癪だが、艶子は光里の友達だし彼女の名誉のためだ。
「その先輩とは私もよく話すよ。見た目はいかにもオタクだし、セクハラ発言かますし、空気読めないけど悪い人……あっ最悪の人ではないよ」
ここで完璧な笑顔。
一つもフォローできていない気もするが、笑顔で誤魔化す。
「やっぱあの先輩キモいよね! 柚子葉ちゃんもそう思ってたんだ」
おかしいな、まるで私まで彼の事を嫌いなように伝わってしまったようだ。事実だけどフォローするつもりだったのに効果ゼロに終わってしまった。
仕方ない、私はあの男のことを不愉快という事以外何も知らないのだから。上手く行かなかった時は話題を変えよう。
「蜜子ちゃんと艷子ちゃんは仲があまり良くないんだねぇ……」
「悪い!」
蜜子は憎々しげに顔を歪めた。
「いつもパソコンで恐いゲームばかりしているのよあの子。私が恐いの嫌いなの知ってるはずなのに」
そういえば艷子はFPSが好きだと言っていたな。あの手のは敵がクリーチャーな場合が多い。私は平気だが普通の女の子には良い気分のするものではないだろう。
「それにね、帰って来てもずっとパソコンにばかり向かって話もしないし。姉妹として恥ずかしいから身なりを整えろと言っても最低限のことしかしないのよ」
耳が痛い。私も朝の準備は顔を水で洗ってゴムで髪を結ぶ程度だ。正味5分もかからないだろう。
そもそも私にはリア充の言う最低限がどこなのかもわからないのだ。
「伊塚光里と逸見って先輩と艶子で三人でいる時なんかオタクの集まりって感じですっごくキモかったんだから。柚子葉ちゃんもあいつらと仲良くしない方がいいよ! それじゃあ」
「え? ちょっと……」
蜜子はそれだけ伝え走り去って行った。
面倒臭いことになってしまった。蜜子の機嫌も損ねたくないが、ヘンタイ先輩と艶子は光里の友達だし、完全に縁を切るわけにはいかない。光里に至っては三年間仲良くするつもりでいるし。
「どうしよう……」
私はその日、蜜子の登場で面倒になった人間関係について一晩考えながら眠りについた。
結局次の日になっても答えが出ないまま、私は学校へ登校した。校門のところに見慣れた友人の顔を見つけ、胃の痛みが少し和らぐ。
「柚子葉!」
「光里、おはよう。今日も早いね」
「まぁね。私もやればできるのだよ」
胸を張った彼女の毛先がぴょんと跳ねた。
私はそれを見てクスリと笑ってしまう。光里に感謝しながら彼女と校舎へと向かった。
さて、今日はどうだろうか……?
靴箱を緊張しながら開けると、また私の上履きがなくなっていた。
「探そうか」
光里が横で私の肩を叩く。頷き、それぞれ別の場所を探した。探し始めてすぐのこと、光里は隣のクラスの使われてない靴箱で私の上履きを見つけた。
「あったよ」
「ありがとう」
最初に隠されたのはまだ見つからないが、2回目以降はすぐに見つかる場所にあって有難い。いや、隠されているのだから有難くはないのか。
これをやった生徒の意図がよくわからない。完全に隠すならともかく何故靴箱の場所を移動させるだけなどという地味な嫌がらせをするのだろうか。
私に対して強い恨みがあるのではなく、この程度の嫌がらせで済む程度の恨みなのか、はたまた気が小さい犯人なのか。それともまったく別の目的があるのだろうか……。
一人で考え込んでしまった私の前で、女性らしい華奢な手の平が振られた。
「柚子葉大丈夫?」
「あ、ああ、ごめん」
光里もいるのに一人の世界に入ってしまった。
すぐに周りが見えなくなるのは私(というか世のオタク)の悪い癖である。
「無事見つかったし、良しとしよう」
私は気持ちを切り替えるため、パンと一度手を叩いた。
隠された悲しみや不気味さよりも、一連の流れがどういったことが原因なのか、何故こんな事をしたのかが気になって仕方がない。
私は光里と二人で雑談をしながら廊下を歩いている最中も、その事を頭の隅でずっと考えてしまっていた。
※
「光里ちゃん」
授業と授業の合間の小休憩中。消え入りそうな小さな声で友人が呼ばれる。教室の後ろに目を向けるとそこには艶子が立っていた。
光里は椅子から立ち上がり、艶子へ近付いていった。
「艶子。どったの?」
「教科書、数学Ⅰのやつがあったら貸して欲しいの」
「あー、ごめん。今日授業ないから家置いてあるんだよね」
「数Ⅰ? それなら私あるよ」
私はロッカーに入れっぱなしにしている教科書を出し、それを艶子へ差し出した。
「ありがとう」
艶子は明るい声でそれを受け取り、立ち去って行った。




