3-35 それぞれの終幕
血みどろの状態だった。
怪我していない部分を探す方が難しい状態だった。
それでもエルヴィス・ジークハルトは鋼のように厳しい相貌のまま立ち続けていた。
決して倒れることはなかった。
「……こんなものか?」
エルヴィスは言う。
それは傍から見ていると、負け惜しみにしか見えない言葉だった。
だがエルヴィスに気圧された様子はなく、ピエロはそのさまを見て僅かに目を細める。
「これだけ一方的にやられ、まだ吼えますか!」
ピエロの言葉を受けても、エルヴィスの表情は揺らがない。
――負けるわけにはいかないのだ。だから、負けることなど考慮していない。
「アナタの過去への妄執はそれほどのものか! もう、アナタが求める家族は、この世のどこにも存在しないというのに! なんと哀れなものか!」
ピエロの言葉が、ひどく薄っぺらいものに思えた。
とっくの昔に分かっていることを言われたところで煽りにすらならない。
エルヴィスは家族を蘇らせたいわけではないのだ。いや、叶うことならまた会いたい。最愛の妻と、娘と、会って話がしたい。ずっと一緒に暮らしていたい。
平和に、穏やかに、そうやっていつまでも。
けれど現実的に、それは無理だと分かっている。
――だから、今エルヴィスはけじめをつけようとしているのだ。
家族を奪ったこの道化師を葬り去ることで、気持ちを清算しようとしている。
復讐は何も生まない。それを果たしたところで、愛する人が帰ってくるわけでもない。
それを理解しているから、エルヴィスはピエロの安い挑発には揺さぶられない。
「……つまらない反応だ」
仮面の道化師は、揺らがないエルヴィスを見てポツリと呟く。
「ワタシの見込み違いだったようだ。アナタを一流の役者だと思ったワタシの眼力が衰えていた。……この『復讐劇』は、失敗作だ。なぜなら、アナタは復讐のためだけにここに立っているわけではない。ワタシを殺しに来たわけではない。ああ――それは、本当につまらないものだ! 純化された憎しみ! 仇を殺すとだけ願った未来を省みず過去を追う人間! それこそが復讐者というものだ! だが! だがアナタにはそれがない! 未来などなくなってもいい、今ここで死んでもいいという思いがない! ……そんなものは復讐劇にならない。アナタの家族への愛はその程度だったということだ」
「……そう、だな」
エルヴィスは構えている長剣に目をやった。
「確かに、私はまだ死にたくない。生きていく理由がある」
その剣は、かつてフリーダから買った名剣だった。
今、どこかに避難しているはずの彼女は、責任感の強い女性だった。
ゆえに呪いの剣が引き起こした、砦の兵士を壊滅させた事件から、フリーダはひどく罪の意識に苛まれ続けることになった。
“死の商人”。そんな異名でおそれられ、彼女は何でもないような顔をしながら、ひどく苦しみ続けた。自分がたくさんの人を殺したんだと悩み続けた。
確かに彼女の固有魔術は武器の呪いまでは判別つかないものだったけれど、そんな呪いがかかった剣を引き当てる確率などゼロに等しい。
そもそもあの剣はフリーダを介することがなくとも流通していたはずのものだった。だから、つまるところ運が悪かった。どんな武器商人が売り捌いたところで、結果は変わらなかった。フリーダがそこまで思い詰める必要はないのだ。
それ以来、フリーダは武器の取り扱いができていない。怖いからだ。自分のせいで誰かが死ぬことを、ひどく恐れているからだ。
――あの女は魔女だ、あの女が扱う武具は呪われていると、そんな風に誇張された噂を彼女自身が信じてしまった。
エルヴィスはそれを分かっていた。
だからフリーダから買った剣を使い続けている。
彼女に止められようと、エルヴィスはその剣を構えて戦場に立つ。
そして何度でも生きて帰ってくることで、大丈夫だとフリーダに伝えるのだ。
そのためにも、エルヴィスは死ぬわけにはいかない。
「過去のためにも、未来のためにも、私は戦う。貴様を殺し、私は生きて帰る」
エルヴィスは宣言する。
まだやるべきことはあるのだから。
まだ必要とされているのだから。
まだ支えてあげたい人がいるのだから。
「申し訳ないが、私は強欲でな。貴様の望むような役者にはなれそうもない」
だから、かつてのエルヴィスのように悲劇に巻き込まれる人が少しでも減るように。
そんな悲劇を引き起こす存在を、ここで叩き潰すために。
この砦で穏やかに暮らしていた数々の命を、護りたいがために。
自分の身に燻るどろどろとした憎しみに、終止符を打つために。
――また新しくできた「生きる理由」を手に、未来を歩いていくために。
老兵エルヴィス・ジークハルトは、絶対に諦めない。
「……起きろ。我が身に眠る鬼よ」
突如として、ピエロが作り出した世界が揺らいでいく。
まるで観劇の舞台のように見える空間に、なぜだか嵐のような風が吹き荒れる。
「……何?」
初めて。
これまで何もかも予想の範疇といった顔をしていたピエロに疑問が浮かんだ。
「ここは、ワタシの世界。そこに足を踏み入れた以上、剣で対抗するならまだしもアナタ程度の魔術でワタシという世界の法則に抗えるはずが……!?」
「そもそもの相性の問題だ」
エルヴィスは淡々とした口調で言った。
かつては手も足も出なかった怪物を、冷静な視線で睨みながら。
「……鬼は破壊の化身。暴虐の象徴だ。同時に、善や悪、さまざまな面で語られる伝承がある。その中でも、鬼は神の一種ではないかという解釈も存在する」
「まさか……」
「ゆえに」
「アナタは、戦闘中に対抗魔術を生み出したというのか……!?」
「神は世界を改変できる。と、そういう認識ができる。その認識はひどくメジャーだ。つまり貴様の『世界』と私の『鬼』は相性が良い。私は『創世神話』のその伝承を拡大解釈して術式を作り直しただけだ。魔術があまり得意ではないから時間は必要だったが……私と相性が良いこの系統の術式なら、戦闘中でも不可能ではない」
牙を生やし、鋭く爪を伸ばしたエルヴィスが、思い切り腕を振るった。
それはピエロに向けたものではなく、この空間そのものを吹き飛ばすかのように。
ブオッッッ!! という凄まじい音が炸裂し、ピエロの世界が完全に粉砕された。
ガシャガシャ!! と、ガラスのような音を立てて、世界が元の景色に戻る。
大要塞ガングレインの瓦礫跡を、エルヴィスはざっと見回した。
そうして。
「……っ!?」
傷だらけになりながら地べたに膝をつくピエロを見下ろす。
「あれが貴様という認識を広げることによる貴様の世界だったと言うのなら、あの世界を粉砕すれば貴様にダメージがいくとは思ったが……その様子だと当たっていたらしい」
エルヴィスは言った。
強引に立ち上がったピエロが、もはやなりふり構わず剣を振り回してきたが、“鬼化”で異常に身体能力が上がっているエルヴィスには届かない。剣撃のすべてが、空しく空を切っていく。すでに決着はついていたも同然だった。
「このワタシが、こんなところで終わるはずが……!?」
――仮面の道化師は、今や本物の道化と成り果てていた。
「すまないが」
エルヴィスは必死に剣を振るうピエロを蹴り倒すと、冷たい視線を彼に送る。
「ここで終わってくれ。さらばだ道化師。あの世で一人舞台でもしていろ」
その言葉の直後の出来事だった。
道化師の舞台が終結する。
突くような形で振り下ろされた長剣がピエロの仮面ごと頭蓋を砕き、決着はついた。
◇
「……美しい家族愛ね。嫉妬しちゃうわ。けれど……現実は、物語とは違う」
それはライナスの呟きだった。
「アンタたちでは、アタシには勝てない」
彼は頬に手を添え、冷めた視線でこちらを眺めている。
マリーは、それでも瞳の炎を消さなかった。
「……なぜ来た、マリー」
苦渋の表情でマリーの父、ブランデルが告げる。
彼は額から大量の血を流し、それを手で押さえながらマリーに言う。
「まだ遅くはない。私がこいつを止める。その隙に、逃げ……」
「――わたくしは、もう子供ではありません。お父様」
マリーは言う。後ろで膝をつくブランデルを振り返らずに。
「冒険者であり、貴族の娘です。だから魔族と戦い、民を護る。敵に背中を向けるのは、今やるべきことではありませんの」
ボウッッ!! と。
ライナスが無造作に近くの瓦礫を蹴り飛ばし、マリーがそれを炎で灰に変えた。
「……それに勝てないと決まったわけではないですの。やる前から諦めることの方が、馬鹿がやることに決まっています」
マリーの頬を冷や汗が伝う。
眼前の大男が、クラークと同レベルの怪物だとマリーは肌で感じていた。
それでも、ここで逃げるのなら冒険者になった意味がない。
貴族の娘として生まれた誇りを失ってしまう。
「……ならば」
同時に、ブランデルも立ち上がる。
自分はまだ戦えると、そう示すように。
「娘の意思を、護ってやるのが親だ」
彼は愛も変わらず厳しい表情でそう言った。
息も絶え絶えで、体も傷だらけで、それでも眼光だけは烈火の如く燃え盛っている。
「ノーマン伯爵家は魔術師の名門。貴様ごときに崩せる歴史ではないと知れ……!!」
――その覚悟を見ても、ライナスはあくまで冷めていた。
◇
大要塞ガングレインは火の海になっていた。
北部の砦内では二人の少女が人族の兵士を相手に暴れ狂い、
東部の崩れた城壁付近では“傀儡”で兵士や民衆を操り狂乱させていた仮面の道化師が地面に倒れ込み、
南部の『空間回廊』入り口付近では、稲妻が兵士や冒険者を相手に暴虐を振るい、
西部の崩壊した街並みでは、魔族の兵士たちが民や兵士を蹂躙し、
そして中央部、この地を治めるノーマン伯爵邸の付近で、ここまで戦線を保っていられた理由である士気の権化、ブランデル・ノーマンが倒れようとしていた。
彼はこの地の象徴。この地の守護者だ。
どれだけ絶望的な状況であっても、彼がいるから希望を持っていられた。
彼の指揮と鼓舞があったから、まだ勝利を信じて兵士たちは戦い、民衆はまとまって逃げることができていた。
だが――その象徴すらも失ってしまえば、もはやこの地に未来はない。
マリーとブランデルは必死に戦っていたが、どれだけ抗おうとしても現実は非常。
眼前のライナス・メイブリックは紛れもなく世界最強格の怪物だった。
それでいて肉弾戦を頼みとする彼は、クラークのように明確な弱点も見当たらない。
「……終わりよ」
マリーは歯軋りした。悔しかった。自分の力が及ばないことが辛かった。
魔力を使い切りライナスの打撃をまともに食らっていたブランデルは、もはや声を出すこともできないのか、目だけを血走らせてライナスを睨み続ける。
「さようなら、貴族の親子。アンタたちが抱く誇りはきっと忘れない」
そう言って、ライナスは手に持つ巨大な鉄の棒を振りかぶる。
圧倒的な怪力。それがおりなす暴虐。
ただの純粋な力の塊を前に、マリーたち魔術師はなす術がない。
ライナスはぐぐっ、と体を引き絞り、次の瞬間――嵐すら呼び起こしそうな勢いで粗雑な鉄メイスがその真価を見せた。
冗談でも何でもなく膂力だけなら世界最高と言っても過言ではない一撃が暴風と共にマリーとブランデルを一息に叩き潰そうと肉薄する。
その一振りで、二人の命が失われる。
尊い家族の絆と貴族としての誇りを見せた、その物語が悲劇と化す。
けれどマリーは目を瞑らなかった。
たとえ魔力が切れて何もできなくても、毅然と前を睨み続けた。
だから。
「……え?」
――その光景をしっかりと、目に焼き付けることができた。
ふわりと、目の前を舞う灰色の外套。
それは、マリーの友達である少年が愛用していたもの。
「危ねえ……本気でギリギリだった」
その少年――レイ・グリフィスはこの場に似合わぬ疲れたような嘆息をしつつ、ライナスが振るった暴虐の一撃を片手に握った剣だけで受け止めていた。
「レイ……!? 貴方……!!」
マリーは驚いて声を上げる。
聞きたいことはいろいろある。気になることはたくさんある。
けれど、何よりも気になったのは――ライナスのメイスを受け止めている剣だった。
白銀を基調としたその剣は、今や黄金の光を放っている。
「聖剣……!?」
「ああ。もう大丈夫だ。安心しろ、マリー」
マリーに背中を向けるレイは彼女の方を一瞥すると、不敵な笑みを浮かべた。
その立ち姿は、まるで物語の中の英雄のようだった。
「後は俺に任せろ」
言葉の直後。
メイスを受け止められて驚愕していたライナスが、後方へと跳躍する。
だがレイはそれを見逃さなかった。
下がるライナスの懐へと、弾丸のような速度で飛び込んでいく。
「アンタ……まさか!!」
「――そのまさかだよ。文句は聖剣を俺に奪われたローグにでも言ってくれ」
レイはライナスを蹴り飛ばし、地面に叩き落した。
凄まじい音と共に地面がひび割れ、陥没し、クレーターができあがる。
ライナスが激しく喀血した。
「ごはっっっ!?」
その横に、レイは降り立つ。
「おお!!」
ライナスはそれを見て転がるように立ち上がり、手に持つメイスを全力で振るった。
おそるべき威力の一撃がレイに迫り、
「遅い」
――そのメイスをレイは三分割に断ち切った。
マリーには何も見えなかった。
ただ聖剣が霞むように動いた瞬間、レイを襲うメイスが別々に吹き飛んでいった。
ライナスは軽くなったメイスの断面を見て、戦慄したように表情を歪める。
「ええい、こんな時に……わざわざ聖剣のある神殿でローグを退けて、ここまで駆けつけてきたって言うの……!? なぜそこまで……」
「決まってんだろ」
レイは吐き捨てるように、言う。
「このふざけた悲劇を――叩き潰しに来ただけだ」
その言葉を聞いてライナスは確信したらしい。
「その性質……間違いなく勇者ね。まったく、ローグのバカは、タイミングの悪い指示を出すものねえ……」
「降参しろ。その強さ、『六合会派』の一員だろう? 魔国の話を聞かせてもらうぞ」
「――お断りよ。アタシは自分の力を知っている。たとえ相手が新しい勇者であろうとそう簡単に倒せる相手じゃない」
「……確かにそうだが、惜しかったな」
レイは淡々と告げた。
そうして、ライナスの懐へと真っ直ぐ踏み込んでいく。
ライナスは剣を振るレイの速度に対抗できないと判断し、筋骨隆々とした自慢の肉体に圧倒的な魔力強化をかけて防御しようとしたが、
「お前の膂力は、俺とは相性が悪い」
レイの聖剣はお構いなしにライナスの腹部を切り裂いた。
ライナスの背後で足を止め、レイは振り返る。
そこでは大量の血を流しながらライナスが倒れていた。
仮にも『六合会派』の怪物。この程度で死ぬことはなさそうだった。
レイは黄金に光り輝く聖剣を天に掲げ、叫ぶ。
「魔国軍の指揮官はここで捕らえた! 諦めるな人族の兵士よ! 我こそ勇者アキラの再来! この要塞を助けに来た貴方たちの希望である!!」
昔と同じように。
希望の象徴として、威風堂々と声を張り上げた。
――大要塞ガングレインを巡る戦いの趨勢が変化する。
たった一人の希望の出現によって。
◇
「撤退命令」
「従うの? 姉さま」
「勇者が再来したと言うなら、いくらサラたちでもいきなりは倒せないでしょ?」
「そんなことはないと思うけど」
「いいから」
「じゃあ早く逃げようか」
二人の姉妹は、周囲に兵士の屍を積み上げながら場違いなほど陽気な口調で呟いた。
「前座はここまでみたい」
「思ったよりつまんなかったねー」
そんな言葉と共に、二人は子供のような走り方で姿を消していく。
誰もそれを見咎める者はいなかった。
彼女らの周囲にいる者は、例外なく息の根を止められていたのだから。
◇
「……チィ」
クラークは黄金に輝く光の方を見ながら、ポツリと呟いた。
「運が良かったな。てめえらと遊んでいる場合じゃなくなっちまった」
ライドとノエルは荒く息を吐きながら、クラークを睨みつけている。
後もう数分あれば倒しきれたと思うクラークだが、流石に勇者の再来が現れ、仮にも同じ『六合会派』の一員であるライナスが倒されたとなれば、悠長に戦っている場合ではない。急いで撤退しなければ全滅の可能性すらある。
「確か……ライドとノエルだったか」
クラークはニヤリとした笑みを浮かべながら、言う。
ライドは名乗っていないが、ノエルが何度も名前を呼んでいるから覚えたのだ。
同時に、クラークが名前を覚えるほどの相手だと認めた証でもある。
「じゃあな。また戦場で会おうぜ」
クラークはそう言って、雷と共にこの場から姿を消す。
「冗談じゃねえ……二度とごめんだ……」
ライドに「待て」と言えるほどの余裕はなかった。見逃されたに等しいのだから。
ひとまず終わったらしいということだけを認識した彼は、糸が切れたかのように地面に崩れ落ちた。今更のように、激痛が体中を駆け巡っていく。
「……ライ、ド」
ぼんやりとしたライドの視界に、ノエルの顔が映る。
彼女もまた同様に疲労困憊といった様子で、しかし口元に微笑を浮かべていた。
「頑張ったね、ライド」
なぜだかひどく安心するノエルの言葉を最後に、ライドの意識は闇に沈んでいった。
◇
そして大要塞ガングレインを襲った魔族の急襲は終幕を迎えた。
被害は甚大。砦は崩落し、兵士の大半が死亡。街も炎で焼かれ、民衆にも多大な死傷者が出た。対する魔族側の被害はほとんど皆無に等しく、唯一、指揮官的な存在だったライナス・メイブリックを捕縛することに成功したのみ。
ガングレインの裏手に繋がる『空間回廊』についてまったく知らず、マリーたちの情報提供によってようやく事実関係を把握した王国首脳部は、砦の新しい形を模索し始めると同時に、『空間回廊』への対策を考慮し始める。
王国にとっては紛れもない完全敗北であると同時に、それは魔国からの開戦宣言を意味する。それは本来なら国民の士気を下げる出来事だった。
だが――今回の事件を受けて、むしろ王国民の士気はかつてないほどに高まっていた。
なぜなら女神の祝福を受けた王国の守護者、
――すなわち聖剣の勇者が再来し、ガングレインの窮地を救ったのだから。
◇
『創世神話』において最も有名な英雄であるグレンだが、そう呼ばれる原因となった伝承と言えば、当然のことながら黒竜を封印した英雄譚だろう。
曰く、その竜は翼一つで天候を支配した。
曰く、その竜は爪だけで大陸に地割れを起こした。
曰く、その竜は――世界を丸ごと滅ぼすブレスを持っていた。
そんな魔物と呼ぶことすらおこがましい最強の存在に、英雄グレンはただ白銀の名剣のみで互角に戦い、七日七晩に渡る死闘の果てに封印まで追い込んだ。
黒竜に世界を滅ぼすブレスを撃たせることなく封印し、彼は世界を救ったのだ。だから、今がある。彼が未来を護ってくれたから、我々は今こうして生きている。
ゆえにこそ、彼は最強の剣士にして最強の英雄。英雄の代名詞。こうしてグレンは『創世神話』の中でも最も有名な存在になった。
だが、ここで疑問がある。
黒竜は世界を滅ぼすブレスを使える。そうグレン本人が語っていたとされているが、そもそもなぜ、彼はそれを知ることができたのだろうか?
――実際に、世界が滅んだことなど一度もないはずだというのに。
――――神話学者カルヴィン・アンソニー『英雄グレンについての考察』より抜粋。
第三章『再臨の剣』――End
NextEpisode――第四章『再会』
オーバーラップ文庫より書籍版第一巻、第二巻ともに好評発売中。