3-27 すれ違い
――『空間回廊』。
そこは確かに、神造と言われても違和感のない荘厳な雰囲気を放っていた。
真っ白な石材に囲まれている一本道を、フリーダを抱えたエルヴィスが疾風の如く駆け抜けていく。
確かに、走っている感覚に奇妙な違和感がある。これは魔力が蠢いている感覚だろうか。
距離の概念に干渉する魔術仕掛けというのだから、おかしくはない。見たことも聞いたこともない革新的な技術だが、神造というのだから納得するしかないのだろうか。
彼らの数十メートル後方には、ライド、ノエル、マリーの姿もあった。
「……すみません」
そんな中、エルヴィスがぽつりと言葉を漏らした。
彼の腕に抱えられているフリーダは、気にするなとばかりに首を振る。
「あの状況ではどうにもならん。そもそも、別に私は……聖剣を手に入れたところで、国に恩を売るぐらいしか手段がない」
――だから、私はきっと憧れていただけなのだ、とフリーダは思う。
フリーダには、生来の異能――固有魔術があった。それは武器の「匂い」を嗅ぎ分ける――という戦闘には役立たないもの。とはいえ固有魔術とは、普通の魔術のように効果を設定できるわけではないので、そういうものだ。レイモンドのように戦闘に有用な異能を得る方が稀である。
ともあれ戦時下に生まれたフリーダは、その異能をどのように活用するかを考えた。
戦う才能はなく、武器を創る才能もないと早々に判断したフリーダは、武器商人という道を選んだ。
良い武器と悪い武器、それを匂いだけで判別できるフリーダは良い鍛冶師を見つけるのが上手く、また非常に良質な武器は強烈な匂いを放つので、過去の遺産を見つけることも容易だった。
ゆえにフリーダは、いろいろな場所から過去に精錬された良質な武器を発掘し、それらを名高い冒険者や兵士に売りさばき、味を占めていた。
フリーダの商売は着実に成功していき、評判もぐんぐん上がっていった。
そんな時のことだった。
フリーダが武器を売り捌き、懇意にしていた駐屯地の兵士たちが、唐突に苦しみだしたのだ。
理由は分からない。ただ、それらは一人に巻き起こったことではなかった。まるで感染病のように、時が経つごとに症状が出る者は多かった。
そして彼らは皆、一様に「何か」に怯えていた。剣を握っていた両手を震わせながら。「何かに取り込まれるような感じがする」と誰かが言った。
治癒術師は諦めたように首を振った。原因は分からない、と。
フリーダは無性に嫌な予感がしていたが、彼女にも原因などまったく分からなかった。
――そこで、ふと駐屯地を訪れたある魔術師はこう言った。
『これは魔術の一種……呪いだ。君らは皆、死人が残した思念に中てられている』
フリーダが売り捌いた、過去の名剣によって。
何千人と人を切り裂いてきたその「呪剣」たちは、多くの思念に憑かれていた。
存在自体が魔術に等しいそれらの死霊が、砦中の兵士に憑いていったのだ。
古い剣にはそういう事態が起こりうる――ということを、フリーダは魔術師に聞いて初めて知った。
だからと言って、フリーダには今更どうしようもない。
明らかに平常心を忘れている兵士たちの叫び声を聞きながら、フリーダは呆然としていた。
魔術師が何とかする手段を生み出した頃には、彼らは全滅していた。
あっけないものだった。
統率が取れず、何かから逃げるように暴れ回る彼らを、魔国軍が蹂躙していったのだ。
フリーダはそれ以来、“死の商人”という噂が流れるようになり、彼女は武器の取り扱いを止めた。もうあんなことを起こしたくはなかった。
自分にある異能は、「呪い」の有無まで見極められるわけではない。ならば害悪にしかなっていないではないか。
――最初は、お金のためだった。自分の幸せのためだった。
けれど、商売が成功するにつれて、いろいろな人と関わるようになって、いろいろな人の幸せを願うようになって。
少しでも、王国のためになりたいと思った。
魔国の手から、こんな大切な人々を護るための力になりたいと思うようになった。
それが今となってはこんなざまで、大切な誰かを苦しませることしかできないと言うのなら、
――きっと、死んだ方がマシなのだろう。
雨が降り続く北方の城塞都市。魔国軍が急襲してきた場所に、彼女はたまたまそこにいた。
恐慌し、逃げ惑う人々の中で、フリーダはただ魔族を眺め続けていた。
死んだ方が良いと分かっていたけれど、自分で死ぬほどの勇気はない愚図だったから。
せめて殺してほしいと、彼女は、そう思って。
――あまりに強力で、神聖な武器の「匂い」がした。
『……助けに来たぜ、何もかも』
聖剣。
そして勇者アキラ。
『逃げるんだみんな! 俺がここにいる! 生きることを諦めるな! 諦めなければ、絶対に俺が何とかする……!!』
一度近くで見たことがあるだけで、言葉を交わしたことはない。本人はきっと覚えていないだろうけれど。
その言葉と背中の安心感に、なぜだかフリーダは救われた気持ちになった。
今でもフリーダが生きているのは、悪あがきを続けているのは、彼の言葉があったからで。
あの強力で神聖な武器の「匂い」を、フリーダはどこに行っても察知することができていた。戦争の再開が近づき、無意識に心が「英雄」を求めていたのだ。
大したメリットもないのに、わざわざ危険を冒してまで自ら聖剣を探しに行ったのは――彼の幻影を追い求めていたからなのだろう。
もう勇者がこの世にいないことは、分かり切っているというのに。
「……勇者アキラは偉大な人物だった」
前を見据えながら、エルヴィスは淡々とした口調で呟いた。
「だからこそ、彼がいない今……国を護らなければならないのは私やあなたのような者たちだ」
「エルヴィス……」
「私は復讐者だ。しかし……」
彼は少し考えて、
「戦う理由はそれだけではない。私は国と、そこに住む子供たちの未来を護りにいく。この老いぼれにできるのは、そのぐらいですからな」
「……そうだね。私も、自分にできることをやるさ」
「……ありがとうございます、フリーダ様」
礼を言ったエルヴィスを見て、フリーダは不思議そうに首を傾げる。
励まされ、感謝を述べたいのはこちらの方だと言うのに。
「貴女のおかげで、私はまだ未来を望む人間でいられる。過去の妄執に憑かれた復讐者……それだけが私ではないと、確信することができる」
――エルヴィス・ジークハルトの「復讐」は、ただの自己満足であると分かっている。
死人は口はなく、今は亡き妻の望みなど、エルヴィスが勝手に解釈していいはずもない。
だから、エルヴィスは。
――たくさんの「大切なもの」のために、私のような被害者をこれ以上生み出さないために、あの悲劇を好む道化師を打倒するのだ。
そう決めた。
◇
「……三分か。よくやった方だろう」
一方、地下神殿では。
ローグの眼前に、二人の少女が倒れ込んでいた。とはいえ死んではいない。ボロボロになりつつも、まだ息はあった。
これはローグに殺す気がないから手加減しているだけであり、もしローグが捕縛を諦めれば一瞬で殺されるのは目に見えている。
それでもリリナは、痛む体を引きずるように立ち上がろうとしていた。
ローグは呆れたように嘆息する。
「まだ立つか。意味がないと分かっているだろう。お前たちを殺さないように攻撃するのは難しいんだ……そろそろ諦めた方が身のためだぞ」
リリナは答えない。
セーラも同じように、瞳に映る意志を曲げない。何とか膝立ちになり、魔術の詠唱を呟き始める。
「無駄だと言っている」
轟!! という凄まじい音。
ローグが適当に放った“魔弾”が二人の体を吹き飛ばしたのだ。
そこでアリアが首を振る。
「……見ていられない。あたし、先に戻ってるからね」
「アリア」
「――何? 文句があるなら命令すればいいでしょう」
睨みつけるようなアリアの視線を受けて、ローグは肩をすくめた。
「好きなようにするといい」
「……」
アリアは無言のまま、地下の階段を降りて『空間回廊』の方へと向かっていく。
おそらくはエルヴィスたちが向かった方向と逆、魔国領に繋がっている方の道を使うつもりなのだろう。
「待っ……て」
息も絶え絶えなリリナの声は届かなかった。
アリアはその長い黒髪を揺らし、階段を下って視界から消えていく。
カツカツと、アリアが階段を下る音が鳴り響き、やがてそれが聞こえなくなった。
ローグはしばらくアリアが消えていった階段の方を眺めていた。
そしてリリナたちの方を振り向くと、
「……勇者アキラの生まれ変わりを知っていると言っていたな?」
リリナは答えない。というより答えられない。声を出すような体力はすでになかった。
それを見たローグは鼻を鳴らし、
「まあ、いい……どうせ戯言。捕縛して、後で聞き出せば済む話か」
淡々と呟いた。
流石に体力も尽きたようで、両者ともに動く気配はない。
だから、ローグも戦闘から意識を切り替え、彼女らを担ぎ上げるために近づいていく。
ちょうど――その瞬間の出来事だった。
「な……っ!?」
ゴッッッ!!!!!! と、撃ち出された矢のような勢いで肉薄してきた何者かが、ローグの腹に叩きつけるように剣を振るったのだ。
魔力強化をしていたので、ローグの腹部に傷はない。しかし、重たい衝撃は確かに感じていた。
吹き飛ばされたローグは足で地面を削るように勢いを減衰させると、膝立ちの姿勢で新たな侵入者の方を見やる。
「お前は……」
そこにいたのは、長剣を片手に、体には灰色の外套を纏った少年。
その容貌には見覚えがある。マリアスの一件で、彼を打倒した新人冒険者だろう。
確か名前は――レイだったか。
セーラがここにいる理由を考えれば、おそらく彼女を救った存在であるレイが現れたのは不思議な話ではない。
ただ、それは仮にも『六合会派』の一角であるレイモンドを倒したということを意味する。
いくらマリアスを打倒できる実力の持ち主とはいえ、この歳でそれをやってのけるのは間違いなく稀代の天才だった。
「……リリナ、セーラ」
彼の表情に変化はない。だが、その瞳に宿る冷たい光は、確かに彼が激怒していることを示していた。
レイは数秒、倒れ込んだ少女らに目をやると、ゆったりとした歩調で足を踏み出す。
「ごめんな」
その言葉と、地面を踏み割るかのような勢いでレイが踏み込んできたのは同時だった。
戦いが始まる。
ローグは相対する敵の目に、なぜだか既視感を覚えた。
かつての幻影が見えた気がした。