3-26 彼の背中をいつも見ていたから
ローグ・ドラクリアと土精霊ノームの戦いは、ひどく単純なものだった。
ただ、攻撃をぶつけ合う。叩きつけ合う。魔力を以て打ち砕く。
小細工などいらない。というよりも意味がない――と、ローグは敵の性質を明確に理解していた。
高位精霊は魔力構成体であり、実際のサイズは掌に乗る程度だ。つまり今ローグが戦っている土で構成された人型は、ノームのアバターのようなものである。
土属性を司る精霊なのだから、そういう形式を取った方が戦いやすいというだけなのだろう。
つまり首を斬るか心臓を貫くか――などといった弱点を持ち、それを魔力で補強している人間とは異なり、ノームには弱点らしい弱点がない。
いくら叩き潰したところで、魔力が残っている限りいくらでも再生する。高位精霊とはそういう存在だ。つまり魔力を削り切るほかに倒す手段がない。
ローグの魔剣が持つ「闇」の性質も、概念として同格の存在である高位精霊相手では意味をなさない。
実力ではローグが上回っているというのに、「倒すには時間がかかる」と言っていた理由はこれだ。
ゆえに、両者の戦いは時を経るごとにシンプルになっていく。
ローグの剣がノームを切り裂き、ノームによる土精霊術を見事な体さばきで回避していく。
そうして影を操る魔術で動きを縫い留め、粉々になるまで剣を振り抜いた。
斬り刻まれたノームはその後、何事もなかったかのように再生していくが――それでも、再生するという行為は精霊術だ。つまり魔力は湯水のように消費されていく。
すでに残存魔力は半分を切っているだろう。
そして、このまま戦いに変化がなければ――
「残り七、八分といったところか?」
ローグは不敵な笑みを浮かべる。
表情がないはずのノームが操る土の人型に、焦りが浮かんだようにも見えた。
◇
「あなたに言えることは何もないよ」
それがアリアの答えだった。
リリナが眉をひそめると、彼女はしかし顔を背けて何事か呟いている。
手元で長方形の不可思議な物体を弄っているアリアは、どうやら誰かと会話をしているらしい。
(……似ている)
リリナはそれを見て、レイの異世界式魔術が思い浮かんだ。
――“通話”術式。レイの場合は、何かしらの物体を触媒に、遠距離の相手に声を届けることができる。
事前に設定した触媒を持っている人物としか会話できず、また魔力をかなり消費するので、本人は「本物に比べると不便だ」と言っていた。
(なら、その本物というのは……)
もしや目の前でアリアが扱っている品ではないだろうか。
レイの奇妙な魔術について、何度か聞いたことがある。そのとき彼は異世界の知識に基づいていると言っていた。
つまり、異世界人であるアリアから学んだ独自の法則に基づいた魔術。
なら、レイにそれを教えたアリアも、レイと同じことができるのは道理だろう。
そんなことをつらつらと考えながら、アリアが通話を終えたのを見て強気な口調で問いかける。
「……答えてください。なぜ、あなたが魔国軍と共に行動しているのか……!?」
「答える義理があるの?」
アリアは感情を消したような声音で、そう尋ねてきた。
否。それは質問ではない。ただの確認だ。
事実、リリナはそのおそるべき魔力の「威圧」に、思わず口をつぐむ。
だが、まだだ。リリナは冷や汗をかきつつも声を上げる。
確かに凄い。だが凄いだけだ。アリアの威圧はローグとは異なり、殺気がない。こちらを害そうという意思がない。
ならば、まだリリナの心は折れない。
(……レイ様が好きになった人がローグの味方をしているなんて、絶対に事情があるはず……!)
彼は直接そう言ったことはなかったが、アリアのことを語るときはいつもより少し楽しげで、同時に寂しそうだった。
本人は気づかれていないとでも思っているようだが――リリナが何年レイの傍にいると思っている。そのぐらいはお見通しだった。
レイの前世、アキラが恋焦がれていた彼女が、魔国軍に味方している理由――それを知るためには、アリアの心を揺さぶる必要がある。
そう考え次にリリナが発した質問は、彼女自身が考えているよりもはるかに重大なものだった。
「――勇者アキラの生まれ変わりを、私が知っていると言ってもですか?」
一瞬。
場に、静寂があった。
戦闘中のローグですらこちらに目をやる。だが、その隙を見逃さずにノームが仕掛け、珍しく吹き飛ばされていた。だが当然、その程度でローグは終わらない。
舌打ちをしつつも、ノームとの戦闘は続いていく。
リリナはセーラの手を掴んで誘導し、彼らの戦闘の余波に巻き込まれないように立ち回りつつ、アリアの様子を見やる。
彼女の変化は劇的だった。
「軽々しくあの人の名前を口に出すな」
端的な一言。
それだけで怖気が立つ。戦慄がリリナの身を震わせた。
紅の瞳がリリナたちを睥睨する。ゆらりと、向けられた手がリリナを捉えた。あの手からは、リリナの予想もつかない魔術が繰り出されるのだろう。
だが、それでも――彼女から殺気は感じなかった。
自分を害そうとする者はもっと邪悪な気配を放つものだ。リリナの脳裏に、かつての宿敵であるジェイル・マリオットが過る。
「……私は、嘘は言っていません。信じるかどうかはあなた次第ですが……前世の記憶を持つ“転生者”という存在が稀に生まれることぐらい、あなたも知っているでしょう? 彼はその一例だ。望むなら、あなたに会わせることもできます。魔国軍から離れるなら、に限りますが」
「……っ!? そんな、転生者なんて言っても、数万人に一人とかそんな確率のはずだし……信じられないよ、そんなの!!」
「私はレイ様……勇者アキラから、あなたのことをいろいろと聞きました。だから――」
その言葉は、アリアの耳には届いていないようだった。
理由は明確。鼓膜が破れるかのような爆音が轟いたからだ。
「アリア」
音源はローグ。“魔弾”の雨でノームを圧し潰した彼は、アリアを真剣な目で射抜く。
「――そいつの言葉に耳を貸すな」
「ローグ……」
リリナは息を呑む。これまでは何度も再生していた土精霊ノームが――まだ、破壊されたまま再生していない。
土くれが僅かに動いているが、再生には至らなさそうだ。
ローグはつまらなさそうな表情で、土の人型を再び構成しようとするノームに言葉を投げかける。
「まだ足掻くか。そろそろ魔力も尽きるだろう」
声を聞くことのできるリリナは分かるが、おそらくノームはあまり人間の言葉を理解できていない。精霊はもう少し知能の低い生命体だ。
それでも。
――聖剣と人族を護る、と。リリナにそう言いたいことだけは伝わってきた。リリナはハーフエルフだが人族の血も混ざっているし、セーラも魔族領域を解放しない限りは人族にしか見えないだろう。
だから、彼は忠実に仕事をこなそうとしている。たとえ、自分の消滅が分かり切っている状態でも。
「ノーム……! 私たちは大丈夫だから! もう、下がって……!!」
「終わりだ。いくら神殿とはいえ、適合者がいない状態では俺に勝てない。……とはいえ、あの青髪のような奴がそう何人もいてもらっては困るが」
女神の命に従う存在である土精霊ノームが、リリナの指示を聞くはずもなかった。
願いは当然、届かない。
ローグの魔術が今度こそ――ノーム周辺の土くれごと燃やし尽くした。数千度にも昇る熱量が、高位精霊すらも消滅させたのだ。
そうして。
ローグがゆったりとした歩調で、リリナたちの方に歩いてくる。
「……セーラは、まだ死ぬわけにはいかない」
ぽつりと、リリナの隣にいる少女が呟く。
彼女の額には汗が流れていたものの、まだ諦めてはいなかった。
ライドたちと一緒に行った方が良かっただろうか――と、リリナは一瞬だけ考えて、首を振った。
そうすると、事情を知らないレイが一人でこの場に現すことになる。いくらレイが強くなっているとはいえ、いまだ前世の力にはほど遠い。ローグと戦うのは厳しいだろう。
――なら。
今頃レイモンドを倒し、こちらへ向かっているだろうレイと合流して、逃げるしかない。
「地下神殿を昇って逃げるのは諦めた方がいい」
すると、リリナの思考を見透かしたようにローグが言った。
「上階でレイモンドと戦った奴を見捨てられずに残ったんだろうが……地上では俺よりも面倒な奴が見張ってるからな」
――“天眼”か、というアリアの呟きがリリナの耳に届いた。
魔国軍保守派の『双壁』――ローグと並ぶ実力者とされる男の二つ名を聞き、リリナは奥歯を噛み締める。
どうする。
どうすればいい。
ぐるぐると、自問自答を繰り返す。
「ローグ、あたしはまだ……」
「耳を貸すなと言ったはずだ。これは命令だ」
アリアを揺さぶることのできそうだった手段は、もはや使えない。
リリナは考えて考えて――隣で魔術の詠唱を始めた少女を見て、目を瞠った。
「ほう、足掻くかセーラ。お前の性能は知っているが……その様子では本領も発揮できないんだろう? 俺に勝てると思うのか?」
「知らない」
セーラは首を振った。
その瞳は恐怖に怯えながら、不安に揺れながら、それでも決して諦めてはいない。
「……でも、やってみなきゃ、分からない」
リリナは深く息を吐くと、覚悟を決めた様子のセーラの、一歩前に出る。
ローグを恐れるあまり、いつの間にか戦うという選択肢を忘れてしまっていた。
――主とする少年は、いつだって不屈の闘志を以て勝ち目の薄い戦いに挑んでいるというのに。
(レイ様のメイドである私が、そんなザマではいけない……!!)
リリナはそんな自分を恥じて、腰に差してあるレイピアを引き抜く。
「なら行くぞ。貴重な人材だ。殺しはしないが……多少の怪我は覚悟してくれ」