1-8 読書
レイは誰もいない隙を見計らい、書斎に侵入する。
見つかったところで叱責されるわけでもないが、調べものをしているときに監視されたくはない。
(……さて)
この屋敷の書斎は広い。
本棚にぎっしりと分厚い本が詰め込まれている。
(……昔はよく、ここで母さんに冒険譚を読み聞かせてもらっていたか)
レイの冒険者への憧れは、その思い出によって培われたものだ。
今となっては懐かしさすら覚える。
レイはそんなことをつらつらと考えながら、しばらく目当ての本を探していた。
二十分後。
書斎に唯一存在する古びた机の上には、三冊の本が積まれていた。
『ザクバーラ王国の歴史』
『世界地図』
『魔術教本』
レイが探していたのは、直近の歴史を知ることができる新書――すなわち『ザクバーラ王国の歴史』だけだったのだが、気づけば何冊か興味がある本も一緒に引き出していた。
窓の外では徐々に雨音が聞こえてくる。
今日はアルスやエレンとは遊ばず、本を読みたいところだったので都合が良かった。
雨ならわざわざ外には出ないだろう。
レイは暫しの間、ひたすら文字列を追い続けた。
♢
(……なるほど、な)
パタリ、と本を閉じる音がした。
随分と長い間、同じ態勢を維持していたのでレイは疲れたように嘆息した。
(分かったことがいろいろある)
まず、現在は王国歴五〇五年。
英雄アキラが死んだのは王国歴五〇〇年だ。
単純に考えて五年が経過している。
レイは五歳児なので、計算は合っている。
(……死んで、すぐ転生したってことでいいわけだ)
だとするなら、レイには気になることがあった。
英雄アキラを勇者に選定した異世界の少女――アリアの安否についてだ。
アキラはアリアを護って死んだ。
だから、できれば生きていて欲しいのだ。
彼女はアキラが戦う理由になっていた人だから。
(……好きだったんだよなぁ、単純に)
今にして思えば――の話ではあるが。
勇者アキラが死んだときの魔族の奇襲では、王都はかなりのダメージを受けた。
それ以降、魔族が支配する国家――魔国は勢力を強めている。
着々と、ザクバーラ王国に侵攻を進めていた。
(……魔王はまだ生きている、か。野良の魔物の強さを鑑みても、察していたことだが)
魔族を率いているのが魔王と呼ばれる存在。
どういう能力を宿しているのかは知らないが、魔王は存在しているだけで世界中の魔物と魔族を強くする。
つまり、こうしている今も森や山脈、いろいろな大自然に棲みつく魔物は、少しずつ強くなっているわけだ。
(放ってはおけないよな……)
つまり長期戦になるほど王国が不利になる。
ちなみに魔族はエルフやドワーフなどと同じく亜人の一種だと考えられており、人との違いは三点ある。
紅い瞳、平均して人間の三倍以上は保有している魔力量、そして魔物を従える能力である。
――数十年前。
魔族の存在が市井に広まってきた頃。
一部の魔術学者は魔族を人族の進化系との説を提唱していたが、その理屈は国にとって都合が悪かったらしく、もみ消されていた。
それどころか魔物を従えられることを怖れられ、魔族は魔物の同族だと判断され、種族排斥が始まった。
個々は強かったものの極めて少数だった魔族は、当初は人族にされるがままだったが――魔王が登場してから、立場が逆転した。
圧倒的な力を宿していた魔王は魔族をまとめ上げ、北の大地にて魔国を作り上げた。
それ以後、魔国は人族の国であるザクバーラ王国、レイストラス帝国、シャトガーナ神聖国に囲まれながらも、その弾圧を跳ね除け、それどころか各々の領土に侵攻している。
これまでの恨みを晴らすかのように。
(……別に悪い奴らってわけじゃない。だけど、平和的な解決は、きっと望めない。なまじ『前世』の経験があるから…………強くそう思ってしまう)
勇者アキラは王国を護る為に戦い続けた。
数多の魔族の侵攻を抑え、斬り殺してきた。
人族に対する怨嗟の声。
純粋な殺意。
憎しみ。
いろいろなものが耳に届き、すべてをねじ伏せた。
(……いや、それを為してこそ、本当の英雄だろう)
レイが目指しているのは絶対的な最強、誰からも認められる本当の英雄だ。
魔族が人族と同じ――『人間』だと知っているのなら、レイは互いが憎しみ合うだけで終わらせるわけにはいかない。
戦争を止め、平和をもたらす。
それもまた果たせなかった勇者の役割のひとつだ。
(……その為には、あの男――)
レイの脳裏に『前世』の最期が過ぎる。
遠退く意識の中で、涙を流すアリアが見えていた。
その脇で悪魔のような微笑を浮かべていた男がいる。
黒の長髪に蛇のような瞳をした美青年。
ローグ・ドラクリア。
(――あの男だけは、殺さなければならない)
悪意。それを体現したかのような魔族だった。
人と魔族それぞれの憎しみを扇動し、更なる悲劇を引き起こしていた魔国軍の幹部。
レイの視線に冷徹な光が宿る。
強く、硬く、拳を握りしめた。
己の未熟さを叱りつけるかのように。
そこへ、
「レイ様ー、いますかー?」
ガチャ、と扉が開き、リリナが入ってきた。
「どうした?」
「あ! 探したんですよ! 今度ここに来るときは私に言ってからにしてください!」
「はいはい」
レイは適当にあしらいながら本を読み続ける。
読み終えたのは『ザクバーラ王国の歴史』だけだ。
他の二冊も勉強になりそうなので、レイはすべて読むことに決めていた。
「どうせ雨だし、今日はここにいる。リリナも好きなことをやっていてくれ」
「……そう、ですか。分かりました。レイ様って、英雄譚以外も読むようになったんですね?」
「最近な。冒険者になる上で、必要だと思うものだけしか読んでないけど」
「なるほど。それじゃ、私は洗濯でもしていますね。なにかあったら呼んでください」
「ああ」
レイは次に、『世界地図』を開いた。
最初の見開きは世界の全体像。
次のページからは地方ごとにまとめられている。
(……ふむ)
世界の全体像とはいうものの、いまだ一つの大陸しか確認されていないのだが。
これから先、未開の大陸などが発見され、地図に加えられるかもしれない。
だが、海に棲み着く魔物への対策がない現状では、新大陸を発見するのは厳しいと言わざるをえない。
海では、船に穴を開けられるとその時点で終了。
極めて人間に不利な環境だからだ。
レイはページをめくる。
ザクバーラ王国は大陸の東部に存在している。
勇者を召喚した強国の割に、規模は小さめだ。
その隣にあるのがレイストラス帝国。
最強の国と呼ばれていて領土は広範に渡る。こうしている今も、南部へ版図を広げている最中だ。
そして東部と西部を区切る『魔の森』があり、強力な魔物の多いこの森が交易を断絶している。
レイの憧れである『世界樹』のある森のことだ。
ちなみに森を西部に抜けた先は完全なる未開地であり、地図にも描かれていない。
王国と帝国の北には『砂漠』が広がり、ここは食糧に乏しいものの魔素が非常に濃いので、それをエネルギー源とする魔物の棲み家となっている。
そこから更に北に行くと、魔族が治める国――魔国の領土が広がっている。
つまり魔族が王国や帝国に侵攻するときは『砂漠』の魔物を引き連れながらになり、その逆はまず『砂漠』の魔物を相手にしなければならないので、どのみち常に厳しい戦いになってしまうのだ。
『砂漠』から北西に行くと、『魔の森』は途切れ『鉄の山脈』がある。
その麓にはドワーフが棲む炭鉱の街がある。
その山脈を西に越えると、シャトガーナ神聖国と呼ばれる国家が存在する。
(……こんなところか)
転生してからの五年間で違う点は特にない。
王国と帝国の領土に、少しずつ魔国が侵食しているぐらいだろうか。
(王国と帝国が魔国を倒すことに真剣になれば倒せるんだろうが、いかんせん仲が悪いからな……いつも三つ巴みたいな状況になる)
『鉄の山脈』を越えた先のシャトガーナ神聖国は基本的に『我関せず』のスタイルを貫いている。
泥沼の戦争が続いているのは、この大陸東部の三国ということだ。
最近では互いに様子見しているのか、どこも小競り合い程度になっているようだが。
いつ大きなぶつかり合いに発展するかも分からない。
(……もう少し留まっていてくれよ。俺が成長するまで)
レイは祈る。
できるだけ早く強くなりたい――そんな思いはあるが、焦っても仕方がない。
一歩一歩、着実に強くなっていこう。
レイは『世界地図』を閉じた。
ところで。
異世界式魔術を扱う――つまり独自の思考スタイルをするレイに、『魔術教本』はまったく役に立たなかった。