3-25 それぞれの選択
「一つ言いかね?」
低い声でそう尋ねたのはエルヴィスだった。
「今、ガングレインを攻めようとしている貴様の部下というのは――『六合会派』の面々もいると考えていいのか?」
感情の読み取れない平坦な声音を聞いて、ローグは興味深そうにしながら返答する。
「その通りだ。唯一、『南』の後釜であるレイモンドだけはこちらにいたがな。それは貴様らも知っているだろうが」
「つまり……」
その一瞬。
「――『北』を司る道化師も、そこにいると?」
意識して感情を消そうとしていた老紳士の声音に、ぞっとするような憎悪が僅かに乗った。
ローグはエルヴィスから放たれた鋭利な刃物のような殺気を受け流し、ただ薄く笑うことでそれに答える。
エルヴィスとしては、それだけ分かれば十分だった。
「フリーダ様」
「……分かったよ。元々、そういう契約だ」
フリーダは諦めたかのように苦笑した。
カツカツと『空間回廊』の方に足を進めていくエルヴィスに、フリーダも追従していく。
彼女はそこで振り返り、ライドたちの方を見た。
「みんな、すまないな。この依頼は失敗だ。よって、もう君たちに私を護衛する義務はない。自由に行動したまえ」
「え……」
マリーが思わずといった調子で声を漏らしていたが、このままでは聖剣を回収するどころではないのだ。依頼は確かに失敗だろう。
「ああ、報酬はきちんと支払う。心配はするな……だから、生きて帰っていてくれ」
フリーダはそれだけ言って前を向く。
ローグの近くに存在する地下への階段に真っ直ぐ進んでいくエルヴィスを追って。
壁に背を預けるローグは横を通り抜けるエルヴィスとフリーダを一瞥して、しかし何もしなかった。
そして。
「……わたくしも行きます」
ぽつり、と。
マリーが強い意志を持って呟いた。
「護衛というのは、帰るまでがセットの仕事のはず。それを半端なところで放り出せません。それに……」
彼女は毅然とした態度で、前へと歩き出す。
「わたくしは、貴族の娘です。冒険者になっても、その誇りまで捨てた覚えはない。ゆえにわたくしは、みすみすノーマン侯爵領の民が苦しむのを見ているわけにはいかない民を護るのが貴族の仕事だと――お父様はよく言ってました。ならばわたくしは冒険者として、彼らと、そして彼らが護る民を助けに行きます。今、そう決めたんですの」
ノエルはそんなマリーの様子を見て、微笑を浮かべた。
その瞳に恐怖の色はない。
「なら、わたしたちもついていくよ。ね、ライド?」
「……分かってるよ。そもそも、どのみちここにいても死ぬだけだ」
ライドも舌打ちをして、そんな彼女らについていくことにしたらしい。
彼は現実的な男だ。その方が生き残れる可能性が高いと冷静に判断したのだろう。
ならば。
「……私は」
リリナとセーラは。
「レイ様を、待ちます。主を置いていくわけにはいきませんし……」
レイモンドとの戦闘を請け負う際、「聖剣を頼む」と、確かに彼はそう言っていた。
ならば彼のメイドとして、その指示を諦めるわけにはいかない。
「それに、いろいろと聞きたいこともある」
リリナの視線がアリアを射抜いた。
「……うん。セーラも、レイから離れるわけにはいかない。国からの命令もあるけど……レイは目を離すと、すぐに無理をするから」
先に進むマリーたちに向けて、そんな風に告げた。
ライドが振り返らずに、リリナたちに向かって言った。
「死ぬなよ。あの英雄バカにも言っとけ」
「……分かりました。ちゃんと伝えておきます」
そんな言葉を最後に、ライドたちも地下の階段を下り、『空間回廊』へと消えていった。
「……さて」
と、嘆息しつつ呟いたのは、この場の中心であるローグ・ドラクリア。
「アリア」
「……何よ」
「お前の現代式魔術だったか、その“通話”でピエロたちに繋げ」
「どうするつもりなの?」
「『六合会派』の誰かに『空間回廊』の出口で待ち伏せさせろ。そして、あの連中を捕縛しろと伝えろ」
「――っ!? あんたが見逃すなんてどういうことかと思ったら、そういうこと……!!」
「見逃したつもりはないがな。どのみち、あの程度の連中が俺の部下の邪魔をできるはずがない。ただ、なかなかに面白い人材だ。興味深い」
「あたしがその指示を聞くとでも?」
「これは命令だ」
ローグが淡々とした口調で言うと、アリアがその端整な顔を歪める。
「……ともあれ」
彼は右肩をもみほぐしながら、ちらりとリリナたちを一瞥し、そして聖剣の近くに立つ土精霊ノームに視線を合わせた。
「邪魔が入ったが……そろそろ続きを始めていくとするか」
言葉の、直後の出来事だった。
轟ッッッ!! という、凄まじい音が炸裂する。
片や女神が自ら創り出した『四大精霊』の一角。
片や勇者アキラと渡り合ったとされる魔国軍最強の男。
人知を超えた怪物同士が巻き起こす世界屈指の戦闘が――再び幕を開けた。
だがしかし、リリナの目にもノームが圧倒されていることが分かる。ローグに負けるのも時間の問題だという彼の声は真実だった。
とはいえリリナが入り込めるようなレベルの戦闘ではない。ノームはリリナたちをも守るように立ち回っているのだから、むしろ近づくだけで邪魔になりかねない。
魔術が使えるセーラは魔族領域を展開できれば多少は援護できそうだったが――今は使うことができない。国に封印されている。
ゆえに、リリナたちは、その戦闘に手を出すことができなかった。
ノームの魔力が削れていくごとに、刻一刻とリリナたちも追い詰められていると知りながら。
けれど――やるべきことはそれだけではない。
「……アリアさん。あなたは、どうしてローグと共にいるんですか?」
――知りたいことはたくさんあった。
◇
いつかのどこか。ある日のこと。
「あたしがこの世界を救う。あなたがした約束は、代わりにあたしが果たすからね」
かつて勇者の隣にいた少女の呟きが、ゆるやかに吹く風に溶けて消えていった。