3-24 それを望む者
ザクバーラ王国北方には、魔国軍の侵攻に対抗するため、何十もの守りが備えられている。
戦争が休止していたここ十数年で、その守りはさらに強化されていた。
その中でも、北方の中央付近に存在する城塞都市がある。それは北方に点在する砦を統括する、王国最大の大要塞。
名は、ガングレイン。
険しい峡谷に挟まれ、魔国軍が攻めるためには道が限定される上、そこに流れている川が足を阻む。つまり戦略的に、圧倒的に有利な地形なのだ。
当然、王国はここを重要視し、軍の精鋭を数多く揃えている。
これまで魔国軍の猛攻を何度も耐え抜いてきた、王国の守護者。
そんな要塞ガングレインは正面からの攻めには滅法強いが、裏に回られると弱い。しかし、ただでさえ迂回しにくい地形に存在する上、抜け道になりうる場所にはいくつもの砦が構築されている。
だから――よほどのことが起こらない限り、ここを突破されることなどありえない。
だが、少数で潜入した場合は話は別だ。勇者アキラが殺されたあの王都への奇襲は、その弱点を突かれた。
基本的に戦いは数だが、それこそ勇者を筆頭に例外は多少なりとも存在する。
ともあれ、この大要塞ガングレインを正面から突破しようとすれば、いくら強靭な魔族と言えど大規模な消耗は免れない。
そう。
正面から突破しようとすれば、だ。
もし――その要塞の背後に繋がる、抜け道が存在したとすれば?
「魔国は元々、王国で排斥されていた魔族が、『砂漠』より北方の領土を奪い取ることで造られた国。つまり、言うまでもないが――魔国領は数百年前まで王国の領土だった。当時の王国政府は『砂漠』による隔たりを何とかして交易を深めるために、『砂漠』中央付近の大きなオアシス周辺、つまりこの上に街を作った。名はトラングの街。今はすでに魔国に滅ぼされて廃墟になっているが、当時は交易によって栄えていた。だが、それだけではない」
ローグは淡々と語る。
「この街は、女神教会の総本山だった」
「女神、教会……」
リリナはその名を、口の中で転がす。
それは、今でも王国内で高い権力を保っている機関だ。王国の中枢に食い込んでいると言っても過言ではない。
だが――信仰する人間が多いのも当然だろう。この世界は女神が創造し、勇者に与えられた聖剣には『女神の加護』が宿っていると云われている。
つまり王国は女神に守られている――そう解釈する者がいるのも違和感がなく、実際に教会の大司教には、女神より託宣が下るなどという話も聞いている。
リリナとしては半信半疑ではあるが、今そこは重要ではない。
重要なのは、女神協会が大きな権力を持っているということと――かつては王国を牛耳る中枢組織だったということだけだ。
リリナはあくまで貴族の召使いをする過程で歴史について学んだだけで真偽については知らなかったが、ローグの話しぶりを見ると正しいように思えてくる。
「だから、あの規模に街が発展したのみならず、地下にこんな広い神殿が造られている。つまりは女神を崇拝する教会の信者たちが、女神が存在する時空間に最も近い――女神が最も力を影響させやすい場所を生み出したわけだ」
誰も、ローグの話を止められない。
彼がそれを認めていない。
銀髪に紅い瞳の怪物は、先ほどまでの威圧よりも明確な殺気を以て、リリナたちを縫い付けていた。
「結果、それを褒めたのか認めたのか、せっかく下界に力を及ぼしやすい場所を得たからは使ってみたのか……クソ女神の思惑までは知らないが、ともあれ奴は力を行使してこの地下に『空間回廊』を創り出した」
「回廊……?」
「そう、旧王国の北と南を繋ぐ地下通路。その中継地点がこの地下だ。つまり『空間回廊』より北に進めば、一本道の果てに地上に繋がる階段があり、そこは魔国領に繋がっている。同じように、ここから南に進めば王国の内部に繋がっているわけだ。それも――当時は交易の重要拠点、今では大要塞ガングレインと呼ばれている場所の奥地まで」
「地下通路だと……。そんなものに、何の意味が」
「そう思うだろう。当然だ。だが女神は意味のないことはしない。そして地下通路は神造だ。その時点で、それはあらゆる法則を無視して魔術になりうる。神そのものが魔術的な存在とも言えるのだから当然だ。そして『空間回廊』の場合、距離の概念に干渉した。つまり、ここを通った場合は本来あるべき距離よりも圧倒的に短い。経験上、ここからなら数十分でガングレインまで辿り着く」
皆、段々とローグの言いたいことが分かってきた。
「このままだと、あの要塞はもう終わりだよ」
戦争の再開。
それと同時に、王国を壊滅させる決定打を与えると言っているのだ。
「今頃、俺の配下である魔国軍の精鋭たちが、大要塞ガングレインの裏手から攻撃を仕掛けようとしているだろう。律儀に背中を向けて警戒している王国軍に向けて、な」
フリーダが冷や汗をかきつつも、言う。
「中々に信じ難い話だな……」
「そう思うなら、それでも構わない。俺は要するに王国の敗北は近いという話をしているだけだ」
おそらく嘘ではないだろう――と、リリナは推察する。
先ほどから聞こえてくる土精霊ノームの「声」も、解読すれば似たような情報が散見される。
そのことをフリーダたちに伝えると、マリーの体が震えた。
「嘘……」
彼女は信じられないかのように目を見開いている。
その立ち姿はどうしようもなく、脆く見えた。
なぜマリーがそこまで動揺しているのかリリナには分からず違和感を覚えたが――直後に、気づく。
大要塞、ガングレイン。
それはマリーの親であるノーマン侯爵が支配する領土の中核であり、当然、彼らは今もガングレインで政務をこなしているのではないか。
「お父様と、お母様が……!」
「……マリー、だいじょうぶ。落ち着いて」
「セーラ……」
セーラがローグに怯えつつも、マリーの手をそっと握る。
マリーは深呼吸し、少しだけ平常心を取り戻したようだった。
ノーマン侯爵。マリーの父親である彼が噂通りの人物なら、きっと民が危機に陥った際、魔族の手から身を挺して守ろうとするだろう。
民を護るのが貴族の責務――それがノーマン侯爵の口癖だと、リリナはレイの父アルバートから聞いたことがあった。
「仮に、それが本当だったとして……なぜそれを私たちに知らせる?」
「簡単だ。お前たちには、これを阻止しに行ってほしい」
「……何を言っている!?」
理解できないとばかりにフリーダが叫ぶが、ローグはただ薄く笑みを浮かべて、こう返すのみだった。
「――今なら、まだ間に合う。俺から言えることはそれだけだ」
◇
一方、ザクバーラ王国。
大要塞ガングレイン、その内側に広がる都市の一角。
その地下では。
「さぁて野郎ども、準備は整ったかよ?」
数百人規模の魔族が、僅かの乱れも見せずに整列していた。
皆、一様に真剣な表情。これから先の重大な仕事に向けて、精神を集中させている。
それをおそるべき統率力と称すべきか――否。彼らを指揮する『六合会派』の面々は、対照的なまでに好き勝手に準備を整えていた。
この場に集うはローグが集めた魔族の精鋭たち。つまりはローグの人材を見出す目を評するべきだろう。
一見、少ないように見えるかもしれない。
だが。
王都が燃えた日、たったの六人で王都に暴虐を振るった一騎当千の『六合会派』が、この場に四人。
その面々が、要塞ガングレインの裏から奇襲できるという時点で、すでに過剰戦力だと魔国軍の精鋭たちは気づいていた。
なぜだか黒いミニスカートを履いている可愛らしい美少年――クラークは、その恰好から想像されるものとは正反対のようにも思える嗜虐的な笑みを浮かべ、告げた。
「なら、行くぜ。今だけはオレたちが世界の中心。待ち望んだ戦争の幕開けだ……!!」