3-22 偽の問答
――リリナ・オースティンはハーフエルフだ。
人族とエルフ族の間に生まれた、祝福の子。
彼女には半分しかエルフの血が流れていないとはいえ、精霊を視認できる程度の種族的特徴は持ち合わせていた。
だから――今、このとき。
人族でも視認できるほどの高位精霊を前にして、リリナだけがその声を聞き取ることができたとしても、そこまでおかしい話ではないだろう。
だから。
これは罠だと、悟ることができた。
「……どうした、リリナ?」
フリーダが小首を傾げ、リリナの真意を尋ねてくる。
「聖剣は諦めて、撤退するべきです。でないと、私たちではあなたの命を保証できない」
「何を言っている? この精霊がいる以上、有利なのは――」
「聖剣を守護している土精霊ノームは、|この神殿の中でしか真価を発揮できない《・・・・・・・・・・・・・・・・・・》。私はハーフエルフです。彼の声を、辛うじて私だけが聞き取ることができています。人間とは思考回路が異なるのか、上手く解読するのが難しいですが……」
リリナが途切れ途切れに返答すると、フリーダは瞠目した。
「これは罠です。私たちが聖剣を持ってこの地下神殿を脱出したとき、土精霊ノームでは私たちを護れない」
「……ローグはそこを襲撃してくるつもりだと言うのか?」
フリーダは硬質な声音でそう聞き返してくる。リリナが頷くと、彼女はローグに視線を向けた。
すると壁に背を預ける銀髪の男は、愉快そうに口元を歪めた。
「……なら、この場で奴を倒してもらうことはできないのか?」
「それも無理みたいです。ローグの言っていることは嘘。力量はノームよりもローグの方が上。ただ倒すには時間がかかる。だから私たちを騙して、楽に聖剣を手に入れようとしているだけです」
リリナは土精霊の要領を得ない声を、何とか要約してフリーダに説明していく。
土精霊ノームと名乗ったこの高位精霊の役目は、あくまで聖剣を守護すること。ローグを倒すことではない。
先ほどの数分の交戦で、力量は悟った。このままでは間違いなく敗北する、と。
だからローグが自分から仕掛けてこない以上、ノームとしては手を出さない。というより、手を出せない。
「わ、わたくしたちも協力して戦えば……」
マリーが少しばかり震えながらも、自らを鼓舞するように言う。
だが、ローグの垂れ流しの威圧を直視して、その声は自信なさげに萎んでいった。
先ほどのレイモンドのときも、一目で怪物だと悟った。だが、眼前にいるこの魔人はそんな生易しいものではない。
絶対に、勝てない。
そう感じさせるほどの格の違いがあった。
「……そんなの、無理」
先ほどから沈黙を保ち続けていたセーラが、怯えたような声音で言う。
そうだ、この少女はマリアスの一件で、ローグ・ドラクリアと関わったことがあったはず――
「この男と、関わっちゃいけない。……逃げよう、今すぐ。ここから」
セーラの心は、完全に折れていた。
そのさまを見て、ローグは初めて彼女の存在に気づいたように目を細める。
「……良い目をするようになった」
ローグは、そんな風に言う。
「恐怖を感じるのは、人間の証だ。失うことが怖いと思えるのは、君が大切なものをたくさん手に入れた証だ。……そうか、やはり君は人形ではなくなったらしい」
「貴方……何様のつもりで……!」
ローグの言葉に、マリーが激昂する。恐怖は感じているようだが、それでも彼女は前へと足を踏み出した。
マリアスを誘導し、セーラを苦しめた張本人が――いったいどの口でほざいているのか。
リリナも唇を噛み締めた。
だが、魔術の準備を始めたマリーを、セーラが押し留める。
「……お願い、やめて」
「……っ!! わたくしは……!!」
マリーは表情を歪める。
ローグは愉快そうに肩を揺らすと、リリナに視線を戻した。
「おおむね正解だ、そこのハーフエルフ。そして良い判断だよ。そのまま聖剣を持って帰ればお前たちは死ぬ。俺が殺して、奪い取る。だが、何もせずに逃げ帰る者をわざわざ追い立てるほど俺は暇じゃない」
「……」
「お前たちが逃げ帰るのなら、俺は時間はかかるにしてもこの精霊を倒し、聖剣を奪うだけだ」
リリナは押し黙っていた。
確かに、この状況ではリリナたちに選択肢などない。
フリーダも悔しげに表情を歪めているが、聖剣を諦めて逃げ帰らざるを得ない状況だ。
そう――リリナたちでは、ローグには勝てないのだから。
だが。
リリナには、この状況を打開する心当たりがあった。
(レイ様……)
今はこの神殿の上階で、敵の魔族と戦っているはずの男。
レイ・グリフィス。リリナの主。
彼は前世の記憶を持つ転生者であり――かつては聖剣を扱う勇者アキラだった。
そのことを知っているのは、この場ではリリナだけだ。
前世とは体が異なるのだから、レイに聖剣を扱う勇者の証が宿っているのかは分からない。だが、可能性は十分にあった。
自分の力にこだわるレイ自身は聖剣に対して複雑な感情を抱いているようだったが、彼から「聖剣を握る」という選択肢そのものを奪いたくはない。
そして、もし今も聖剣を握る資格を持ち、握る意志があったとするなら――ローグ・ドラクリアをこの場で倒してしまえるのではないか、と。
――そこまで考えて、リリナは首を振った。
(……駄目だ。それでは、どうあれレイ様は聖剣を握ってしまう。それは選択させられているだけです……自分の意志じゃない)
レイは優しいから。
身の回りの悲劇を見過ごせない人物だから。
きっとリリナたちが危機と知り、それが自分の力ではどうしようもないと悟れば、信念を捻じ曲げてでも守ろうとするだろう。
本当は、借り物の力に頼りたくはなかったとしても。
そんな選択を、彼にさせたくはなかった。
リリナがぐるぐるとそんなことを考えている間も、ローグが饒舌に語っている。
「ここは地下神殿。つまりは女神の力が最も及びやすい空間だ。そういう風にしてあるのだから当然であり、女神の造形物である精霊が神殿において最大の力を発揮できるのも道理だろう。本来なら魔力構成体に過ぎない精霊が力を発揮するためには何らかの媒体が必要不可欠だが……こういった場所では話が別なのだろうな。要は、この神殿を出てしまえばそこの土精霊ノームとやらは、著しく弱くなる」
理屈としては分からなくもない。だが、話が神だの何だのと現実離れしすぎていて、絵空事のように思える――ライドたちはそんな顔をしていた。
ローグは語りつつもライドたちの反応を観察し、興味深そうにしている。
「思っていたよりも王国では女神の信仰が薄いようだ。ここが神殿だと知らずに侵入してきたわけでもないだろうに。……そもそも、神造である聖剣がここに存在する意味ぐらいは考えていてしかるべきじゃないか?」
「……フリーダ」
ライドが呟き、フリーダに視線を向ける。
――それを分かっていたのか? と。
フリーダが聖剣の在処をどのように知ったのか、リリナたちは聞かされていない。
だからフリーダなら、ローグの言っていることが分かっているではないかと、そう思い――しかし彼女は首を振った。
「……いや、私は知らない。そもそも私はここに聖剣があると知っていたわけではない。分かっていただけだ」
不可解、というよりも要領を得ない言葉だった。
そのとき彼女は異様に重たい雰囲気を放っていて、それ以上問いかけられるような雰囲気ではない。
だが。
ローグだけはそんなものを一切気にせず、思い至ったかのように「……ああ」と呟いた。
「なるほど。そういえばフリーダと呼ばれていた。人族は成長が早いからな、知っている特徴と一致しなかったが……ようやく気付いたよ」
その口元に、明確な弧が刻まれる。それはひどく悪辣な笑みだった。
「お前――“死の商人”か」
「……その仇名で、私を呼ぶんじゃない!!」
これまでの問答で。
厳しい表情はしつつもあくまで冷静だったフリーダ・クレールが、取り乱したように激昂した。