3-21 聖剣
ライドたちが地下神殿の奥へ奥へと下っていくと、やがて奇怪な領域に侵入した。
これまでの道中ではところどころが錆びて朽ち果て、今にも崩壊しそうだったが、この付近に来てから床や壁には汚れが見当たらない。異様に綺麗な石材だった。どんな材質で創られているのかすら分からない。
「何だよ、ここは……」
明らかに異常だった。何十年以上も前に滅びた街の、その地下に造られていた建造物が――ここまで年月を感じさせない綺麗な空間を作っている。
荘厳な雰囲気を醸し出していた。
ライドたちは違和感を覚えつつも、魔族を警戒しながら慎重に進んでいく。
やがて、大きな広間に辿り着いた。
「あれは……!?」
白い円柱が立ち並び、真紅の絨毯が地面に敷かれている。その中央では、六角形状に造られた階段が三段ほど床を盛り上げ、そのまた中央には台座が存在した。
そこに突き刺さっているのは――白銀の剣。
確認するまでもなかった。その剣から発せられている圧倒的な魔力が、その正体を明確に告げている。
「聖剣……!!」
フリーダが苦虫を噛み潰すような表情で言った。
冒険者を集めて依頼を出すほど求めていた品をついに見つけたというのに、彼女の表情は晴れない。
その理由は、語るまでもなかった。
「――ほう、レイモンドが突破されたか」
聖剣の近く。数十メートル前方に佇み、口元を歪めるのは長い銀髪の男。
魔族を示す紅の瞳が、ライドたちを捉える。
「王国軍……といった趣きではなさそうだが、中々の精鋭を集めてきたと見える」
「ま、さか……!」
ライドは畏怖していた。
これでも冒険者養成学園の出身。魔国の幹部の特徴など、知らないわけがなかった。とはいえ、判断したのは知識によるものではない。
もっと単純な話。これほどの威圧感を持つ者が、いくら魔国軍と言えど何人も存在するはずがないという確信。それが、眼前に佇む青年の正体を明かしていた。
――ローグ・ドラクリア。
魔王シャウラ亡き今、魔国軍最強と名高い正真正銘の怪物。
「どうやら知られているらしい。名乗る手間が省けて何よりだ」
ローグはそう言って笑った。
「……魔国軍の幹部が、こんなところで何をしている?」
「レイモンドから聞かなかったのか? 奴は口が軽いから、すでに知っているだろうに。……そもそも、ここに来ている時点で分かり切っている」
「魔族が聖剣を手に入れてどうする気だ?」
「さて、特に役に立たないかもしれないが。ないよりはあった方がいいだろう? みすみす人族に渡して新たな勇者が生まれたりしたら最悪だ」
「……」
「まあ、そう思っていたんだがね」
思わせぶりなローグのセリフに、フリーダは押し黙る。彼の視線の先は聖剣。その近くには、いつの間にか人型の何かが出現していた。
理解できない。見たこともない生物。分かるのは、土で構成されていることだけだ。魔物のようにも見えるが、本能がそれらとは違うと訴えている。
その生物は何も語らない。ただ、聖剣を背後に護るように動き、ローグを威圧した。
ローグはそれを見て、肩をすくめる。
「どうやら神の守護はそんなに甘くはないらしい」
「……どういうことだ?」
「あれが何だか分かるか?」
ローグは謎の土くれ人型生物を指して、ライドたちに尋ねる。誰も何も答えないのを見ると、ローグは興味深そうに息を吐いた。
そうして、語り始める。
「あれは精霊だよ」
「……何だと?」
「精霊術師の存在ぐらいは、お前たちでも知っているだろう? 彼らが使役しているのと基本的には同じ存在だ。ただし『格』が違う」
ライドはその言葉を聞いて、改めて土くれの生物を眺めた。確かに、その身に纏う神聖な雰囲気は精霊と呼ぶに相応しいのかもしれない。だが、これまで一度も見たことないものに対して、すぐに納得できるほどライドは物分かりが良いわけではない。
そもそも――
「精霊は、人族には見えない存在では……?」
リリナがライドの疑問を尋ねてくれた。声は少し震えている。目の前の存在が、恐ろしいのだろう。それは皆同じであり、彼女の恐怖を和らげられるほど余裕のある者は、今ここには存在しなかった。
レイがいたなら話は別かもしれないが。
「良い質問だ」
ローグは言う。
そう、精霊は自然との親和性が高いエルフ族にしか見えないと、そんな風に云われている。
彼女のようなハーフエルフなら見えるのかもしれないが、ライドたちのような純粋な人族が精霊を視認できている状況がおかしいのだ。
「精霊というのは魔力構成体だ。俺たちとは根本的に存在として異なる。ゆえに、精霊が見えないと言われているのは、単にその身を形成している魔力が微弱であり視認できないわけだ。エルフ族が視認できるのは、単に彼らが種族特徴として魔力感知に長けているからだ」
ライドは驚嘆する。そんなことは、冒険者養成学園ですら一切聞いたことがなかった。そもそもライドは大して講義を聞いていなかったが、マリーが目を見開いている時点で、学園で教わった知識にはないことは分かる。
「……なるほど」
皆が驚く中、一人フリーダが頷く。そして彼女はこう尋ねた。
「ならば、先ほど『格』と言ったのは……」
「そういうことだ。つまり、その精霊が多大な魔力を有していれば話は別。多大な魔力が固まっていれば、俺たちでも視認できる。そこにいる精霊が視認できるのは、つまりは精霊としての位階がお前たちの知っているものよりも上だということだ。俺はこのクラスの精霊を高位精霊と呼んでいる。めったに見ることはないが」
ローグは饒舌だった。こちらは彼の覇気に威圧されているというのに、彼は好きなように語り続ける。
「このクラスの精霊は、強い。女神が自ら造形したのだから当然と言えば当然だが……ともあれ、俺たちではこいつを倒すのは面倒だ。少なくともここではな」
「女神が……? いや、今はそんなことはどうでもいい。つまり、そこにいる精霊とやらは聖剣を守護している……という解釈でいいのか?」
ローグは頷く。
フリーダは思考する。つまり聖剣を回収しようと考えるなら、ローグですら倒せなかった高位精霊を打倒しなければならないらしい。
それ以前に、魔国軍の幹部を前にしたこの状況から生きて帰れるなら、の話ではあるが。
「その心配は無用だ」
だが、フリーダの思惑を見透かしたようにローグが告げる。
「女神は人族の味方だ。なら、聖剣を守護する精霊がお前たちに刃向かうわけがない。むしろ人族がやってくるのを待っていたはずだ」
それを証明するかのように、土くれの生物はローグにしか敵意を向けていない。
「そして、おそらく――」
突然。
ローグの指先から魔術が放たれた。あまりにも流麗で滑らかな魔術の発動。
それは初歩的な術式だが、同時に術者の力量で大幅に威力が増減する。
“魔弾”。
が皆の意識の隙間を突いたかのようなその一撃は、ローグに最も近い位置にいたノエルに炸裂する。
そのはずだった。
「やはりか」
しかし、ノエルは無傷である。
なぜか――その理由は、いつの間にか彼女の眼前に、土の壁が構築されていたからだ。それがローグの“魔弾”を防いだ、ということになるのだろう。
これは魔術ではない。精霊術だ。当然、その行使者は聖剣の隣に佇む土くれの生物。青髪の少女がいない今、それ以外にありえない。
「なるほど」
フリーダは小さく息を吐いた。細かい理屈は分からない。だが、自分たちの立ち位置だけは分かった。
「この精霊は、私たちを守ってくれるらしい」
「わざわざ説明してやった理由が分かったか? 俺はお前たちにも手を出せないんだよ。だからこうして暇している」
「なら、私たちが聖剣を持ち帰ると言っても、見てるだけだと?」
「――そういうことになる」
ローグは嗤った。その笑みが、フリーダの目には妙に悪辣に映る。
わざわざこんなところまで探しに来た聖剣だ。持って帰れるのなら、当然そうしたい。
だが、奇妙な不安感がフリーダの心を縛り付けていた。
「どうした? 本来なら全員殺しているところだが……俺がこの精霊に勝てない以上、状況はお前たちが有利だ。元々、こちらとしては聖剣の回収などついでに過ぎない。持っていきたいのなら、持っていくといい。聖剣を扱う勇者に相応しい器など、そうすぐに現れるとも思えないからな」
「……良いだろう。お前の口車に乗ってやる。もともと、そのために来た」
「一つ聞いてもいいか?」
「何だ?」
「――なぜお前はここに聖剣があると知っていた?」
そのとき、ローグの視線が蛇のように細くなった。ぞっとするような威圧が顕わになる。
「私はお前のようにお喋りなわけではない」
フリーダは気圧されつつも、気丈さを意識してそう答えた。動揺するわけにはいかない。
冷や汗が、頬を伝って床に滴り落ちた。
「……そうか。今のところは口を割る手段もない」
ローグはそう言って、諦めたように肩をすくめた。
同時に、聖剣のある場所から離れていく。広間の奥の壁に背を預けた。手は出さないという意思表示だろう。
「聖剣は、遠慮なくもらっていくとしよう。元々、人族のものだ」
フリーダが言うと、ローグはおかしそうに笑った。
彼女は階段を上がり、聖剣を前にする。土精霊にはやはり何かしてくるような気配がなかった。ローグの言葉通り、人族は味方として扱っているのだろう。
聖剣は、煌びやかに輝いている――というわけでもなかった。むしろ、飾り気のない剣だった。だがその刀身からはある種の神々しさが醸し出され、見ているだけで斬られてしまいそうな剣気が漂っている。
フリーダはそれを握り、台座から引き抜いた。
勇者の証を持つ者にしか聖剣に宿る能力は扱えないらしいが、持ち抱える程度なら問題ないようだ。
フリーダはほっと息を吐き、ローグを警戒しつつも元の道に撤退しようとする。
その瞬間の出来事だった。
「……フリーダさん、聖剣を元の位置に戻してください」
リリナが真剣な声音で、その行動を止めたのだ。




