1-7 夜
夕食を取り、夜の帳が下りて数時間が経過した。
レイはベッドから密かに起き上がった。
自室に誰もいないことを確認し、灰色の外套を纏い、剣を腰に吊ると、音を立てないように窓を開ける。
魔力で身体強化すると、一気に跳躍した。
屋敷の外壁を越え、草原に着地する。
(……よし)
レイはそのまま明かりもないまま北に向かっていく。
視界が効かないのは危険だが、今のところ夜しか魔物と戦える機会がないのだ。仕方がない。
そのうち夜に目が慣れてくる。
『前世』では夜戦も珍しいことではなかった。
村を抜け、森の内部に侵入する。
鬱蒼と木々が茂り、濃厚な緑の匂いが鼻を刺激した。
レイは剣の柄に手をかけながら、奥に進む。
(……灯り?)
しばらく木々を避けながら歩いていると、レイは木々の向こうが明るくなっているのを発見した。
屈んで、見つからないように近くに迫っていく。
木に背を預け、灯りの方へ僅かに顔を出した。
(ゴブリンが……三体。焚き火をしているのか)
さて、どうするか――レイは思考する。
今のレイとゴブリンの体格は近い。
同時に数体は中々に厳しいものがある。
数日前も囲まれて撤退した。
だが、今日のレイには試したいことがある。
むしろ絶好の機会かもしれない。
(……よし、周囲に仲間がいる感じはしないな。やるか)
レイは覚悟を決め、脳内で念じた。
(ライター。そして、 魔力を油に見立てる)
魔術。
それも無詠唱で術式を創り上げる。
術式をアリアに学んだ異世界的な思考で構築するレイのやり方では、むしろ詠唱が邪魔になるのだ。
はたから見ると無詠唱魔術をマスターしているようにも見えるだろう。
レイは己のやり方を異世界式魔術と呼んでいた。
(イメージは――火炎放射器ッ!!)
木陰から飛び出し、掌を向けた。
魔力を一気に術式に流し込み、急速に稼働させる。
直後。
轟ッッッ!! と、凄まじい炎が炸裂した。
刹那の走馬灯すら見せる暇も与えず、ゴブリンを一瞬のうちに灰燼へと還した。
途轍もない威力。
初めての実戦で、威力調節を失敗してしまった。
そのせいで森に火がついている。
「やべっ……!?」
レイは慌てて次の魔術を発動させようとする。
脳内で思考が安定せず、失敗した。
(慌てるな、落ち着け……! 思考を整えなきゃ、魔術は発動しない――)
深呼吸する。
ゆっくりと、息を整える。
(イメージ、イメージだ。想像するのは……そう、水道だ。水道の蛇口を捻り、外に出てくる。魔力を水に見立てればいいんだ!!)
はたして、その術式は成功した。
レイは燃え始めた木々に向け、掌から水流を一気に発射した。水の勢いに負け、炎が消えていく。
レイは安堵したように息を吐いた。
(うーん……練習だと威力調節できたんだけどな。実戦においての焦りも計算に入れないと。森では火属性はナシの方向で行こう)
それよりも体が重いとレイは感じていた。
魔力を流し込みすぎた。
魔力は、空気中にある魔素という物質を吸収して自然に回復していく。
レイの魔力量なら、七時間も経てば元に戻っているだろう。
ちなみに魔力を体内から失うと体が怠くなる。
完全に枯渇した場合は気絶してもおかしくない。
(残り二割といったところか……)
魔力枯渇は実戦においては致命的だが、魔力は使えば使うほど体内の許容量は多くなる。
だからレイはできるだけ子供のうちに使っておきたいと考えていた。
(でも、森でこれ以上使うのも危険だな。下手に気絶でもすると死にかねない)
せっかくもらった二度目の命だ。
死ぬには早い。
死には臆病であろうとレイは心に決めた。
そしてゴブリンの魔石を剥ぎ取り、帰路を辿った。
♢
その後レイは屋敷に戻り、体内で魔力制御の訓練をしながら就寝の態勢に入っていた。
やはり魔力そのものが減っていると、魔力を制御する感覚も異なってくる。
残存魔力は平常時の二割だ。
操る量が減る分には楽だが、扱う魔力量を調節するのは普段でも変わらないし、体そのものが怠くなっているので、結局のところ扱いにくさは増していた。
だからこそ意味がある。
より滑らかな魔力移動を心掛けて、レイは集中する。
(……魔力制御技術は、戦闘力の大部分を占める)
レイはそうだと知っていた。
『前世』においてレイが最強の存在だった理由は、『女神の加護』による剣技の巧みさ――ではない。
魔力そのものが莫大な上に、『加護』が自己判断で無駄のない魔力制御をしてくれていたからだ。
その頃の感覚を何となく覚えているレイはどうにかこうにか再現しようと努力していた。
そのおかげか、いまだにレイは身体強化時の魔力制御をミスり、筋肉や関節を痛めたことはない。
魔力による身体強化は奥が深く、全体を強化しすぎたり、一部分に特化しすぎたり、バランスが悪かったりなど――少し制御をミスると肉体のどこかを痛める。
つまり強者ほど身体強化が上手い。
魔力制御が繊細なのだ。
そもそも肉体を強化しすぎると目と思考が追いつかなくなるので、魔術学者が提唱した『限界強化線』と呼ばれる一定の値が存在する。
それを越えた強化度合いで戦うと、思考が己の動きに追いつかず、攻撃が単調になったり筋肉を痛めたりして、普段よりも弱くなることが多いのだ。
(まあ、今頃アルスは筋肉痛で眠れないだろうが……頑張れよ)
レイはそう思って苦笑した。
今日のアルスは『限界強化線』を越えていた。
この値は個々人の体格や筋肉量、頑丈さ、魔力への適応力によってかなり異なるが、アルスは別に鍛えているわけではないし、特別頑丈なわけでもない。
とはいえアルスは天才だ。
おそらく次は同じミスはしないだろう。
今日の敗因が体を強化しすぎたせいで、自身の攻撃の軌道が分かりやすかったのだと理解しているはずだ。
(……だからと言って、負けてはやらねえけどな)
いくらアルスが天才とはいえ、仮にも元英雄が子供に負けるわけにはいかない。
それでは最強の英雄など程遠いからだ。
♢
翌日。
エドワードとデリックの雰囲気は元に戻っていた。
やはりデリックが先に謝罪し、勉学と剣技、魔術に関して教わることを再開したようだ。
デリックは次男だ。エドワードに何かあった場合、もしかすると家を継ぐこともあるかもしれない。
レイほど自由な立場ではないのだ。
「ちょっといいお知らせがあるのよ」
朝食の席にて。
そんなことをレイがつらつらと考えていると、母のカリーナが上機嫌に言った。
「あなた達の妹が生まれるわ」
(やっぱりか……)
驚くデリックと微笑するエドワードを横目に、レイは静かに納得していた。
最近、妙にお腹が出ているとは思っていたのだ。
おそらくアルバートが王都に出張する前だから、一ヶ月前あたりだろう。
まだ枯れないのか、と呆れ混じりに母親を眺める五歳児レイ・グリフィスである。
「……良かったね、母さん。父さんは、いつ帰ってくるの?」
エドワードがゆったりとした聞きやすい調子で尋ねた。
ちなみに貴族ではあるが他人の前ならともかく、家族間で敬語は使わない。
アルバートが「寂しいからやめろ!」とふざけたことを抜かしていたからだ。
「そうねぇ……そろそろ帰ってくるんじゃないかしら。二週間もしないかな」
「へぇ」
レイは驚きに声を出した。
アルバート・グリフィスが帰ってくる。
それは朗報だった。
なぜなら家のことはアルバートが決める。
つまり、アルバートにレイの実力を認めさせれば、家族公認で魔物狩りに出掛けられるかもしれない。
夜にこそこそ外出する必要がなくなるのだ。
(それと、剣も欲しい)
現在、レイが持っているのは修練用の木剣が数本。
刃引きされている安物の鉄剣が一本だ。
魔力を薄く鋭く伸ばし、武装強化をしているので、ゴブリンぐらいは何とか薙ぎ倒せるが、もう少し上位の魔物を相手にするには心もとない。
斬れ味が鋭いのはもちろんだが、魔力伝導率の高い直剣が欲しいところだった。
(これまで夜に狩った魔物の魔石は一応溜め込んであるが……これを見せても怒られるだろうしな)
ゴブリンの魔石は純度が低く、小さい。
それでも複数個あるなら、それなりの剣を買うには十分な値段で売れる。
魔物の核をなしている魔石という物質は、純度が高いほど魔力伝導率が高く、大きいほど許容魔力量が多い。
(魔力を電気だと考えて、電池のようなもんだな)
魔石は人々の生活には不可欠な品であり、都会では魔石文化と呼ばれたりもする。
一国の生命線であるが、それに対して魔物を狩る冒険者の数が少ないので、品薄で貴重になっていた。
レイの『前世』より昔は、冒険者になる為の試験はなく、職のない底辺がなる安仕事だったようだが――近年では、魔王が降臨した影響で魔物が強くなっていたので、戦闘の才能がある者でないと魔石が取れなくなったしまったのだという。
(それこそ、昔は素人でもゴブリンを殺せたらしいが)
激減する魔石供給量に慌てた国が、冒険者の地位と与える金銭を上げ、無為に労働力となる人々を死なせない為に試験制度を設けた。
――そして冒険者は一部の人間にしかなれない人々の憧れの職業として名を馳せ、現在に至る。
(……そういや、魔王ってまだ生きているのか? そもそも、俺が死んでから転生するまで、どのくらいの時間が経過しているんだろうか)
本来なら、転生した直後に調べるべき項目である。
レイは朝食を食べ終えると、書庫に向かった。