3-15 水浴び
「……ようやく、着いたか」
レイは目的地となる地下神殿があるオアシスを発見し、安堵したように呟いた。
ここに辿り着くまで、『砂漠』の屈強な魔物と何度も遭遇し、いくらレイとはいえ疲労している。
他の面子は言わずもがなだった。
しかし幸いにも、と言うべきか。それとも単純に実力のおかげか。何にせよ、レイたちにいまだ傷はない。旅は順調なまま前半戦を終える形となりそうだった。
「オアシスに隣接するような感じで、何だか建物……の残骸? みたいなものが見えますね。地図上は何もなかった気がしますけど」
「大丈夫ですの? 魔族の新しい拠点だったりしたら……」
「いや、遠目にも崩れたり壊れたりしてるし、人が住んでる気配はなさそうだな。見た感じは廃墟ってところか」
「――昔はここにも街があったらしい。あれはその成れの果てだ」
レイたちが話し合っていると、中から顔を出したフリーダがそんな風に答えた。
「人族に虐げられた魔族が集まって国を造り、『砂漠』より北方の領土を奪い取って占拠するより前、この街は北方と南方を繋ぐ交易都市だったらしい。まあ私も直接見たわけではないんだが」
「私ですら生まれていないほど昔の話ですからな。いくらフリーダ様とはいえ、そこまで老いているとは思い難い」
「何だエルヴィス、その気に障る言い回しは。……まあいい、そこの廃墟に着いたら馬車を停めろ。地下神殿の入り口は私が自分で探す」
「仰せの通りに」
廃墟に馬車を停めると、フリーダが外套を纏った状態で外に出てくる。
レイは彼女の少し前に出て索敵をしながら、廃墟の光景を確認していた。
「……結構、デカい街だったみたいだな」
ぽつりと呟く。
「どの建物も錆びていたり老朽化していて危ないですね。今にも崩れそうです。あんまり近づかないようにしましょう」
「むしろ崩壊して瓦礫になってるところの方が逆に安全かもな」
リリナの言葉に、レイは軽口を叩く。
レイは前世を含めても、この廃墟に来るのは初めてだった。
アキラが戦いに参戦した頃、王国はとうに『砂漠』を踏み越えた先の街々にまで、魔国の侵攻を許していたからだ。
その後、アキラの活躍により盛り返したものの、せいぜい『砂漠』前までの領地を取り戻したに過ぎない。勇者アキラが亡くなってから王国は窮地に陥ったが、帝国の本格参戦や魔国軍の内部分裂(これはあくまで噂だが)によって三国は睨み合い――実質的な休戦状態となって今に至る。
ともあれ魔国との火種が再び燃え始めている現状では、密かに軍がこの辺りまで侵攻している可能性もゼロではない。警戒するに越したことはなかった。
レイは高く跳躍すると、三階建ての建造物の屋上に着地する。崩れかけてはいるが、レイの体重ひとつで何か変わるほど柔ではないらしい。レイはそこから廃墟を見回した。
シンとした、静寂。この場にはレイたちしかいないはずだから当然ではあるが。
時折、風の音がレイの鼓膜を揺らす。時刻は夕方。太陽は沈みかけ、レイの影を伸ばしていく。
下で周囲を探索していたフリーダが腕を組んで言った。
「……時間が微妙だな。日が沈めば探索もできない。今日はここまでにして野営の準備をすることにしよう」
「それが賢明ですな。焦っても仕方がない」
エルヴィスが頷き、レイたちは馬車を停めた場所へと戻った。
そしてオアシスを囲むように展開されている廃墟を通り、オアシスが作る森の中へと入っていく。
比較的大丈夫そうな小屋を見つけたレイたちはそこで野営の準備をし、焚火を熾した。『砂漠』の夜は寒い。風避けになる建物はありがたかった。
そうしているうちに、夜が訪れていた。満月が夜空で煌々と輝いている。
パチパチと音を立てて、焚き火の炎が揺れる。レイはその熱の恩恵を受けながら、手元にあるスープを少しずつ口に運んでいた。
「ここ最近は保存食ばかりだったから、温かい食事は嬉しいな」
「美味しいですか?」
ニコニコと笑うリリナが小首を傾げて尋ねてくる。
「ああ」
「……セーラも、おいしい」
塩で味付けされた簡素なものだが、やはりリリナの腕が良い。
ライドたちも感心したような表情でリリナを見ていた。リリナは少しだけ頬を赤くして、照れたように俯く。
その様子を見て、フリーダはニヤニヤしながら、
「私専属の料理人にならないか?」
「いえ、嬉しいお話ですがご遠慮させてください……」
「あら、振られてしまったか」
「うちのメイドに妙な誘惑はやめてくれ」
「おや手厳しい。主人から釘を刺されてしまった。しかし惜しい腕だと思わないか、エルヴィス?」
「そうですな。私の妻と並ぶかもしれません」
「……エルヴィスさんの奥さんは、料理が上手だったんですね?」
「こいつが身内を過剰評価するのはいつものことだから気にするな」
そんな風に談笑していると、いつの間にか夜も深まっていた。
それぞれ順番に夜間の警戒を立てつつ睡眠を取る。
今日はたまたま担当がなかったレイはぐっすりと眠り、朝の陽射しで目を覚ました。
くあ、と大きなあくびをしながら近くに座っていたライドに話しかける。
「おはよう。異常はなかったか?」
「うっす。あったら起こしてるから安心しろ」
そう言ってライドはひらひらと手を振る。
「ん……ふぁ」
少し声が大きかったのか、もぞもぞとフリーダが起き上がった。
金色の美しい髪が上に跳ねるように寝ぐせがついている。彼女は眠たげな瞳をこすると、「よし」の一言で目がぱっちりとする。
朝に弱いマリーとは違うらしい。
「悪い、起こしたか」
「気にするな。どのみち起床時刻だ」
フリーダはそんな風に言うと、すぐ傍で眠っていたセーラやリリナ、ノエルに声をかける。
マリーは起き上がらなかったのでスルーされた。
「どこ行くんだ?」
「せっかくのオアシスだ。砂の感触にはうんざりしていたし、少し水浴びをしてくる。レイたちはここにいてくれ」
「ああ……」
レイが生返事すると、フリーダは何を思いついたのか、悪戯っぽく笑う。
「それとも、一緒に水浴びするか?」
「は!?」
「ええ!?」
ニヤニヤと笑うフリーダに、レイは驚いて目を瞠る。リリナたちも僅かに頬を赤くした。
「ち、ちょっと、フリーダさん!?」
「どうしたリリナ、そのプロポーションは素晴らしいが、役立たせないと無価値だぞ?」
「……いいから、さっさと行って来いよ。俺は遠慮する」
「右に同じ」
レイが嘆息すると、ライドも肩をすくめる。
「つれない男だな君たちは」
明らかに冗談で言っていたフリーダがからからと笑う。
「何とでも言ってくれ」
「私の体には興味がないと言うのか? 中々のものだと自負しているが」
フリーダはそう言って腰をくねらせる。その動きで豊満な胸がたゆんと揺れた。ちなみにその横でセーラが同じ動きを試していたが、何一つ揺れるものはなかった。世は無常。
レイが呆れていると、リリナは何だか興味ありそうにちらちらとこちらを見ている。だから答えた。
「さあな」
「はぐらかすんですか!?」
愕然とするリリナ。しかし、この場合は興味があると言ってもないと言っても負けな気がする。卑怯な質問だった。
「だって、なあ?」
「ん? おお」
「……」
何だかノエルに冷たい視線を向けられているライドは、レイの曖昧な問いかけに適当な頷きをした。
「……それより、水浴びしたい。早く行こう」
「そうそうセーラの言う通り。いいから早く行ってきてくれ。次は俺たちが水浴びするから」
「仕方ないね」
「別に仕方なくないんですけど……」
肩をすくめるフリーダに、ブツブツと言いながら唇を尖らせるリリナ。すたすたとマイペースに先を歩いていくセーラに、何だかツンとした様子のノエル。
マリーはこれだけ騒ぎ立てても寝袋にくるまってすやすやと寝ていた。一応、睡眠時に物音ですぐ起きる訓練は学園で積んでいるらしいのだが、本当なのか疑わしいところだ。
そうしてフリーダ達が湖の方に向かっていったタイミングで、ライドがぽつりと呟いた。
「……惜しいことをした」
「いや、あの中に混ざってもキッツいだろ……」
「理屈では図らねえもんなんだよ……浪漫ってやつはよ。それも、おれたちには掴めなかったものだ」
「何カッコ良く決めようとしてんの?」
髪をかき上げながら煙草に火をつけるライドに、レイはジト目を向けるのだった。
公式発売日は二日後ですが、すでに書店に出回っているところも多いと思います。
「転生勇者の成り上がり」第二巻、ぜひよろしくお願いします。