3-13 宿屋の夜
メライーダの街に着いた一行は、そのまま宿を確保し、そこの食堂で温かい食事を取っていた。
皆でテーブルを囲んで飲み食いするのは楽しかったが、腹が満たされたレイは少し夜風を浴びたいと思い、外に出た。
北方に出てきたからか、少し肌寒い。だが外套を羽織ると、丁度良く感じるぐらいの気温だった。
レイは宿の壁に背を預け、空を見上げる。
この街の夜は静かだ。規模が小さいので酒場の数も少なく、騒げる場所も少ない。だがレイにはその静けさが心地良かった。
もちろん賑やかな夜もそれはそれで好きだが、単に今はそういう気分ではないというだけだ。
煙草でも吸えればサマになったのかもしれないが、あの手の嗜好品はいまいちレイの口には合わない。
「よお」
そんなことを考えていたレイの耳に声が届く。
そちらに目をやると、入り口からライドがひらひらと手を振りながら歩いてきた。
「何してるんだ?」
「見りゃ分かるだろ。何もしてないんだよ」
「考え事か」
「……さてな」
レイが肩をすくめると、ライドは苦笑して隣で壁に背を預けた。
「お前は……って、聞くまでもねえか」
彼はレイを横目に、懐から煙草を取り出す。
「吸うか?」
「いい。趣味じゃないんだ」
「そうか。……火よ、我が指に」
簡素な詠唱でライドの指先に火が灯り、それが煙草の先に火を点けた。
彼が“魔力嵐”以外の魔法を使ったところをレイは初めて見る。
「そんな目で見るほどか? 確かに魔法は苦手だが、このぐらいはできるさ」
彼はゆっくりと深呼吸し、煙を吐き出す。くゆる煙が夜空へと立ち昇っていく。
レイは僅かに頬を緩めた。
「不良学生だったんだな?」
「おいおい、学内じゃ吸ったことねえよ」
「それ以外だと吸ってたわけだ」
「いいだろ別に。禁止されてるわけでもねえし。そういや隣の帝国じゃ成人するまで駄目だっけか」
「二ホンでもそうらしいぞ」
「二ホン?」
「知り合いの故郷だ」
「聞いたことねえな」
「だろうよ」
適当に言い合うと、ライドは立っているのがだるくなったのか、屈んで煙草に口をつける。
彼は少しの間だけ沈黙すると、
「……何か知ってるのか?」
どうでも良さそうな調子でそんなことを言った。
レイは答える。
「何かって、何だよ」
「エルヴィスの爺さんの話。お前、妙に暗い顔をしてたじゃねえか」
「……王都が燃えた日の話なんて、俺が知っていると思うか?」
「知らねえならいいけどよ。それが普通だしな。おれたちの年じゃ生まれてるかも分かんねえぐらいだ。ただ、ちょっと気になってな」
「人の生き死にに関わる話をしてただろ。だから、死んだ知り合いを思い出したってだけだ。悪いな、心配かけて」
「心配なら、お前が従えてるメイドの方がはるかにしてたぞ。礼ならそっちに言っとけ」
フーっと息を吐きながら、ライドは言う。
「リリナか」
「ああ。王国にハーフエルフとは珍しい。まあエルフ族の里を救った英雄なら当然ではあるか」
「マリーから聞いたのか」
「まあ一般にはグリフィス伯爵家の手柄になってるし、貴族の情報網でもないとお前の名前までは出てこねえよな」
レイは眉をひそめる。言っていることは正しいが、何だか言い回しに違和感を覚える。
「これに関してはマリーから聞いたわけじゃない。レイ・グリフィスという存在は最初から知っていた。顔までは知らなかったから、最初は結び付かなかったけどな」
「お前……貴族の子息なのか?」
「正確には、過去形だけどな」
ライドは淡々とした口調で語る。
「王都が燃えた日。おれの家族は軒並み死んだらしい。おれは生まれたばっかりだったから何にも覚えてねえけどな」
「……」
「だから悲しいとか、そういった感覚は特にない。おれが認識してるのは遠い親戚の下級貴族たちだけだし、その連中もこんな面倒な立ち位置の子供にちゃんと衣食住を与えてくれた。まあ大して会話したこともなかったが、おれにはそれで十分だった」
「……そうか。冒険者養成学園に送られたのは、厄介払いみたいなもんってことか」
「察しが良いな。あの学園は国やギルドの援助があるからそこまで金は必要ないし、半端に身分があるおれをそのへんに放り出すわけにもいかない。つまり学園はうってつけの放流場所だったってことだ。冒険者なら、卒業した後の心配はいらない。おれにとっても都合が良かった。そこでマリーも含めて、貴族の知り合いができたしな。おれがお前のことを知ったのはそのへんの繋がりからさ」
ライドは煙草を吸いきると、火をもみ消して吸い殻ごと魔術で灰にする。
そして地面を軽く蹴り、落ちた灰に土を被せた。
「――ま、だからどうってわけじゃねえけど。仮にも同じ試験に合格して、同じ依頼を受けた仲だ。これまで意外とあんまり話してなかったしな、自己紹介とでも思ってくれ、冒険者界隈の期待の星、エルフ族の里に続いてクロエラードの街を救った英雄さんよ」
「どっちも、俺の力だけじゃどうしようもなかった。英雄を名乗れるようなものじゃない」
「何だよ、嫌なのか?」
「ああ。悪いけど――英雄にはこれからなるんでな。俺はこんなところじゃ終わらない。世界を救うぐらいじゃないと、英雄とは呼べないだろ?」
レイが本気で言うと、
「……」
ライドが珍しく眠たげな瞳を見開いていた。
「これまであんまり話したことなかったしな、自己紹介とでも思ってくれ」
レイはライドと同じ言葉で返すと、不敵に笑みを浮かべる。
ライドは苦笑すると、
「すげえ奴だな、お前は」
「戦場で寝ようとする大物に言われたくねえよ」
「寝たくて寝てるわけじゃねえ。そういう体質なんだよ」
彼は僅かに目を細めてレイを見やると、くるりと背を向ける。
「……さて、おれはそろそろ戻るぜ。お前も長居はするなよ、風邪引くからな」
そんなことを言って、宿に戻っていった。
そのマイペースさにレイは肩をすくめると、ぐっ、と背伸びして宿の方に歩き出す。
「俺も戻るか。明日からまた、馬車の旅だ」
そんな風に気合を入れ直した夜だった。