3-12 エルヴィス・ジークハルトという男の過去
戦いは熾烈を極めた。
エルヴィス・ジークハルトとブラッド・ピエロ。
荒れ地に変わった街中の大通りに佇む両者は、荒く息を吐いていた。
厳しい表情でピエロを睨むエルヴィスに対し、ピエロは愉しそうな笑みを見せている。
現状、有利なのは間違いなくエルヴィスだ。疲労はしているものの、エルヴィスに傷はない。それにピエロの顔面に一撃を入れたので、右の目元から頬にかけて深く切り刻んでいる。どろどろと血が溢れ出していた。
このままでは命に関わるほどの血を流している上、痛みも尋常ではないはずだというのに――ピエロは笑みを絶やさない。ただエルヴィスを真っ直ぐに見据えて、この状況が愉しくて仕方がないとでも言いたげに嗤っている。
「……なぜ笑う?」
エルヴィスは剣を向けながら、そんな風に尋ねた。
「いったい私の何がそこまで面白いというのだ」
「ふむ。……いや、やはり自分の目で見なければ、きっと信じられないでしょう」
ピエロはやれやれと肩をすくめながら、そんなことを呟いた。
「アナタは素晴らしい役者だ。ならば、それに相応しき対応を取らなければならないでしょう。――ワタシに、ついてきてください」
刹那。ピエロは尋常ではない速度で後方へと跳躍した。咄嗟にエルヴィスはそれを追尾していく。
戦場を移行する気か――? と、そんな考えが脳裏をかすめたが、それ以上に嫌な予感がひしひしと込み上げてくる。
ピエロは異様に速い。俊敏な速度で瓦礫と化した街中を駆け抜けていくので、追いつくどころか見失わないことに精一杯だった。
そうして――ピエロは、あるところでピタリとその足を止めた。
エルヴィスは必死に彼に追いつくと、着地して剣を構え直す。だが――そこで妙な既視感に襲われた。
「ここ、は……」
知っている。火が燃え盛り、家々は倒壊して瓦礫になっているとはいえ、見間違えるはずもない。
こちらに背を向けるピエロが見ている方向には、まさにエルヴィスの家族が暮らす家があるのだから。否。あったはずと言うべきか。そこにはすでに、橙色に燃え盛る炎しかなかった。
一瞬エルヴィスは絶望しかけるが、まだ判断は早い。そもそも、こんな状況下で家に籠っていたとは考えづらいからだ。王城の内部、少なくとも別の場所に避難していると考えるべきだ。
「ご安心を。このあたりに住んでいた方々は避難していたので、この家には誰もいません」
「なぜ、ここが私の家だと知っている……!?」
「いいえ、そんなことは知りませんでしたよ――本当に、つい先ほど、アナタが名乗るまでは」
「どういうことだ……!?」
ピエロが何もない空間で指を動かす。よく目を凝らすと、その指の先には魔力の糸のようなものが伸ばされていた。
粘着性を持ち、かつ強靭な魔力糸を錬成する不可思議な魔術。戦闘中にも活用していた。いったい何の伝承を基にした術式なのか、純粋な剣士であるエルヴィスには分からない。
「ワタシの魔術の一つに、“傀儡”というものがあります。アナタが今見ているこの魔力糸を何かに接続し、操り人形にする術式でございます。この魔力糸は少しでも魔力を鍛えている者なら簡単に引きちぎってしまえる程度のもので、意外と役に立つ場面は少ない。ですが、戦闘を生業としない者が多く存在するこの王都襲撃では、存分に役立ってくれました」
突如として自らの魔術の本質を明かすピエロに、エルヴィスは眉をひそめる。
いったい、この男は何をしようとしているのか。
「もしや――とは、思っていたのですがね、先ほどのアナタの言動でようやく確信できました」
ピエロは語りながら、指を動かす。さながら人形を操るかのような手つきで。
すると、ピエロの魔力糸に操られ――カタカタと不自然な動作で『何か』が姿を見せる。
炎の中を潜り抜け、全身に火傷を負ってなお表情を変えないそれは、もはや生きてはいなかった。人間を名乗れるような状態ではなかった。
「逃げようとしていた避難民の群れを襲撃した際に、たまたま近くにいた者を傀儡に選んだわけですが、操られた彼女らは自らの手で避難民を血祭りに上げながら、アナタが名乗ったものと同じ名前を叫んでいたもので」
ああ。いくら焼け爛れ、体中に傷を負っていようとも、その顔を覚えている。その体格を覚えている。その人物の名前を思い出せる。忘れるはずもない。
なぜなら――そこにいたのは紛れもなく、エルヴィスの家族だったのだから。
「貴、様……」
「彼女らは避難民の誘導をしていたから、最後尾にいましてね。ああ、自分らの身を危険に晒しても他者の安全を優先するその精神! なんと高潔なことか! 彼女らの指示に導かれて避難していく民には、確かに信頼が見えた。信頼関係があってこその迅速な避難。とても美しい! 彼女らは舞台の役者を演じるに相応しい存在でした! ――ゆえに、ワタシは彼女らを傀儡に選んだ! 彼女らは勝手に動く体が信頼してくれた仲間たちを切り刻んでいく光景を間近で眺めながら、あなたの名前を叫んでいました! ――エルヴィス、エルヴィス、私たちを助けてと!」
「貴様ァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
「ああ、! これはなんて残酷で、哀しき悲劇の舞台でしょう! ゆえに、だからこそ――アナタは役者に相応しい! アナタの激情が、アナタの悲憤こそが、物語における最高の華となる! アナタもそうは思いませんか!」
エルヴィスの妻、アニス。エルヴィスの娘、カーラ。そしてカーラの夫であるジーン。
おそらく、すでに使い潰していた彼女らを、エルヴィスに見せるためだけに傀儡にし直したのだろう。
そうして――三人の傀儡の奥で、道化師を名乗る男は悪辣に嗤う。
悲劇を引き起こし、それを愉しむ最悪の存在を見て、腸が煮えくり返っていたエルヴィスは感情のままに駆け出した。
「貴様を、殺す……!」
「お好きなように。ですが――」
ブラッド・ピエロは突如として、これまでとはまるで異なるレベルの殺気を噴出させる。
普段のエルヴィスなら怖気づいて戦いやめるかもしれない。
だが――今のエルヴィスには、眼前の怪物を殺すことしか頭になかった。
「たかだか人族の中では少々強い程度の剣士が、ワタシたち『六合会派』に本当に勝てるとでも?」
わざわざ勝敗など語るまでもなかった。
エルヴィス程度の実力では、ピエロの全力を図ることすらできなかったのだ。
◇
「……お恥ずかしい話ですが、私はその日から何もする気が起きず、空虚な毎日を過ごしていました」
エルヴィスはそんな風に語りを続ける。
レイはその昔を思い出すかのように細められた瞳を見ていられずに、そっと顔を逸らした。
王都が燃えた日――すなわち、勇者アキラが殺された日。
あの日は数々の悲劇があった。それを食い止めるはずの勇者アキラが何もできなかったから。
「……」
エルヴィスの身に起きたことも、あの日に起きた数ある悲劇の一つに過ぎないのだろう。レイが背負うべき悲劇の一つなのだろう。
その一つが――当然のことながら、こんなにも重い。レイは固く、拳を握り締めた。
「そうやって、いつまでたっても落ち込んでいたから、見ていられなかったのでしょうね。フリーダ様が喝を入れてくださったのですよ」
そう言ってエルヴィスは苦笑する。
「喝……ですか?」
「ええ。――いつまでも腑抜けた顔を晒すな。何もする気が起きないのなら私についてこい、と」
「その言い方は……どうなんでしょう?」
あはは、と苦笑するリリナに、エルヴィスは、
「確かに、傷心中の者には普通言わないだろう暴言ですが――当時の私は、腫れ物のように丁寧に扱われていたもので、そんな接し方をしてくる者は久しぶりだったのですよ。この方はきっと、私のことを本当に心配していたから、厳しい言葉を投げかけてくれたのだろうと思いました。だから、ついていってみようと思えたのです」
前を見据えるエルヴィスの瞳に、過去の傷がないわけではなかった。けれど、そこには悲しい過去をきちんと背負って、その先へと歩いていく男の顔があった。
「だから――私には、こうして今があります。やるべきことを、また見つけることができたから」
そんな話の区切りと共に、馬車はいったん停止する。先ほどから目指していたメライーダの街の門前に辿り着いたからだ。
「どうやら、私が寝てる間に私の話が出ていたらしいが……このクソ真面目な男の言うことは適当に聞き流しておいてくれ」
するとフリーダが憮然とした顔でそんなことを言いながら馬車内から顔を出した。
彼女に後頭部をこつんと叩かれたエルヴィスは苦笑しつつ、再び馬の手綱を引いて馬車の車輪を進める。
「さて――それでは、中に入りますか。今日は久しぶりに宿で休むとしましょう」