3-11 王都が燃えた日
戦って、戦って、戦って。
ただ必死に、がむしゃらに、戦場を走り抜けた。
今は剣を振ることが、平和を導く唯一の道だと信じていたから。
――だから、エルヴィス・ジークハルトは、魔族を斬り捨てる修羅だった。
戦場の最前線。人族と魔族が真っ向から激突する、世界で最も苛烈で残酷な場所。死者は置き去りにされ、その屍を踏み越えて次の刃が敵を穿つ。そんな戦乱の真っただ中だった。エルヴィスが、その報告を受けたのは。
「何、だと……?」
その時。右腕を負傷したエルヴィスは、救護所で治癒魔術をかけられていた。
だから、後方から馬を乗り継いでやってきた伝令の兵士から、真っ先にその報告を受けることができた。
「繰り返します! 現在――我らが王都は、魔族の奇襲によって甚大な被害を受けています!」
衝撃は大きかった。エルヴィスが今いる場所は、王国北方の最前線だ。最前線がここである以上、魔族の軍が王都などという王国の奥深くまで潜り込めるはずがない。少数で潜入工作を仕掛けるならともかく、最も厳重に警護されている王都を壊滅寸前に追い込む規模なら、間違いなく大軍のはずだ。補給路などの問題もある上、王都の周囲には当然、いくつもの要塞が存在する。
いくら魔族と言えど、そんな厳重な監視体制を潜り抜けて、大軍を王都まで運べるはずが――
「――七人です」
伝令の兵士は、自分でも信じられないかのような調子でそんなことを呟いた。
「王都を襲撃し、今まさに襲撃しているのは、たった七人の魔族です!!」
そんなわけがあるか、とエルヴィスは否定したかった。
だが伝令の兵士が持っているのは間違いなく本物の書状である。
「そん、な……」
王都にはエルヴィスの妻と子供が住んでいた。
この戦線を守り切れば、家族に被害が及ぶことはないと思っていた。ここの戦いを勝利し続ければ、王国には平和が戻ってくると思っていた。自分の剣で、家族を護ることができると思っていた。
だから王国の冒険者として、戦争協力の依頼を受けたのだ。
できることなら今すぐ家族のもとに駆けつけたい。だが受けた依頼を放り出すのは冒険者として許されざることだ。依頼を受けた以上、そこには責任がある。エルヴィスが率いている部隊もある。今ここを投げ出すということは、最前線で共に戦ってきた彼らを見捨てるも同然だ。そんなことはできない。散っていった仲間の屍に、背を向けることになる。
それでいいのか。そんなことが許されるのか。
脳裏に、穏やかな妻の顔が過る。もうすぐ子供ができると言っていた娘夫婦の顔が過る。
エルヴィスは瞼を閉じる。固く、剣を握り締めた。
「行けよ」
後ろからそう言ったのは、同じ冒険者の男だった。
普段は悪態ばかりついて部隊の輪を乱す、トラブルメーカーの男だった。
けれど本当は誰よりも仲間の身を案じ、守るための努力を欠かさない男だった。
そんなヴァル・モンクトンという一人の青年が、エルヴィスが睨むように見据えて、告げる。
「人にはそれぞれ戦う理由がある。それを見失ったら、意味がないんじゃねえか?」
救護所を見回すと、同じ部隊の皆がエルヴィスを見ていた。
彼らは皆、エルヴィスの事情を知っている。家族の話は、常日頃から語っていたからだ。
「ここは任せてください」
「絶対に戦線は守り切ります」
「王都にも増援は必要でしょう?」
「どうせ冒険者部隊に集団戦闘なんて期待されてない。一人いなくなったところで大丈夫ですって」
同部隊の皆は口々に言う。
ヴァルは皮肉げな笑みを浮かべながら、
「引退間際のおっさんはさっさと家に帰れ。後は俺たちがやる」
「お前……」
「ただし」
ヴァルは振り返らず、そのまま救護所から出ていく。
「行くからには――間に合えよ。俺には家族はいないが、それでも王都には、知ってる奴らがたくさんいる」
「ああ……ああ!」
エルヴィスは、救護所での手当と休憩を終えて再び戦場へと繰り出していく仲間たちを見ながら、
「――恩に着る」
馬に乗り、彼らに背を向けて駆け出していった。
◇
王都は燃えていた。
――とある貴族街の中心付近では、
「はははははははははははははは!! 何だよ何だよ、どいつもこいつも歯ごたえがねェ!! テメェらそんなザマで貴族だの何だの名乗ってんのかァ!? 力もねえのにトップに立つ? 人族ってのァ本当に変わってんなァ! 恥を知れ!!」
輝くような金髪を三つ編みにした黒いワンピースの美少女――否、美少年が、低い声で吠えていた。
逃げ惑う人々に一歩で追いつき、拳を振るう。
華奢な体に似合わぬ圧倒的な膂力が敷き詰められた石畳を粉砕し、次から次へと大破壊を巻き起こしていく。
――とある兵士たちの訓練場では、
「アタシが直々に鍛えてあげようって言ってるのに、アンタたちは積極性が足りないわねぇ。どうせアタシらは適当に王都で暴れろって命令しか受けてないし、暇なのよね。自分の技術を磨ける機会を逃すのは利口じゃないわよ? そうやって現状に甘んじているから、蟻のようにあっさりと死んでしまう。今みたいに」
身長二メートル超え。筋骨隆々とした肉体を持つ男が、女のような口調でそんなことを言う。
すると次の瞬間、体をくねくねさせていた男の姿が兵士たちの視界から消えた。
どこへ、と言葉を発する暇もなかった。
いつの間にか長大な鉄の棒を持っていた男が、一人の兵士の頭上に振ってきたからだ。
残念ね、男のそんな一言と共に振り回された鉄の棒――メイスが、おそるべき速度と威力をたたき出す。
そうして、すべての兵士をただの肉塊へと変えた。
――とある城門の付近では、
「あら、地響き」
「お姉さま。他の連中は野蛮な暴れ方をしているみたい」
「美しくないわねえ。優雅な暴れ方というものが分かっていないようです」
「うん。お姉さまの言う通り」
「でしょう? ルリはいつだって正しいんだから」
近隣の砦から慌てて駆け付けた増援が、唐突に現れた二人の少女に困惑を顕わにしている。
紅に輝く瞳を見る限り、魔族だということは分かる。だが、こんな子供が王都を襲撃しているとは流石に思えない。少数で王都襲撃を可能にするほど強大な魔族を想定し、緊張していた兵士たちからすれば正直言って拍子抜けだ。だが魔族である以上、ひとまずは拘束しなければならないだろう。
兵士たちはそう考え、幼い少女に剣を向けることに心苦しさを覚えながらも近づいていく。
そこで、桃色の髪をポニーテールにした少女が首を傾げ、翠の髪をショートカットにした少女が頷いた。
兵士たちが彼女らの行動に眉をひそめた――刹那。
地形を変動させるほどに、強烈な爆発があった。轟音が炸裂する。誰も言葉を発しない。
兵士たちは、塵すら残さずに消滅していた。僅かな詠唱では生み出せないはずの、圧倒的な魔法によって。
――とある城の内部では、
「哀れだな、勇者アキラ。いや……今となっては、元をつけるべきか?」
銀髪の男のそんな一言があった。その傍には、死にゆく少年の姿があった。
――そして。
とある平民街の大通りでは、
「貴様……」
「ホホホホホホ。おや、なかなかに強そうなお方だ。勇者アキラの力を過信し、王国の精鋭は誰もが前線に回されていると聞いていたのですが、やはり例外も存在するようだ。とはいえ、アナタやその他数人の強者だけでは、ワタシたちを止めることはできません。率直に申し上げますと――諦めた方が利口だ」
馬を魔力で強化し、全速力で一昼夜駆け抜けたエルヴィスの前に、一人の男が立っていた。
シルクハットに、燕尾服。老いた顔立ちには片眼鏡をかけている。明らかに場にそぐわぬ格好。彼の周囲で、街は煌々と燃えていた。彼は大げさな仕草で肩をすくめ、おどけたように一礼をする。
「申し遅れました。ワタシは『六合会派』が北を司る者――ブラッド・ピエロと申します。以後お見知りおきを」
「……エルヴィス・ジークハルトだ」
彼は律儀に応答すると、腰の剣を引き抜く。
するとピエロを名乗った男は驚きつつも、右手に持つ黒い杖から、内部に仕込んだ剣を引き抜いた。
「ほう! アナタはどうやら利口な人間ではないらしい! しかし、それでこそ! 舞台の役者として相応しい! アナタもそうは思いませんか! 強者を前にただ頭を垂れるのは、ただ利口なだけだ! そこには何の物語もない! いつだって観客を魅せるのは愚か者で、だがそれだけでは終わらない者たちだ! ――アナタには、その資格がある」
両手を大きく広げ、芝居がかった動作で語るピエロ。
「わけのわからない戯言に付き合っている暇はない」
対して、エルヴィスはただ剣を構えて駆け出した。すでに腸は煮えくり返っている。
「貴様を斬って、私は先に進む」
なぜならばエルヴィスは。
大切な家族を護るために、ここまで駆けつけてきたのだから。
オーバーラップ文庫の公式サイトにて二巻の表紙やあらすじが公開されています。
ぜひご覧ください。