3-10 メライーダの街
「……強かったな」
レイは端的に感想を言った。
眼前にはウルファングの死体が佇んでいる。すでに魔石は剥ぎ取ったので、やがて消えていくだろう。
「そうですねえ。こんな強い魔物と遭遇するなんて、運がないって言うべきでしょうか」
近づいてきたリリナがそんな風に返事をした。
(……運、か)
レイはそこまで楽観的には考えられなかった。
いくら何でも、ここまで強い魔物に、当然のように遭遇するのはおかしくないだろうか。
たかが一体。本当に運悪く襲われただけなのかもしれない――というより、その可能性の方がはるかに高い。理屈ではそうだと分かっているのに、レイは何だか嫌な予感を覚えていた。
レイは自分の勘をそれなりに信じている。根拠が特に見つからない場合だったとしても――これは経験の問題だろう。
そもそも魔王シャウラが亡くなった時から、出現する魔物の力はどんどん弱くなっているはずであり、レイもそれを実感している。
前世で戦った魔物の方が、現在よりも手強かった。あるいは幼少期に戦った魔物の方が、と言うべきか。しかし今戦ったウルファングの強さは、それらを彷彿とさせた。
魔王が復活した――とまで考えているわけではない。もしや、王国に潜伏していたローグあたりがこのあたりの魔物に力を与えていたのかもしれないし、それよりもたまたま強い魔物と当たっただけの可能性の方がはるかに大きい。
(……流石に考えすぎか)
仮に考えすぎではなかったとしても、今できることは何もない。せいぜい、何が起きても大丈夫なように心構えを持っておくことぐらいか。
レイは嘆息し、剣を鞘に納める。
「ご苦労様です」
馬車の近くで周囲を警戒していたエルヴィスが言う。
「やはり、この森は手練れの魔物が多く潜んでいる。さっさと抜けてしまった方がよさそうです」
「そうですね」
レイは返答しつつ、ぐるりと周囲を見回すが、他の魔物が物音に引き寄せられたような気配は感じない。
「行きましょう。さっきと同じ陣形で」
「分かりました」
「……りょーかい」
「こっちもオーケーですわ」
それぞれの言葉で応じて馬車の警備を固め直し、それでいて足早に森を切り拓いた街道を進んでいく。
ウルファングに襲われた位置から約一時間ほどで森を抜けることができた。
その先は、見渡す限り草原である。ここまで見通しが良い環境なら、多少は気も休まるだろう。周囲に魔物の姿も見受けられない。
もちろん地面から這い出てくるような魔物も存在するため、警備をしないわけにはいかない。
「前方に街が見えますね」
「メライーダの街だな。規模は小さい。俺たちみたいな北方を目指す者たちの宿場町ってところだ」
「なるほど」
「……若いのに、詳しいですな」
御者台で馬を操るエルヴィスが興味深そうに言った。レイは苦笑で返す。
「知識だけは、それなりに」
本当は前世に立ち寄ったことがあるだけだが。
地図にも載っていないこの小さな街の名前を知っているのは、確かに奇妙に映ったかもしれない。
「ふむ。貴方は優秀な冒険者になりそうだ」
エルヴィスは僅かに微笑を浮かべ、再び前を見据える。
「今日はあそこで宿を取ることにしましょう」
その言葉を聞きつけたのか、中からフリーダが顔を出した。
四つん這いの姿勢で馬車の幌を開き、きょろきょろと見回した後、街に目をやる。馬車の揺れに合わせて彼女の二つのたわわが揺れた。
レイは思わず目を逸らした――先のライドと視線が重なる。
おそらく同じ行動を取ったのが視線で分かってしまい、微妙な沈黙が訪れる。
「……」
「……」
はっはっは――と、お互いに何かを誤魔化すように笑い合った。
「……レイ様?」
リリナが怪訝そうにこちらを見てくる。
「……ライド?」
馬車の向こうで不審そうなノエルの声が聞こえた。
「何でもないんだ。気にするな」
レイとライドがそんな風に言ったことにも気づいていないのか、街を凝視していたフリーダは口に手を当ててあくびをした。
「ようやくベッドで寝れるようだな。旅は腰に辛いものだ……」
「ご不便おかけして申し訳ございません」
「大丈夫だよ。移動手段に関しては私が決めたことだ。お前に責任はない」
そう言って、すごすごと馬車内に戻っていく。
「かっこいい人ですねえ」
リリナは憧れたような口調で呟く。
レイも頷く。確かに、あの毅然とした態度は容姿もあいまって非常にさまになっていた。
カリスマというものだろうか。この人についていけば大丈夫だろう――という漠然とした信頼感が、彼女の雰囲気には宿っている。
「そうでしょう。私の自慢の主ですからな」
「エルヴィスさんはどうして、フリーダさんの執事をやっているんですか?」
「フリーダ様に拾われたのですよ」
エルヴィスは遠い昔を思い出しているのか、その目が僅かに細まる。
「私は十数年ほど前まで、貴方がたと同じく冒険者稼業をしておりました」
「……あ、やっぱり」
リリナが思わず呟いた言葉に、エルヴィスは苦笑する。
「まあ立ち振る舞いを見れば予測はつくでしょうな。腕には、それなりに自信がある。まだ若い者には負けられない所存です」
おそらく六十歳を超えているだろうに、いまだ衰えを見せない、抜き身の刀のような印象を抱く肉体。
レイは前世、かつて熟練と呼ばれた者が徐々に衰えていくさまを目にしていた。ゆえにエルヴィスが今でも相当な努力をして、実力を維持しているのだろうと予測がつく。
「……少々重い話になってしまいますが、フリーダ様に拾われる前の私は死に場所を探していたのです」
年寄りの戯言だと思って聞き流してくだされ――そんな前置きと共に、エルヴィスは過去を語り始めた。