3-9 旅の道中
鬱蒼と茂る森林の最中を切り拓いた道を、レイたちは歩み続けていた。
「……」
皆の間に、口数は少ない。ただ、それは別に気まずい雰囲気になっているとか、そういうわけではない。
単に、周囲の物音に気を配っているだけだ。
木々で視界は遮られ、頼りになるのは鼻と耳のみ。
こんな状態であまり多く言葉を発していたら、もし魔物が近づいてきたときに直前まで気づくことができない。突然の接敵は混乱を招く。それは避けたいところだった。
そして森には当然、魔物が多く棲みついている。多いということは、声を聞きつけて近寄ってくる可能性も高い。
ゆえに、レイたちは最低限の言葉しか交わさず、常に武器に手を添えながら道を進んでいた。
こういった道は冒険者の護衛がなければ非常に危険だ。
レイたち六人は、フリーダと彼女の部下数人が乗った馬車を囲むような形で展開している。
馬車右側の前方からレイ、セーラ、リリナ。左側の前方からライド、マリー、ノエルといった感じだ。
セーラもこういった状況では真剣な表情で周囲を索敵している。それをちらりと一瞥してレイは安心した。普段は頼りなく見えても、冒険者養成学園の首席は伊達ではないということだろう。
これが冒険者としての初仕事なのだ。心なしか、皆の気合も引き締まっているように見受けられる。
その様子を見かねたのか、
「……あまり気を張りすぎると、後に響きますぞ」
馬車の御者であるエルヴィスがそんな風に言った。その口元には僅かに苦笑が浮かんでいる。
「魔物が近づいてきても、私には分かります。貴方がたには、そこからの戦闘をお願いしたい」
それは実力者ゆえの余裕といったところか。
エルヴィスは年老いているとはいえ、いまだ一級品の戦闘能力を保持していると一目で分かる。
そんな彼なら、確かにレイたちよりも索敵範囲は広く、正確なのかもしれない。
しかし――レイたちは護衛という依頼をされ、それを受諾したのだ。で、あるならば、その仕事をエルヴィスに任せるのは気が引ける。
「……そろそろ森は抜けるはずだし、大丈夫ですよ。俺たちだって、視界が開けた状況ならもうちょっと気を抜いていられますし」
レイは苦笑してそんな風に答える。エルヴィスの雰囲気にあてられ、無意識に敬語を使ってしまっている。レイは冒険者であり、依頼主とは対等の立場であり、それを態度で示さなければならないのだが――そもそもエルヴィスが敬語なのだから大丈夫だろう。むしろこの方が対等だと言えるし、レイの気も楽だ。
基本的に年長者は敬うものだという考えが、レイの中には根付いている。これはアリアの影響が大きかった。もちろんこの世界でもある程度は、そういった常識はあるが。
ともあれレイは視界の先の木々が、段々とまばらになっていっていることに気づいた。そろそろ森を抜けるということだろう。
だから、僅かに気が緩んだ――刹那。
エルヴィスの視線が鋭くなる。レイはまず彼の気配の変化を感じ取り、一気に集中力を研ぎ澄ました。
だが、いまだ何も分からない。
眉をひそめた時、ちょうど馬車を挟んでレイの反対側を護衛するノエルが声を上げた。
「足音……っ!!」
彼女の方角に意識を向けると――確かに、ガサリとした異音が耳に届いた。自然音とは明らかに異なる。その音は徐々に大きくなっていく。
「こっちに向かってきているな」
レイは呟く。馬車が進む音は思いのほか大きく、静かな森にはよく響く。それに感づいたのだろう。
「フリーダ様、停車します。そのまま中で待機していてください」
エルヴィスが馬の手綱を操り、馬車を止めた。そして腰の剣を手を添えつつ、レイに視線を向けてくる。
「フリーダ様がたは私が護ります。貴方がたは少し前に出て魔物の討伐を。できるだけ、この馬車には近づけさせないようにお願いします」
その視線は、レイを品定めするようなものにも見えた。ある程度の経験を積めば、その者の体つきや動きを見るだけで実力の検討はつくものであり、実際にエルヴィスもレイたちの実力を見抜いてたようなことを言っていたが、やはり実戦を見なければ確証は得られないものだ。それに、例外も多く存在する。戦士型ならともかく、魔術師型の実力は分かりにくい上、たとえばライドのような必殺の切り札を持つものの、普段はそうでもないパターンもある。要するに、経験による勘は万能ではないのだ。
つまり彼は――証明しろ、と告げている。
「了解です」
レイは端的に答えた。
そして馬車を回り込み、ノエルの方へと向かう。
「リリナはこっち側の護衛に残っていてくれ。騒ぎに気づいて別の魔物が襲ってくるかもしれないし、完全にがら空きにするわけにもいかない」
「分かりました」
「……セーラは?」
「ついてこい」
レイたちは馬車から少し離れ、何かが迫る方角に寄った。とはいえ離れすぎずの距離を保つ。
「おれもここを守ってるぞ。状況次第で手を貸す」
ライドはそんな風に言った。つまり馬車の両側にリリナとライドを残し、レイたちは馬車に被害が及ばないように少し離れて魔物に対処するわけである。
レイ、セーラ、マリー、ノエル――この四人では過剰戦力のようにも見えるが、
「この魔物……多分、強いな」
そんな気配を感じ取っていた。
最初はゆっくりと近づいてきていた魔物だが、馬車を停めたことで気づかれたことに気づいたらしい。もはや奇襲を諦めたのか、猛然とした勢いで足音が迫っている。
その数は一。
この森に入ってから数回ほど魔物に遭遇したが、いずれも複数による襲撃だった。単独の襲撃は珍しい。
気配の強大さを見るに、この森の王といったところだろうか。
近くの木々を駆け抜け、魔物が姿を現す。それは、狼を巨大化したような魔物だった。白い毛並みをたなびかせ、おそるべき勢いでレイたちに肉薄してくる。
ウルファングと呼ばれる危険な魔物だ。熟練の冒険者ですら、一人では手を焼くと云われている。しかも、それは本来、群れで行動するはずの種だが――特別に強大な力を持つ個体は、やがて単独で行動するようになると云われている。つまりは通常のウルファングよりも、はるかに強いと予想できる。
はっきり言って新人の冒険者には敵うはずもない魔物だ。だがエルヴィスも、馬車内のフリーダも、口を出す気配はない。
それをちらりと見て、レイは笑った。
「来いよ」
そんな挑発を、ウルファングは聞いていたのかいないのか、ともあれ俊敏な動作でレイへと襲い掛かっていく。
回避も可能だったが、後ろには馬車がある。だからレイは、大きく口を開け、鋭利な牙で噛みつこうとしてきたウルファングを剣で弾く。
ギャリィ!! という凄まじい金属音が炸裂した。
ウルファングは宙で反転。着地して態勢を整えようとする。その直前。
「燃えなさい!」
マリーの詠唱とも呼べない端的な言葉と共に放たれた火属性魔法がウルファングを覆った。が――着地と同時に強靭な脚力によって即座に脱出。大した詠唱もせずに使える簡素な魔法ゆえにダメージは少ないが、牽制にはなった。だがウルファングの視線はギロリ、とマリーを向く。
セーラの“土流壁”がマリーとウルファングを阻んだ。しかし、ウルファングはその程度の妨害はものともせず、目にも留まらぬ速度で回避し、マリーにその牙を向ける。
だが獣人族の俊敏さを持ってノエルがウルファングに並走していた。ギョッとするウルファングに対して、冷徹な眼光を向けたノエルは、その両手に携えた双剣を振り回す。
ノエルが回転するように振るった双剣により、ウルファングの胴体から血しぶきが舞う。いくつもの切り傷が刻まれ、しかし浅い。致命傷には至らない。
とはいえウルファングはよろめき、直後にマリーへの攻撃を諦めて後方に跳んだ。
そこへ、
「炎よ、弓に牽かれた矢となり、敵を貫け!」
「風よ、世界を照らす灯を見よ、そして己が身を捧げて道となれ」
マリーとセーラの魔法が襲撃する。マリーの“火矢”に合わさったセーラの風が、さらにその速度と炎の勢いを強化し、増幅した。
三節詠唱によって導かれた威力が強く制御の難しい複合魔術。それを、二人の魔術師は完璧に制御してのける。そしてウルファングを炎の矢が貫いた。先ほどとは熱量の質が違う。ウルファングは痛みを堪えるように呻き声を上げる。それでも、戦闘の意志は衰えないようだった。
――本当に、強い魔物だとレイは思う。だからこそ生かしておくわけにもいかなかった。放置しておけば、またこの道を通る人々に危害を加えるかもしれない。
「悪いな」
レイがそう告げた時にはすでに、ウルファングの懐に潜り込んでいた。
火傷で痛みを堪えている隙を突いたのだ。
驚愕したウルファングは、しかし咄嗟にその牙で噛みつかんとばかりに襲い掛かってくる。
レイは繊細な体さばきでその突進をかわすと、そのまま胴体を下から深く斬り抜いた。同時にその体を蹴って距離を取りつつ、傷口に何発か“銃弾”を叩き込む。
強靭そうな毛皮だが、傷口に直接叩き込んでしまえば意味はない。
ウルファングはレイを睨みつけて咆哮を上げると、そのまま地面に倒れ伏し――決着はついた。