3-6 動き出す者たち
「……良かったんですか?」
リリナの声を聞いて、レイは足を止めた。
時刻はもう夕方だった。
クレール商会からの帰り道。
レイたちが依頼の受諾を決めた後、「詳しい説明は後日また改めて行う。すべての冒険者が揃った後にな」というフリーダの言葉にレイたちは頷き、ひとまず解散となった。
「……何が、だ?」
レイは振り返り、リリナに尋ねる。
彼女は立ち止まり、真剣な顔でレイを見据えている。
「聖剣」
端的に、言う。
「探して、見つかったとして――レイ様は、どうするつもりなんですか?」
「……フリーダが回収するんだろう。王国の管理下にあるに越したことはない」
「もう聖剣を扱うつもりはないと?」
「扱おうとしても、もう扱えないだろ」
レイは苦笑する。
「とうの昔に勇者の証は失っているし……そもそも転生した時点で肉体は別人だ。今の俺に聖剣が反応するはずがない」
「だとしても……扱えるかどうか、確かめもしないんですか?」
「もし扱えたとして、あの力に頼ってしまえば、俺の成長はきっと止まる」
「……」
「転生したあの時、『女神の加護』には頼らず、自分の力で強くなると誓った。それこそが大切な人たちを護る力になると信じて。……その誓いを破るつもりにはなれない」
「理屈ではそれが分かっていて」
リリナは僅かに沈痛そうな表情を見せると、
「けれど、レイ様は迷っている。今のままでは、誰も助けられないから。戦争再開の流れを止められなければ、掌から零れ落ちてしまうものがたくさんあるかもしれないから」
「……」
そんなことは考えていない。そのはずだった。
だが、唇は錆び付いたかのように動かず、言葉は紡げない。
「聖剣があれば――と、無意識のうちに考えてしまっている。違いますか?」
リリナはレイを慮る表情で、そんな風に言う。
「……そうかも、しれないな」
リリナには敵わないと、レイは思った。
「何でもお見通しってことか」
どうやら自分でも分からなかった複雑な心境を見透かされていたらしい。
「ま、まあ……ずっと傍にいましたから。そのぐらい、分かりますよ」
リリナは少し顔を赤くして、咳払いをする。
レイは自分の掌を見つめた。
ローグの悪辣な笑みが脳裏を過る。
セーラの一件より本格的に動き出した彼の悪意を前に、今のレイが人々を護れるのか。
それだけが不安だった。
「あまり一人で抱え込まないでくださいね」
リリナはあえて快活な調子を作り、笑みを浮かべる。
「どんな選択をしたとしても、私はレイ様の味方ですから」
そう言うと隣を通り過ぎて、レイの前を歩き出した。
「……セーラも、レイの、なかま……むにゃ」
ふと耳元でそんな囁きも聞こえた。
レイに背負われているセーラは、今も無防備な寝顔を晒している。
「何だ、寝言かよ……」
レイは呆れたようにため息を吐くと、セーラを背負い直し、リリナの後をついていく。
少しだけ気が楽になった。心は晴れていた。
(……ありがとな、リリナ、セーラ)
レイは胸中でそんな感謝を告げると、
「――で、リリナ。飯は?」
「うるさいですね、今まさに考えてるんですよ!」
「辛辣!」
「まったく、なんか心配して損した気分です……」
ぶつぶつ言いながら、リリナは大通りの方へと歩いていく。
レイは「ちょっと待ってくれって」と笑いつつ、そんな彼女を追っていった。
◇
刈り上げた金の短髪に、筋骨隆々とした大柄な肉体を持つ少年。
魔国軍の新鋭、レイモンド・タートルは城下町をつかつかと歩いていた。
彼はとある酒場の前で足を止めると、
「おい、仕事だぜ仕事」
――無造作にその扉を蹴り開けた。
文字通り吹き飛ばす形で。
「うおおおおおおおわぁっ!? だーから新人てめぇっ、扉ブチ抜くのやめろっつってんだろうが!! いい加減学べ!」
「テメェらが鍵閉めてんのが悪いんじゃねぇか」
「だからてめぇにも鍵渡してあんだろーが!! 普通に開けろや!!」
うがーっ!! と怒りの声を上げているのは、黒いワンピースを着込み、輝くような金髪を三つ編みにしている可愛らしい美少年(?)だった。ここに新しく入ったばかりのレイモンドはよく知らないが、どうやら彼は女装が趣味らしい。
レイモンドは耳を塞ぐと、ため息をつく。
「何でここには変人しかいねえのかなぁ……」
「新人!! 何『自分だけが常識人』感出してんだコラ!! 今の惨状を見ろや!!」
「コーヒーくれよ」
レイモンドはカウンター前の椅子に座ると、マスターにそんなことを言う。
「無視すんな!!」
ぎゃーぎゃーと騒ぐ女装美少年に構うつもりはなかった。
「あら? お酒じゃなくていいの?」
カウンター内でグラスを拭いているマスターが、そんなことを尋ねる。
口調は女のようだが、その外見は身長二メートル越えの中年男性である。
くねくねとした体の動きも鑑みると、気味が悪いにも程があった。
「酒は好きじゃねぇんだよ」
レイモンドは顔を歪めながら言う。
「ああ、そういえばアナタ、まだ成人したばかりだったわよね」
「……」
「体が立派だから忘れがちになっちゃうわぁ。コーヒーも甘くしておいてあげるからね」
「それは別にいらねえよ」
「あら? ブラックで飲めるの? 大人ねぇ」
「舐めてんのかオッサン?」
「あらあら、ちゃんとアタシのことはお姉さんと呼びなさい」
「いや」
「お姉さん」
「テメェいったい」
「お姉さん」
「やめとけー新人。そこのおっさんには大人しく従わねえと痛い目に遭うぜー」
「……あら。聞き捨てならないことを言うわね」
「オレは外見だけ美少女ならそれだけでいいんだよ。周りから可愛いと思われるのが気分良いだけだし。口調だけが女のアンタとは違う」
「言ったわね小僧!!」
どったんばったん!! と、殴り合いで酒場内が荒れていく。
「何なんだここは……」
レイモンドは呆れていた。
「ホホホ。あの二人の喧嘩はいつものことですからね。放っておきましょう」
すると、いつの間にか隣の席に座っていた男から声をかけられる。
それはシルクハットに黒の燕尾服を着こなし、仮面を被った男だった。
スラリとした長身で、異様に長い手にはステッキを持っている。
「……テメェ、いつからそこにいた?」
レイモンドはまったく気づかず接近されていたことに戦慄を覚える。
「さて? いつからでしょうねえ」
からからと、道化師のような男は笑う。
仮面越しに表情は見えない。
「おっと、ワタシは自己紹介がまだでしたね。マスクド・ピエロと申します。同じ組織に配属された者どうし、仲良くしていけたら望外の幸せでございます」
「どう考えても偽名じゃねえか」
「さて? 決め付けはよくありませんな。それは物事の本質を損なう行いだ」
「……」
「ともあれ、そろそろ全員が集まる頃でしょう。招集もかかっていますからね」
レイモンドが最近配属されたこの組織には、彼を除いて五人の強者が存在するはずだ。
現状、レイモンドは女装美少年とオカママスター、そして眼前のピエロにしか会ったことはないが。残りの二人が、これから現れるらしい。
「……そもそも、何で組織の集合場所がここなんだよ」
「ホホホ。単に都合が良いのですよ。この酒場には人が来ませんからね」
「聞こえたわよ道化師ィ!! 後で覚えておきなさい!!」
「おおっと、相変わらず地獄のような耳をお持ちでいらっしゃる」
「あのマスターが怖くて人が寄り付かねえんだな……」
「御明察」
マスクド・ピエロは大げさに手を広げて笑う。
すべての動作が芝居がかった男だった。
「おや、どうやら残りの二人が来たようですね」
ピエロの視線の先には、レイモンドが壊した入り口がある。
そこには、二人の美少女が呆れたように立ち尽くしている。
彼女ら二人は髪色と髪型こそ違うものの、その顔はよく似ていた。
「まーた喧嘩してるけど、あの二人。馬鹿じゃないの? ――ねえサラ?」
「何度も何度もやってて、楽しいのかなぁ。そうだね――お姉さま」
二人は独特な会話を繰り広げながら、中に足を踏み入れてくる。
「何か理由あるの?」
「同属嫌悪じゃない?」
「「こんなのと一緒にすんな!!」」
オカマスターと女装美少年が同時に叫ぶ。
直後に睨み合った。
「わぁ」
「もう放っておきましょう」
「そうだね、お姉さま」
「そんなことより」
「大事な話のために集まったはずだもんね」
「確か」
「ローグ様直々の命令」
「だったはずだし」
少女二人はそんな風に言い合うと、レイモンドの方を見やる。
「あなたが新人さん?」
「『南』の後釜になるのかな?」
レイモンドは彼女らの異質な威圧感に気圧されつつも、答える。
「ああ。それと、オレが仕事の内容を伝えに来た」
「そっか。ありがとね、新人さん。あたしはルリ」
桃色の髪をポニーテールにしたスレンダーな体型の少女が言った。
「よろしくね、新入りくん。わたしはサラ。ルリはわたしのお姉ちゃん」
翠の髪をショートカットにした、魅惑的な曲線を描く体の少女が言った。
「お、おお……」
レイモンドは会話のリズムが掴めず、そんな風に返す。
「ホホホ。あまり新人を苛めてはいけませんよ」
マスクド・ピエロが肩を揺らしながら、ワインが入ったグラスを傾ける。
「あ、仮面つけてるから飲めませんね」
「馬鹿じゃねえの?」
金髪女装美少年が呆れたように言う。流石に喧嘩は終わったらしい。
「それで」
オカマのマスターもボロボロのソファに座り直しつつ、レイモンドに尋ねてくる。
「アタシたちに下された命令というのは、いったい何なの?」
レイモンドは、この一筋縄ではいかない曲者たちの視線がすべて自分に集まっているのを確認すると、
「王国最大の要塞ガンレグイン。難攻不落とまで称された、魔国に対する最強の備え。オレたちは新たに見つけた秘密通路を通って、この要塞を内部から叩き潰す」
淡々と言った。不敵に、笑みを浮かべて。
「これを戦争再開の狼煙とする。ローグはそう言っていたぜ」