1-6 エドワード・グリフィス
夕方。
レイがリリナを引き連れて帰宅すると、屋敷の裏庭では剣戟の音が響いていた。
レイが気になって回り込むと、そこにいたのは木剣を構えるエドワードと、膝をつくデリックだった。
「……レイ、か」
エドワードが静かに呟く。
デリックは苛ついているのか、舌打ちした。
「もういいだろ、兄さん。俺に剣は向いてないんだよ」
「……そうかもしれない。でも、グリフィス家の次男として、ある程度の技術を持っておいて損はないはずだ」
エドワードは少し哀しそうな顔で言う。
(そういえば王都の学院にデリックが入学するから、多少は勉学と剣技を習得させようみたいな話になっていたんだっけ)
レイは朝食の席を思い返す。
お調子者のデリックは面倒臭がりだ。
大人しく鍛錬に勤しむはずがないとレイは思っていたが、おおむね予想通りの展開だった。
「……もしかすると、この家を継ぐのはお前かもしれないんだぞ、デリック」
「そんなはずはないし、あってほしくもねえな」
デリックはひらひらと手を振ると、屋敷の中へ戻っていく。
「俺はあんたを尊敬しているよ、エドワード兄さん」
木剣は捨てられたままだった。
(……デリックはああ見えて頭が良い。まあ無理に剣を振らせる必要もないだろ。学院でも、勉強の方ならそこそこの位置にいけるはずだ)
問題があるとすればエドワードが勉学、剣技、魔術のすべてを首席で卒業してしまったことだ。
王都の魔導学院は貴族や大商人の息子などが通っていて、国の未来を担うことのできる優秀な若者を多く輩出している。
幼い頃から英才教育を施された子供が多く、その中で首席を取ったエドワードの圧倒的な才能は底知れないものがある。
当然、次男のデリックにもそれ相応の期待が載せられてしまう。
だからデリックは学院に入ることを嫌がっているのだが――。
それを理由にして兄に当たるのも理不尽だということに、頭の良いデリックは気づいていたはずだ。
とはいえ心の整理がつかないときもあるのだろう。
「……デリックには、悪いことをしたな」
エドワードは、次男に重い期待を乗せてしまったことを悔いているようだが、この男が学院で手を抜くことなどできなかっただろう。
それは他の生徒を馬鹿にしているようなものだ。
「そんなことない。デリック兄さんはちょっと新しい環境に不安を覚えてるだけだよ。ああ見えて繊細な人だからね」
レイが捨てられた木剣を拾いながら言うと、エドワードは目を瞠った。
「そのうちデリック兄さんの方から謝ってくると思うよ。結局、エドワード兄さんの方が正しいと知っているからね」
レイは笑いながら呟く。
エドワードは二の句を告げなくなっているが、レイはそれを無視して木剣を構えた。
「そんなことより、模擬戦でもしようよ」
「……レイ」
エドワードはしばらく呆然としていたが、やがて呼気を吐くと、応じるように木剣を構えた。
ザクバーラ王国流騎士剣術の構え。
体がブレず、芯がしっかりしている。隙がない。
中段から剣を微動だにさせず、柔らかな声音でエドワードは呟いた。
「……最近、強くなってるんだってな」
「そうさ――行くぞ」
レイは魔力で体と木剣を強化すると、一気呵成にエドワードの懐にまで攻め込んだ。思い返すのは『前世』。勇者だった頃の動き。あの頃には遠く及ばないが、イメージを近づけることはできる。
借り物の力ではなく、今度は己の力であの領域まで届かせるのだ。
レイは下段から袈裟斬りに振り上げる――が、エドワードは僅かに剣を動かし、中段で打ち合わせた。
木剣が弾き返されるが、そのまま突きに転じる。
これも最小限の振りで撃ち落とされた。
と、同時にエドワードの剣が上段に振り上げられる。
一切ブレのない洗練された太刀筋。
レイは戦慄に身を竦ませながら、体を振って強引に躱した。
刹那。
レイが態勢を整える前にエドワードは懐にまで踏み込んでいた。
「しまっ――」
「遅いよ」
柔らかな声。
レイが対応しようとしたときには、木剣を喉に突きつけられていた。
(……ことさら速いわけでも、力強いわけでもない。ただ合理的で、隙を見逃さないスタイル)
レイは冷や汗を流していた。
(これが、魔導学院の首席……!)
エドワードは十四歳。
対するレイは五歳だ。
体格差は歴然としてあり、剣技だけの模擬戦なら負けて当然だ。
理屈ではそう理解している。
だが、悔しいものは悔しい。
「……参った」
「……それにしても、強くなったね」
唇を噛むレイに、エドワードは感心したように言う。
優しそうな微笑を浮かべていた。
「……この分だと、冒険者になっても心配なさそうだ」
その言葉で、レイはエドワードが何を心配していたのかに気づいた。
エドワードが冒険者をお勧めしなかったのは、レイが子供だから――ではない。
単純に、レイの実力では無理だと見抜いていたからだ。
実際、レイに『前世』の記憶が宿らなければ、平凡な貴族の子供にしかなれなかっただろう。
幼馴染のアルスとの隔絶した才能の違いを徐々に理解し、絶望して冒険者を諦めるのが関の山だったはずだ。
「レイの剣は我流だよね?」
「そうだよ」
「それにしては理に適っている剣だ。粗いところもたくさんあるけど、動きに非常に無駄が少ない。滑らかな振り方だ。……あるいは、俺の騎士剣術よりも完成度は高いかもしれないな」
その言葉は正鵠を射抜いていた。
レイが理想としている剣術は、英雄アキラ――即ち『前世』の己自身である。
『女神の加護』という規格外のチートスキルは、どんな武器でも『どう振ればいいか』、『どれだけの力を加えればいいか』など、手に取るように理解できるようにしてくれていた。
そしてレイは剣を好んで使用していた。
理由は特にない。
あえて言うなら単純に、一番格好良いからだ。
だから今でも思い出すことができる。
あの無駄のない剣術。
滑らかで理に適った動き方。
力の入れどころを正確に把握していた――『女神の加護』の圧倒的なまでの力を。
レイはそれに少しでも近づけようと懸命に努力しているだけだ。
己自身の力で、あの場所に昇ると決めたのだから。
「……そろそろ夕食の時間だ。家に戻ろうか」
エドワードはゆったりとした調子で言った。
レイも彼に続いて裏庭を歩く。
リリナが怪しげにレイを見つめていた。
「やっぱり、おかしい。おかしいですよ……」
「な、何だよ」
「いくら何でも、そんな急に強くなりますか……?」
むむむ、とか言いながらリリナはその端正な顔を近づけてくる。
「いや、意外と、ある日突然強くなったりするものだよ」
窮地から助けてくれたのは、なんとエドワードだった。
「少なくとも、俺はそうだったからね」
「そういう……ものですか」
エドワードの言葉だから、リリナも何となく納得させられてしまっている。
何となく人を従わせる雰囲気を纏っているのだ。
(これがカリスマ性っていうんだろうなぁ……)
レイはそんなことを考えながら、リリナの横を歩く。
リリナは十二歳。
エドワードは十四歳。
そしてエドワードはイケメンで、カリスマ性がある。
何だかマズいような気がしていた。
レイはまだ五歳だ。
謎の危機感が体を襲う。
「ど、どうしたんですか、レイ様。……,や、あの、そんなに見つめられると、困ります……」
と、リリナが至近距離で顔を赤くしていた。
レイは考えに没頭していたことに気づき、慌てたようにリリナから離れる。
「……意外とマセてるんだな」
そんなエドワードの呟きは、レイもリリナも聞こえないことにした。