3-3 聖剣
「聖剣、だと……?」
レイは驚愕に身を凍らせながらも、その言葉を反芻する。
「レイ様」
「いや、大丈夫だ」
思わず額を押さえつつも、心配そうなリリナにそんなことを言う。
ランドルフは肩をすくめて、「驚くのは分かるが声は小さくな。……他人に知られていいものじゃない」と呟く。レイは素直に頭を下げた。
それを見て、魔術で葉巻に火をつけつつランドルフは話を続ける。
「まあ、知ってさえいればそこまで不思議な話でもない。――勇者アキラを失った、あの一件。王都への大規模な魔族の奇襲。あれは作戦を遂行した魔族側もほぼ捨て身の策だったはずだ。王都まであれだけの部隊を潜入させるなんて、いくらローグ・ドラクリアという稀代の天才が指揮していたとはいえ……奇跡としか表現できない。だが現にその作戦は成功した。とはいえ、王都に多大な被害を出しつつも王国軍の包囲網は形成され、魔族は殲滅された。当然だな。敵の懐で牙を剥いたんだからそうなるに決まってる。だから、逃れた魔族なんてほとんどいない。せいぜい部隊長だったローグぐらいだろう」
「……、」
「あの時、お前はまだ生まれていないだろうが、話ぐらいは聞いたことがあるはずだ」
「……もちろん知っているさ。嫌になるぐらいにな」
「あの事件の後、勇者アキラの死体の傍に聖剣はなかった。いや、勇者はすでに聖剣を使えなくなっていたんだから、当然ではある。――しかし、城のどこを探しても聖剣は見つからなかった。ならば魔族が持ち去ったに決まっていると、王国はそう考えた。だが」
「――魔族は、何も言わなかった」
「そうだ。勇者の討伐。そのことを大々的に自国で公表し、士気を大いに上げておきながら彼らは聖剣の存在にはまったく触れなかった。それこそが最も分かりやすい勇者の象徴であり、それを奪ったと喧伝すれば王国の士気にもさらに影響するはずだったのに」
「……聖剣は、勇者の象徴というだけではない。あれは遥か昔から王国に在り続けてきた神造物であり、軍の御守りのようなものだった。国家そのものの象徴にも等しい」
ダリウスがゆったりとした口調で口を挟む。
ランドルフはそんな魔物にちら、と視線を向けつつも今は話を進める。
「つまりローグが本当に持ち去っていたのであれば、それを公表しない理由がない。聖剣を奪ったという事実は、王国の士気に深刻な打撃を与えたはずだ」
聖剣は王国に住む人々を支えてきた精神的支柱と言っても過言ではない。
なぜなら聖剣には女神が造ったという伝説があり、真偽は不明だが実際に神の造形物でもなければありえないほどの性能を宿している。ゆえに女神を信仰する教会を中心に、聖剣の存在は人々の支えだった。この国に女神教徒は多い理由はその一点に尽きる。
聖剣が王国にあるということは、女神様がこの国を愛し、見守ってくださっていることの証だと――そんな教えまで流布されているほどに。
あくまで勇者アキラが殺された理由は、聖剣に見放され、その力の根源を失ったから。聖剣に見合う資格がないと判断されたからだ。聖剣そのものが魔族に敗れ、持ち去られたわけではない。少なくとも国民はそう思っている。だが実際には王国の管理下にはなく、おそらく魔族の元にも存在しないという状況下なわけだ。王国はそれを公表していない。魔族が隠し持っている理由は極めて低く、ならば聖剣は国のどこかに存在するはずだ。なら、失ったと公表すれば国民の士気が下がり魔族をつけ上がらせてしまう。わざわざそんなことをする理由はない。だから王国は聖剣の在処に対しては沈黙を保ち、はぐらかしてきた。
「……そう、なんですか」
現に、リリナはひどく驚いている。アルスとエレンは先にランドルフに聞いていたとはいえ、いまだに衝撃は隠せないようだった。セーラは無言だったが、教えられた常識を覆されたことによる驚きは確かに伝わってきた。これが普通の王国民の反応だろう。
ダリウスは予測はしていたのか「ま、そんなところだろうね」と言っている。
「なら、おそらくは聖剣を奪った魔族に何らかの異常事態が生じて手放してしまったと見るのが妥当だ。とするなら、誰かがそれを見つけても何もおかしくはない」
「……この件、国には伝わっているのか?」
「いや、依頼主の要望で伝わっていない。国とギルドは決して一枚岩じゃないからな。おおかた依頼主は自分たちの手で聖剣を確保して、国に恩を売るつもりなんだろう。ギルドとしても同じだ。冒険者がその護衛についていたなら貸しを作れる」
「……そんな重要な依頼に、俺たちみたいな新米を借り出していいのか?」
「まあ俺が実力を保証すると言っているし、向こうが確約している報酬も熟練が請け負うほどのものじゃない。というか、そもそも熟練には依頼を回していない。これは多分」
「――なるほど。実績のある有名な冒険者を連れて行けば確かに安全かもしれないが、すべてがそいつの功績だと思われかねない。それは依頼主にとって面白くない。あくまで依頼主
の功績ということにしたい。だから無名かつ実力のある冒険者の方が都合がいい」
「そうだ。ただ――そもそも偽の情報に踊らされてる可能性があるということを忘れるなよ。似たような依頼がギルドに来たことは何度かあるが、いざ現場に行けばすべて偽物だった。素人目の勘違い、という可能性は十分に高い」
「本当に眉唾ものなら――ランドルフとギルドはどうしてそんなに真剣なんだ?」
「今回の依頼主はクレール商会。東から北にかけてそれなりに影響力のある大商会だ。つまり、それだけ情報源も多い。これだけの大物がわざわざ依頼を出してきた以上、本当に在処を突き止めた可能性も考慮に入れた方が利口だ」
ランドルフは葉巻の煙を吐き出しつつ、語る。
「まあ少なくとも依頼を出しているからにはある程度可能性はあると踏んでいるのだろうが、空振りの可能性も大いにある。だから無駄に高い報酬を払うことを避けて、実績の少ない冒険者に依頼を回しているのかもしれないが」
「……なるほど、な。だいたいの事情は理解した」
レイは果実水を飲み干し、緊張を解くようにゆっくりと息を吐き出す。
視線を横に向けると、リリナは隣でレイの言葉を待っていた。
「……私はレイ様についていくだけですから。レイ様が決めてください」
彼女はふふ、と微笑む。
そして反対側に座るセーラは眠たげに目をしばしばさせながら、
「……セーラも同じ。ていうか、ギルドに逆らわない限りそうするしかない」
「だよな」
そんな風に言う。
レイは思わず苦笑した。
しかし、白髪の少女は続けて呟く。
「……でも、セーラ、命令だから動いてるわけじゃない。セーラが、レイと一緒にいたいって思ってる。だから、レイが決めて。レイの選択を尊重するだけ」
「お前……」
「?」
レイが驚いたように言うと、セーラは不思議そうに小首を傾げた。
「いや、何でもない」
レイの心がだいたい決まったところで、
「――まあ、少しでも受けるつもりがあるなら後はクレール商会に直接聞くといい。おそらく面接を兼ねて詳しい話をしてくれるはずだ」
ランドルフは懐から取り出した紙を放り投げてくる。
それはクレール商会の拠点の一つが記された簡易な地図と、合い言葉と思しき一文だった。
「じゃあ、そろそろ俺は行くぞ。忙しいんでな」
「のんびりと酒呑んで煙草吸ってたくせに何言ってんだ……」
「うるせえバカ弟子。休憩は大事なんだよ」
ランドルフはアルスに悪態をつきながら、ひらひらと手を振って二階に上がっていった。
レイは去り際に感謝の言葉を告げると、改めてその紙片を見直す。
「――汝の道に、光在れ、か。洒落た真似をするもんだな」
レイは嘆息すると、リリナとセーラ、ダリウスの顔を見回し、
「この依頼、まだ受けるかどうかは決めてない。だが、クレール商会とやらに話は聞きに行くぞ」
淡々とした口調でそんな風に告げた。