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転生勇者の成り上がり  作者: 雨宮和希
Episode2:冒険者試験
63/121

2-31 病室にて

 ――ゆっくりと、海の底から浮上していくような感覚を覚えていた。

 漠然と揺蕩っていた意識が、徐々に輪郭を取り戻していく。


「……ここ、は?」


 レイはぼんやりとした曖昧な思考のまま、ふと疑問を言葉にする。

 そして薄っすらと目を開いた。

 ピントの合わない視界はぼやけたままに、真っ白な天井を映し出している。

 なぜだか、柔らかく弾力のある物体がレイの右手を包み込んでいた。

 とても心地が良い。


「……いくらセーラでも、この状況は流石に恥ずかしいかもしれない」


 そこで、レイは腹部に重みを感じることに気づいた。

 仰向けに寝ている態勢のまま視線を下げると、そこにいたのは白髪の美少女。


「……でも、勝手に布団に潜り込んだセーラが悪い。むむむ……」


 セーラがレイの腰にまたがって座っていて、


「…………うん?」


 そんな彼女の胸をレイの右手が鷲掴みにしている光景が展開されていた。


「……おはよう、レイ。傷はまだ痛む?」


 レイが愕然と硬直していると、目が合ったセーラはこてんと首を傾げる。

 いつも通りの無表情ではあるが、その頬が僅かに赤くなっているのはきっと気のせいではないだろう。セーラはまだ未成熟な体形をしているが、今レイの手に広がっている感触は控えめながらも確かな存在感を示している。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」


 現実を正しく認識したレイは慌てて、がばっ!! と起き上がる。勢い余って「うわぁ」と棒読みの悲鳴を上げるセーラを逆に押し倒す態勢になってしまった。


「……白昼堂々、襲うとは。やっぱりレイはやり手」

「やっぱりって何!? ていうかこの状況はいったい何なんだ!?」

「……? 欲望を持て余したレイがセーラの胸を揉みながら押し倒している状況」

「じゃなくて!! てか持て余してない!!」

 

 うがー!! と叫びつつ実はいまだにセーラの胸を揉んでいた右手を慌てて離すレイ。

 わざとじゃないからセーフ、と自分に言い聞かせていると、そこで近くに人の気配があることにようやく気付いた。レイは寝転がるセーラに覆いかぶさるような態勢のまま、隣におそるおそる視線を飛ばす。

この部屋の窓際にレイたちがいるベッドがあり、その隣の椅子には白い神官服のような格好をした金髪ロングの美少女が座っていた。その顔には見覚えがある。確か、故郷でグリフィンの事件が会った際にランドルフとともにやってきた治癒術師の少女だ。怪我を負ったアルスの父親や、エルフ族の里の事件の際にもボロボロだったレイを治癒してくれたはずだ。まさか、今回も世話になったのか――とレイは思い、ふと彼女がレイに向ける視線がまるで生ゴミを見るかのようなものであることに気づく。彼女は「うっわぁ……」という感じの視線をレイに向けていて、目が合ったことに気づくと、急に椅子をベッドから離した。ドン引きされている。


「最低……」


 ボソリと治癒術師の少女は呟く。そういえばエルフの里で治癒されたとき、レイは無意識のうちに彼女の胸を触っていたと後で聞かされたのだが――この蔑むような視線を見る限り嘘ではなかったらしい。


「おおお落ち着け!! これは偶然が重なった結果であって決してやましいものがあるわけではなくてだな……」

「そ、それ以上近づかないでください……! このロリコン!!」

「とんでもない誤解をしているな!?」

「ひぃっ!?」

「……あの、ガチで怯えられるの、とても傷つくからやめてくれる?」


 治癒術師の少女は涙目になりながら椅子から立ち上がって後退する。

 レイは変質者のような扱いにショックを受けつつも、改めてベッドに座り直した。

 むくりと起き上がったセーラは不思議そうに尋ねてくる。


「……あれ。レイ、何もしないの?」

「するか!!」

「セーラ、てっきり、レイの欲望のままに大人の階段を昇るのかと」

「人前でそんなことできるわけないだろ……」

「え、じゃあ人前じゃなかったら……ってことですか? うわぁ……」

「ドン引きするな言葉の綾だ!」


 食い気味に突っ込んだレイは疲れたように長く嘆息する。

 ようやく落ち着きを取り戻すと、気になることがたくさんあった。

 まず、これだけ動き回ったというのに、腹部に負った傷がまったく痛まなかったということに意識が向いた。レイは病衣の上から腹部を触るが、やはり痛みはない。すでに傷は全快していた。あのまま死んでいてもおかしくなかったほどの重傷だったというのに。

 レイが驚いていると、傷を治癒したのであろう治癒術師の少女が僅かに怯えつつも、言う。


「あなたが腹部から背部にかけて負った深い刺し傷ですが、傷自体は五日ほどほど前に完治しています。今日まで意識が戻らなかったのは精神的な要因でしょう」

「……また、アンタが治してくれたのか?」

「はい。治癒を担当したのはわたしです。……今回は、エルフの里のときよりもひどい傷でした。ちゃんと、反省、してくださいね?」

「お、おう……ありがとう」


 それまでレイに怯えていたのに、急に顔を近づけて念押しする治癒術師の少女。

 彼女はその直後にハッとした表情をすると、慌ててササッ、とレイから距離を取った。

 そして僅かに顔を赤くしつつ、コホンと咳払いをする。


「そ、それじゃ、わたしは失礼します。あなたが意識を取り戻した以上、わたしの役目はもう終わったので……」

「あ、おい! せめて名前ぐらい……!」


 治癒術師の少女はぴゅーっ、と風のように病室から出て行ってしまった。

 レイは引き留めようと伸ばした手で、仕方なしに頭をかく。

 二度も命の危機を救ってくれたのだから、せめて名前ぐらいは聞いておきたかった。

 だが、病み上がりの体で無理に追いかけるほどの理由でもない。

 それに変質者扱いされそうで少し気が引けた。

 確かランドルフの知り合いだったはずなので、そのうち彼に聞こうとレイは思った。

 ともあれ。


「セーラ、あれからどうなったんだ?」


 レイはセーラに向き直り、気になっていたことを尋ねる。

 治癒術師の少女の話を聞く限り、レイは一週間ほど意識を失っていたらしい。

 その間に、いったい何がどうなっているのだろうか。


「……マスターと、レイが倒れた後、セーラは魔物生産兵器とかいうのを破壊した」

「魔物を生産する魔物……『ビースト・パンデミック』だったか」

「そう。……それ自体に、戦闘能力はなかった。だから、魔力切れ寸前のセーラでも、停止させることができた。魔術で、どかーんって」


 セーラは身振り手振りも交えながら、一生懸命に説明している。

 普段あまり喋らないセーラは苦手としているのだろうが、どこか微笑ましい光景だった。


「それから、レイがいっぱい血を流しているから、何とかしなきゃと思って、がんばって走った。地下から脱出した」

「……まさか、俺を背負って走ってくれたのか?」

「うん。レイ、とても重かった」

「……ありがとな」


 レイはこくりと頷くセーラの頭をぽんぽんと撫でる。

 セーラは不思議そうに首を傾げながらも、説明を続けようとする。


「外に出たら、アストラの街から冒険者が応援に来てて、魔物はもうほとんど駆除されてた。生産兵器も破壊したから、増えることもなかった。だから、セーラは冒険者さんたちにレイを頼んだ。そうしたら、あの治癒術師さんがレイの傷を治してくれた」

「……なるほどな」

「でも、血を流し過ぎてたから、レイは慌ててここに運ばれた。よく分からないけど、セーラも一緒に連れていかれた。治癒術師さんは、ここでセーラの傷も治してくれた。嬉しい」


 そう言ってセーラは上機嫌そうに微笑する。

 レイはそんな彼女に苦笑しつつ、ベッドに隣接している窓から、外に目をやった。

 アストラの街の光景だ。どうやらレイたちがいる病室は二階にあるようで、ある程度の景色は見渡せる。そこにはいつもと何ら変化のない、ありふれた喧騒があった。隣街には甚大な被害が出たのかもしれないが、人間の日常はそれぐらいで揺らぎはしないということだろう。レイがそんなことを考えていると、ギィ、と病室の扉が開いた。


「セーラちゃん? レイ様の容態は……」


 鋭く光を反射して煌めく銀髪をポニーテールに束ねたメイド姿の美少女がひょっこりと顔を出し、そこでピタリと石になったように急停止する。


「レイ、様……?」

「おう、リリナか。心配かけたな」

「レイ様……」


 リリナはひどく驚いたように同じ言葉を繰り返した後、


「レイ様~!!」


 涙目でレイの胸に飛び込んできた。


「うおおおおっ!?」

「心配したんですからね!? 何か傷治っても意識戻らないし! まったくもう!!」


 リリナは飛び込んできた勢いのままレイをベッドに押し倒すと、がしっ! とレイの腰にしがみつき、感極まったように頬を紅くして涙を流している。

 レイはバツが悪そうに頭をかきながら、


「悪かったよ」

「ふん、レイ様はいっつもそうですよね。自信満々にカッコつけて大見得きるけど、結局ボロボロになって戻ってくるんですから。心配するほうの身にもなってください」

「でもまあほら、何とかなったみたいだし」

「一週間意識不明は何とかなってるとは言いません! 負けそうだったのならアストラの街から応援が来るまで待っていればよかったのに! そうやって、無理するから……」

「あの場でケリつけないと間に合わなさそうだったしな……それに」


 隣に座り直して小言を言うリリナに苦笑しながら、レイは自分の掌に目をやる。


「……力がないことを、動かない理由にはしたくないんだよ」


 それは力が足りていないレイの責任だ。物語の英雄のように華麗に誰かを救い出せないのは、レイに力が足りないからだ。あの頃のような力を、いまだに手に入れることができていないからだ。自分の努力不足は、目の前の悲劇を見過ごす理由にはできない。

 するとリリナがジト目のまま、ずい、と顔を近づけてくる。


「……それで死んじゃったら、どうするんですか?」

「そうならないように頑張る」

「答えになってません」

「でも、あの事態を見過ごすわけにはいかなかった」

「はぁ……」


 リリナは大きく嘆息した後、レイの頭に手をやる。

 レイのさらさらな茶髪を、よしよしとばかりにリリナは撫で始める。


「お、おい……何だよ。子供じゃあるまいし」

「うるさいです。大人しく撫でられててください。それにレイ様は子供です」

「そりゃ見た目はな?」

「中身も子供みたいなものですよ……レイ様が、そういう人だってことは分かってます。でも、あなたを心配している人もたくさんいるってことを忘れないでください。……自分の命は大切にしてくださいね? その命は、あなただけのものじゃないんですから」

「……分かったよ」


 レイは口を尖らせながらも、こくりと頷く。

リリナの慈しむような視線が恥ずかしくなって目を逸らした。


「……レイとリリナ、いちゃいちゃ、してる?」


 それまで黙っていたセーラが、不思議そうに小首を傾げた。

 リリナは他人に見られている状況だということに今気づいたのか、それまでの大人びていた雰囲気は消え去り、その頬は急速に赤くなっていく。


「し、してませんよ!!」

「……? でもリリナ、顔真っ赤。いちゃいちゃの証って聞いた」

「どこで聞いたんですかそんなことー!?」


 そんな二人の会話に挟まれながら、レイはいつものように苦笑を浮かべた。


 ◇


 アルスは宿屋二階の窓から外を眺めながら、考え事にふけっていた。

 ローグとの戦いで、アルスは敗北して意識を失った。全身全霊をこめて戦ったが、それでもあの男には届かなかった。そこまではただの事実の確認。

 だが、解せないことがある。

 アルスはふと、部屋の内部へと目をやる。そこではエレンが椅子に座り、本のページをぺらりとめくっていた。彼女に大した傷は見当たらなかった。なぜか重い疲労が体に残っていたようで丸一日は寝込んでいたのだが、それでも彼女は無事な姿でここにいる。

 なぜ、とアルスは思う。ローグはエレンという稀少な精霊術師をさらっていくために戦っていたわけではなかったのか。エレンに聞くと、倒れたアルスに駆け寄り、ローグと少し話したあたりからなぜか意識をぷっつりと失ってしまったらしい。「逃げろ」と指示した彼女がアルスのもとに戻ってきてしまった行動に対する是非はともかくとして、意識を失ってしまったエレンが今ここにいるのはあまりにも不自然なことではないだろうか。

 普通に考えればローグがエレンには認識できない魔術か何かで意識を奪ったのだろうと思う。だが、そこまでやったのなら、なぜエレンをさらわなかった。それなりの執着は見せていたというのに、なぜその場に放置した。

 可能性としては、アストラの街からの救援が思ったよりも速く到着したので撤退した、もしくはローグにとって何らかの急を要する事態が起きたのでエレンを運んでいる場合ではなくなった、などを考えたが、すでに前者は否定された。アストラの街から応援に来たプロの冒険者は誰もローグの姿を見ていないというのだ。なら、後者のローグ側に事情があったのだろうか。それにしても不自然ではあるが――と、アルスは考え事に不慣れな思考回路をどうにか回していく。

 レイのように頭が良かったら何かが分かるのかもしれないが、彼は今も病院のベッドで寝込んでいる。すでに傷は治っているようだが、レイのことも心配だった。


 ――アルスが意識を取り戻したとき、エレンは近くに倒れていた。その周囲はローグの魔剣が放った闇の影響で魔物が近づいてくることもなかった。アルスはエレンに慌てて駆け寄ったが彼女に大した外傷はなく、すやすやと眠っているだけだった。

 アルスはそのとき、心から安堵した。

 エレンが無事で本当に良かったと思う。だが、それは理由も不明な幸運に恵まれた結果に過ぎない。アルスが自分でエレンを守り通したわけではない。

 ――もっと強くならなければならないと、アルスは志を新たにした。


「……アルス? どうかした?」


 それまで本の文字列を追っていたエレンが、ふと顔を上げる。

 アルスが少しだけ開けた窓から吹いた風が、彼女の淡い水色の髪をそっと撫でた。


「いや、何でもねえよ」

「……何それ、気になるんだけど」

「それより、そろそろ体のだるさは治ったのか?」

「うん。それはもう大丈夫かな。ね、ウンディーネ?」

「お前の体調を精霊に聞いたって分からねえだろ……」


 自分の肩に話しかけるエレンを見て、アルスは嘆息する。

 アルスには見えないが、彼女の肩には掌サイズの精霊が乗っているのだろう。

 エレンはアルスの反応に対して少しだけ口を尖らせる。


「そんなことない。ウンディーネなら分かるから。ね?」

「オレから見るとお前のひとり芝居にしか見えないからやめてくれ……」

「それはアルスが精霊見えないのが悪いし。わたしのせいじゃない」


 笑ってそんなことを言い、アルスの隣にやってくるエレン。

 アルスは頭をポリポリとかきつつ、そんな彼女を眺めながら、言う。


「……やっぱり、強くならねえとな」


 すると、彼女は強い微笑を湛えて、こんな言葉を告げた。


「今度は二人で強くなろう」

「……え?」


 アルスの手に、エレンの綺麗で小さな手が重なる。

 彼女は真っ直ぐにアルスの瞳を捉えて、真摯な口調で言った。


「わたしも、アルスを守りたい。守られるだけなんて……そんなのは嫌だって、思ったから」


 ◇


 レイはここ一週間で起きた出来事をリリナに説明してもらっていた。

 入手した情報を嚙み砕き、頭の中で整理していく。

 数日前、冒険者養成学園の学園長マリアス・バーソンが引き起こした事件は終結した。

 甚大な被害を受けたクロエラードの街及び冒険者養成学園は復興を急いでいる。また事件に関与したとみられる冒険者試験の制度に関しても見直しが図られ、また冒険者試験において生徒に危害を加え、恣意的な試験内容の操作を行ったとされる試験官、ユアン・ボールズとマーシャ・モリンズの両名は指名手配されて賞金首となったが、いまだに行方をくらませている。

 マリアス本人は牢獄に幽閉され、処遇については今後決まる予定だが、おそらくは情報を吐かされた末に死罪となるだろう。クロエラードの街で魔物を暴れ狂わせ、冒険者たちの迅速な行動によって人的被害の大半は防げたものの、それでも何人かは死亡が確認されている。そもそも魔物やホムンクルスの錬成の時点で、王国法に重大な違反をしているのだ。少なくともこの先、彼が外の景色を見ることは一切ないだろう。

 また、事件に巻き込まれた冒険者試験受験者の一人が魔国軍の幹部、ローグ・ドラクリアの姿を見たとの証言があった。最初は鼻で笑っていた冒険者ギルド本部だが、拘束して取り調べを受けさせたマリアスに魔族による洗脳の跡(・・・・・・・・・)があることが発覚して対応は急変。即座に部隊を動かして周辺地域で魔族の捜索を行ったが、ローグが見つかることはなかった。とはいえ調べれば調べるほど魔族が侵入していた痕跡は明らかになり、黙秘していたマリアスもついに口を割った。一時休戦状態だった情勢の中、王国首脳部は魔国によるスパイの潜入に怒りを覚え、弾劾を始める。対する魔国側では『人造魔族錬成計画』について広まり、卑劣な人族の実験に対して憎しみの炎を燃やし始めていた。

 この事件によって両国の関係は一気に緊張状態へと移行していく。


「ここしばらくは平和だったのに、どうなっちゃうんでしょうね……」


 リリナは一気に高まっていく不穏な気配に怯えを隠せずにいたが、レイはこの事態を誘導した人物の正体を確信していた。この戦場にローグが現れたという時点で、あの男以外に原因は考えられなかった。直接遭遇したというアルスとエレンが無事だったことに安堵しつつ、レイは後で話を聞こうと考える。


「ローグの奴め……」


 マリアスの動機に不自然な点が散見された理由も今なら納得できる。ローグに洗脳されていたからだ。いくら洗脳とはいえ、大抵の術式は多少の暗示をかけられるぐらいの効果しかない。生きている人間の思考を掌握できるほどの洗脳術式は今のところ確認されていない。だがローグは一般的な洗脳術式であろうとも、その使い方が違った。おそらくマリアスの心に潜んでいた野心を増幅させ、倫理観を薄れさせたのだろう。そして巧みな話術で誘導し、ローグにとって都合の良いように動かした。悪辣にして邪悪な手口。レイは前世で幾度となく味わったおそろしさを思い返していた。


「あの男は戦乱を望む怪物だ。マリアスに洗脳の跡を残したのも意図的に決まってる。マリアスの計画の成否なんて関係ない。何が起ころうと奴の計画通り。すべては人族と魔族の戦争を再開させるためか……!」


 元々何か一つ火種があれば、今すぐにでも戦争は再開されそうな情勢だった。

 ローグはそこに決定打を与えた。もはや戦争は止められないかもしれない。

 レイが硬く拳を握ると、それまで不安そうにしていたリリナがそっと手を握ってくる。

 隣のセーラも小首を傾げた後、そこにちょこんと手を重ねてきた。


「……セーラも、仲間」


 彼女はふふん、と自慢げに微笑する。

 レイはそこであることに気づいた。


「……リリナ、そういえばセーラの処遇はどうなったんだ?」

「ああ、それはですね――」


 ――当然、マリアスが主導していた『人造魔族錬成計画』は永遠に凍結。

 しかし、その計画によって生み出された唯一の成功作、セーラ・テルフォードという人造魔族の扱いを首脳部は決めかねていた。処分するのは流石に忍びない。しかし、彼女は『人造魔族錬成計画』が行われていたという証拠だ。王国では厳格な情報統制によってこの事件の詳細については秘されている。魔国内ではすでに広まっているので王国でも情報通には知られているとはいえ、表向きそんな計画は存在しないことになっている。つまりセーラは世間に知られていい存在ではない。放置して魔族に囚われてしまえば、王国は外交上、より不利な立ち位置を強いられるだろう。また彼女は創造主の命に従っただけとはいえ、冒険者試験に恣意的な介入をした。これは明確な犯罪だ。確かに情状酌量の余地は多分にあるとはいえ、牢獄に閉じ込めておくのがいろいろな意味で安全か――と、そんなふうに議論は終結しようとしていた。

 だが、アルスやライドたちの頼みによって、ランドルフがギルドマスターとともに王国首脳部へとはたらきかけたらしい。元々、扱いに困っていたのだ。厄介事を押し付けられる上に冒険者ギルドへの貸しができるなら何よりだとばかりに、ランドルフたちの要求はすんなりと通った。そして、セーラは条件付きで外を出歩くことを許されたのだという。


「条件付き?」

「……そう。まず、セーラは魔族領域を展開できない」

「つまり魔族の能力を使えないってことですね。セーラちゃんはその魔族領域とかいうのを展開して瞳が紅くならない限り人族と変わらないですから」

「……ここに封印術式、刻まれてる」


 セーラが額の髪を上げると、その綺麗な肌には小さくバッテン印がつけられていた。よく見ると魔方陣のようになっていて、魔術的意味を読み取れる。どうやらセーラの魔力を媒介に封印は機能し続けるらしい。


「へえ、条件ってのはそれだけでいいのか? だとしたら中々ラッキーな待遇だけど」

「……もうひとつある」

「そう都合よくはいかないか。何だ?」

「……セーラが冒険者として働くためには、監視役が必要」

「監視? って、まさかとは思うが……」

「もちろん」


 嫌な予感がしてきたレイに対してセーラは微笑して首を揺らす。


「レイが、セーラのお目付け役」

「俺かよ!?」

「……嫌、だった?」

「いやそういうわけじゃないけどさ……」


 セーラが急に怯えた小動物のように涙目になると、ついついレイはそう言ってしまう。

 リリナが苦笑しながら、捕捉説明を始めた。


「あはは……首脳部を説得する都合上、セーラちゃんの面倒を見る冒険者が必要だったんですよね。で、ランドルフさんがじゃあレイに押し付ければ皆喜ぶしぜんぶ解決だって言い出して……何かそうなってました」

「おいおい、どうなってんだ冒険者ギルド……」


 レイが嘆息していると、セーラが「よろしくおねがいします」と頭を下げる。

 そしてどこか不安そうにしながら、


「……大丈夫? めいわくじゃ、ない?」

「おう、お前が気にすることじゃねえよ。気にするな」

「……分かった」


 こくりと頷くセーラ。

 さて、と言いながらレイはリリナに視線を向ける。


「ところで試験の結果はどうなったんだ? いや、会話の流れ的に察しはついてるけど」

 

 リリナはつらつらと順序良く説明を並べていく。

 レイ、リリナ、アルス、エレン、ライド、マリー、ノエルの八人はこの事件の事情を深く知りすぎたがゆえに、自動合格の扱いにされたらしい。セーラも当事者なので同様だ。

 それ以外の受験者たちは試験を後日受け直すことになった。だが事情をよく知らされていない彼ら、そしてプロの冒険者は冒険者養成学園の長の逮捕とクロエラードの街の事件を受け、「何かあるのだろう」と察して不用意に尋ねることはしなかった。

 その上、レイたちの合格の理由は表向き、クロエラードの街で起きた魔物大量発生事件(マリアスによる実験の詳細は秘され、表向きはただ研究していた魔物が暴走したと説明されている)における活躍により、冒険者として十分な技能を有していると判断されたがゆえの合格なので、文句を言う人間もいなかった。

 そしてプロに昇格したレイたちには早速、今回の事件について箝口令が敷かれているらしい。このためにプロに引き上げたと言っても過言ではないだろう。プロになった以上はギルドの命令に逆らうことはできない。レイは意識を失っていたから知らなかったが、リリナたち七人は本部に集められ、ギルドマスターより直々に指示を出されたようだ。


「……なるほど。まあ国と連携しているギルドとしては当然の対応だな」

「でも、何となく納得いかないですー」

「そう言ってやるなよ。今回はいろいろと事情があるんだから」


 口を尖らせるリリナを、レイは苦笑しながら宥める。


「ようやく目を覚ましたのかい? アナタは意外と怠惰だねえ」


 そこで、窓のほうから声が聞こえた。

 ふわふわと浮くヒトダマの魔物、ダリウスが今更のように病室に入ってくる。


「悪いかよ」


 と、レイは返答しながら、隣に佇むセーラの存在に確かな安堵を感じていた。


「……? レイ?」

「いや、何でもない」

「……レイ、変な笑い方してる」

「うるせー」


 今回の事件によって、いろいろと問題も生じたけれど。

 セーラの笑顔を守れたことだけは、誇ってもいいことだろうとレイは思った。

 


 


【報告】

書籍化決定しました。

それと二章エピローグは長くなったので分割します。

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私の別作品である「ハズレ奇術師の英雄譚」の第一巻が、双葉社モンスター文庫さまより本日、四月二十八日に発売開始しています。

よければお買い求め頂ければ幸いです。

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