2-29 二人の約束
――クロエラードの街、東方の大通りにて。
手当たり次第に破壊して回る魔物たちを、アルスはどうにか駆除し続けていた。
「クソッ! キリがねえ……!」
アルスは悪態をつきながら、後方で大きく振りかぶった熊のような魔物を振り向きざまに斬り捨てていく。直後、左右から肉薄するホワイトウルフ。アルスは舌打ちしながら右手にいるほうの魔物の首を袈裟斬りに落とすと、もう片方に背中を向けることになる。これ幸いとばかりに噛みつこうと大口を開けるホワイトウルフを、真横から突如として押し寄せた濁流が吹き飛ばした。アルスは驚くこともなくその事実を受け入れると、その水流を放った人物に向かって走り出す。
「エレン、後ろだ……!」
彼女は一瞬、驚いたように目を見開くと、慌てて後ろを振り向く。そこにはすでに、巨大なサイのような魔物が突進してきていた。アルスはおそるべき勢いでエレンの居場所までたどり着くと、紙一重で跳躍して突進から逃れていく。急ブレーキをかけようとするサイ型の魔物に対して、「――水よ」エレンは宙で術式を編み上げると、槍のような形状をした水流を撃ち放った。やがて、それはビキビキ!! と音を立てて氷に変化すると、殺傷能力を引き上げてサイを切り刻んでいく。だが、致命傷には至らない。危なげなく地面に降りたアルスはエレンを立たせると同時に、悲鳴を上げるサイ型の魔物に切り込んでいく。
レイが持つ白銀の剣よりも少し幅広かつ大型で、どこか無骨なイメージが窺えるその剣を大きく振りかぶって、体重を乗せて振り下ろす。背中に豪快な斬り傷をつけて、大きく血しぶきが舞った。アルスは宙でくるりと回転してそれを回避しつつ、次の獲物に狙いを定める。だが、周囲ではすでに五体以上の魔物が佇み、抵抗するアルスを睨んでいた。
「アルス。いったん退かないと厳しいかも」
隣に寄り添うエレンが不安そうな声で言う。
アルスは苦渋に顔を歪め、その言い分の正しさを認めつつも、首を振った。
「……いや、まだ退けない。もう少し、せめて住人の避難が完了するまで」
「わたしの魔力はまだ残ってるけど、単純に数が多すぎる。一体一体が強いから、この状況だと一手間違えただけでやられかねない」
「……分かってる、けど」
アルスは周囲の音に耳を澄ます。
ライドやマリーたちも近くで戦っているはずだ。
プロの冒険者だって、アルスの見る限り十数人は存在している。
それでも、押し寄せる魔物の勢いに対抗しきれていなかった。アルスたちは住人をどうにか逃がすために、ひとまとめにした彼らを囲むように戦っているのだが、いまだに彼らは魔物だらけの街から抜け出せていない。いや、もしレイがマリアスを止められなければ、この街を中心に大量の魔物が溢れ出していくことになるが、レイならば何とかしてくれるだろうとアルスは信じている。あと一時間もすればアストラの街から増援が来るだろうが、おそらく間に合いそうにない。この住人たちは、自分たちで守り切るしかないのだ。
見捨てて逃げるという冷酷なものの現実的な選択肢は、アルスの中にはなかった。
そんなとき。
「いや、魔物に襲われるというのも、なかなか新鮮な経験だよ」
声が、聞こえた。
その声の所在はアルスの背後、とっさに振り向くと、通りを歩いてきたのは長い銀髪の青年だった。その瞳は紅の光を宿し、妖しい輝きを放っている。彼がいる場所には先ほどまで何体か魔物がいたはずだが、いつの間にか殲滅されていた。音もなく、アルスに気づかれることもなく排除したというのか。アルスは怪訝そうに彼を見つめる。
「魔族だと……? マリアスの実験体の一人か?」
「残念ながら、俺は人造ではないよ。生粋の、純血の魔族。つまり君たちの敵だ」
その男が悠然とした歩調で近づくにつれ、アルスは強大な威圧感を覚える。
冷や汗をかきながらも、油断なく剣を構えた。
「そうかよ。本物の魔族が、こんなところに何の用だ?」
「いや、どうやらマリアスは暴走したようだし、目的はすでに果たした。だから、本当ならこれ以上の介入をするつもりはなかったんだが――」
魔族を名乗った銀髪の青年は苦笑しながら、エレンにその指を向けた。
「――面白いものを見つけてしまったからね。どうせなら、回収して帰りたい」
「テメェ……!?」
アルスはエレンを背に庇うように立ち位置を変え、獰猛に睨みつける。
その殺気は常人であれば腰を抜かすほどのものだったが、銀髪の青年はまったく気にすることなく興味深そうな目をエレンに向けていた。まるで実験動物を見るような目を向けられ、エレンはびくりと怯えたが、気丈に青年を睨み返している。
アルスは奇妙に感じて周囲に視線を向けたが、銀髪の青年の異常なまでの威圧感に怖れをなしたのか、すでに魔物たちはどこかに消え去っていた。そんなことは意にも介さずに青年は言う。魔物など、いてもいなくても青年にとっては変わらないのだろう。
「精霊術師。直接見るのは久しぶりだな。それもかなり上等な精霊だろう? それゆえに操りきれてはいないみたいだが、それもまた興味深い」
「……だから、何だっていうの?」
「さっきも言っただろう? 君を回収して帰る。べつに取って食おうってわけじゃない。むしろ好待遇は約束するさ。精霊術師は希少だからな。俺は魔国軍の幹部、ローグ・ドラクリアだ。魔族の中でも、それなりの権限は持っている」
「ローグだと……!? お前のような奴が、どうして単独で王国の奥地にいるんだ!?」
「いろいろとやることがあってね。だからこれは、幸運な巡り合わせだ」
そう言って、ローグは笑う。
アルスとエレンは臨戦態勢を取った。こんな王国の奥地で魔族に精霊術師だと捕捉されるなど、流石に予想の範囲を越えている。それでも現実は受け入れるしかない。猛烈な危機感が警鐘を鳴らし続けているが、アルスはエレンを渡すつもりなど微塵もなかった。
だが、相対しただけで彼我の実力差は歴然。今のアルスではローグに勝てない。
「……アルス」
「逃げるぞ、エレン……!!」
――それでも、彼女を守ると約束をした。その力を手に入れるために、ランドルフのもとで修業をしてきた。たとえ戦って勝つことはできなかったとしても、逃げることは可能はなずだ。ただでさえ街は魔物に溢れ、混沌としている。この状況なら逃げ切るのは不可能ではない。アルスは強敵を前にしてもエレンを守れるだけの実力は手に入れたと信じていた。そして実際にそうだった。だから、問題があるとするならば――
「さて、戦いを選ばないのは賢明だが……相手が悪かったな」
――ローグと名乗ったこの青年が、ただの強敵などという範疇には収まらなかったことだけだろう。そして、それこそが最大の弊害だった。
「魔剣よ、闇を纏え」
簡素な詠唱とともに、ゆったりと剣を鞘から引き抜いた。
それは鍔に金の装飾がなされ、刀身は漆黒の木材から造られている長剣だった。
ひどく禍々しい気配を放つそれから、黒ずんだ霧のようなものが刀身から漏れている。
ローグはそれを見て、「今日だけで二回も抜くことになるとはな」と呟く。
その間にも、エレンを抱えたアルスはおそるべき速度でローグから離れていた。
だが。
「遅いな」
大地が吹き飛ぶ音がした。刹那、ローグの姿がその場から消え去る。
「――なっ」
一歩。
それだけで、ローグはアルスとの距離を半分以下に縮めていた。
アルスは後方を見て絶句し、さらに速度を上げる。街の路地に足を踏み入れ、曲がり角を利用して上手く緩急をつけ、細道を走り抜けていく。
だが、ローグは当然のようにぐんぐんと肉薄していた。こういうとき、行き先を決めているアルスのほうが有利なはずなのに、ローグは速度を緩めずに方向転換し、効率的にアルスに追いすがっている。それは尋常ならざる体さばきによるものだろう。幾千幾万の訓練がなせる圧倒的な身体能力。アルスは歯を食いしばりながらも、足は止めなかった。
しかし。
「――アルス、前に何か来てる!!」
後方のローグに気を取られていたアルスは、前方に意識を向け直して愕然とした。
「何だアレ……!? 闇ってやつか!?」
前方から迫りつつある、どす黒い何か。どこか禍々しい気配を放つそれは、ローグが魔剣から放っているものと同一だと思われる。俗に闇と呼ばれるその概念が、気体のようにアルスの前方一帯に広がっている。まさか、直接突っ込んでいくわけにもいかない。そんなことをすれば、どんな目に遭うのか分かったものではなかった。
知識に疎いアルスでさえも、「闇」の恐ろしさは聞き及んでいる。「光」に相反する状態を指し示すものであり、往々にしてそれは生に対する死の概念だ。光があるからこそ、闇が存在する。――光を宿す聖剣は闇を纏う魔剣の存在を示唆する。アルスはそんなような伝承を聞いたことがあったけれど、まさかその二対のうち片方の魔剣を目にすることになるとはアルスも思っていなかった。どんな効果があるのか想像もつかない。
ゆえに、アルスは足を止めざるをえなかった。
「闇の怖さを知っていたか。良い心がけだな」
アルスが振り向くと、十数メートルの距離を置いてローグはすでに佇んでいる。全力疾走で荒く息を吐くアルスに対して、ローグは息ひとつ乱していない。
「まあ神造でない以上、本元の聖剣に比べれば大したことはないんだが、それでもまあ人間に向けるような品ではないのは事実だ。殺される前に諦めたほうがいい。こんなものはそれこそ聖剣を持った勇者アキラでもない限り、太刀打ちできるものではないからな」
「……、」
アルスはギリ、と奥歯を噛み締める。周囲はすでに闇に囲まれており、逃げ出されるような状況ではなくなっていた。眼前には力を失う前の勇者アキラが最も苦戦したといわれている怪物、”銀翼”のローグ・ドラクリア。端的に言って、勝ち目は見当たらない。修行の意味は何だったのだと、アルスは自分に問いかける。エレンを守るという約束は何だったのだと、アルスは自分の無力さを噛み締める。強くなったつもりではいた。だが結局、圧倒的な怪物を前にしたらどうしようもない程度の、ちっぽけな強さだ。そんなもので、得意げな顔をしてエレンを迎えに行ったというのか。アルスは拳を硬く、握り締める。自惚れていた。ランドルフに認められて、調子に乗っていたとアルスはようやく自覚した。これだけの実力があれば何とでもなると、そんな楽観的な思考の数々がローグという絶対強者を前にして粉々に吹き飛んでいった。
こんなもので、何が、守るだ――と、アルスは苦渋に顔を歪める。
だって、仕方がないだろう。ローグと言えば、アキラと並んで世界で五指に入るとも云われているほどの強者だ。流石にそんな相手を想定して鍛えてきたわけではないとか、そんなバケモノに遭遇するなんて運が悪すぎるとか、言い訳はいくらでもできる。
「……ア、アルス」
――けれど、今欲しいものは正論ではない。事実ではない。
今求めているのは、アルスの服を不安そうに掴んでいるこの少女を安心させるための術。
二年前に交わした約束を、守るための力だ。
「わたし、大丈夫だよ。あの人だって、乱暴には扱わないって言ってるから、ね?」
「……、」
「こんなことになるなんて思ってなかったけど、でも、アルスが無理をする必要とか、ぜんぜんないし、わたしは、あなたが傷つくことのほうが嫌だよ……だから」
エレンはアルスに必死な様子で声をかけ、笑顔を取り繕っている。
アルスの服を掴んでいる手が震えていることには、自分では気が付いていないのだろう。
――ここで死ぬとか、そういう話じゃないんだし、とエレンは言う。
「そう、だな」
アルスは頷く。
苦笑しながら天を仰ぎ、ゆっくりと息を吐き出していく。
「覚悟は決まったか?」
「……悪いが、エレンは渡せねぇ」
「何?」
眼前で魔剣を構えるローグが、呆れたように眉をひそめる。
すでに覚悟は決まっていた。
頭の中で。
何かが、かちりと嵌まる音がした。
「今のままじゃ勝てねえなら、勝てるようになるだけだ……っ!!」
アルスはエレンの手を離させ、その水色の髪をさらりと撫でる。
そうして、ローグに向かって足を踏み出した。
刹那。
ゴッ!! という爆音とともにローグの懐へと飛び込んでいく。そう思ったときにはすでに剣を振り抜いていた。凄まじい斬撃が地面に亀裂を入れていく。ローグは紙一重でかわしていると認識したときにはすでに彼の後方に回り込み、その背中に蹴りを入れていた。凄まじい勢いでローグは住宅を七棟ほど倒壊させながら数十メートルの距離を吹き飛ばされていく。だがアルスはその姿を確認するより前に、吹き飛んでいる最中のローグに追いついていた。宙で視線が交錯する。一瞬の空白。
「貴様……!?」
「遅い」
アルスの神速の斬撃がローグの腹部へと叩き込まれた。辛うじてローグの魔剣による防御が間に合う。アルスがそう思ったときには、すでに突くような蹴りを入れて大地に叩き落としていた。明らかに、自分の思考が行動に追いついていない。野生の本能だけが次の行動を決定している。ゆえに、迷いと躊躇いがなく速くて正確。アルスは奇妙に感じるほど理想の状態を保っていた。そんなことを考えている間にも、なすすべなく蹴り抜かれたローグは地面に叩き落とされ、ビキビキ!! と亀裂を入れて大地が陥没していく。
「炎よ、すべてを在るべき姿に還す始まりの炎よ、我が剣の秘奥となりて――」
アルスは落下しながら、師匠より教わった最大の秘奥を顕現させていく。
両手に持った無骨な剣にぼう、と火が灯り、熱を発し、徐々に燃え上がっていく。
その魔術技の名は”炎熱剣”。
アルスの師であるランドルフの異名、その由来となった絶技。
「――不遜にして魔なる者どもを緋の輝きのもとに斬り裂き、その怒りを示せ……!!」
そうしてアルスは莫大な炎を纏った剣を、空中を漂うままに振りかぶった。地面に叩き落とされたローグを抹殺せんとばかりに、圧倒的な魔力を費やして振り下ろしていく。
地獄の業火が斬撃の形で大地を焼き焦がす。
轟!! と、灼熱の炎が周囲一帯の建物ごとすべてを灰燼に変えた。
「く……!」
アルスは焦土に姿を変えた大地に着地すると、がくりと膝をつく。
剣に纏っていた桁違いの熱量を誇る炎は一瞬で消え去り、煙を上げていた。
――アルスはランドルフと異なり、保有する魔力量が少ない。その上、魔術をほとんど扱えないほどに消費魔力効率が悪い。要は、術式構築の才能がないのだ。ゆえに、地獄のような修練を乗り越えた先で手に入れた”炎熱剣”も、せいぜい十秒使えればいいほうである。
アルスはほとんどの魔力を使い果たし、怒涛のように押し寄せる疲労に耐えながら、ローグが作ったクレーターのような陥没に目をやる。よく分からないが、すべてが上手くいっていた。普段は八〇パーセントを引き出せればいいほうである自分の力を、なぜだか一二〇パーセント以上引き出したような感覚があった。その分の疲労が、”炎熱剣”の疲労とあいまって押し寄せている。これなら、流石に倒せたのではないか――と、そう思って、クレーターの内部を見下ろすと、
「……素晴らしい腕だ」
その中央には、不敵に笑う銀髪の青年の姿があった。
纏っている外套は擦り切れ、焼き焦げ、口端からは血を流しているものの、大した外傷があるようには見受けられない。
「なるほど、ランドルフの弟子というわけか。……まさか、今日だけで”炎熱剣”を二度も受けることになろうとは。なら、魔剣を二度も使うことになるのも納得だな。つくづく運命というのは、面白い趣向をしている」
「何、で……!?」
「さて、な。貴様の攻撃に耐えられた理由など大したものではない。自分で考えてみろ。次にまみえるときには、もっと強くなっていることを祈っているよ」
「く、そ……おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
アルスは薄れゆく意識の中で、ローグに向かって突撃していく。
下段に構えた無骨な剣を、上段へと斬り上げた。銀の剣閃が唸りを上げる。
「――見事だ」
その言葉の、直後の出来事だった。
ローグの姿がブレたかと思えば、アルスの視界から一瞬で姿が消える。
それに気づいたときには、アルスはすでに意識を失っていた。
◇
「……さて」
ローグ・ドラクリアは意識を切り替えるように首を鳴らした。
口端から滴り落ちた血をぼろ切れのようになった外套で拭い、放り捨てる。
赤髪の少年は意識を失い、うつ伏せに倒れ伏していた。
これだけの才能があるのなら、いつかまた会う日が来るだろう――と、ローグはそんなことを考えつつ、周囲に視線を走らせる。
件の精霊術師はいったいどこにいるのか。
この少年の意図を汲んでいるのなら、この近くから逃げ出しているはずだが――
「……アルスを、殺さないでください」
――どうやら、そこまで頭の良い少女ではなかったらしい。いや、割り切れる人物ではなかったと言うべきか。何にせよ、このエレンというらしい少女は、自分の身よりも、少年の命のほうが大事だと判断して、ローグに交渉をしに来たのだ。このアルスというらしい少年が、少女の身を優先したのと同じように。
それは、その二人の繋がりの形は、とても美しいものだとローグは思う。
「……わたしは、あなたの言う通りにします。だから、アルスの命を助けてあげてください」
意識的に平坦な口調で、エレンはローグに告げてくる。
その瞳は恐怖に揺れていた。だが、無表情を維持しようと努力していた。
当然、そもそもアルスを殺す気がなかったローグは、この交渉を断る理由がない。
むしろこれでエレンが大人しく従ってくれるのなら、そのほうが幸運だと感じている。
「分かった。この少年の命は取らない。それは約束しよう」
「……本当、ですね?」
「俺は嘘が嫌いだ。精霊術師が確保できるのなら、その程度は何の問題もない」
「信じます」
エレンは淡々と言って、倒れ伏すアルスに近づく。
アルスがちゃんと呼吸をしていることを確認したエレンは、彼の顔の土を払い、仰向けに直すと、ローグのもとに近づいてきた。
「アルスを、もう少しまともな場所に連れていく時間はありますか?」
「……不安なのは分かるが、他の連中が集まってくると面倒なんでな。ただこの一帯は俺の闇が展開された影響で、魔物連中は近寄ってこない。こいつは起きるまでは効果も持つ。だから、ここに放置していても死にはしないだろうさ」
「……分かり、ました」
エレンは暗い表情で頷く。
その肩に、見えはしないものの不思議な気配を宿している何かがいることにローグは気づいた。
――精霊、だろう。こんなに近くで見る、いや、勘付くのは、久しぶりだ。
ふと、ローグに魔が差した。
この精霊がいったい、どのぐらいの位階にいる精霊なのか、確かめたくなったのだ。
そっと、アルスのほうを向いているエレンに気づかれないよう、精霊の気配へと手を伸ばしていく。精霊の位階は、その大きさによって違いがある。見えはしなくとも、直に触ってみれば、これまで何度か精霊に遭遇してきたローグであれば、だいたいの位階は理解できるのだ。ゆえに、ローグは精霊に避けられようとした瞬間、高速で手を伸ばし、その個体を掴み取った。刹那、ローグの背筋に激震が走る。
「こいつ、は……!?」
ローグが絶句した直後、見えない壁に全身を叩かれたような衝撃が走り、ローグは数メートルほど吹き飛ばされていく。どうにか地面に足を着け、踏みとどまった。先ほどの衝撃の影響で、すでに精霊は手放してしまっている。いや、それよりも――
「――自己防衛プログラム、起動」
エレンは機械的な動作で、ローグのほうを振り向いた。
その瞳に、もはや彼女の意思は見えない。精霊の気配はすでに消えている。
否。エレンと同化している。
ローグは驚きのあまり立ち尽くしていた。
これだけ高位の精霊が人間に従えられているとは、それだけの才能があるのか――確かにそうかもしれないが、これはそこまで単純な問題ではないとローグは推測していく。
「術者への介入成功、同化を完了」
エレンはひどく平坦かつ機械的な口調で呟く。
それはこれまでのように、意識的に不安を覆い隠したものとはまるで違う。
ローグですら戦慄するほどに莫大な魔力が顕現し、その身に水流が渦を巻いていく。
「四大精霊『ウンディーネ』に対する敵性を確認。危険因子の排除を開始します」
「なるほどな。そういうことか……!?」
ローグが声を上げた、その直後の出来事だった。
精霊術の神髄が解放され、天地を揺るがす爆音が轟いた。




